「真桜! 沙和!」
「あっ、凪ちゃんもやる?」
「あ、凪ちゃんじゃない! また任務中に札遊びなどして――」
「でもなー。なんもすること無いんやから、仕方ないで」

 真桜と沙和、それに三羽烏の兵達が集まり、いつもよくやっている賭けトランプに興じていた。
 当然、真面目な凪が、そんな二人や兵達の行いを黙って見ていられるはずもない。
 ここは敵の勢力圏内。幾ら待機中とは言っても、呑気に札遊びなどやっている真桜達を見過ごせるはずもなかった。

「そこで革命なの!」
「なっ!? 沙和、それはないで! ウチら仲間やろ!?」
「フフン! 真剣勝負に友情も仲間もないの!」
「…………」

 全く反省した様子の無い二人を見て、呆れた表情を浮かべる凪。
 普段ならここで手や足の一つでも出るところだが、作戦中と自分を言い聞かせ凪はグッと堪える。
 虎牢関へと続く道で足止めを食らって数日。凪達、三羽烏の部隊は連合の本隊、袁術軍と行動を共にしていた。

「この先に劉備殿や華琳様達が居ると言うのに……」
「ああ、心配するだけ無駄無駄。局長の仕業やったら命の心配まではないやろ。それに――」
「そうなの。態々、自分から危険に飛び込む事はないの」
「しかしだな……」

 凪達の部隊の前に、薄い空気の膜のような物が見える。そう、太老の発明品『虎の穴』によって固定された空間だ。
 半径凡そ二キロに渡ってドーム上に切り取られた空間は、虎牢関に続く峡谷を囲い込むように張り巡らされていた。
 偶然、義勇軍の最後尾に陣取っていた三羽烏と袁術の部隊だけが、結界に取り込まれる寸前で難を逃れたのだ。

「もう、五日もここで足止めされているんだぞ」
「凪かて、局長の容赦のなさは知っとるやろ? 虎の穴以上の罠が仕掛けられてるのは間違いないで、これ」
「うっ……」

 結局、袁術の指示でここに待機する事が決まり、凪達も袁術軍の護衛と言うカタチで足止めを余儀なくされていた。
 これが太老の仕業と言う事は、太老と付き合いの長い者であれば誰でも気がつく。
 そして目の前の結界が普通では無いと言う事も、太老と言う人物を知っていれば容易に察しが付く事だった。
 態々、危険な罠と分かっていて、何の策も無しに足を踏み入れるバカはいない。そう、袁紹(バカ)でも無い限りは――
 袁術もシ水関での袁紹の失態を見ていたと言う事もあり、さすがに無謀な行動は控えている様子が窺えた。

「まあ、結界が解けるまで、大人しくここで待つしかないやろな」
「そうなの。凪ちゃんも一緒に札遊びでもして待ってるの」
「はあ……」

 深いため息を漏らす凪。皆の無事を祈りつつも、相手が太老である以上、真桜や沙和の言うように待つしか方法が無い。
 真桜と沙和のやる気のない態度に呆れながらも、心の奥底では凪もどうしようも無い事が分かっていた。





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第80話『忘れられた人々』
作者 193






「退屈なのじゃ! 七乃! 七乃!」
「はいはい。なんですか、美羽様」
「蜂蜜水が飲みたい! 持ってきてたもれ」
「今日の分は、もうお飲みになったじゃないですか」
「アレでは足らぬのじゃ! 妾はこう、もっとグビグビっと沢山飲みたいのじゃ!」

 河南の太守『袁術』こと『美羽』の我が儘は今に始まった事では無かった。
 生まれ持った家柄と財力。幼くして河南全域を治める太守の座に納まり、好き勝手に生きてきた美羽には我が儘と言う認識すらない。
 親に叱られた事も無ければ、叱ってくれるような家臣も居なかった。そしてアレが欲しい、コレが欲しいと言って手に入らない物は何一つとして無かった。美羽にとっては、それが当たり前の事だった。

 ――嫌な事よりも楽しい事。苦しい事よりも楽な事
 ――退屈だから退屈だと叫ぶ。蜂蜜水が飲みたいから蜂蜜水が飲みたいと言う

 彼女の思考は単純明快だ。そこには悪意すら無い。純粋にしたい事、嫌な事を叫んでいるだけだ。
 言ってみれば、駄々っ子と同じだ。その見た目通り、美羽はまだ子供だった。

「でも、そんなに蜂蜜水ばかり飲んでると虫歯になっちゃいますよ」
「む、虫歯は嫌なのじゃ……」
「虫歯になると、お医者さんに見て貰わないといけなくなりますねー。きっと凄く痛い痛い思いをする事になりますけど……それでもいいんですか?」
「医者は嫌なのじゃ! 痛い思いも絶対に嫌なのじゃ!」

 そんな美羽の事を誰よりも理解し見守ってきたのが、大将軍『張勲』こと『七乃』だ。美羽の扱いは手慣れたものだった。
 美羽が、世間知らずの我が儘なただの子供だと言う事を、七乃は他の誰よりもよく理解している。

(震えている美羽様も可愛いですねー)

 などと主君に対して不遜な事を考えてはいても、七乃は美羽を大切にしていた。
 美羽に一番後方に控えるように進言したのも、そして虎の穴を前にして全軍をここに待機させるように指示したのも七乃だ。
 全ては美羽のため。彼女が危険な目に遭わないようにと心配しての事だった。

 しかし七乃は大将軍などと名乗ってはいても、特に武芸に秀でている訳では無い。献策も人並み、その他の名だたる軍師と比べれば知略もまずまずと言ったところだ。だが、彼女には一つだけ誰にも負けない才がある。
 一見、美羽と同じく間抜けな道化を装ってはいるが、それは美羽に合わせて演じている姿に過ぎず、彼女の真骨頂はその強かな性格にあった。
 各国の諸侯がそれぞれの思惑を持って名を挙げようと画策している中、七乃だけは敢えてその争いに参加しようとせず、虎視眈々と機会が来るのを待っていた。

 ――ここで諸侯の皆さんと董卓軍が潰し合ってくれた方が、後々楽ですからね

 それが七乃の考え。
 兵力と財力はあっても、他の勢力に比べて有能な軍師や武官の数で劣っている事が分からないほど、七乃はバカではない。
 それに英雄と呼ばれる孫策を手懐けてはいても、いつまで自分達の思い通りになるかは分からない。そう考えた七乃の取れる行動は限られていた。
 来るべき時のために出来る限り兵を温存し、代わりに集まった諸侯に頑張ってもらう。
 例え、董卓軍を倒しきれなかったとしても、その時は温存していた自分達の兵を投入すればいいだけの事。寧ろ、漁夫の利を得るのであれば、そちらの方が都合が良い。
 この戦い、色々と言い訳をしては、最後まで兵をだすつもりは七乃には無かった。孫策の話に乗って諸侯に檄文を飛ばしたのも、全てはそのためだ。
 美羽が無能さをアピールすればするほど、七乃が道化を演じれば演じるほど、諸侯は間抜けな袁家と蔑み、袁術軍に頼ろうとはしない。
 逆にその状況こそが、七乃にとっては一番都合の良い状況だった。

「でも、やっぱり蜂蜜は食べたいのじゃ!」
「ありませんよ」
「……何? すまぬが、もう一度言ってたもれ」
「だから、ありません。そもそも遠征軍なんだから、そんなに一杯ある訳がないじゃないですか」

 しかし、そんな七乃にも唯一の誤算があった。それが美羽だ。
 ずっと後方にばかり控え、特に何もする事なく退屈な思いばかりをしていた美羽が、七乃と交わした『一日一匙』と言う約束を破ってバカスカと蜂蜜を食べてしまったため、あっと言う間に持ってきていた蜂蜜が底を尽いてしまったのだ。
 今朝、美羽が口にした蜂蜜水が最後の蜂蜜だった。当然ではあるが、袁術軍の糧食に蜂蜜は残されていない。

「美羽様が私との約束を破るから、こんな事になるんですよ」
「い、嫌じゃ……。妾は蜂蜜が無いと生きていけないのじゃ!」
「そうは言われても……。今更戻る訳にもいきませんし、洛陽に行けばあるかもしれませんが……」

 と、言ったところで、しまったとばかりに慌てて両手で口を押さえる七乃。
 連合の発起人で総大将である自分達が、まさか一番に荊州に逃げ帰る訳にも行かない。
 ならば、蜂蜜を手に入れるには洛陽を目指すしか無い訳だが、そこで七乃は自分の失敗に気付いた。
 今の美羽は蜂蜜が無いと言う事で、いつも以上に冷静さを欠いている。
 そんな美羽に『洛陽に行けば蜂蜜が手に入るかもしれない』なんて進言すればどうなるか、火を見るよりも明らかだった。

「全軍! 洛陽に向けて進軍するのじゃ!」
「ちょ、ちょっと美羽様!」
「妾の蜂蜜を、絶対に取ってくるのじゃ!」

 珍しくやる気を出して、兵達に号令を飛ばす美羽。こうして、袁術軍の蜂蜜戦争が幕を開けた。


   ◆


「またまたまたまた革命なの!」
「なっ!? 沙和! いい加減にせえ!」
「フフン、勝負は非情なの。例え、真桜ちゃんが相手でも手加減はしないの!」

 まだ、カードゲームを続けていた真桜と沙和の二人。結果は沙和の連戦連勝。真桜だけでなく兵達は誰一人、沙和に勝てずにいた。
 意外な才能が発覚した沙和に手も足も出ず、手札を睨み付けて唸る真桜。
 研究資金のためにと真桜から始めた賭けトランプも、このままだと来月の小遣いすら危うい状況に追い込まれていた。

「こうなったら一か八かの賭けや! 最後は大勝負に出るで!」
「望むところなの! この勝負に勝って、欲しかった服を全部買うの!」

 いつになく闘志を漲らせる二人。背中には炎すら浮かび上がって見える。
 もはや、ここが戦場と言う事すら二人は忘れていた。
 金のため、目的のため――欲望に忠実な二人だった。

「お前達、いい加減に――」

 さすがに堪忍袋の緒が切れたのか、凪が二人に向かって叫ぼうとしたところで、割って入るように一人の兵が飛び込んできた。

「た、大変です!」
「どうした!? まさか、敵襲!?」

 慌てて駆け込んできた兵を見て、凪の表情に緊張が募る。

「いえ、袁術軍が虎牢関に向け、進軍を開始しました!」
「なっ!?」

 それは凪を驚かせるのに十分な報告だった。
 罠と分かっていて突っ込んで行くのはバカのする事だ。そんなバカは袁紹(バカ)しかいない。
 さすがの袁術もシ水関の出来事を見ている以上、そんなバカな真似をするとは凪も考えてはいなかった。
 だが現実に袁術軍は進軍を開始した。最終目的地は洛陽。全ては蜂蜜を手に入れるために――

「……何故、今になって軍を動かしたんだ?」

 ここまで全く動きを見せる事が無かった袁術軍が、今になって積極的に動く理由が凪には分からなかった。
 真面目に考える凪だったが、きっとその答えがでる事は無い。まさか、蜂蜜が原因で袁術軍が暴走しているなどと予想できるはずもなかった。
 結局のところ、袁術も袁紹と同じく袁家の血を引く者だった、と言う事に他ならない。
 バカに付ける薬はないというが、学習能力の無さは袁紹も袁術もそれほど違いは無かった。

「またまたまたまた、また革命なの!」
「なっ!?」

 兵の報告を前にしても、まだトランプを続けている二人を見て、今までに無いくらい大きなため息を漏らす凪だった。


   ◆


「ううぅ……くっ!」
「どうかされましたか? 馬超将軍」
「な、なんでもない! それよりも周囲の警戒を怠るな!」
「はい!」

 西涼から馬騰の名代として連合に参加した馬超は、嘗て無い危機を迎えていた。
 馬超軍が放り込まれた場所は名もない平野。見渡す限り一面の草原が広がっていた。
 西涼の民は子供の頃から馬と慣れ親しみ、共に生活をして育つ、と言うくらい馬の扱いに慣れた騎馬の一族だ。草原は彼等の領域と言っても良い。
 だが、馬超は苦しんでいた。それもそのはず、突然、馬超を襲った腹痛。彼女はトイレに行きたいのを我慢して、必死に尿意を堪えていた。

(どこか……どこか身を隠せる場所は無いのか……)

 こんな遮蔽物の一切無いだだっ広い草原では、身を隠せるような場所があるはずもない。
 馬超はこれでも女だ。まさか、男のように立ちションと言う訳にもいかず、そうした場所を見つけるまでと我慢を重ねていたが、それも限界に達し始めていた。
 段々と顔色が青くなっていく馬超。このままでは兵の前でお漏らしをしてしまうかもしれない。
 馬騰の名代、一軍を預かる将としてそれだけは絶対に避けたいと言う思いが、限界スレスレのところで彼女を支えていた。

(ああっ! も、もう限界だ!)

 さすがに耐えきれなくなった馬超は、最後の力を振り絞って下腹部に力を込める。

「て、偵察に行ってくる!」
「将軍自らですか?」
「そうだ! このままじゃ埒が明かない。先行して周辺の様子を探ってくる」
「では、せめて供の者を――」
「だ、大丈夫だ! 大人数で行くより、あたい一人の方が動きやすい! お前達は陣を構築して順番に休憩を取っておけ!」
「しかし……」
「くどい! いいか、絶対についてくるなよ! 絶対だぞ!」

 切羽詰まった様子で、大声で叫ぶ馬超。その迫力に気圧されて、兵士も何も言えなくなる。
 言い終えるなり馬の尻を叩き、物凄い早さで草原の彼方へ走り去っていく馬超。

「さすが馬超将軍だな……」
「ああ、確かにあの速さにはついて行けそうにない……」

 微妙に勘違いしてくれた兵士達のお陰で、馬超の面目はなんとか保たれた。
 しかし、この選択が運命を分ける岐路になるとは、彼女も知る由も無かった。





 ……TO BE CONTINUED



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