【Side:公孫賛】
「伯珪殿、こちらです」
「いや、こちらって……」
趙雲の案内で辿り着いたのは、洛陽の中心にそびえ立つ一際大きな建物。
「こ、皇居じゃないか!? 幾ら何でも入れる訳――」
漢王朝の宮廷。まさに、この国の権力の中枢とも言って良い場所。
ましてや皇居と言えば、皇帝陛下の許しが出た者以外は立ち入る事の出来ない神聖な場所だ。
許しも無く近付けば首を刎ねられても文句を言えない、そんな場所だった。
「あ、趙雲様。お帰りなさいませ。そちらの方はお客様ですか?」
「うむ、商会とも取引のある私の知人でな。幽州から来られた公孫賛殿だ。中に入る許可が欲しいのだが……」
「では、大長秋様に確認を取って参りますので、ここでお待ち頂けますか?」
「了解した」
丁寧にお辞儀をし、走り去っていく侍女。
趙雲が宮廷で働く侍女と知り合いだったと言う事に驚いたが、それ以上に驚かされたのは侍女の口から出た名前の方だった。
大長秋と言えば、皇后府を取り仕切る宦官の最高位。この私ですら一度もお顔を拝見した事の無い、雲の上の御方だ。
「まさか、大長秋と知り合いなのか!?」
「ん? ああ、主を経由してではありますが、知らぬ仲ではありませぬな」
「……主?」
「私が『主』と呼ぶのは一人しかおりませぬ。正木太老――伯珪殿もよく知る『天の御遣い』と呼ばれている男の事です」
「て、天の御遣い!?」
まだ直接の面識がある訳では無いが、正木商会には随分と助けられていた。
この連合に参加する事を決意したのも、天の御遣いが洛陽に連れて行かれたと言う話を耳にしたからだ。
「天の御遣いは洛陽に連れて行かれ、投獄されているのでは無かったのか!?」
「それも含め、自身の目で確かめられよ、と言っているのです。おっ、噂をすれば丁度よいところに――」
趙雲が『自分で確かめろ』と言って連れてきた皇居。ここに私の知りたい真実があると言われても、直ぐには理解が出来なかった。
困惑する中、先程侍女が走り去っていった皇居の中から、こちらに向かって歩いてくる銀の髪をした小さな女の子が目に入る。
見習いの侍女だろうか? それとも、どこかの豪族や貴族の娘? 何れにせよ、人形のように可愛らしい少女だった。
少女はこちらに気付き、親しげな様子で趙雲に声を掛けた。
「趙雲ではないか。どうしたのじゃ? このようなところで」
「客を連れてきたので、許可が下りるのを待っているのですよ」
「客じゃと?」
趙雲の話を聞いて訝しげな表情を浮かべ、値踏みをするかのように私を見る少女。
「趙雲の知り合いにしては覇気がないの。それに何やら、影の薄そうな奴じゃ。御主、名はなんと言う?」
「なっ! 私は、これでも『白馬将軍』で名の通った――」
「白馬将軍? 趙雲、それは有名なのか?」
「いえ、私も初耳です」
「趙雲!? それはないぞ!」
確かに昔から影が薄いと散々言われ続けてきたが、これでも幽州を治める太守だ。それなりに名が通っている……はずだ。
それなのに酷い言われようだった。こんな子供にまで『影が薄い』と言われる理由はない。
趙雲も趙雲だが、問題はこの子供の方だ。目上の人間に対する礼儀が全くなっていなかった。
初対面の相手に『影が薄い』だの『覇気が無い』だの失礼極まりない。全く、親の顔が見てみたいものだ。
「それよりも伯珪殿」
「なんだ! 私はこの躾のなってない子供に目上の人間に対する言葉遣いをだな」
「目上の人間に対する言葉遣い……ですか。その躾のなっていない子供ですが、本当によろしいのですかな?」
「は?」
念を押すように『よろしいのですか?』と尋ねてくる趙雲の言葉の意味が理解出来ず、私は疑問符を頭に浮かべて首を傾げる。
そんな私を見て、ふむと納得した様子で一人頷いてみせると、趙雲は少女の方を向き――
「伯珪殿はこう言っておられるのですよ。人に名を尋ねる時は、まず自分の名を名乗れと」
「なるほど、確かにそれは道理じゃな。すまぬ、我が悪かった」
「いや、分かってもらえれば……」
あっさりと自分の非を認め、頭を下げて謝ってくる少女を見て、先程までムキになっていた自分が小さく思えた。
これで許さなかったら、私の方が大人気なく見えてしまう。
「我の名は劉協。今は献帝と名乗っておる。この国の皇帝じゃ」
「私は公孫賛、字は伯珪。そうか、皇帝か。それなら納得…………って、はあ!?」
献帝――それは、この国の……現皇帝の名だった。
直接お会いした事は無いが、確かに幼い少女が皇位を継いだと言う話は噂で耳にしていた。
「ま、まさか……。本当に……」
「だから言ったではありませぬか。『よろしいのですか?』と」
趙雲の言葉に、ここが何処かを改めて認識する。
皇帝の血筋を彷彿とさせる銀の髪に、子供とは思えない大人びた態度と尊大な言葉遣い。
それではやはり、この少女が漢王朝の皇帝――
「趙雲。やはり御主の知り合いは、ちょっと変わっておるの」
「……それはどう言う意味ですかな?」
過去に戻ってやり直せたらどれだけ良いか……。この時ほど、自分の迂闊さを呪った事は無かった。
【Side out】
異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第88話『噂と真実』
作者 193
【Side:劉協】
「ふむ、幽州の太守じゃったか。太老の知り合いなら、我の客も同然じゃ。ゆっくりとして行くがよかろう」
「は、はい!」
緊張した様子で返事をする公孫賛。少し意地悪が過ぎたやもしれぬ。すっかり畏縮してしまっていた。
趙雲の事じゃ、公孫賛を驚かせるつもりで何も告げずにここに連れてきた事は明白じゃ。
「驚いたであろう? 洛陽の様子を見て」
「それは……」
「よい、隠さずとも分かる。御主、反董卓連合に参加した諸侯の一人であろう?」
「うっ!?」
この反応が何よりの証拠。公孫賛と言う名は記憶に無いが、北の辺境の諸侯が態々この時期に洛陽を目指す理由など一つしか無い。
反董卓連合――まさか、連合に参加している諸侯の一人が洛陽に辿り着き、既に潜入していたとは驚きじゃった。
恐らくは、その手の隠密行動に特化した才能を持つ、優れた将なのだと我は考えた。
我の目は誤魔化せぬ。一見して凡人のように目立たぬ風体も、全ては自然に周囲に溶け込むための偽装。そう考えれば全て合点が行く。
問題は、この者の狙いじゃった。
正木商会と取引のある諸侯と言う話じゃが、連合に参加して洛陽まで来たからには何か目的があるはず。
例え、趙雲の知り合いと言えど、それを確かめるまでは信用する事は出来なかった。
「それで、御主はこれからどうする気じゃ? 董卓を討つか?」
「それは……」
迷っておるのか、言葉に詰まる公孫賛。困惑している様子が窺えた。
嘘を吐くのはそれほど上手くないようじゃ。趙雲がここに連れてくるだけあって、根は悪い奴ではないのやもしれぬ。
だとすれば、仲間に引き込めるか? 正直言って、この才能は惜しい。
性格からして暗殺者には向かぬじゃろうが、一般人を装って情報を収集させるなら、これほどの適任者はいない。
問題は董卓の事をどう説明し、こ奴を納得させるかじゃが……。
「陛下、御茶をお持ちしました」
「ん、入れ」
噂をすればなんとやら。董卓が茶と菓子を持って、部屋を尋ねてきた。
「誰の差し金じゃ?」
「え? 趙雲さんが陛下のところにお客様が来ていると……」
「やはりの」
侍女ではなく董卓が茶を持ってきた事が何より証拠。この事を知る趙雲の仕業と考えるのが自然じゃった。
大方、我と同じような事を考えておるのじゃろうが、半分は状況を楽しんでおるに違いない。
だが、悪い案では無い。口で説明するよりは、確かに効果的じゃ。
「あの……何かあったのでしょうか?」
「いや、何でもない。それよりも一つ頼みがあるのじゃが、良いか?」
「はい?」
ならば、その策に乗って見るのも一興。思いきって、董卓に公孫賛の案内を任せる事にした。
【Side out】
「こちらが書庫になります」
詳しい事情は聞けず、『自分の目で確かめよ』と言う趙雲と劉協の言葉に従って、董卓の案内で公孫賛は皇居の中を見学していた。
こうして皇居の中をゆっくりと見て回る機会など、滅多にあるものではない。
それどころか、本来であればこうして立ち入る事すら出来ない場所だけに、公孫賛はまだ現実感が湧かないでいた。
「緊張されているのですか?」
「い、いや、そんな事は――」
と言いながらも声は裏返り、手と足が同時に前にでる公孫賛。これで緊張していないと言っても説得力が無い。
董卓はそんな公孫賛を気遣って、『大丈夫ですよ』と優しく微笑みかけた。
これが趙雲あたりなら、腹を抱えて笑っていたところだ。
「陛下はお優しい方ですから、何も心配は要りませんよ。それに太老様も……」
「太老様?」
「い、いえ! 次のところを案内致しますね」
話を途中で遮り、顔を赤くして少し早足で歩きだす董卓。
ほんの少し漏れた本音を公孫賛に聞かれ、気持ちを悟られる事が恥ずかしかった。
「先程から気になっていたのだが、前に来た時よりも狭くなっていないか?」
「それは……陛下のご意向で宮廷の壁を取り払い、幾つかの施設や建物を街の方々に解放したからです」
「解放?」
「はい。家を失った方や、職のない方。身寄りのない子供やお年寄りに、宮廷の一部を解放しているんですよ」
董卓の話に公孫賛は感心し、また驚かされた。
官の腐敗、朝廷の力が衰退している事は、黄巾の乱からも明らか。民の心は国から離れ始めている。
だがどう言う訳か、その国の中心とも言うべき洛陽だけは違っていた。
本当にここが漢王朝の王都なのか? それすら疑問を抱くほどの光景を前に公孫賛は疑問を抱く。
新しい皇帝は聡い人物だとは聞いていたが、それでもこの短期間で官吏を纏め上げ、国を復興させるだけの力があるとは考えてもいなかった。
誰もが皇帝は、中央の権力者達の傀儡になっているのだと考えていた。
董卓が中央で悪政を強いていると言う話も、幼い皇帝が傀儡の身となっている事が前提だったからだ。
「本当に何があったのだ? 正直、ここが洛陽だとは信じられないんだが……」
「それは……」
噂では董卓の傀儡となっていたはずなのに、どうしてこんな事になっているのか、そこが公孫賛には分からなかった。
まさか、目の前の少女がその諸悪の根源と噂されている董卓だとは知らず、質問を投げ掛ける。
「御遣い様のお陰です。陛下が自由になれたのも、こうして民が安心して暮らせるのも……。そして、私がこうしていられるのも……」
天の御遣いのお陰と言いながらも寂しげな表情を浮かべる少女に、公孫賛は目を奪われた。
「あ、そちらに行かれると――」
「え?」
董卓がほんの少し目を放した、その時だった。
許可のある者以外は立ち入りを禁じられている皇居の奥間へと続く廊下。『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた立て札の先に、うっかり足を踏み入れる公孫賛。その足下で、ガコンと怪しげな音が鳴った。
「……何も無いようだが?」
「ほっ、よかった。どうか、お気を付け下さい。そちらには御遣い様の仕掛けた危険な罠が沢山仕掛けてありますので」
危険な罠と聞いて、額に冷や汗を浮かべる公孫賛。
無理もない。その天の御遣いが仕掛けたと言う罠をシ水関、そして虎牢関と立て続けに目にしてきたのだ。
その罠の所為で、ここ洛陽まで飛ばされた記憶が新しい公孫賛にしてみれば、また何処かに飛ばされるのではないか、と心が落ち着かなかった。
「罠? 天の御遣いの? それがここに?」
「はい。壁を取り払った時に泥棒除けにと、太老様が宝物庫の近くに幾つもの罠を設置されたんです」
「……それは危なくないのか?」
「罠の配置を覚えていればそうでも無いのですが、知らない方が近付くと大変危険です。ですから……」
「わ、分かった。勝手な真似はしない!」
運良く何ともなかったとはいえ、董卓の話を聞いて公孫賛は顔を真っ青にする。
罠が作動していたかと思うと、生きた心地がしなかった。
(でも、なんの装置だったんだ?)
罠には掛かりたくなくても、自分の踏んだ装置が気になる公孫賛。
しかし考えたところでそれがなんなのか、彼女に分かるはずもなかった。
◆
「どうだ。この程度の監視と罠など、俺に掛かれば造作もない」
人目を避け、宝物庫に近付く人影――左慈の姿があった。
「玉璽があるとすれば、この宝物庫の可能性が高い。それに仮に見つけられなかったとしても、荒らされた形跡があれば被害を確認するために、ここに姿を現すはず……」
運良く宝物庫で玉璽が見つかれば、それでよし。駄目な場合でも被害を確かめにやってきた劉協を捕らえ、玉璽を探させればいい。それが左慈の考えた作戦だった。
干吉のように妖術を使って人の心を操ると言った事は出来なくても、彼には干吉にはない動物的な勘の鋭さと高い身体能力がある。
その力を使って警備の目を逃れ、罠を見破ってここまで辿り着いたのだ。
例え、趙雲と言った一騎当千の武将と出会っても、一人や二人くらいであれば圧倒する自身が彼にはあった。
「後は、この通路を真っ直ぐ抜ければ――」
慎重に罠が無いかを確認し、気配を殺し、周囲を警戒しながら宝物庫に向かう左慈。
干吉の人選に誤りはなく、確かにこうした潜入任務に左慈の才能は適した。
だが、しかし――
「なっ! 俺は何もしてないぞ!」
宝物庫の扉まで残り数歩と言うところで、どう言う訳か、辺り一帯に警報音が鳴り響く。
ここまで順調に進んでいたにも関わらず、突然警報音が鳴った事に左慈は警戒心を抱く。
何れにせよ、このままではまずいと考えた左慈は、一先ず作戦を中止して撤退する事を決意した。
「なっ!? お前がどうしてここに――」
が、踵を翻し後を振り向いたところで、左慈の表情は驚愕に染まる。
それもそのはず、ここに居るはずのない男――天の御遣いこと正木太老が、そこに立っていた。
……TO BE CONTINUED
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