「ふう……」

 ようやく政務を終え、壁の時計に目をやる曹操。針は零時を指し示していた。

「これも太老の成果の一つ」

 最初は商会の仕事を円滑に進めるために太老が作った時計だが、今では人々の生活に無くてはならないものの一つとなっていた。
 日の高さから大まかな時間を知る術は今までにもあったが、ここまで詳細に時間を知る術は、この世界にはなかった。
 それだけに時計の登場は時間に対する価値観や概念、見方を変え、人々の生活に大きな影響を与える引き金となった。
 政治や経済、社会に与えた影響の大きさを考えるのなら、この時計の存在が一番大きかったはずだ。
 曹操もまた、その恩恵を受けている一人でもあった。

「この電灯も、そう」

 天の知識がもたらしたのは、単に技術革新だけではない。人々の暮らしは着実に、そして信じられないような速さでよくなっていた。
 この照明にしてもそうだ。油は貴重だ。それ故に大抵は日が昇ったら活動し、暗くなったら眠る。この生活を、この世界の人々は繰り返してきた。その常識を変えたのは、太老の作った照明――電気の登場だった。
 現在では照明以外にも電気を利用する開発と研究が行われている。更には治水事業にはじまり水道の整備、農業にまで手を伸ばし肥料開発に土壌改良。今まで貴重とされていた塩の製造も製塩技術の発達により生産量を飛躍的に伸ばし、人々の生活に馴染みの深いものとなってきていた。

「一歩ずつ着実に、太老のやってきたことは、この世界に浸透しつつある」

 これは、ほんの一端に過ぎない。
 あと数十年、数百年もすれば、これまでの生活は過去の物となる。
 この国は文字通り、生まれ変わろうとしている。曹操はこれを国の復興と考えていなかった。

「まったく、何が天下には興味がないよ……」

 片付けたばかりの報告書に目を向け、曹操は苦笑を浮かべる。そこに記されていたのは、すべて太老がこれまでやってきた事業や政策の評価だった。
 太老のやっていることは、やり方が違うだけで劉備が目指した理想、そして曹操が為そうとした覇業と大差のないものだ。
 いや、それよりもずっと現実的で、狡猾なやり方だった。今となっては、それが最善の方法だったと思えるほどに――。

 何者にも屈しない強い国を作る。王になるという曹操の願いは叶えられた。
 情勢から見て、流れは太老にある。益州の反抗も、最後の悪あがきといったところだ。
 皆が笑って過ごせる平和な国を作りたい、という劉備の願いも程なくして叶うだろう。
 孫呉も悲願であった国の再興を果たし、涼州連合も天子との盟約を守ることが出来た。
 この国は再び、幼い皇帝の下で纏まりを取り戻しつつある。
 しかし、それは天の御遣いの名があってこそだ。太老の作った商会の存在があってこそだ。
 これが何を意味するか? 少し考えれば、誰でもわかる簡単なことだった。

 国を興した。独立を叶えた。盟約を果たした。

 連合の王が得たものは大きい。しかしそれは天の御遣いという一本の柱があってこそだ。
 天の御遣いの力を必要としているのは、幼い皇帝だけではない。どの国の王も同じだった。
 州が国に変わったところで、現実は何も変わっていない。いや、前の皇帝と今の皇帝を比べれば現状は遥かによくはなっているが、結局のところ呼び方が変わっただけで皇帝を頂点とする体制になんの変化もなかった。
 以前と違うのは、ただ一点。この世界に、天の御遣いがいるかどうかだ。

 連合とは表向きの話。実際のところは、太老が大陸を支配していると言っても過言ではない。しかし、そのことに気付いてはいても誰も何も言わない。何も言えない。それは、やり方はどうあれ結果を出しているからだ。
 太老が先のことを何も考えない愚王だったなら話は別だったかもしれないが、現実はその逆だった。
 勝者と敗者。敢えて勝敗をはっきりすれば、太老は間違い無く、その勝者だ。
 
 今回の一件で、朝廷は民からの信頼を失い過ぎた。そこに現れた救世主が天の御遣いだ。
 英雄を超えるもの。英雄でさえ為せない偉業を起こしたもの。それこそが、この国の救世主だ。
 国あっての民ではない。民あっての国だ。
 太老は自分に正直に、そして基本に忠実に、自らの理想を叶えたに過ぎなかった。

「平穏な世界、住みよい世界に……か」

 それは曹操が太老と初めて出会った時、太老の口から聞いた言葉だ。
 こんな時代に平穏などと甘い理想を口にする男。しかし、だからこそ曹操は太老に興味を持った。

「強い王の下に築かれる強靱な国。結果的に太老の口にした言葉、私の理想は叶ったということね」

 太老の言葉通り、その理想は現実となった。
 信じられないほど早く。そして、最小限の犠牲に止める結果で。
 自分でその理想を叶えられなかったことは残念だと思う曹操だったが、別にそのことを後悔しているわけではなかった。
 寧ろ、今ではこれでよかったとさえ、彼女は思い始めていた。
 望んだのは権力でも、金でもない。たった一つ――

「あ、お帰り」
「え……」





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第121話『はじまりと約束』
作者 193






【Side:太老】

「……太老、どうしてここにいるの?」

 部屋に入ってきて第一声がそれだった。
 こっちは仕事が終わるまで待ってたってのに、何気に扱いが酷くないか?

「自分から言っておいて、それはないだろう。一ヶ月に一度は顔をだせ、って言ったのは華琳じゃないか」

 ポカンと目を丸くして、狐に摘まれたみたいに狼狽える華琳を見るのは新鮮だった。
 いつも完璧を装っている華琳だが、突発的なことに弱いんだよな。

「……まさか、あんな話を真に受けてたの?」
「やっぱり冗談だったのか……」
「……当たり前でしょ。バカじゃないの、あなた」

 グサッと、華琳の言葉が胸に突き刺さった。
 いや、冗談じゃないかとは思ってたけどさ、バカはないだろう。バカは……。

「……どうやって私の部屋に?」
「普通に秋蘭が案内してくれたけど?」
「秋蘭が?」
「ああ、ゲートの前で出迎えてくれたんだけど、知ってたんじゃないのか?」

 テストがてら多麻が設置したゲートを通ってきたんだが、出たところに秋蘭がいて驚いた。
 確かに目立たないところに設置しろとは言ったけど、商会じゃなく城のなかに設置するとは思っていなかった。
 だから、てっきり華琳も知ってると思ったんだが……。

「……どういうこと? そもそも洛陽にいるはずのあなたが、どうやってここに?」
「普通にゲートを通ってきたんだが、多麻から何も聞いてないのか?」
「げーと?」
「距離を縮める道というか、扉みたいなものかな? 転移とか、そういう言い方をすればわかりやすいか。その気になれば大陸の端と端を繋ぐことも、空に浮かぶ月とだって一瞬で行き来が出来るようになる便利な代物だよ」

 実際にあちらの世界ではよく使われているものだが、改めて便利なものだと実感した。
 何光年も離れた別の星に移動するならともかく、近場ならこれで済ませることが多い。衛星軌道上に停船してる宇宙船や、近郊の惑星くらいなら転移装置で十分だからだ。
 鷲羽(マッド)の研究所も亜空間に固定した複数の人工惑星を利用しているが、移動にはこれとよく似た超空間ゲートを使っていた。
 本来は星と星、宇宙船との行き来に使うものだ。洛陽と許昌を繋ぐくらい簡単なことだった。

「非常識なのは知ってたけど、まだそんなものを隠してたのね……」

 非常識は余計だ。俺達の世界じゃ、常識なんだよ。

「でも、理解したわ。秋蘭の仕業ね……」
「俺はよくわかってないんだが……」
「あなたは知らなくてもいいことよ」

 そう言われると気になるじゃないか。また、秋蘭が何かやったのか?
 そういえば、前に華琳のことを頼まれた時と、シチュエーションがよく似てるな。
 あの時は、あとで紫苑に見つかって大変だった。華琳も寝ぼけてキスしてくるしな……。
 でも、今日の華琳はらしくないというか、なんか機嫌が悪い気がする。言葉の節々にトゲがあるというか、筋が通っているようで通っていない。いつもの理路整然とした説得力が、今日の華琳の言葉にはなかった。

「勝手に部屋に入ったから怒ってるのか? それなら、今からでも出て行くけど」
「……バカ。なんで、こういう時だけ鈍いのよ」

 バカって言われたのはわかったが、その後がよく聞き取れなかった。
 久し振りに顔を合わせたっていうのに、なんか怒られてばかりのような気がする……。

「今、なんて言ったんだ? 俺が悪いなら、はっきりと言って欲しいんだが……」
「なんでも、ないわよ。あと、部屋を出て行く必要はないわ」

 俺にどうしろって言うんだ。
 取り敢えず、部屋を出て行かなくていいらしい。
 寧ろ、このまま部屋を出て行ったら、余計に怒らせそうな雰囲気だった。

(はあ……今日の華琳はなんか変だな。秋蘭が俺をここに連れてきたのって、その所為か?)

 こんな夜遅くまで執務室に籠もって仕事をしているくらいだ。疲れやストレスが溜まっているのかもしれないな。

「何よ、じろじろと人の部屋を見渡して……」
「いや、華琳の部屋にお邪魔するのは考えてみたら、初めてだなって」

 改めて見渡すと、女の子らしくない部屋だ。
 精々、鏡台があるだけで人形の一つもない。一度見た沙和の部屋は洋服やら人形やら置いてあって、凄いファンシーな部屋だった記憶があるだけに、華琳の部屋はそれと比べると随分と質素に感じられた。

「女性の部屋を、余りじろじろと見るものではないわよ」
「うっ、悪い……。でも、あれだな」
「何よ?」
「華琳のことだから、もっと豪華な暮らしをしてるのかと思った」
「麗羽じゃあるまいし、そんな無駄なことはしないわよ」
「でも、もうちょっと飾ってもいいんじゃないか? 人形やぬいぐるみを置くとか」
「……あなたは、私をなんだと思ってるの?」

 子供扱いしたと思われたか?
 そんなつもりで言ったんじゃないんだがな。

(凄い子だとは思うんだけどな)

 並の軍師や文官では敵わないほどの博識さと知謀を持ちながら、武芸においても春蘭や秋蘭といった歴戦の武将に引けを取らない実力を持つ、まさに文武両道の少女。芸術や料理にも類い希な才能を持ち、大陸一の女好きで根っからの女王様気質。しかし同じ年代の女性と比べても身長が低く、小柄で胸が小さいことにコンプレックスを持っている。

「声に出てるわよ……」
「げっ!」

 しまった。うっかり声に出てたようだ。
 気持ちはわかるが、『絶』を構えながら殺気を向けないで欲しい。
 死ななくても、当たると痛いんだからな。なんで俺の周りの女って、すぐに武器を持ち出すんだ。
 さっき言ったことは客観的な評価。誰もが思っていることだ。
 あとは――

「覚悟は出来てるんでしょうね?」
「女の子だしな」
「……は?」
「体型のこととか、そんなに気にすることじゃない。華琳は、そのままが一番ってことだよ」
「何を言って……」
「気にしてたんだろう? 人それぞれだと思うけど、俺は可愛いと思うぞ」
「かわっ……」

 どこかの自称美少女も言っていた。貧乳はステータスだと。
 大体、華琳の胸は無いというほど小さくない。大きさも手のひらに収まる程よいサイズで、どちらかというと美乳って奴だ。ああ、実際に見たことがあるとか、触ったことがあるとかそういうのじゃないからな。俺くらいになると、見ただけで大体はわかるもんだ。
 ちなみに俺はどちらかと言えば貧乳派ではあるが、巨乳がダメと言う訳でも無い。色々とアイテムを作っている俺だが、これからも作る予定はないし絶対に作ってはならないと心に決めているものがある。それが豊胸マシンだ。
 貧乳には貧乳の巨乳には巨乳の悩みがあると思うが、なんでも本人に似合っていれば、それが一番だと俺は考えていた。

「俺は(貧乳が)好きだな」
「太老……」

 華琳の殺気が消えた。やっぱり体型のことを気にしてたんだな。
 色々と完璧に見えても、華琳だって人間だ。悩みはある。年相応の女の子ってことだ。
 ぶっちゃけ大きく育った華琳なんて想像が出来ないしな。このままが一番だ。

「その……さっきは少し言い過ぎたわ。きてくれて、ありがとう」
「急にしおらしくなったな。いつも、そのくらい素直なら可愛げがあるのに」
「……素直に礼くらい受け取りなさい。あなたは、どうしていつも一言多いのよ!」

 ツンデレな華琳に言われたくない。
 俺は自分に正直な人間だ。凄く素直だと思うぞ。でもま――

「秋蘭を余り困らせるなよ。もっと自分に素直になってもいいと思うぞ」

 華琳の場合、無理をしすぎだ。第一に民のため。仕事、仕事、仕事。華琳が休んでいるところなんて、俺もほとんど見たことがない。なんでもかんでも一人で溜め込みすぎだ。秋蘭達が心配するのも無理はない。
 もう少し周りに頼っても、我が儘を言ってもいいのではないかと俺は思う。
 なんでも自分で出来たために頼るものがいなかった弊害かもしれないが、壊滅的に甘えるのが下手なんだよな。

「もっと自由に好き勝手やってもいいんじゃないか? 我慢のし過ぎは身体の毒だぞ」
「いいの? 私が本気で自分のやりたいようにしたら、国の一つや二つ傾くと思うわよ?」
「……そこは、程々にな。なんで、そう極端なんだよ」

 やりたい放題な人達を実際に見てるしな。洒落になってない話だ。
 さすがに華琳でも、あそこまでは……ないと思いたいが、実際に俺の言葉が原因でそうなったら秋蘭達に申し訳無い。国が傾くどころか、国家予算規模の金を内緒で浪費して、経理を困らせるような人物もいるくらいだしな。
 その理由が正当なものならいいが、半分はおふざけと趣味の結果だからな。林檎が怒る気持ちもわからないではなかった。

「でも、そうね。少しは考えておくわ」
「そうしてくれ。俺に出来ることなら協力するから」

 華琳なら大丈夫だと思うが、どうも極端な連中が多いからな。
 俺を見習って、何事も程々にやって欲しいものだ。自重という言葉を知らない奴が多すぎる。

「なら、早速手伝ってもらおうかしら」
「なんだ? 余り無茶なことは言わないでくれよ?」

 この間から出費が激しいからな。
 買い物をしたいというのなら荷物持ちくらいはするが、全部俺持ちというのは勘弁して欲しい。華琳の満足するような料理や服なんて、想像するだけでも目玉が飛び出るような金額がしそうだしな……。

「無理なことは言わないわよ。あなたなら……いえ、太老にしか出来ないことよ」
「俺にしか出来ないこと?」

 そういうのが、一番不安なんだが……。
 大抵のことは華琳なら一人で出来るだろうし、俺にしか出来ないことってなんだ?

「包み隠さず、全部私に話しなさい。あなたが本当は何者なのか? これから何をしようとしているのか?」
「華琳、まさか全部知って……」

 あちらの世界のことを色々と華琳に話してはいるが、それは文化や技術的なことばかりだ。
 しかも、そのほとんどは地球での話ばかり。宇宙に関する話は生体強化のこと以外、ほとんど触れていない。
 俺と林檎が樹雷の皇眷属だということや、この世界の秘密は当然話してなかった。

「言っておくけど、多麻からは何も聞いてないわよ」

 最初は多麻が話したのかと思ったが、華琳はこれまでの経緯から自分で答えに行き着いたみたいだった。

「いつ、気付いたんだ?」
「以前から疑っていたけど、確信したのはさっきよ。以前に聞いた話から考えても、あのナノマシンや今回のゲートというのは明らかに行き過ぎているわ。それに陰でこそこそ何かやっているみたいだし、私に隠していることがあるのでしょう?」

 地球の技術だって十分この世界からみれば、理解の追いつかないオーバーテクノロジーだ。
 生体強化やゲートのことがバレても、技術レベルの差なんて気付かないだろうと甘く見ていた。
 そのことに気付いたってことは、まさか――

「商会にある技術書に目を通したのか?」
「全部じゃないけど、使えそうなものには大体目を通したわよ」

 ……このチートめ。あれ、何冊あると思ってるんだ?
 あれを一通り理解しているとすれば、技術開発局でも十分やっていけるレベルだ。ひらめきでは敵わないまでも知識の面に置いては、真桜より凄いかもしれない。
 真桜の場合、完全に理解出来ていなくても、思いつきでどうにかしてしまうタイプだが、それ故に真桜の発明品はどこか中途半端なものが多い。自動と言いながら、半自動なものが出来上がるところとか、真桜らしいしな。華琳は、その逆だ。
 本気で勉強すれば、俺より凄い科学者になれるんじゃないか?

「大体、本気で隠しごとをしたいなら多麻をどうにかなさい。あれじゃあ、全然隠せてないわよ?」

 耳の痛い話だった。
 多麻の奴、誰かに似て自重がないからな。ここ最近は特に暴走が目立つ。でも、あれの暴走を抑えるのは俺では無理だ。モデルとなった人物が人物だけに、それは俺が一番よく理解している。

「本当はあなたの事情に首を突っ込む気はなかった。でも、そう言うわけにもいかなくなったのよ」

 理由はよくわからないが、華琳が真剣だということだけは伝わってきた。
 だとすれば、俺も真面目に答えるべきなのだろう。誤魔化すべきではない。

「……話を聞けば、後悔するかもしれないぞ?」
「それは私が決めることよ。それに、素直になれって言ったじゃない」
「華琳のしたいことに必要なことなのか?」
「ええ、とても大切なことよ」

 ――観念した。
 確かに、ここまで巻き込んでおいて黙っているのは誠実じゃない。この世界の存続に関わる問題だ。話の内容が内容なので一刀以外には黙っていたが、そろそろ話す時期が来ているのかもしれないと思った。
 話を聞いてどうするかを決めるのは本人の自由だが、俺の答えはもう出ている。

「わかった。でも、その代わり――」

 華琳の負担を、これ以上増やすわけにはいかない。
 これが、俺の取れる最大の譲歩だった。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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