【Side:太老】
董卓軍と諸侯の間に起こったいざこざはどうにか鎮静化し、大陸に平和が戻った。
予定外のことがあったとすれば、俺と劉協の婚約。例え月の濡れ衣が晴れたとしても、漢王朝の力が衰退し信用が失墜していることは隠しようのない事実。滅び行く国についてきてくれる者は少ない。未遂に終わったとはいえ、反乱が起こったという事実がそれを裏付けていた。
そのためにもこの国を戦火に焼かないため、嘗て漢王朝が栄えた頃の皇帝のように、天の御遣いの威光を持って大陸を統一する必要があった。
劉協との婚約は、皇帝の威信を周囲に知らしめるための一手。
俺が思っている以上に、天の御遣いの名は世に知れ渡っているようだ。色々な意味で。
さて、この突然の婚約発表に、宦官やそれに追従した諸侯の処分。圧政から解放された喜びと、ようやく訪れた平和に歓喜の声が沸き立ち、洛陽に人を集めることを目的として計画された祭は、当初予定していた以上に盛大な催しになった。
ただ全ての問題がこれで解決したわけではない。事情を知っている華琳達はともかく全ての人が納得している訳ではなかった。
特に中央と繋がりが深かった諸侯からの反発は強く、明確な反対こそしてはいないものの静観を決め込んでいる諸侯が大半。中には遠回しに非難してくる者達もいる。洛陽を追放された宦官が繋がりの深かった領主や諸侯の元に逃げ込み、俺の悪い噂を流し、周囲を煽っていると言う話も浮上してきていた。
月(董卓)に向いていた疑惑の目が、今度は俺に向かっているということだ。
(やっぱり、全員処刑しておくべきだったか?)
と後悔しても後の祭り。何れにせよ、楽観は出来ない状況だった。
下手をすると反董卓連合の二の舞になりかねない。そのためにもまずは味方を増やし、疲弊した国を復興させることが最優先とされた。
黄巾の乱にはじまり今回の騒動。こんな騒ぎが何度も続けば、今度こそこの国は終わりだ。
俺としても、そんな事態だけは避けたかった。
「おおっ!」
ゆらゆらと馬車に揺られながら、外の風景に目を輝かせている劉協。特に珍しい物がある訳では無く、ただ山と野原が広がっているだけなのだが、洛陽を離れてからずっとこの調子だった。
まあ、気持ちはわかる。生まれてからずっと、皇居が彼女の世界だったのだから――
外出は基本的に禁止されていた上、即位してからは殆ど皇居に閉じ込められていたという。
こうして馬車に乗って遠出をするのは初めてのことだ。彼女にとっては生まれて初めての外の世界。目に映る物全てが新鮮に違いなかった。
「後、どのくらいで着くのじゃ?」
「この調子なら、後三日くらいかな? 劉協ちゃん、そんなに楽しい?」
「うむ。見る物全てが新鮮じゃからな。太老の作った街を見るのが今から楽しみじゃ」
正確には俺の街ではなく華琳の街なのだが……まあ、楽しんでいるなら別にいいか。
俺が街を離れている間も、予定していた工事は風と稟が進めてくれていた。
正直な話、技術的な面を除けば、俺よりも彼女達の方が街の発展に貢献していると思う。
俺がやった事と言えば、生活が便利になるようにほんの少し持っていた知識と技術を授けただけ。それも、皆のためと言うよりは自分のためだ。塩などの調味料は貴重という理由からか基本的に薄味の料理が多く、水道なんて便利なものが当然のことながらあるはずもない。食文化や生活習慣が馴染まなかったのが一番の理由だった。
「それよりも太老……」
「ん?」
「我のことは劉協ではなく、真名で呼んでくれと言ったじゃろう?」
迎えの席から俺の膝に飛び移り、むーっと不満そうな表情を浮かべる劉協。婚約が大々的に発表された後、劉協は俺に一つお願いをしてきた。
劉協や献帝などではなく真名で呼んで欲しいというものだ。
劉協のことを真名で呼ぶと周囲の目が厳しいので、どうしたものかと迷っていたのだが、やはりこうして頼まれると断り辛い。せめて公の席以外では、彼女のお願いを聞いて真名で呼ぶべきかと観念した。
「はあ……わかったよ。揚羽」
「うむ。それでよいのじゃ」
満足そうに笑みを浮かべる揚羽=Bそれが彼女の真名だった。
異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第95話『乙女の戦い』
作者 193
曹操軍と劉備率いる義勇軍。総勢一万を超す軍勢が陳留に向かっていた。
公には劉協こと揚羽は洛陽に居る事になっているので、彼女にとってはお忍びの旅と言う事になる。他のメンバーは俺と林檎それに多麻。華琳や桃香達商会の面々。おまけに馬騰の名代としてやってきた馬岱。月や詠は都に詰める常備軍と一緒に政務のため洛陽に残り、恋と音々音や霞。それに華雄には、そのまま二人の護衛と復興の手伝いに残ってもらった。
俺達との連絡役兼アドバイザーとして半年交替で人手を貸し出すことも決まり、各隊から有能な人材を選出し、商会からは凪、真桜、沙和の三羽烏が選ばれた。
馬超を筆頭とした涼州兵も都に詰めてくれるとの話なので安心していた。
有力な諸侯が皇帝と天の御遣いに臣下の礼を取り、都に詰めているという状況が必要なのであって、戦力自体はそれほど必要ないのだが、未だに賛同を得ることの出来ていない諸侯への抑止力にはなる。都に詰めている常駐兵と合わせて、その数は二十万以上。これだけの数の兵が詰めている洛陽に攻め入ろうなんてバカはまずいないはずだ。
本来であれば俺や揚羽も残っていた方がよかったらしいのだが、そうもいかなかった。特に俺には仕事があるしな。ずっと風と稟に任せきりと言うのも問題だ。洛陽に拠点を移すにせよ、他に新しく拠点を築くにせよ、準備もなしと言う訳にはいかない。一度、エン州に戻ることを決めたのもそのためだ。
後日、呉からも将と兵を派遣してくれると言う話だし、洛陽の方は別に俺が居なくても問題ないだろう。
最後に張三姉妹だが、あの三人は兵を連れて公演の旅に出ている。星はその護衛だ。
この時代テレビや新聞なんて物はないから、噂を広めるのは基本的に人伝いだ。行商人達に任せてはいるが、反抗勢力がまだ存在する現状を考えると悠長なことはしていられない。
彼女達の歌と踊りで民を慰撫しつつ、俺と劉協の婚約。そして名だたる諸侯が臣下の礼を取り、俺の元に集まっているという状況を周知させる必要があった。外堀を埋め、文句を言えない状況を作り出すことが狙い。どちらに義があるかを世に知らしめれば、連中とてそうバカなことは出来ない。それに情報を集める上でも、張三姉妹の興業は打って付けだった。
今後の行動を決める上でも、彼女達の集めた情報は役に立つ。華琳もそこに期待しているようだ。そのための張三姉妹と言う訳だが、これは正直高くついた。
『まあ、そこまで頼まれたらやってあげてもいいけど、その代わり帰ったら何でも一つ、ちぃのお願いを聞いてもらうからね! 絶対に逃がさないんだから!』
『ちぃちゃんだけ狡い! 私もご主人様にお願いする!』
『……ご愁傷様です。でも、私もご褒美期待してます』
帰ってきたら何を要求される事やら不安でならない。常識の範囲でお願いしたいところだが……やはり不安だ。特に天和と地和は容赦がないからな。人和も今回は味方してくれそうにないし、星にも一つお願いを聞くと約束してしまったわけで、もう後には引けなかった。
後もう一つだけ気になっている事があるとすれば、華佗と卑弥呼の行方だ。ちゃんと御礼を言いたかったのだが、いつの間にか姿を消していた。今回の件でも太平要術の書が関わっていたわけだが、書の在処は結局わからないまま。また書を探して旅に出たのかもしれないが、一言くらい御礼を言いたかった。
連絡が簡単に付く二人でもないしな。まあ、取り敢えず太平要術の書に関しては、こちらでも情報収集と警戒をしておけばいいだろう。何かあれば、また会った時にでも情報交換をすればいい。そのくらいやっても罰は当たらないくらい、あの二人には世話になっていた。
一件落着のように思えるが、問題は山積みだ。これからが正念場と言って良い。
有力な諸侯を味方につけているとはいえ、危うい均衡の上に成り立つ平和に変わりはない。
俺だって、出来る事なら戦争なんてしたくない。平和が一番だ。そのために可能な限りの手を打っておく。それが俺達に課せられた責任であり今出来る仕事だった。
色々なところに借りを作っていて、後で大変なことになりそうな気がしなくもないが、取り敢えず今は目の前の問題を解決するのが先決だ。
お願いというのも死なない程度には加減してくれるだろうし、多分、きっと、運が良ければ……なんとかなるだろう。
「暗い表情をしておるな。また何か心配ごとか?」
「ん? ああ、大丈夫だよ。ちょっと考え事をしてただけだから」
弱音を吐いてはいられない。揚羽を護ると決めたのは俺自身だ。
心配そうに顔を近付けてくる揚羽の頭を撫で、俺は覚悟を新たにした。
後のことは、その時になってから考えよう……と現実逃避をして。
【Side out】
その頃、エン州陳留では――
「早く太老帰って来ないかなー」
「洛陽から軍と一緒にですから、まだ三、四日は掛かるかと」
「うう……やっぱりシャオも一緒に行くんだった」
「我が儘を言わないでください。ここにこうして置いてもらっているだけでも感謝しないと」
「でも、でも……陛下との婚約って何よ!?」
「それは……私に聞かれても……」
「シャオも太老と婚約する! 結婚する!」
太老と劉協の婚約はここにも知れ渡り、街は天の御遣いの活躍を讃え、歓迎ムード一色。その反対に孫尚香(小蓮)の機嫌は最悪だった。
勉強をして帰りを大人しく待っていたら、向こうで女を作って帰ってくるというのだ。彼女の機嫌が悪くなるのも無理はない。
内心では仕方の無い事と理解しつつも、納得出来るかどうかは別問題。
この話を聞かされてから、ずっとふくれっ面を浮かべていた。
(ううっ……太老様、早く帰ってきてください)
心の中で弱音を吐く周泰。尚香の相手はそれほどに大変だった。
孫家の女は良くも悪くも気性が荒い。そして独占欲が強いのが特徴だ。尚香は『江東の虎』と呼ばれた母と、『江東の麒麟児』で名を馳せる孫策の妹。その血は彼女にも受け継がれている。機嫌が悪い時の彼女は手に負えないくらい厄介だった。
「決めた! もう遠慮なんてしない! 絶対に太老に振り向いてもらうんだから!」
「よく言ったわ。さすが私の妹ね」
「え?」
ガバッと後から抱きつかれ、驚く尚香。周泰はもっと驚いた様子で、目を丸くして固まっていた。
懐かしい匂い。懐かしい声。二人が驚くのも無理はない。
この場に居るはずのない人物がそこに居たのだから――
「お姉様!?」
「孫策様!?」
孫策が、何故かそこに居た。
奇襲に成功し揚州を奪還。呉の再興に成功したと言う話は尚香と周泰の耳にも入ってきていたが、ならば尚更のこと、呉の王である孫策がこの場にいることはおかしい。
今頃は呉で政務に励んでいるはずだ。しかし――
「元気にしてた? 胸は余り成長してないみたいだけど」
「よ、余計なお世話! 太老は小さいおっぱいの方が好きだからいいの!」
「そうなの? そう言えば、太老の周りって胸の小さい子が多いような……」
「それよりも、なんでここにいるの!? 仕事は? 政務は?」
「ああ、大丈夫よ。蓮華に全部任せてきたから。王様とか面倒そうだし、そういったことはあの子の方が適任でしょう? やっぱりこっちにきて正解だったみたいね。洛陽に向かってたら行き違いになるところだったわ」
「雪蓮姉様。まさか……」
「太老を狙ってるのは、あなただけじゃないってこと」
その一言で尚香は全てを察した。姉、孫策が呉を孫権に譲り、陳留に来た訳を。
「明命。あなたも頑張ってね」
「え? 私も?」
「天の血を呉に入れる。そのためにあなた達全員に太老の子を産んでもらうわ」
「ええ――っ!」
周泰(明命)の悲鳴にも似た声が轟く。
主君の言葉は絶対。しかし子を孕めと命令されて驚かない女はいない。
太老に好意を持っているのは確かだが、それとこれは話が別。周泰は返答に困った。
「でも、太老の趣味は矯正しないとダメね。小さい胸が好きなんて……」
「余計なことしないで! 太老はあのままでいいの!」
「あら? 大は小を兼ねるって言うでしょう? 大きい方が気持ちいいわよ」
「気持ち……っ! 胸は大きさよりカタチ。カタチより感度! そんなお化けおっぱいなんて太老は絶対に好きにならないんだから!」
「お化け……っ! フフッ、言うじゃないシャオ」
後漢末期――時は戦乱。太老を巡る乙女の争いが幕を開けようとしていた。
……TO BE CONTINUED
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