【Side:太老】
懐かしの我が家。陳留にある正木商会に戻って来た。
「全くなんで私がこんなことを……。冥琳様の命令じゃなきゃ、こんな奴」
「だ、ダメだよ。そんな言い方しちゃ……すみません。すみません」
「いいよ。えっと小喬ちゃんに、大喬ちゃんだっけ?」
「は、はい。噂≠フ太老様にお会い出来て光栄です!」
噂というのが気になったが、敢えてツッコミはしなかった。
商会に戻って一番驚いたのは孫策……いや、雪蓮がお供を連れて一足早く陳留にきていたことだった。
そのお供というのがこの二人。先程から頭を下げている大人しい感じの子が姉の大喬。俺に矢鱈と突っかかってくる強気な少女が妹の小喬だ。
桜色の髪、お団子頭に小さな身体。お揃いの首輪に中華服を身に纏った双子の姉妹。『江東の二喬』とか呼ばれている三国志を代表する絶世の美女。それがこの二人だ。
双子というだけあって姿形は瓜二つ。パッと見た感じでは殆ど差がわからないほど良く似ていた。ただまあ、絶世の美女とか言う割には子供っぽい……というか、丸っきり子供だ。可愛いことは確かに可愛いのだが、これが呉の至宝と言われているのだから理解に苦しむ。
あれだな。きっと呉にはロリコンが多いってことなのだろう。きっとそうだ。また一つこの世界の謎が解けた気がした。
雪蓮は家督を妹の孫権に譲って受けた恩を返すためにやってきたと言う話だったが、大方仕事が嫌で逃げ出してきたという線が有力だと俺は考えていた。
というのも、今朝も朝早くから俺のところにやってきたのだが、折角だから書類整理を手伝ってくれと頼んでみると、大喬と小喬の二人に全部丸投げして市場の散策に出掛けてしまった。
仕事をするのが余程嫌らしい。まあ、特に問題を起こしさえしなければ、何をしても別に構わないのだが……食い扶持が増えた分、雪蓮が飲み食いした分の請求書は後でちゃんと呉に送っておこうと思う。さすがにそこまで面倒を見きれない。実際ここ三日、市場の方から請求書が何通も届いていた。全部、雪蓮が飲み食いした代金だ。
「二人も無理しないで遊びに出かけてもいいんだぞ?」
「そんなことをしたら冥琳様に怒られるじゃない!」
「私も雪蓮様に怒られます! 太老様のお手伝いをするように言われてますから!」
まあ、そんなわけで大喬と小喬の二人は、俺の執務室に張り付いていた。
恩返しらしいのだが、こんな小さな女の子に恩返しをしてもらうほどのことをした記憶は無い。彼女達が袁術の下から独立を果たせたのも、彼女達の努力と行動の表れだ。
それに『虎の穴』の誤動作は偶々だし、河南への食糧支援もこちらに利があるからやっただけで、感謝されるほどのことをしたつもりはない。特に何か見返りを求めてやったわけではないし、感謝の気持ちだけで十分だった。
しかしそれだけでは納得が行かないらしい。俺が何も要らないと言ったところで、本人達が納得しなければ意味が無い。華琳もそうだけど、この世界の英雄と呼ばれる連中は変なところで強情だ。貰える物は取り敢えず貰っとくくらいで良いと思うんだが……。
「んー、でもな。二人に手伝って貰えるような仕事はないし……」
「バカにしないでよ! 私が本気をだせばこのくらい! このくらい……この……」
「小喬ちゃん。無理はよくないよ」
「ちょっと、私にも読める字で書きなさいよ!」
無茶を言うな。ちなみに小喬が読めないと騒いでいるのは、樹雷文字や日本語だ。
機密保持に向いていると言う観点から、機密度の高い重要書類は全てこれらの文字を用いていた。
特に俺のところに届けられる仕事は、風や稟が厳選した重要度が高い仕事ばかり。大半の仕事は、文字の読み書きが出来なければ話にならない。そのことからも、この二人が俺の書類仕事を手伝うのは無理があった。
学はあるようだが、この世界の文化レベルでの話。文字もそうだが、専門的な知識や経験を有する仕事を任せられるはずもない。特にうちの商会は色々と特殊な部分が多いので、知識と経験がなければ務まる仕事は少ない。肉体労働をまさかこの二人にさせるわけにはいかず、どうしたものかと困っていた。
「太老いる? ああっ! なんで、二人がここにいるのよ!?」
「うっ、小蓮様。えっと、これは冥琳様の命令でこいつの奴隷に……」
「奴隷!?」
「ち、違います! 雪蓮様が太老様の手伝いをするようにって」
「なんの手伝いをする気なのよ!?」
面白いように場が混沌としてきた。
いや、もう慣れたけどさ。このくらいの騒ぎは日常茶飯事だ。
でも、待てよ。いい手を思いついた。
「ちょっと太老どういうこと!? 言ってくれればシャオがいつでも手伝って――」
「うん。じゃあ、手伝ってもらおうかな」
「え? 手伝って、でも……こんな朝早くから?」
「夜より朝の方がいいと思うけど? シャオにしか頼めないんだ。よろしく頼むよ」
緊張しているのか?
何やらモジモジと指を胸の前で交差させるシャオ。
「た、太老がそこまで言うなら、シャオは別に……でも、初めてだから優しく」
「後で必要書類を回しておくから、二人を学校に連れてってやってくれるか?」
「へ? 学校?」
「うん、学校。ここの事とか何も知らないみたいだから、先輩として二人の面倒を見てやってくれな」
わからないなら今から勉強すればいい。そのための学校だ。
シャオなら二人と顔見知りだし、任せても大丈夫だろうと考えてのことだった。
「た、太老の……」
「うん?」
「太老のバカああああっ!」
なのに何故か顔を真っ赤にして怒りだすシャオ。
え? 俺なんかしたか?
怒っている理由が、さっぱりわからなかった。
【Side out】
異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第96話『日輪』
作者 193
「失礼しちゃう! 太老ったら、シャオのこと子供扱いして!」
「実際、子供じゃ――」
「小喬ちゃん、思ってても口にだして言っちゃダメだよ!」
「尚更酷い! 全然フォローになってないじゃない!」
「ふぉろーですか?」
「天の言葉で、補うとか助けるとかそう言う意味のことよ。少なくとも大喬や小喬よりシャオの方が大人だもん! こっちにきてから日々成長してるんだから!」
そう言って自慢する尚香の胸を、残念な物を見るかのようにじっと見る小喬。
「小蓮様だって、私達とそれほど変わらないじゃないですか……胸とか」
「小喬ちゃん、本当のことを言っちゃダメだよ! 雪蓮様や蓮華様に比べると全然ないのは確かだけど……」
「なっ! お姉ちゃん達に比べたら小振りだけど、シャオの方がアンタ達より胸あるもん!」
小喬はため息を吐きながら、尚香の胸を哀れんだ。
どんぐりの背比べとはよく言ったものだ。起伏の乏しい胸を比べ合う尚香と小喬。
しかし見栄と胸を張ったところで、無い物が増えるわけでもなかった。
「……姉様といい、なんでアンタ達までついてきたのよ」
「冥琳様に頼まれたんです。雪蓮様の監視と、太老様の手伝いをするようにって」
「ああ、なるほどね……」
大喬の話になるほどと頷く尚香。雪蓮の暴走は今にはじまったことではない。
呉が太老から受けた恩は、太老が思っている以上に大きな物だ。孫策が孫権に家督を譲ってきたと話を聞いた時は驚いたが、それも孫策の性格を考えれば理解出来ないことではないと尚香は思った。
それに些か頼り無い気もするが、他に頼める人材がいなかったのだろう。
妖艶な美しさから、『江東の二喬』と呼ばれているこの双子の姉妹は呉が誇る宝。大喬は孫策の恋人。小喬は周瑜の恋人。その二人が太老の下に出向くというのは、政治的にも大きな意味を持っていた。
そう、それは孫策と周瑜が本気で動いたということに他ならない。呉は天の御遣いの下に付く。全面的に協力するということだ。尚香としては姉公認で太老にアタックできるのだから、これほど良い話はないが、恋する乙女としては複雑な心境だった。
「ところで小蓮様。どこまで進みましたか?」
「何が?」
「勿論、太老様との関係ですが?」
「なっ!?」
大喬の質問に顔を真っ赤にして慌てふためく尚香。それはまだ何も進んでいないと、自分で言っているも同じだった。
さっきの太老とのやり取りからも、そんな感じがしていた二人は「やっぱり」とため息を漏らす。呉の宝と呼ばれ、そこそこ女として自信のあった二人でさえ、太老の前では女である前に子供扱いだった。尚香が太老との距離を縮められないでいるのも無理はない。
「小蓮様。協力しませんか?」
「協力?」
「はい。私達もこのままでは与えられた使命を全う出来ませんし。小喬ちゃんもいいよね?」
「あんなのに媚びるのは嫌だけど、冥琳様の命令だし……お姉ちゃんがそう言うなら」
太老が他に誰と付き合おうと何人の恋人を持とうと、それ自体は仕方の無いことと尚香は納得している。しかし今のままでは、その中に入ることすら難しいと焦っていた。
太老にとって尚香は女である前に子供。少なくとも女として意識してもらえないことには話にもならない。そしてそれは大喬と小喬も同じだった。
「わかった。太老のお嫁さんになるためだもん! シャオ頑張る!」
大喬の提案に少し悩むも、このままでは一向に進展しないと考えた尚香は、その提案を呑むことを決めた。
子供だからという理由では納得がいかない。そのくらいで諦められるくらいなら、最初からこんなところにいない。恋する乙女の強さ。呉の女の意地を見せてやると意気込みを見せる尚香。太老が誰を好きだって、どんな風に思っていたって関係ない。絶対に太老を振り向かせてみせるんだ! と尚香は覚悟を新たにした。
【Side:太老】
「お兄さん。これもよろしくお願いします」
「……風。朝から処理しても処理しても、書類の山が一向に減らないんだけど?」
「それは当然ですよー。お兄さんが留守にしていた間ずっと保留になっていた仕事に、今回の騒ぎで商会の活動範囲が一気に広がりましたからねー。仕事の量も、それに比例して増えてますので極々自然なことです」
「でもな。さすがにこれは……林檎さんは?」
「お兄さんと一緒です。ずっと稟ちゃんと部屋に籠もって書類整理を行ってます。他の人達も似たようなものですねー」
「……で、風は?」
「風はお兄さんのお目付役なんで、ここで御茶でも飲んでゆったり寛ごうかと」
「ちょっとは手伝ってくれよ!?」
「お兄さん大胆ですね。こんな昼間から風に手伝ってくれだなんて……」
「何を想像した!? 絶対に俺の言っている意味と違うよね!?」
俺の執務室には、足の踏み場も無いくらい凄い数の書類が散乱していた。
朝からずっと休まずに仕事しているが、減る気配どころか仕事の量は増していくばかり。だが、それも風の言うように当然の事と言えた。
袁紹の官位が剥奪され領地が没収された事で、各地に隠れていた汚職が発覚。張譲や宦官達と繋がっていた官吏が次々に捕縛されるという事態が発生した。その結果、幽州を除く河北全域は皇帝の預かりとなり、現在は華琳が執務を代行していた。
袁術の勢力が治めていた河南も孫家に管轄が移され、これまで交易の妨げとなっていたものが取り払われたことで商会の活動範囲が一気に広まった。しかも皇帝のお墨付きで、ほぼ俺達の行動を制限するものがなくなったわけだ。結果、それに比例して仕事が爆発的に増えることとなった。それこそ以前とは比較にならないほどの量だ。
一段落付くまでに一体どれだけの時間を要することか……考えるだけでも頭が痛い。
「冗談ですよー。お兄さんには他に体力を使ってもらわないといけないことが沢山ありますからね。今は遠慮します」
「色々とツッコミどころ満載の気遣いをありがとう……」
「大丈夫です。お兄さんが倒れそうになったら、風がお兄さんを支えてあげます」
「そう思うなら今支えてください。本気で一杯一杯なんです……」
「仕方ありませんねー。お兄さんに倒れられても困りますから」
そう言って、どこに何の書類があるかわかっているかのように動き、見た目とは裏腹に素早い動きで書類の山を片付けていく風。さすがに手慣れていた。
なんだかんで言っていても、支えてくれるという言葉に嘘偽りはないのだろう。今日に限らず、いつも風は先を読んで動き、俺を助けてくれていた。
反董卓連合の時も、風が物資や船の手配をしてくれていたからこそ、計画を予定よりも早く終わらせることが出来た。今日もお目付役としてやってきたと言ってはいるが、実際のところはこの状況を察して手伝いにきてくれたのだと俺は思う。
本人に言うと反撃を食らいそうなので、コッソリと心の中で感謝していた。
「風、何か欲しい物はないか?」
「なんですか? 突然?」
「いや、いつも色々と手伝ってくれてるし、俺に出来る範囲でよければ何かしてあげたいなって」
「そうですねー。では、お兄さんを」
「へ?」
「裸エプロン……いえ、メイド服も捨てがたいですね。お兄さん何か希望はありますか?」
「何!? その罰ゲームみたいなの!?」
裸エプロンやメイド服を身につけた自分を想像して気持ち悪くなった。
悪いが俺にそんな趣味はない。そう言う事は、貂蝉や卑弥呼で試してくれ。
「お兄さんではなく風が着るのですが? 何を想像したのですかー?」
「風が着るの!?」
「まあ、冗談ですが。でも、お兄さんの趣味は知っているつもりです。『こすぷれ』って言うんですよね?」
プライベートも何もあったものじゃない。個人情報は全て筒抜けだった。
おかしい。あの部屋≠ヘ誰も入れないはずなんだが、なんで知ってるんだ?
「もう十分頂いてますし、これと言って欲しい物はありませんね。今のままで十分です」
「今のままで?」
「はい。お兄さんは今のまま、そのままでみんなを照らし続けてください」
「照らす? そう言えば、この前も言ってたな」
「はい。お兄さんは風にとって、太陽そのものですから」
風は洛陽での騒ぎが落ち着いた後、自身の名前を『程立』から『程イク』へと改めた。その理由は夢を見たからだそうだ。
大きな日輪を風が支えて立つ夢。その日輪はとても強く暖かく、大陸の隅々にまで命を届ける……とても優しい光だったそうだ。
風はそれを機に『立』の上に『日』を乗せ、『イク』と名を改めたのだそうだ。
その日輪、太陽というのが俺だと風は考えているようで嬉しそうに話してくれた。
正直、俺の事を買い被り過ぎだと思うのだが、風はそうは思っていない様子。
逆にそれだけのことをしたのだから、もっと自信を持って欲しいと怒られてしまった。
確かに俺のしたことで、少なくとも俺が知る歴史とは何もかもが大きく変わってしまった。
彼女達が本来進むはずだった道、あったはずの未来が変わってしまったのは、俺というイレギュラーが介入したからだ。
風の言うように、みんなを照らす太陽になれるかどうかはわからない。ただ過去を悔いるようなことは、恥じるようなことはしていないつもりだ。
自身が最善と思える行動を取った結果ならば、その責任は果たすべきだと考えていた。
この書類仕事も言ってみれば責任の一端。俺が自分自身で撒いた種だ。
「風はそれでいいのか?」
「はい。それが風の望みですからー」
「なら、頑張らないとな。取り敢えずこの書類の山を片付けて、風の願いを叶えられるくらいには」
月と揚羽を助けるために行動したあの一件が転機だったのだろう。
随分と期待されたものだと思う。プレッシャーがないかと言えば嘘だ。
でも、より住みよい世界に――みんなが笑って過ごせる平穏な世界。
風の望みは俺の願いでもあった。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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