【Side:太老】
洛陽を騒がせた泥棒事件が解決して二日。あの後は、色々と大変な目に遭った。
何も言わず出掛けた俺も悪いが、まさか森にまでついてきてるとは思わないだろう?
その熱意と行動力を、もう少し勉強に向けて欲しい。
「太老様宛ての請求書がきていますが……」
「ああ、それはいいんだ」
「何に遣われたのですか? かなりの額ですよ?」
林檎から手渡された請求書に目を通して、目が丸くなった。
林檎が怒るのも無理はない。料理屋や服屋からの請求。どんな贅沢をしたら、こんな額になるのか?
ざっと俺の小遣い三ヶ月分の数字が、そこには並んでいた。
「罰というか、忘れてたお詫びなんだが、しかし遠慮がないな……」
林檎にざっと事情を説明する。金銭の絡むことで、彼女に嘘はつけない。
下手に誤魔化しや嘘をつくと後で痛い目を見るのは自分だということを、林檎と鬼姫のやり取りから俺はよく理解していた。
金が絡むと本当に容赦ないからな。『鬼姫の金庫番』の二つ名は伊達ではない。
「太老様は、彼女達に少し甘すぎます」
「ううん、そうはいってもな。今回は俺も悪いし……」
シャオ達を置いていった件はまだしも、麗羽達のことをすっかり忘れていたのは言い訳できない。
幸いにもシャオの友達(?)があの森にいたらしく大事には至らなかったが、そのことを思い出したのは翌日の朝だった。
シャオ達に月とのことを追求されるまで、頭の中からすっぽりと抜け落ちていたのだ。
「今回だけは大目に見てよ。金は俺の給料から引いてくれていいから」
「そういうことではないのですが……わかりました。ですが、今後このようなことがないようにしてください」
「努力するよ」
絶対にないと言い切れないところが、我ながら情けない。『二度あることは三度ある』って言葉もあるくらいだしな。ぶっちゃけ女絡みのトラブルを、どうにか出来る自信はなかった。
伊達に『マサキ』の姓を名乗っていないつもりだ。自慢にもならないが……。
「太老様に助けられた私も他人のことを余り強くは言えませんが、お願いですから少しはご自分のことも考えてください」
「へ? 俺、林檎さんになんかしたっけ?」
「……そういうところも太老様らしいと思いますが、もう少し自重して頂けると助かります」
「えっと……」
「よろしいですね?」
「あ、うん……」
今一つ納得の行かない様子ではあったが、取り敢えず怒りを収めてくれたみたいだ。
だが、言葉にはしていないが、ひしひしと伝わって来るプレッシャーが怖かった。
林檎だけは怒らせてはならない。俺の本能が、そう訴えていた。
(でも、助けたってなんだ?)
林檎に感謝することはあっても、俺から特に何かしてやった記憶はないんだが……。
さっぱりわからん。気になるが、下手に話を蒸し返すと藪蛇になりそうだしな。
「そもそも、太老様は――」
その後も、林檎の説教は続いた。
ほんの少し、鬼姫の気持ちが理解出来た気がした。
異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第117話『大きな壁』
作者 193
林檎は仕事をさせると、これ以上ないくらい有能なんだが、金銭が絡むと過剰なほど神経質になるところが玉に瑕だ。その原因はいうまでもなく彼女の上司――鬼姫にあった。
とはいえ、なんとなく今日の林檎はらしくなかったというか、少し感情的だったような気もする。
でも、それも元を辿れば俺が悪いんだしな。言っていることは正論なので、反論の余地が全く無かった。
「で、なんでこんなことになってるんだ?」
「……太老、勉強するって言った」
「いや、確かに常識を学べとは言ったが、だからってなんでこれ?」
俺は今、練兵場で恋と対峙していた。
まあ、百歩譲って武術も勉強の一環としよう。体育だって授業の一つだしな。実際、この世界で教えている学校の授業には剣術なども含まれている。
元々、即戦力として使える人材を育てるために設立した施設だ。文官に限らず、武官や技術者の育成も視野に入れてカリキュラムが組まれていた。
「……恋の仕事は悪い奴をやっつけること。だから、これも勉強」
言っていることは間違っていないんだが、なんかズレてる気がするのは俺だけか?
美以の一件で俺は考えた。恋も世間知らずなところがあるから、美以達と一緒に学校で勉強してみてはどうかと提案したのだ。
でも、その結果がこれでは、ため息も漏らしたくなる。大体、霞はなんで子供達と一緒に観戦モードなんだ?
この原因の一端となった観戦席の霞に、恨めしげな視線を俺は向けた。
「これって、授業なんだよな? 俺、完全に部外者じゃないか?」
「そうはいうけど、恋の相手が子供達に務まるわけないやろ?」
もっともな話だ。息抜きに授業の見学なんかに来なければよかったと後悔した。
ここの授業で武術を教えているのは霞だ。こうみえて、霞は意外と教えるのが上手い。
恋は天才肌というか、そういうことは苦手みたいで、そもそも手加減が余り上手くないみたいだった。
手加減が上手くないって聞くだけで不安なんだが……。
「霞がやればいいんじゃ? 一応、先生だろ?」
「ああ、それは無理や。恋が相手やと、うちも本気ださなあかんしな」
「別に本気だせばいいんじゃ?」
「文字通り、試合≠竄ネくて死合い≠ノなるで?」
ああ……それは子供達に見せられるものじゃないな。下手したらトラウマになるぞ。
なんで、こっちの連中はこうも極端なんだ?
「それに、うちも太老が戦ってるとこ、一度ちゃんと見てみたかったしな」
「それが本音か……」
「恋と互角以上に戦えるのは、姉さん除けば太老くらいやろ?」
霞の話す『姉さん』というのは、林檎のことだ。恋と何度かやり合ったことがあるそうなんだが、林檎の圧勝だったらしい。
そもそも身体能力もそうだが経験の差が大きい。恋は確かに戦いの天才だが、何百年と第一線で活躍してきた林檎と比べればキャリアが違い過ぎる。同じ生体強化を受けている俺でも、単純な戦闘能力なら林檎には敵わない。
「期待するほど、俺は強くないと思うぞ? ぶっちゃけ、林檎さんにも勝てない」
「そうなんか? でも、姉さんは太老の方が強いって言うとったけど?」
戦闘技術の一点に置いていえば、俺の剣術は霞の槍術にも敵わない。俺が他を圧倒出来ているのは、肉体のスペックの違いが一番理由として大きかった。
それに俺は本物の化け物を知っている。幼い頃から続けてきた『訓練』と言う名の『死闘』が俺の最大の経験であり武器でもあった。
実戦に勝る修行はないと言うが、それを実際にやる奴はバカだ。俺の場合、選択肢が他になかったわけだが、得られるものが大きい分、リスクも半端無く大きい。当然、死にかけた経験は一度や二度のことではない。ああ、思い出したらなんか涙が……。
「やり方次第だな。正攻法では林檎さんの方が強いよ」
そのお陰もあって、例え林檎のような格上が相手だとしても、手段を選ばなければ勝てないまでも負けない自信はあった。
でも、基本的に俺は戦いが余り好きでは無い。武人の誇りとかも皆無だ。春蘭のようなバトルマニアと一緒にされても困る。面倒臭いというのが一番にあるが、基本的に争い事が不向きなんだよな。まあ、やられたらやり返すが、それとこれは話が別だ。
「そういうわけで、出来れば俺はやりたくないんだけど……」
「……嘘。太老は強い」
恋はやる気満々みたいで、既に戦闘モードに入っていた。
◆
――強い。春蘭の時も思ったが、本当に生体強化していないのか不思議なくらいだ。
それに近い肉体を持っていることは確かだが、それにしたってこのスペックは異常だった。
スピードとパワーは完全に俺が圧倒している。でも、恋は俺の動きについてきていた。
「うおっ、あぶねえ! こっちは素手なんだぞ。もうちょっと手加減――」
「……そう言って、さっきも素手で弾いた」
恋の勘の鋭さは異常だ。速さでは俺が上回っているはずなのに、時々回避しきれない鋭い一撃を放ってくる。死角に飛び込んでも、まるでそこに目があるかのように反応してくる。正直、ここまで強いとは予想外だった。
これなら、最強の武将と言われるはずだ。二万の賊を一人で相手にしたというのも、この強さを目にすれば嘘ではないことがよくわかる。それに戦いの中で成長していた。
明らかに反応がよくなってきている。最初は余裕を持ってかわせた攻撃が、今では本気で防がないと危ないほどだ。
これで条件が同じなら、確実に俺は負けている。本物の化け物にも負けない天才だ。
「強いな。正直、かなり驚いた」
「……でも、あたらない」
「そりゃ、あたったら痛いからな」
フィールドを張って気合いで弾いてはいるが、衝撃は伝わってくるんだぞ?
痛いものは痛い。そりゃ、逃げるのにも必死になる。
「もう、いいのか?」
武器を構えるのをやめた恋をみて俺が尋ねると、こくりと首を縦に振って頷いた。
「……やっぱり太老は恋より強い」
なんかよくわからないが、恋は一人納得した様子だ。妙にやる気をだしてたのって、それを確かめたかっただけなのだろうか?
恋の言うように確かに俺の方が強いかもしれないが、余り勝った気はしなかった。
真面目に鍛え直すべきかもしれないと考えさせられたくらいだ。
(条件が同じなら絶対に勝てないな。やっぱり本物は違う)
その時だ。ギュルルルルと雷のような大きな音が鳴った。恋の腹の音だ。
「……お腹も空いた」
「そりゃ、あれだけ動き回ればな。それじゃあ、皆で昼飯にするか」
また、こくりと頷く恋。息は切れてないし、見た目は疲れている様子はなかったが、ようは腹が減ってたのか。戦いをやめる理由としては納得だ。
鈴々や季衣もそうだが、恋も燃費が悪い。弱点といえば、それが弱点か?
まあ、最強ユニットが維持コスト高いのはよくある話だ。あれだけ大量の食べ物がどこに消えるのか、俺としてはそこが一番不思議なんだが……。
俺も全力で動くとエネルギー補給にたくさん食べるが、恋達の場合それが普通だからな。
「ご主人様、こんなところにいたんですね」
「月? どうしたんだ?」
「詠ちゃんが探してましたよ?」
「詠ちゃんが……あっ!」
俺の姿を探していたみたいで小走りでやってきた月の言葉に、俺は思い出したかのようにハッと声をあげた。
忘れてた。今日は午後から公務があるんだった。
確か、農地を広がるとかで開墾予定地の視察に行くとか言ってたな。
俺の知識が必要になるから、付き合ってくれって頼まれてたんだった……。
「詠ちゃん、怒ってた?」
「……はい。すぐに行かれた方がいいと思います」
「悪い、恋。メシはまた今度。この埋め合わせは、ちゃんとするから」
【Side out】
「さすが恋やな。あの太老と、あそこまで良い勝負が出来るんやから」
「……違う。太老は全然本気じゃなかった」
「本気じゃない?」
張遼は呂布の言葉に、怪訝な表情を浮かべる。太老の動きは彼女の目を持ってしても、追い切れないほど素早い動きだった。
呂布だから反応出来ていたが、あれを自分が出来るかというと、まず無理だと彼女は思う。
確かに以前にみた林檎の戦いに比べれば見劣りするかもしれないが、それでも全く本気をだしていなかったなどと到底信じられる話ではなかった。
スピードだけではない。そもそも一撃で数十の兵を吹き飛ばす方天画戟の重い一撃を、手甲をつけているわけでもなく素手で弾く太老の防御力は異常だ。
「……攻撃できたのに一度も仕掛けて来なかった。それに太老は武器を使ってない」
「凪っちの師匠なんやから、身体が太老の武器やないんか? 太老が武器持ってるとこなんて見たことないで?」
「その割に動きがおかしかった。あれは太老の本当の戦い方じゃない」
「……ってことは、手加減してあの動きやったってことか?」
呂布の強さは本物だ。その強さは仲間の張遼が一番よくわかっている。
その呂布が実際に戦っていうのだから、嘘だとは彼女も思わなかった。
だが、それだけに太老の異常さが浮き彫りになる。ただ強いとは言えないほどの力だ。
「ほんまに無茶苦茶やな。姉さんといい、天の国っていうのは皆こうなんやろか?」
太老と一度は戦ってみたいと考えていた張遼だったが、そんな気はとっくに失せていた。
強い相手と戦いたいと思うのは、武人として当然の気持ちだ。しかし勇気と無謀は違う。相手との力量の差もわからないようでは二流。林檎の強さを知り、その林檎が自分よりも強いといった太老の戦いを実際に目にして、勝てると思うほど彼女は自信家ではなかった。
実力が近ければ得られるものもあるかもしれないが、本当に太老が呂布のいうような強さを持っているとすれば、何もわからないままやられてしまう可能性が高い。
呂布に勝てない自分が太老と戦っても、勝負になるとは思えない。それが張遼のだした答えだった。
「……本気の太老を見てみたい」
「でも、さっき自分でも勝負にならなかった言うてたやろ?」
太老に本気をださせるには、それに近い実力を持っていなければ無理だ。しかし呂布ですら、太老には敵わなかった。
それに太老は余り戦いが好きではない。呂布との戦いにも乗り気ではなかった。
そんな相手に本気をださせるのは難しいと張遼は考える。
「……強くならないと、太老の力になれない。恋達は太老に守られてばかり……」
「それは……」
呂布の的を射た発言に、張遼は言葉を失う。それは彼女もわかっていたことだった。
五万の兵を相手に一人で勝利してみせた林檎。そして、それ以上の力を持つと思われる太老。
――天の御遣いがいれば、なんとかなる。
信頼していると言えばそれまでのことだが、裏を返せばそれは依存しているとも言える。
武人としてだけでなく技術者としても政治家としても有能で、この国の人々がどれだけ太老達の力に頼りきっているかを、その事実が物語っていた。
「わかった。恋がそれだけの覚悟を持っとるなら、うちも協力する」
「……いいの?」
「うちかて武人や、戦う前から負けを認めるのはおもしろくない。でも、太老がうちらより遥かに強いのは事実や。だから――強うなれるなら強くなりたい」
そしてそれは、張遼が忘れ掛けていた武人の心でもあった。
勝ち負けがどうこうではなく、最初から勝てないと諦めてしまっている自分が嫌だった。
しかし根性論で強くなれるのなら苦労はしない。気合いでどうにか出来るのは、夏侯惇など極一部の戦いの天才……筋肉バカだけだ。
「それに、太老には月の件で借りもある。今のままじゃ恋の言うとおり、借りを返せそうにない。なら、やることは一つしかないやろ?」
「……でも、どうすれば強くなれるかわからない」
呂布は戦いの天才だ。勿論、彼女とて最初から強かったわけではないが、他と違う特別厳しい鍛錬をしたわけではなかった。
生まれ持っての天賦の才で、常人の何倍もの速度で技と力を身につけていく。何十年とかけて磨いていく力を、彼女は僅か数年でものにしてしまう。それが『最強』と謳われる彼女の力でもあった。
勿論、張遼や他の武将に才能がないと言う訳では無い。呂布はそのなかでも特出した能力を持っているというだけの話だ。それ故に、今よりも強くなるにはどうすればいいのかが彼女にはわからなかった。
人に教えるのが不向き。教師には向かないというのも、そうした理由があるからだ。
「それなら、任しとき。うちに考えがある」
これが後に『虎の穴』と並び称され、洛陽の裏名物となる試練のはじまりだった。
……TO BE CONTINUED
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