「何故だ! 何故、貴様がここに居る!」
左慈は焦っていた。
本来ここに居るはずのない人物が、目の前に姿を現した事に――
「まさか、五万の軍勢が……干吉がやられたと言うのか? こんな短時間に……」
張譲率いる五万の軍勢がやって来ない事からも、干吉の作戦に手違いが生じた事は明らかだった。
そして、その原因は一つしか考えられない。正木太老がまた何かをしたのだと、左慈は考えていた。
だからこそ、太老が居ない今を狙って作戦を実行に移す事を決意したのだ。
それなのに何故か、太老がここに居る事に疑念を抱く左慈。干吉が失敗したとしか考えられなかった。
「あの役立たずめ! 時間稼ぎも出来ないのか!」
太老がここに居るのは、干吉が陽動に失敗したからだと左慈は考えた。
「くっ! だから、なんだ! 俺の方が上だと言う事を、その身に思い知らせてやる!」
拳をギュッと握りしめ、攻撃の構えを取る左慈。
気の扱いに長けた強靱な肉体こそ、一騎当千の英雄を圧倒すると自負する左慈、最大の武器だった。
例え、同じように規格外の力を持つ太老が相手だとしても、一対一の戦いで自分が負けるはずがない――左慈はそう考えていた。
「くたばれ!」
一足で太老の懐にまで距離を詰めると、得意の足技を太老の頭部目掛けて放つ左慈。
だが、渾身の蹴りは太老の身体を捉えきれず、虚しく宙をきる。
「ちっ! まだだ!」
続けて、二撃、三撃と流れるような動きで連続攻撃を放つ左慈。しかし、全ての攻撃が紙一重のところでかわされていた。
まるで左慈の動きを全て予測しているかのように、正確にその攻撃を回避する太老。
(こいつ――!)
これには、さすがの左慈も驚きを隠せない。
攻撃が予測されている事もそうだが、動きだけでなく速さも太老が数段上回っていたからだ。
自身が最も得意とする体術を駆使しても敵わない相手。互角ならまだしも、攻撃が全く通用しない。こんな敵と戦うのは左慈も初めての経験だった。
「なっ!」
次の瞬間、更に左慈はその表情を驚愕に染める事となった。
パカッと大きく口を開いたかと思えば、太老の口から左慈目掛けて一直線に巨大な光線が放たれたからだ。
「ぐあっ!」
咄嗟に床を蹴り、ゴロゴロと後に転がりながら攻撃を回避する左慈。
ドヒューン、という音と共に建物の屋根を突き破り、雲を吹き飛ばし、空に吸い込まれていく一条の白い光。
紙一重のところでギリギリ回避に成功したとはいえ、その破壊力に左慈は恐怖を覚えた。
「な、なななな……!?」
まさか、太老にこんな力があると思っていなかった左慈は大きく動揺する。
人間が口から光線を放つなんて真似――常識的に考えて出来るはずもない。
しかし現実に、目の前の太老はそれをやった。幾ら規格外だからと言って、常識外れにも程がある行為だ。
だが左慈の驚きは、それだけでは済まなかった。
「な――ぐはッ!」
突然、太老の肘から先の腕が外れ、飛び道具のように放たれたのだ。
不意を突かれた左慈はモロにその一撃を頬に受け、宝物庫の分厚い壁を突き破って反対側の中庭に弾き飛ばされてしまう。
「が、がはッ! はあはあ……」
頬を腫らせ、口からは血がこぼれ落ちる。一時的に足にくるほどのダメージを左慈は負っていた。
地面に叩き付けられ、白い衣装を泥で汚しながら、左慈は先程出来た壁穴の向こうから近付いてくる太老を睨み付ける。
「く、くそッ! ば……バケモノか!」
口からレーザーを放ち、人間の腕が飛ぶ。
その非常識な光景を前に、ダメージ以上の精神的ショックを左慈は受けていた。
「こんな奴を相手にやってられるか!」
まともに戦っても勝ち目が無いと悟った左慈は、直ぐに思考を切り替え、逃げの体勢に入る。
しかし、それを黙って見逃してくれるほど太老は甘くはなかった。
今度は靴底からロケットのように火と煙を噴射し、屋根に飛び上がって逃げる左慈を追い掛けはじめたのだ。
「空まで飛べるのか!? くそッ! なんて奴だ!」
口からレーザー、手からロケットパンチ。更には空を飛んで左慈を追い詰める太老。
轟音と衝撃、絶え間なく続く爆音に皇居が揺れていた。
異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第89話『白馬と仮面』
作者 193
「な、何の騒ぎじゃ!」
「陛下! 宝物庫に賊が――」
「賊じゃと!?」
宮中のあちらこちらから、悲鳴にも似た人々の声が上がる。皇居は大騒ぎになっていた。
それも当然、戦でも始まったのかと勘違いするほど大きな音が絶え間なく続き、太老の仕掛けたスピーカーから警報音が鳴り響いていた。
「これが、ただの賊の仕業じゃと!? とにかく、民の避難を優先せい!」
「は、はい!」
今の続いている爆音。そして破壊された建物を見て、宝物庫を狙った賊がただの賊とは到底思えない劉協は、女官達に指示を飛ばす。
万が一、何者かが宮廷を攻めてきたとすれば、民がその戦いに巻き込まれる可能性は高い。
子供や年寄りが数多く身を寄せている事もあり、そうした事態だけは避けたいという想いが劉協の中にはあった。
「陛下も避難を!」
皇帝の身を守るため、劉協を逃がそうと、その周りを取り囲む侍女達。
民を先にと言われても、侍女達にとって一番優先されるのは劉協の命だった。
だが次の瞬間、カッと光が瞬いたかと思えば、ドオォンと言う物凄い轟音と共に皇居の建物の一角が白い土煙を上げて吹き飛ぶ。
その土煙の中からゴロゴロと転がるように現れ、衝撃で吹き飛ばされる一人の少年。どうにか体勢を立て直すも、その姿は満身創痍と言った様子が窺えた。
「くっ! くそ! なんて速さと破壊力だ!」
ボロボロの姿で、劉協達の前に現れる白服の少年――左慈は、これをやった人物に悔しさを滲ませ、悪態を吐く。
これをやった相手との力の差は歴然だった。正木太老――まさか、ここまでのバケモノだとは左慈も思ってはいなかった。
幾ら左慈が人間離れした身体能力を持っているとは言っても、本物のバケモノではない。彼も人間だ。だが、太老は違っていた。
口から光線を放ち、手をロケットのように飛ばし、更には空を飛ぶ。
これでは人間では無く本物のバケモノだ。それほどの異常性を、正木太老は左慈に見せつけていた。
「このままでは……」
――逃げ切れない、左慈はそう考えた。
あらゆる点で相手の方が勝っているばかりか、動きの全てを予測されているのでは逃げる事すら叶わない。
干吉なら妖術を使って逃げる事が出来たかもしれないが、左慈はそうした細かい芸当が苦手だった。
だからと言って、ここで捕まる訳にはいかない。目的を果たすまでは、倒れる訳には行かないと打開策を求めて、左慈は思考を働かせる。
「何か、何か手は――」
その時だった。
侍女達に守られながら様子を窺っている劉協の姿が、左慈の目に留まった。
探していた獲物が目の前にいる。その偶然に左慈は目を光らせ、希望を見出す。考えるよりも先に身体が動いていた。
「なっ! 陛下、お下がりを!」
「待て、お前達! こ奴、普通では無い!」
真っ直ぐ劉協に向かって走り出す左慈。
劉協を護ろうと武器を構え、前にでる侍女達だったが、
「きゃあっ!」
ほんの一瞬の出来事だった。左慈の放った蹴りの衝撃で、為す術なく吹き飛ばされる侍女達。
太老には敵わないとはいえ、一騎当千の武将を遥かに凌ぐ力を左慈は有している。
ただの人間に動きを止められるほど、生易しい相手ではなかった。
「漢王朝の皇帝だな! 俺と一緒にきてもらう!」
「なっ! 離せ! 貴様、一体何者じゃ!」
ジタバタと暴れる劉協の喉元を掴み、片手で軽々と持ち上げる左慈。
「そこまでだ! 近付けば、この娘の命は無い!」
「――ッ!」
劉協を盾にする事で脅迫し、左慈は太老の動きを止めた。
対象の確保も目的の一つだが、今は太老から逃げる事が最優先。そのための人質として劉協を利用しようと考えたのだ。
「そうだ! そのままでいろ! 少しでも妙な真似をすれば、このガキの首をへし折る!」
「ぐッ……我に構わず……」
「黙れッ!」
余裕のない様子で、劉協を盾に太老を恫喝する左慈。
子供を人質に取るなど、左慈としても取りたくない最低な手段だったが、それほどに彼は追い詰められていた。
太老との間にある圧倒的な力の差を知り、追い詰められる事で、左慈は生まれて初めての恐怖を感じていた。
「まさか、本物のバケモノだったとはな……。だが、貴様がなんであろうと、俺は目的を達成させてもらうだけだ」
「も、目的じゃと……」
「そうだ! 玉璽を持っているな! それを俺に渡せ!」
「ぎょ……玉璽じゃと?」
玉璽――それは皇帝の用いる印章。この国を治める王の証とも言うべき、重要な代物だ。
宝物庫を狙っておきながら、数多くある宝の中から玉璽だけを狙う泥棒など聞いた事がない。
玉璽は確かに重要な国の宝だが、それだけでは何の意味もない。賊が持っていたところで、何の価値もない代物だ。
劉協は、左慈の目的が玉璽にあると知り、考えていた通りただの賊ではないと気付いた。
「……ここにはない」
「なんだと!? そんなはずが――」
「……例え、知っていたとしても、御主のような輩に教えると思うか?」
劉協は本音をいえば、この国がそれほど好きではなかった。
――人を狂わせ、家族を奪った滅びを待つだけの国。そんな国を好きになれるだろうか?
国を作るために数多くの名も知れぬ兵達が命を散らし、僅かな時、国を維持するために大勢の人々が犠牲を強いられてきた。
父親のしてきた事、宦官達のしてきた事を考えれば、漢王朝など内心では無くなってしまって当然だと劉協は考えていた。
「我はこの国の皇帝じゃ。例え、滅び行く事がこの国の運命であろうと、大勢の命によって作られた国の証を御主のような輩にくれてやる気はない!」
しかし玉璽とは、国の象徴にして皇帝の証。人々の命と生活を預かる国の証を、易々と他人に譲れるはずもない。
このまま殺される事になったとしても、賊に屈するような真似は出来ない。これは劉協の意地でもあった。
「くッ! こいつ……」
「ぐ……があぁ……」
力を込めて首を締め付けるも、ここで劉協を殺せば左慈は完全に逃げ場を失ってしまう。その事は左慈も分かっていた。
殺す訳にはいかない――左慈は理性で怒りを静め、この場を切り抜ける事だけを考える。
「ならば、お前にはついてきてもらうぞ!」
――それに干吉なら、術を使って劉協から玉璽の在処を聞き出す事も出来る
左慈はそう考えて、この問題を後回しにする事を決めた。
この場さえ凌げば、まだ幾らでもチャンスはあると考えたからでもあった。
「正木太老! 覚えていろ! お前だけは必ず、俺が殺してやる!」
そう言って、劉協を抱えて逃げようとした――その時だった。
「なっ!?」
左慈の死角から何かが飛び出し、劉協をその手から奪い去ったのだ。
周囲に気を配っていたにも関わらず、不意を突かれた事に左慈は驚く。
これほど近くに接近されるまで気付かないなど、左慈の実力を考えれば、本来であれば考えられないような事だった。
「き、貴様! 何者だ!」
白いマントに白い仮面。赤い髪の女性が劉協を抱きかかえ、堂々とした威風で左慈の前に立つ。
そして劉協を女官達に引き渡すと、白い仮面の女性はバッとケープのような短いマントを翻し、ビシッと左慈を指さした。
「子供を人質に取るなど卑劣極まり無い所業。神が許しても、白馬が決して許しはしない!」
ババッと腕を広げ、軽やかなステップで足を交差させ、ポーズを決める女。
「私の名は仮面白馬! 悪を滅ぼさんと心に誓った復讐の戦士! 影が薄いなんて、もう誰にも言わせないんだからな!」
仮面白馬――新たな英雄の誕生の瞬間だった。
……TO BE CONTINUED
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