【Side:太老】
今日は久し振りの休み。二週間ぶり、いや三週間ぶりの休日だ。
華琳に休むように注意しておいてなんだが、俺も仕事のし過ぎだと自分で思う。
滅多なことで疲れない少々バケモノじみた体力をしているとは言っても、これでも一応分類学上は人間だ。
来る日も来る日も書類に埋もれる毎日。
最近思うのは、この時代の紙って貴重品じゃなかったっけ? という疑問ばかり。
まあ、うちの商会は紙の製造や販売なんかも扱ってはいるが、それにしたって毎日毎日よくあれだけの量の紙の束が俺の元に届けられるもんだ。
場所を取る竹簡じゃないだけマシだが、それにしたって多すぎるだろう。
「いやね。俺、今日は休みなんだけど……」
「うむ。だから、こうして身体を動かそうと誘っているのだ!」
「いや、普通は休みくらいゆっくりしたいと思うもので……」
全く話が噛み合ってない。目の前には七星餓狼を構えた春蘭が立っていた。
そう、ここは城の調練場だ。休日の昼下がり、市場をフラフラしているところを春蘭に拉致された。
ようは模擬戦をしようってことらしいが、普通は刃引きした模造刀や木刀でやるよな?
なんで一番得意な得物を持ってくる。普通の人間なら、それ当たったら即死だぞ。
しかも俺は素手だし、どう考えてもこっちが不利だろう?
「あら? 面白そうなことをしてるわね」
「やっほー、太老。これから一戦やるの? 私も混ぜてくれない?」
何やら珍しい組み合わせ、華琳と雪蓮の二人が一緒に現れた。
調練場の一角にちゃっかり席を用意して、観戦する気満々で宴の準備まではじめている。
うん、止めてくれるとは思ってなかったけどな。最初からそんなこと期待してないさ。
だからって、ちょっと待て。なんで雪蓮まで加わろうとしてる!
「一度、太老とは本気で戦ってみたかったのよね。ねえ、譲ってくれない?」
「殺るのは私からだ!」
おまっ! 春蘭。なんか、やる≠フ意味が違ってなかったか!?
やっぱり殺すつもりで、その武器持ち出しただろう。幾らなんでも冗談じゃない。
幸い、武人の誇りが許さないのか? 一対一で挑んでくれるだけマシではあるが。
「あら? 太老なら一人で十分なんじゃないの?」
――なっ!?
いつの間にか桂花が華琳の横に陣取っていた。
しかもニヤニヤと笑みを浮かべながら、春蘭と雪蓮を煽ってやがる。
この間のアレか!? 華琳との一件をまだ根に持ってるのか!?
俺と華琳が一晩を一緒に過ごしたという噂は、商会や城だけでなく街中の噂になっていた。
誤解を解くために何度説明したかわからない。
璃々も一緒だったことを説明しても変な誤解が広まるばかりだし、一番恐かったのが林檎だ。
『桜花ちゃん、ラウラちゃん、リリアちゃんといい……劉協陛下もそうですよね? やっぱり太老様って、そっちの趣味も……』
も、ってなんだ、も≠チて!
俺は至ってノーマルだ。そもそも俺が幼女に手を出すはずがない。
幼女は愛でるもの。それが俺のモットーだ。断固としてそれだけは否定させてもらう!
おっといけない。このままでは腹黒軍師の謀略で、二対一の無茶苦茶な決闘をさせられかねない。なんとしても、それだけは回避しないと。
「待ってくれ、俺は――」
「フフフ、マスターにたった二人で挑もうなんて滑稽ですね!」
――ちょっ!?
今度は多麻か! やめろ、やめてくれ。これ以上、場を引っ掻き回さないでくれ。
「それは、どう言う意味かしら? おチビちゃん」
「我等の武を愚弄するつもりか!?」
「そのままの意味ですよ。ここに居る全員対マスターでも、マスターが余裕で勝利します!」
この世に神はいないらしい。全ては手後れだった。
異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第100話『鬼ごっこ』
作者 193
「ああ、死ぬかと思った」
「最後まで逃げ切った人物の言葉とは思えないわね……」
「まあ、慣れてるしね。でも、あれは俺以外に絶対やるなよ。普通は死ぬから……」
そういう華琳も『絶』を振り回して、俺を追い掛け回していた一人だ。
まあ、途中で指揮に回って、ちゃっかり体力を温存しているあたり、さすがではあるが。
あの後、『魏呉連合』対『俺』という意味のわからない鬼ごっこ≠ノ発展し、全員の体力が尽きるまでなんとか逃げ切ることに成功した。
武器も鎧も何も身に着けてない一般人≠、全員で追い掛けまわすとか信じられん所業だ。
武人の誇りとかないのか? 普通はそんなことしないぞ。
ただまあ、俺もこうした追いかけっこには慣れていた。
あっちの世界でも追い掛けられてばっかだったしな。一度逃げに回れば、そう簡単に捕まらない自信がある。
余談ではあるが、元凶の桂花と多麻は即席の落とし穴に仲良く埋めてきた。
他の面々も大体似たような罠に掛かって、それ以外のメンバーも体力の使いすぎで今頃は倒れて動けないはずだ。
一部を除いて。
「俺としては、この二人がなんでこんなに元気なのか? そっちの方が気になるけど」
「疲れてるわよ? だから、こうして休憩してるんじゃない。ね、春蘭」
「うむ。雪蓮の言うとおりだ。あれだけ動き回って、息一つ切らせていないバケモノに言われたくない」
いつの間に、真名で呼び合うほど仲良くなったんだ?
いや、友情を深め合うのはいいことだと思うけど、そのダシに俺を使わないでくれ。
「その激しい追いかけっこの後に、こうして酒を飲む余裕がある雪蓮と春蘭も俺の事を言えないと思うけど……」
「お酒は別よ。思いっきり運動した後のお酒は、また格別なのよね」
雪蓮の場合、血液まで酒で出来てそうだしな。毎日毎日よく酒ばかり飲めるものだ。
この様子をみるに、どこその宴会好きの人達と雪蓮は気が合いそうだった。
とはいえ、ちびっ子達には見せられない惨状だ。
城の至る所が破損、地面にはクレーターまで出来ているし……後始末が大変そうだ。
ちなみにこれ、殆ど壊したのは俺ではなく春蘭だ。あの壁の穴とかは雪蓮がやった奴だ。
「ほんと、後始末が大変そうだな。いいのか? 華琳」
「別にいいわよ。どのみち、来月には拠点を移すつもりだったし」
「……へ?」
「そっちにも報告書が行っているはずだけど? 許昌に本拠を移すって」
「ああ、あれか」
魏を興すのと同じくして、本拠地を陳留から許昌に移す計画が上がっていた。
手をかけてここまで発展させた街だけに名残惜しい気もするが、商会本部もそれと同じく主要機能を許昌に移設することが決まっていた。
この計画によると、政治や経済などの首都機能は許昌に移設すると共に、陳留は現在ここにあるモノをそのまま活かすカタチで、『学都』として連合参加国に開放されるそうだ。
一つの街だけが大きく発展しても意味がない。これからの時代、様々な街で今の陳留のような生活が保障されれば、この国はもっと豊かになる。
そのための一歩として陳留を広く開放し、学ぶ意思のある者に平等に学べる機会を与えようという試みらしい。
ここまで頑張って発展させた街をポンッと手放してしまうのだから、華琳は太っ腹だ。
器が大きいと言うか、やることなすことなんでこんなにスケールが大きいのか?
「しっかりしてよ。あなたの発案がなければ、この計画はなかったんだから」
「俺の?」
「学校のことよ。今だって孫呉のお姫様や、大陸中から様々な人達が集まって、日々研鑽に励んでいたでしょ?」
「ああ、そういうことね」
人材確保のためにはじめた学校だが、実際かなりの効果を上げていた。
ここ陳留の識字率は異常と言っていいほどに高い。それに簡単な計算程度なら、寧ろ出来ない人の方が少ないくらいだ。
現代では当たり前とされる文字の読み書きや計算も、この時代では文官や商人くらいしか出来ない人が多いのが現実だ。
特に九九の計算など、学校では全員に覚えさせているのだが、アレが出来るだけで文官として重用されるほど平均学力が低い。武将と呼ばれる人物達でさえ、文字の読み書きが出来ないのがこの世界の有様だった。
そんななか、春蘭が文字の読み書きが出来たのは意外だったが……まあ、そこはそれだ。
春蘭の場合は細かい作業が苦手で落ち着きがないため、結局は文官として使えないので余り意味のないスキルだったりする。
(まともに文官としても使えるのって、華琳の部下じゃ桂花と秋蘭くらいなんだよな)
あの学校が効果を出し始めて、一番喜んだのは他の誰でもない。華琳だった。
そのことからも、どれだけ人材不足に頭を悩まされていたかがわかる。
大分昔の話だが、「太老ばかりずるいわよ! 風と稟をこっちに寄越しなさい」と華琳がキレたことがあった。
あれはかなり追い詰められてたんだな、と今になって思うくらいだ。
「そう言えば、雪蓮はこの案に余り乗り気じゃなかったんじゃ?」
「さすがに他国のことにまで口をだすつもりはないわよ? それに冥琳は乗り気のようだしね」
「あれって、なんで反対してたんだっけ?」
「別にその案が悪いと言っているわけじゃないわよ? この街を見ていると、それなりに効果が出ているのはよくわかるわ。ただ……」
「ただ?」
「考え方の違いよ。支配する側の人間が、庶民に学を与えたいと思う?」
――由らしむべし、知らしむべからず
学があれば、頭が回る。頭が回れば、よからぬことを考える輩も増える。
学校の在り方を真っ向から否定する考え方だが、為政者としては間違っているとは言えない考え方だった。
知恵をつけるということは、視野が、自分の世界が広がるということでもある。
これまで興味の無かったものにも目を向けることに繋がり、敷いてはこれまで政治に関心を持たなかった庶民も目を向けるようになる。
人の欲望は際限が無い。食べ物に不自由しなくなれば、今度は別の物が欲しくなる。
生活が豊かになれば、服が、家が、娯楽が、と次々に欲しい物はでてくる。
そんな民の期待に応え、国を発展させていく。それは並大抵のことではない。
今まで為政者であると言う理由で享受してきた特権が、庶民が知恵をつけることで脅かされることもあるのだと、雪蓮は言いたかったのだ。
孫家を守るために――
それが、生まれながらにして王となるべく生まれてきた彼女の考え方。だが――
「『江東の小覇王』と呼ばれる人物の言葉とは思えないくらい小さな考え方ね」
「……言ってくれるわね。華琳」
「その程度のことで民に見放されるのであれば、それこそその王はそこまでの存在だということよ」
「誰もが、あなたのようになんでも出来ると思ったら間違いよ。王とはいえ、ひとりの人間。出来る事と出来ない事がある。常に優れた王が上に立つとは限らない。家の行く末を案じるのは当主の務め。今はよくても、それがずっと続くとは限らないのよ?」
「それこそ、愚かな考えよ。無能な王に民の上に立つ資格は無い。民や国のことを本当に思うのであれば、そんな無能は王になるべきではない」
華琳なら、きっとこういうだろうと言うことはわかっていた。考え方の違いだ。
どっちの言い分も間違っているとは言えない。故に互いに譲ることが出来ない。
雪蓮の考え方に利があると思う方は雪蓮を支持するだろうし、華琳の考え方で得をすると思う方は華琳のやり方を支持するだろう。
目指している方向性の違いだ。連合の話が持ち上がったのも、結局のところ一つに纏めようとしたところで意見が対立するのは目に見えていたからでもあった。
あれ? 俺ってもしかして地雷を踏んだのか? やばい話を振ったかもしれん。
「英雄、孫伯符も落ちたものね」
「それは聞き捨てならないわね。いいのよ? 今ここで決着をつけても」
「あら? 愛剣もなく体力もそこそこの状態で、私に勝てるとでも?」
「真の英雄は、どんな状況でも武器を選ばないわ。あなたこそ、そんな貧相な身体で本当に戦えるのかしら?」
「なっ……! お、大きさは関係ないでしょ!?」
まあ、確かに華琳はちっこいしな。身長と胸とか……色々な部分が。
でも、雪蓮と違い、まだまだ発展途上。未来が……多分あるはずだ。
「華琳」
「……何よ?」
「大丈夫だ。希望を持て」
「なんのよ!?」
怒られてしまった。うん、もう余計なことを言うのはやめておこう。
大体、今日は春蘭に拉致されたあたりから色々とおかしかった。
運が悪いというか、あれだな。こう言う日は、部屋で大人しくしておくに限る。
これ以上、面倒事に巻き込まれる前にお暇しよう。それが一番いい。
「いいわ。そこまで言うなら、太老に決めてもらいましょう」
「良い考えね。あなたとは一度、ちゃんと決着をつけておくべきだと思っていたところよ」
なんだか雲行きが怪しくなってきた。
なんの決着だ? なんで、俺の方に矛先が向いてるんだ?
まあ、確かに余計な一言をいったのは俺かもしれないが、それとこれとは話が別だろう。
「あの……俺、そろそとお暇させて欲しいんだけど」
「そうね。じゃあ、部屋を用意させるわ」
「え? いや、俺は自分の部屋に……」
「あら? まだ早いわよ。宵の口じゃない。お酒の相手、付き合ってくれるんでしょ?」
ちょっと、色々と変なことになってるし!
素直に帰してくれる雰囲気ではなくなっていた。
なんで、こんな目にあってるんだ?
そうだ、春蘭! 華琳命とも言える春蘭が、こんな状況黙って見ているはずがない。
春蘭に華琳の相手をしてもらえば、後は雪蓮一人。それなら、なんとか――
「春蘭――って、こんな時に限って寝てる!?」
動き回った後に腹一杯メシを食って、酒を飲んで眠くなったのか?
春蘭はいびきをかきながら、気持ちよさそうに眠っていた。
寝言で『華琳様』と名前を呼んで、何やら凄く嬉しそうだ。どんな夢をみてるんだ?
「へえ……私達を無視して春蘭を選ぶの?」
「太老って守備範囲が広いのね。でも、目の前で他の女に行かれるのは、余り良い気分はしないわね」
何も言わず、俺は踵を翻した。本日何度目になるかわからない逃走を開始する。
「あっ、逃げた。フフフ、鬼ごっこの再開と言う訳ね」
「太老、今日こそは逃がさないわよ! 皆、であえ!」
華琳の一声で、城中の兵士が後を追ってきた……気の所為だと思いたい。
今日は厄日だ。心の底から、そう思った。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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