【Side:太老】
あれから、あっと言う間に二ヶ月が経った。
ここ洛陽で行われる予定となっている連合会議を明後日に控え、宮廷や街は慌ただしく会議の準備に追われていた。
こうして大々的に告知し、各国の代表が一堂に会するのは初めてのことだ。戦争中であれば、こうして一つ所に集まって話し合うなどと言うことは絶対に出来なかった。
(なかなか、よく考えてあるな)
最初はどうなることかと心配したが、華琳のことだ。これも計算尽くだったのだろう。
この場合、会議の内容そのものより会議を行ったという結果が重要だった。
皇帝と天の御遣いの呼びかけに応え、各国の代表が集まる。民からは、その状況こそ平和になった証と好意的に受け止められているようだ。
そのこともあって、街を挙げてのお祭りと言った様子を見せていた。
「御遣い様、どうです? お一つ」
「おっ、肉まんか。じゃあ、一つ貰おうかな。幾ら?」
「い、いえ! 御遣い様から、お代を頂くなど」
「いや、そう言うわけにもいかないでしょ」
こうして市場を散策していると、よく街の人から声を掛けられる。
この辺りに出店している商店は軒並み商会に所属する会員がほとんどということもあるが、たまに泥棒やちんぴらを捕まえたりしているうちに、街の人から気軽に話しかけてくれるようになった。
警備の仕事を取るな。危ないことは控えてください。護衛も付けずに外出など、ご自身の立場を自覚しておられるのですか?
とか色々と言われているが、そこはそれだ。
稟や詠など心配して言ってくれているのはわかるが、余り過保護なのもな。
「ですが……」
「それじゃあ、皆にお土産を買って帰るから、すぐに食べる分を一個おまけしてよ」
「そういうことでしたら……」
苦笑を浮かべ渋々と言った様子ながらも店主は了承してくれた。
こうして大切な会議を明後日に控えているとは思えないほど、俺はいつもと特に代わり映えのしない日常を送っていた。
本当は準備とかを手伝いたいんだけど、どう言う訳か手伝わせてくれないんだよな。余りにやることがないので人夫に紛れて設営を手伝っていたら、それも詠にバレて怒られた。
他にやることと言ったら、恋や霞の鍛錬に付き合うくらいだしな。それで街に散歩に出て来たと言う訳だ。
別に暇人と言う訳では無い。自分の仕事はちゃんとやっているしな。
ここ最近、その仕事の大半を占めていた書類仕事が、何故か減っているだけのことだ。
「陳宮キーック!」
肉まんを片手に街を歩いていると、何やら後ろから聞き慣れた声が聞こえてきた。
ひらりと背後からの攻撃を避け、そのまま足首を掴む。
逆さに釣り上げて確認すると、案の定それは幼女軍師だった。
「離すのですよ! この変態!」
不意打ちを仕掛けてきておいて失礼な言い種だ。
変態ってのは貂蝉や卑弥呼みたいなのを言うのであって、俺は断じて変態ではない。
「そもそもなんでわかったのですか!?」
「派手に技の名前を叫んでたからな」
「はっ!? しまったのですよ!」
子供の浅知恵だな。不意打ちで技の名前を叫んじゃダメだろう。
まあ、あれだけ分かり易い気配を発していれば、バカでも気付くと思うが……。
(どこからどう見ても、子供にしか見えないんだがな……)
これでも一応は、ちゃんと軍に籍を置く軍師だというのだから驚きだ。
時々鋭い意見を出すことはあるが、普段の素行を見ている限り、子供にしか見えない。
今も頬を膨らませてぷんすか怒っている様は、どこからどう見ても子供そのものだった。
「挨拶に跳び蹴りするのはやめてくれないか?」
「なら、お前も恋殿に近付くのはやめるのですよ!」
「俺から近付いてるわけじゃないんだが……」
俺の方から恋に近付いたことは、ほとんどと言っていいほどない。
先日の模擬戦以降、恋の方から俺を鍛錬に誘ってくることが多くなっただけのことだ。
どうも特訓と称して例の森に籠もっているみたいで、多麻の協力を得て鍛錬に励んでいるという話だ。森から帰ってくる度に俺に戦いを挑むということを、ここ最近の恋は繰り返していた。
(負けず嫌いというか、やる気を掻き立てちゃったみたいなんだよな……)
恋は強い。それこそ、『最強』と呼ばれるのも当然と思えるくらいに強かった。
正直、武器なしでは相手をするのも、きつくなってきたところだ。
詳しい内容は知らないが、多麻の協力を得て『魔の森』でやっているという特訓が効果を発揮しているのだろう。霞も恋の特訓に付き合っているみたいで、かなり腕を上げたという話だしな。
特訓の中身は敢えて聞くまい。多麻が関わっている時点で大体の予想はつくが、本人達が了承しているのなら特に止めるつもりはなかった。
実際に効果は出ているわけだし、どうなっても後は本人達の自己責任だ。
「いつまで掴んでるですか! さっさと手を放すのですよ」
「あ、悪い」
ジタバタと暴れる音々音から、俺は慌てて手を放した。しかし、それが間違いだった。
頭から真っ逆さまに地面に落ちる音々音。次の瞬間、『ふぎゃ』と蛙の潰れたような声が漏れる。
「だ、大丈夫か? すまん、遂……」
「うきゅう……」
完全に目を回していた。
異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第125話『呂布の軍師』
作者 193
「ううぅ……ここは?」
「おっ、目が覚めたか? もうすぐ屋敷に着くぞ」
「なっ!? お前、ねねに何をしたですか!?」
背中でジタバタと暴れる音々音。子供の力でポカスカと叩かれたところで痛くない。
怪我をした原因は俺にもあるとはいえ、助けてやったと言うのに失礼な話だった。
「もしかして助けてくれたですか?」
「何をどう勘違いしてるのかしらんが、そういうことだ。まあ、俺が原因でもあるしな」
放せと言われたから手を放したわけだが、もう少し気を配るべきだった。
気絶させてしまったのは俺にも責任がある。だから責任を感じて、こうして背負ってきたわけだ。
子供を怪我させて、まさかその場に放置して帰るわけにもいかないしな。
「その様子だと大丈夫そうだな。頭を少し打ったみたいだから心配したんだが」
「……余計な、お世話なのですよ」
相変わらず素直じゃなかった。
「今回は俺も悪かったが、余り無茶をするなよ。恋に心配を掛けたくないだろう?」
「うっ、怒ってないのですか?」
「何が?」
「最初に攻撃を仕掛けたのはねねです。だから……」
不意打ちの自覚があったのが驚きだが、あのくらいスキンシップみたいなものだろう?
特に被害があった訳でも無いしな。怪我をしたならともかく、俺は至って健康だ。
俺が元いた世界にはスキンシップと称して、一歩間違えれば死ぬような攻撃をしてくる鬼女もいた。他人の喧嘩に巻き込まれて死にそうな目に遭ったことだってある。もっと酷いのだと空から宇宙船が降ってきたことだってあった。
アレに比べれば『陳宮キック』なんて遥かに可愛げのあるものだ。
ただ一言あるとすれば――
「踏み込みが足りないな」
「踏み込み?」
「あと、速さと高さが足りない。本家本元はあんなもんじゃないぞ」
「……お前、何を言ってるのですか?」
あれってヒーローの物真似みたいなものだったんじゃないのか?
街では華蝶仮面ごっことか、極一部ではあるが仮面白馬ごっこも流行ってるみたいだしな。
恋も討伐から帰ってきたばかりで、特訓だなんだと忙しいみたいだしな。音々音も寂しいのだろう。その原因の一端を俺が担っているのは確かだ。
それを考えれば、子供の遊びに付き合ってやるくらい大したことではなかった。
「やっぱり変な奴なのです……」
「よく言われるが、俺は至って普通――」
「自覚が無い奴は手に負えないのですよ」
失礼な話だった。
【Side out】
――変な奴なのです。
それが陳宮の太老に対する評価だった。
最初、董卓を助けるために天の御遣いの助けを借りるという話を聞かされた時、陳宮は余り乗り気ではなかった。しかし実際に太老を見て、その人柄に触れることで陳宮のなかで何かが変わっていった。
陳宮もバカではない。太老の協力をなしに董卓を助けることが出来なかったことくらいわかっていた。
最小限の犠牲で最大限の結果を残した太老の手腕は見事と言うしかない。
「わかっているのです。ねねだって本当は、あいつに感謝しているのですよ」
孤児だった陳宮は、幼い頃からずっと貧しい生活を強いられてきた。
そんなある日、家代わりに寝泊まりをさせてもらっていた水車小屋からボヤが発生した。
火事の原因は水車の整備不足。古くなった歯車と歯車が強くこすれ、火が起きたのが原因だったのだが、そんな話を村人が信じてくれるはずもなく、陳宮は住み慣れた土地から追い出されることになった。
それからの生活は一層厳しいものになった。
官の暴政に賊の脅威に晒され、今と違ってあの頃は大人でさえ、その日の生活に困る有様だった。
そんななか、幼い子供が村を出て街で暮らしていくのは、想像以上に大変なことだ。一度は死を覚悟したこともある。そんな時、仕事もなく腹を空かせ、帰る場所も行き場もなかった陳宮に温かい食事を与え、初めて優しい言葉をかけてくれたのが呂布だった。
陳宮が初めて知った人の温もり。ようやく出来た家族。
呂布の存在は陳宮にとって、何にも代え難い居場所そのものとなった。
――だから、悔しかった。
少しでも恩人である呂布の力になりたいと思い、たくさん勉強をして軍師になった。
しかし呂布の大切な董卓を救ったのは太老。呂布は太老ばかりを頼りにしている。その事実が陳宮は悔しくてたまらなかった。
だから、太老にきつくあたる。自分でも理不尽だと思うことをたくさんした。
なのに――
「あいつはバカなのです……」
あれだけのことをされて怒るどころか、怪我をさせようとした相手の心配するほど太老はお人好しだった。
「ねねは……恋殿の軍師、失格なのですよ」
ここまで器の違いを見せられては、陳宮も負けを認めざるを得ない。
呂布に必要とされているのは自分じゃない。太老だ。
そう、陳宮は思い込むしかなかった。
「ねね、ここにいた」
「……恋殿?」
そんな陳宮が部屋で塞ぎ込んでいると、そこに紙袋を持った呂布が尋ねてきた。
泣いていたことを気付かれまいと、ごしごしと目をこすり服の裾で涙を拭う陳宮。
そんな陳宮に呂布は持っていた紙袋を差し出す。
「肉まん一緒に食べる。太老がお土産にくれた」
呂布の口から何気なくでた『太老』の名前に、陳宮は激しく心を揺さぶられた。
「太老、太老、太老!」
「……ねね?」
「ねねは太老と違って役立たずなのです! 恋殿の力になれないダメ軍師なのです! だから、もう放って置いて欲しいのですよ!」
いつもなら、こんな風に取り乱したりはしなかった。
しかし今の陳宮は太老に対する嫉妬と、思い込みによる負の感情に苛まれていた。
呂布がどれほど太老のことを大切に想っているか、陳宮は知っているつもりだ。なのに、こんなことを口にすれば、大好きな呂布に嫌われるかもしれない。それでも口にせずにはいられないほど陳宮は追い詰められていた。
(ねねは……)
寂しかったのだ。もっと呂布に構って欲しかった。
溜まっていた物を吐き出すことで、ようやく陳宮は自分の気持ちに気付く。しかし一度口にしてしまった言葉は元には戻らない。呂布に嫌われるかもしれないという恐怖が、陳宮の身体を小さく震わせた。
「それ違う」
「……恋殿?」
「太老は大切。でも、ねねも同じくらい大切」
「そんな慰め……」
悲しげな表情を滲ませる陳宮の小さな身体を、そっと呂布は抱き寄せた。
「あっ……」
優しい香り、あたたかな体温。それは懐かしい記憶だった。
陳宮の頭に過ぎったのは、呂布と出会った頃のこと。
あの時のように優しく、子供をあやすように陳宮の頭を呂布は撫で続けた。
「ごめん。寂しい思いをさせて」
呂布の一言で陳宮は気付く。自分の思い違いに。
寂しいと感じていた気持ち。結局それは陳宮の勘違い。ただの思い込みだった。
「ねね、一緒に肉まん食べよう。お腹一杯になれば、きっと幸せになれる」
呂布はあの頃から何一つ変わっていなかった。
強い呂布。優しい呂布。あたたかな呂布。
陳宮の大好きな呂布は、今も昔も変わらず彼女のすぐ傍にいた。
「うっ、うああああああっ!」
呂布の胸のなかで大声で泣き叫ぶ陳宮。
血の繋がりはなくても、そこには確かな家族の絆あった。
◆
屋敷全体に響く陳宮の泣き声を聞いて、優しげな笑みを浮かべる董卓。
「上手く行ったみたいですね」
「ん、なんのことだ?」
いつも通り自分の部屋で書類仕事に勤しむ太老に、董卓はそれとなく話を振る。
呂布にお土産の肉まん渡して、陳宮と二人で食べるようにと勧めたのは太老だ。
太老が何をしたのか、彼女にはすべてお見通しだった。
(肉まんが泣くほど嬉しかったのか?)
と陳宮の泣き声に気付き、見当外れなことを考える太老。
最近、陳宮が呂布と余り話せず寂しい思いをしているのではないかと考え、呂布に陳宮と二人で食べるようにとお土産の肉まんを渡したのは確かだが、そこまで深い考えがあってしたことではなかった。
そもそも太老は、呂布と陳宮の間に何があったか事情を詳しく知っているわけではない。
単純に幼女が寂しがってるから、それをなんとかしてやりたいと考えて行動しただけだった。
「お茶のお代わり、如何ですか?」
「いただくよ」
董卓に注いで貰ったお茶で、ほっと一息つく太老。
「ん、俺の顔に何かついてる?」
「いえ、なんでもありません」
頭に疑問符を浮かべ、よくわかっていない様子で首を傾げる太老。
そんな太老を見て、董卓はただ――にこやかな表情を浮かべていた。
……TO BE CONTINUED
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