【Side:華琳】

「出口……やっと森を抜けたのね!」
「はい! 華琳様、やりました!」
「よくやったわ、季衣! 直ぐに信号弾の準備を!」

 森の中を彷徨うこと三日。既に太陽は西に傾き、辺りは暗くなり始めていた。もう少し遅かったら、また森の中で足止めを食らうところだった。
 ようやく森を抜けた私達の前には、虎牢関へと続く峡谷が見えていた。そう、私達は無事に森を抜ける事に成功したのだ。
 駄目元で、季衣の野生の勘に頼ってみたのが功を成した結果だ。

(桂花や秋蘭達も無事で居るといいけど……)

 後はどれだけ早く、他の隊が合流できるかに掛かっている。
 桂花、秋蘭、そして春蘭、そして私と季衣の四つの隊に分けたため、こんなところを敵の本隊に襲われたら一溜まりもない。
 直ぐに信号弾の準備をさせ、他の隊に連絡する準備を整えさせる。時間との勝負だった。

「華琳様! 準備が整いました!」
「それじゃあ、直ぐに打ち上げて! 他の者は陣の構築が済み次第、交代で休憩を取れ!」

 季衣や兵達に指示を飛ばし、私は張り詰めた緊張の糸を緩めるように息を吐いた。
 ここまで殆ど休まずに森の中を歩いてきたため、私だけでなく兵達にも疲れが見え始めている。
 陣を敷き、他の隊が合流するまでは交代で休息を取らせる必要があった。
 今のままでは戦う事すらままならない。こんなところを敵に襲われたら全滅は必至だ。

「発射!」

 季衣の合図で信号弾が打ち上げられる。
 辺りはすっかり暗くなり、星の明かりだけが頼りの夜空にパアッと明るい光が灯される。
 敵に位置を知られる危険はあるが、これだけ目立つ光なら他の皆も気付いてくれたはずだ。
 後は運を天に任せるだけ。敵が攻撃を仕掛けてくるのが先か、こちらが体勢を整えるのが先か、時間との勝負だ。

「これで皆、気付いてくれるといいんですけど……」
「しばらくは毎晩同じ時間に信号弾を打ち上げるわ。秋蘭と桂花なら上手くやるでしょう。残弾は十分にあるわよね?」
「はい。まだ五発あります」
「なら、大丈夫ね」

 取り敢えず、信号弾や物資に関しても、特に問題は無さそうだった。
 ようやく一息つけた気がする。後に続いた孫策や劉備達の部隊も気掛かりではあるが、今は自分達の事で精一杯の状況だ。
 太老を敵に回す難しさを、私は改めて噛み締めしていた。正直な話、私もまだ太老を甘く見ていたと言う事だ。

(……結論を出す時期にきているのかもしれないわね)

 覇王としてこのまま理想を貫き通すか、それとも全てを太老に託し共に生きる道を選ぶか、答えは二つに一つ。
 私が望むのは強い王によって導かれる国。こんな腐敗した世ではなく、人々が平穏に暮らせる世界を作る事だ。
 そして太老は私が初めて認めた男。その資格と力は、十二分に有していると言って良い。
 民の事を本当に考えるのであれば、私は私の夢を諦め、全てを太老に委ねるべきなのかもしれない。
 だからこそ、確かめたかった。太老と今の私に、どれだけの力の差があるのかを……。そしてその答えは、ここにあるような気がする。

「未練……なのかもしれなわね」

 太老なら、きっとこの国を良い方向に導いてくれるはずだ。でも出来る事なら、この手でその願いを叶えたかった。
 そう、これは未練。悔しかった。初めて他人を羨ましいと思った。
 私にも太老のような知識が力があれば、もっと早くこの国を変えられたのだろうか?
 もっと大勢の苦しむ民達を救う事が出来たのだろうか?

 言っても仕方の無い事と理解しつつも、考えずにはいられなかった。
 一つのケジメを付ける時期に来ているのかもしれない。この先も、太老の力をあてにするのなら尚更だ。
 太老なら、こんな私になんて言うだろう?

「フフッ、答えなんて最初から出ていたのかもしれないわね」

 太老は優しそうに見えて、凄く残酷なところがある。きっと太老なら、私にこう言うはずだ。
 華琳の好きなようにすればいいよ、と――

「華琳様! た、大変です!」
「どうしたの!?」

 その時だった。季衣が慌てた様子で、私の元に駆け寄ってきた。

「よ、よよよよ……予備の信号弾が!」
「信号弾がどうかしたの?」
「カ、カニに食べられちゃいました!」
「…………カニ?」

【Side out】





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第78話『白服の軍団』
作者 193






【Side:太老】

「太老様。本当に、こんなにのんびりとしていてよろしいのですか?」
「まあ、大体の下準備は終わってるしね。なるようにしかならないよ。後は運を天に任せるってね」
「ですが……」
「林檎さんの気持ちは嬉しいけど、ここは俺を信じて任せてくれないか?」
「太老様……」

 林檎が出て行ったらオーバーキルも良いところだ。下手をすると足止めではなく連合が壊滅しかねない。
 華琳や商会の皆までやられてしまわないように、なんとしてもここで林檎を足止めしておく必要があった。
 取り敢えず、今回の騒ぎの大元を鎮められればいいだけで、月や劉協が無事なら特に見返りを求めていない。
 権力や金が欲しければ欲しい奴にくれてやればいい。今の劉協なら、易々と傀儡になると言った事は無いはずだ。
 林檎が出て行って、後で面倒が増える事だけは勘弁して欲しかった。何気に手加減を知らないからな。林檎は……。

(なんで俺、敵の心配なんてしてるんだろうな……)

 大抵やり過ぎてしまうと、怒られるのは俺と相場が決まっているので迂闊に許可など出来ない。
 あの鬼姫ですら怯ませる眼力を持つ林檎だ。本気になった林檎はかなり恐い。正直、水穂に匹敵するほどだと俺は思っていた。
 そんな『鬼姫の金庫番』なんて呼ばれている林檎が出て行ったら、トラウマになる奴が続出すること間違い無しだ。
 連合の壊滅くらいで済めばまだマシな方。後からついて回ると思われる噂の方が想像するだけで嫌だった。林檎の関係者と知れたら、益々人間扱いしてもらえなくなりそうだ。
 これでも俺は、あちらの世界の人達の中では『一般人』と言っても差し支えないくらい、平凡な部類に入ると言うのに……。
 こっちに来てから、ちょっと剣や槍がきかないくらいでバケモノ扱いだからな。林檎クラスだと宇宙怪獣と言ったところだ。

「太老! 新しい衣装、見せにきたわよ! 勿論、ちぃが一番似合ってるよね!」
「ちぃちゃん抜け駆けは禁止って約束したよね!? た、太老様、この衣装どうですか?」
「今度の舞台で着る衣装か。うん、二人ともよく似合ってると思うぞ」

 地和と天和が、またノックもなしに部屋に入ってくる。突然押し掛けられるのも、今では慣れたものだった。
 何度言っても効果が無いから、諦め半分とも言える。魎呼みたいに壁をすり抜けて来ないだけマシだ。
 そもそも、俺は押しの強い女性に弱い。自慢にもならないが、そこは自覚していた。

「太老様。こちらが当日の予定表と、搬入機材の確認書類になります」
「了解。ちょっと見させてもらうよ」

 姉二人の影に隠れて人和が持ってきた書類に目を通す。舞台に関する確認書類だ。
 姉二人はともかく人和の仕事は信用している。だが、万が一と言う事もある。確認を怠って事故があってからでは遅い。
 特に舞台関係の設備は技術開発局が関わっている仕事も多く、俺でなければ最終確認の取れない物も数多くあった。

(あれ? こんなに火薬注文したっけ?)

 演出のためにと商会より取り寄せた火薬が、予定していた量より少し多いような気がした。
 でも、おかしいな? 花火の火薬玉は最初から、打ち上げ用の装置と一緒に付いてきてたはずなんだが……手違いか?
 稟や風にしては珍しいミスもあったものだ。まあ、この程度なら特に問題は無いだろう。

「ご苦労さん、予定日には十分間に合いそうだな。後、観客の見込みは?」
「はい。凄い数の問い合わせが入っていますし、これなら予定数を大幅に超えた観客の動員が見込めるかと」
「そりゃ、凄い。もう、トップアイドルとして十分やっていけそうだな」
「フフン、ちぃの魅力なら当然よ!」
「違うよ! お姉ちゃんを観に来てくれるんだよ!」

 また、くだらない事で言い合いを始める地和と天和の二人。人和はそんな姉二人を呆れた様子で見て、ため息を漏らしていた。
 まあ、なんにせよ、星達も頑張ってくれているし、張三姉妹の人気のお陰で予定通りに計画は進められそうだ。
 問題は、落としどころだった。情報を握り、世論を味方に付けた方が有利に事を進める。情報戦略の基本だ。
 それが真実であろうとなかろうと関係ない。屁理屈でも構わない。諸侯が納得をせざる得ないような理由を作ってしまえばいい訳だ。
 それに、いざと言う時のために保険も取ってあった。これは林檎の手柄だ。西涼まで行き、馬騰から貰ってきた返事が役に立つ。

「太老はおるか!?」
「ん? 劉協までどうしたんだ?」
「何も訊かずに、我を匿うのじゃ!」

 そう言って俺の膝に飛び移り、そのまま小さな身体を沈めて机の下に隠れる劉協。今日は大入りだった。
 林檎はともかく張三姉妹に劉協。この調子だと月辺りも顔をだしそうだな、と思っていると――

「太老様。焼き菓子を作ってみたのですが、よろしかったら……」
「太老様! こちらに陛下がきていませんか!?」

 メイド姿の月や、同じくメイド服を身に纏った女官達までやってきた。
 なんで、こうタイミングを見計らったかのように集まって来るのか?

「ちょっと劉協! そこから出て来なさいよ! 太老の膝はちぃの物なの!」
「バ、馬鹿者! 早速、我の居場所をバラす奴がおるか!」
「え! 俺が悪いのか!?」

 バラしたのは地和なのに、何故、俺が劉協に怒られなくはいけないのか? 理不尽だ。
 ワイワイと騒がしくなっていく自分の部屋を見て、俺はハアッと深いため息を漏らした。

「何一人で黄昏れてるのよ――って、痛っ!」
「ん?」

 頭に虫でも止まったかのような軽い感触を受けて、後を振り返る。
 すると何故か、俺の後で詠が苦悶の表情を浮かべて蹲っていた。

「どうかしたのか? そんなところで蹲って」
「この石頭が……。どんな頭をしてるのよ!」

 机の角にでも手をぶつけたのか?
 目尻に涙を浮かべ、真っ赤に腫れた拳をさすりながら、俺に抗議してくる詠。
 俺が何かをした訳でもないし、俺に文句を言われても困るのだが……。

「詠ちゃんも、よかったらどうぞ」
「……ありがとう。月」

 月の差し出した御茶は素直に受け取る詠。俺に対する態度とは偉い違いだ。
 まあ、喧嘩にならないようにと月が気を利かせて割って入ってくれた事は分かっていたので、敢えて何も言うつもりは無かった。

「おっ、クッキーを作ったのか」
「はい。商会の積み荷に料理の本が混ざっていて、それで試してみたんですが……お口に合いませんか?」
「いや、そんなこと無いよ! うん、凄く美味しい。良いお嫁さんになれるよ。これなら」
「お、お嫁さん……」

 月の恥ずかしがり屋なところは相変わらずのようで、ただ『美味しい』と言っただけなのに顔を真っ赤にして俯いてしまった。
 とはいえ、このクッキーは素直に美味しかった。
 職人の技には敵わないが、一生懸命作ったという月の想いが込められている。家庭的で温かい、そんな優しい味だ。
 こんな風に騒がしい連中に囲まれていると尚更、月の何気ない気遣いが嬉しかった。

「はあ……。和むな」
「太老様。もう一杯、如何ですか?」
「ああ、頂くよ」

 このまま月と二人で何も考えず、ぼーっと一日を過ごしたい気分だ。
 すっかり縁側の猫。マッタリモードに突入していた。

「あっ、そう言えば詠ちゃん。何か、用があったんじゃないのか?」
「………え?」

 一緒になって月に淹れて貰った御茶と御菓子で和んでいた詠に、俺はようやく思い出したかのように話を振った。
 態々、俺の部屋を尋ねてきたと言う事は、何か用事があるのでは無いかと思ったからだ。
 幾ら何でも、御茶をしにきただけとは考え難い。

「ああっ! そ、それよ! 和んでる場合じゃ無いのよ!」
「まあ、カッカしないで。クッキー食べるか?」
「詠ちゃん。御茶のお代わりを用意するね」
「そこ、和むな! 人の話を聞け!」
「ご……ごめんなさい。私、そんなつもりじゃ……」
「いや、ごめん。月に言った訳じゃないのよ? ああ、もう! なんで、コイツ相手だと調子がでないのよ!」

 仕事のストレスでも溜まっているのだろうか? カルシウム不足かもしれないな。
 落ち着きのない詠を見て、俺はそう思った。

「と、とにかくそれどころじゃないのよ! 真面目に話を聞いてもらうわよ!」

 大声で叫ぶ、切羽詰まった様子の詠を見て、さすがに空気を読んだのか全員が息を呑んで静まり返った。
 さっきまでの騒がしさが嘘のようだ。

「砂塵を巻き上げながら大軍がこちらに向かって来てるって報告が、さっきボクのところにあったのよ!」
「大軍? 連合がもうきたのか?」

 俺の質問に詠は、『その方がまだ良かった』といったような顔付きで首を横に振って答えた。

「……違うわ。虎牢関ではなく、函谷関(かんこくかん)の方角から敵は真っ直ぐこっちに向かってきている」
「函谷関ですか? ですが、あちらは……」

 林檎が疑問に思うのも当然だ。
 連合は迂回するルートを選ばず、真っ直ぐに荊州から東の虎牢関へと向かった。それは兵の報告からも間違い無い。
 それに十万を超す大軍を隠しながら移動する事は困難。そんな動きがあれば、真っ先に報告が入っているはずだ。
 連合がシ水関を落としたと言う報告も入っているし、その連合が突然、反対側の函谷関に現れるとは考え難い。

「連合ではない。別勢力が動いていると? でも、そのような勢力……」
「ボクにもよく分からない。ただ、戻って来た兵の話によると――」

 林檎の質問に詠が答える。他の面々も、ただならぬ気配を感じ取り、黙って二人の話に耳を傾けていた。
 詠の話によると、白い道士服を身に纏った集団がこちらに向かっている、との話だった。
 その数は約五万。連合が総数約十万。董卓軍が都の兵を全て掻き集めて十万弱と考えると、かなりの数だ。
 虎牢関に殆どの兵を集結させている現状では、とてもじゃないが五万なんて数の敵を相手に戦えない。

(白い道士服? まさか……)

 パッと脳裏に浮かんだのは黄巾党本拠地での事。白い道士服を身に纏った干吉の姿だった。

 ――太平要術の書が、今回の件に関わっているかもしれない

 そして華佗の言葉が頭を過ぎった。
 華佗は今回の事件に『太平要術の書』が関わっている可能性を示唆していた。
 白服のバックに居るのが干吉で、あの時、奴が太平要術の書を手に入れていたと考えれば全てに納得が行く。

(失敗したな……。あの時、ちゃんと確認していれば)

 倉と一緒に燃え尽きたと思い、確認を怠った俺のミスだ。だとすれば、張譲のバックに居たのも干吉と言う可能性が高い。
 月がこんな事になったのも、劉協が宦官達に傀儡として祭り上げられたのも、あそこで太平要術の書を確保出来なかった事がそもそもの原因とも言える。
 全てが俺の所為とは言えないが、その原因の一つを作ってしまった事に変わりは無かった。

「やっぱり、責任は取らないとな……」
「太老、アンタまさか……」
「自分の尻は自分で拭け、っていうのがうちの家訓でね」

 心配する詠に、俺は『こうなっては仕方が無い』と言った様子で返事をする。
 ここで干吉が出て来るのはイレギュラーだったが、全く悪い話ばかりでもなかった。
 最後の仕上げとしては丁度良い相手だ。それに虎牢関から洛陽まで、どれだけ急いでも三日は掛かる。早馬をやって兵が戻ってくるまで約一週間掛かる事を考えると、とてもではないが味方の応援は間に合わないだろう。

(それにどっちかと言うと、ここで何もしなかった後の方が恐いしな……)

 柾木家の家訓に『自分の尻は自分で拭け』と言うのがある。ここで逃げ出すような真似をすれば、五万の白服を相手にするより後で厄介な目に遭いかねない。五万の白服と、若干数の恐いお姉様+オバサン達。どっちが恐ろしいかなど考えるまでも無かった。
 第一、幼女との約束を反故に出来るはずもない。劉協や月を護ると言ったのは、俺の意思だ。その言葉に嘘は無い。それに五万くらいなら、なんとかなるだろうという打算もあった。
 林檎が持ってきてくれた『お出掛けセット』もあるし、いざとなったら奥の手もある。
 連合相手にこれをしなかったのは、華琳達を巻き込みたくは無かったからだ。相手が干吉と配下の白服なら、なんの遠慮も要らない。

「太老様、お供します」
「え? でも、林檎さんが出るほどじゃ……」
「太老様に覚悟があるように、私にも太老様をお護りするという使命があります。絶対にお一人ではいかせません」

 適当に罠でも張ってお帰り願おうと考えていたところに、何故か決意を漲らせた林檎が『自分も行く』と言って立ち上がった。

(え……ええ!? さすがに拙いだろ! 林檎さんは!)

 忘れていた。林檎がここに俺を連れ戻しにやってきたと言う事を――
 言ってみれば、俺の保護者代理。使命感の強い林檎なら、どういった行動にでるかは分かりきっていた事だ。
 林檎のやる気を掻き立ててしまった事を深く後悔した。なんのために虎牢関に行かないように足止めしていたのか、これでは分からない。

「あの、林檎さん……。俺なら大丈夫だから……」
「私を心配して言ってくださっているのは分かります。ですが、これだけは絶対に譲れません!」

 いや、寧ろ心配なのは、敵とか、地形とか、後始末の方なんですが……とは、さすがに言えなかった。
 何故か、感動した様子で盛り上がっている周囲の反応を見て、俺は激しく後悔する。
 一番立ててはいけないフラグを立ててしまった事に気付いた時には、何もかもが遅かった。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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