【Side:林檎】
太老様には悪いと思いつつも、私は華琳の行動を黙認した。
それはこの先、彼女達が太老様の力になってくれることを願ったからだ。
現実的な問題として、いつまでも瀬戸様の力をあてにするのは無理がある。太老様は鷲羽様や瀬戸様の後継者と目される御方。そして非公式ではあるが、次の樹雷皇の最有力候補とされている。
現樹雷皇であられる阿主沙様や第一皇妃の船穂様が、太老様を気に入っておられるというのもあるが、樹雷の歴史上類を見ないほど皇家の樹との高い親和性を持ち、天樹に自由に出入り出来る特殊な能力を持つ太老様を、樹雷としても手放したくない考えだった。
事実、皇家の樹の機嫌一つで樹雷は傾く。今回、皇家の樹が機嫌を損ねた理由。それは太老様の存在を認識出来なくなり……拗ねてしまったからだ。
その結果、銀河の経済に多大な影響を及ぼすほどの騒動となった。
皇家の樹とは、私達樹雷に住む者にとって欠かすことの出来ない隣人であり、数万年に及ぶ長い歴史を共に生き続けてきた友人でもある。宗教を例に挙げられる象徴的な神ではなく、皇家の樹とは明確な意思のある確かな存在を指していた。
それ故に皇家の樹は契約者を自らの意思で選ぶ。樹雷皇家に生を受けたものであっても、皇家の樹と契約を交わせずに一生を過ごす者は少なくないのが現実だった。
逆を言えば、何事にも例外は存在する。皇家の人間でなくても皇家の樹に興味を持たれることが可能な人物であれば、契約は可能ということだ。過去にも似たような例は存在する。そんななかでも太老様は特に際立つ存在だった。
太老様は確かに『正木』の姓を持つ皇家縁の者だ。その資格は十分に備わっている。
ただ太老様は例外として、すべての皇家の樹≠ニ高い親和性を持つという特異性を有していた。
皇家の樹との契約は、一人につき一本が前提だ。これは一部の例外を除き、過去に一度として破られたことがない純然たるルールでもあった。
それなのに、すべての皇家の樹、しかも天樹にまで気に入られる人間など聞いたことも見たこともない。
でも、現実に存在する。それが太老様だ。
その気になれば、太老様であれば第一世代の皇家の樹とも契約が可能なはずだ。いや、複数の皇家の樹と契約を交わさずに交信が可能な太老様は、極端な話、複数の樹との同時契約も可能だと私達は考えていた。
結論から言えば、樹雷の軍事と経済は皇家の樹の機嫌一つ、その原因を担っている太老様に握られていると言っても過言では無い。樹雷は常に皇家の樹と共にある。その皇家の樹が太老様の味方をしている以上、樹雷としても太老様を放置出来ないというのが国家としての考えだ。
皇家の樹の機嫌を損ねるわけにはいかない以上、太老様を傷つけることも排除することも出来ない。
天地様と同じ最高機密に太老様が指定されている一番の理由が、そこにあった。
遙か昔、世界が幾つもの勢力に分れ、戦争を繰り返していた時代。その戦場で常に勝利し、敵味方から『鬼姫』と畏怖され、生きる伝説とまで恐れられた女傑がいた。
数千年の時を生き、樹雷の歴史をその目で見続けてきた生き証人。樹雷四大皇家のなかでも最大の勢力を誇る神木家の実質的トップにして、樹雷の影の支配者とも噂される人物。
それが神木・瀬戸・樹雷。私の上司であり、現在お仕えする御方だ。
表向きのトップは阿主沙様だが、実質的な立場は瀬戸様の方が上というのは有名な話だ。
太老様が現在、比較的自由に行動を許されているのは、そんな瀬戸様の庇護下にあるからだった。
その上、あの伝説の哲学士と名高い白眉鷲羽様が後ろ盾となっていることで、これを知る者であれば普通は太老様にちょっかいを掛けようとはしない。とはいえ、お二人とも気まぐれな御方だ。それに気に入った相手には色々と協力を惜しまない反面、なんでも助けてくれるほど甘い方々ではなかった。
太老様がこれから歩まれる道は試練の連続だ。それこそ、想像もつかないほどの苦難が待ち受けていることは想像に難くない。
だから、私は太老様だけの味方が必要だと考えていた。
有能な人材が必要なら瀬戸様のところから借りてくればいい話ではあるが、それは厳密に太老様の部下ではない。
だからと言って引き抜きを行えば、今度は瀬戸様のところが人手不足に陥り、また別の問題が発生する。
瀬戸様には恩がある。長く瀬戸様にお仕えしてきた身として、そのような不義理だけは行いたくなかった。そしてそれは、太老様もお認めにならないだろう。
なら、取るべき選択は限られている。どの勢力にも属さず、太老様だけの味方をしてくれる人達。居ないのであれば、育てるしかない。
その点、華琳達なら人格・能力・才能、すべてに置いて申し分ない逸材だ。
一番の問題として、太老様のために働いてくれるかを心配していたが、その懸念も今回のことで解消された。
(太老様がこの世界の支配者になることで、必要な問題はすべてクリア出来るはず)
銀河法に適用すれば、この世界は初期段階文明の惑星に分類されるが、何事にも例外が存在する。樹雷の植民惑星として登録されている『地球』が良い例だ。
樹雷の皇眷属である太老様が統治する土地と言うことになれば、ここを樹雷の法律に適用して樹雷皇家の直轄地とすることも可能だ。問題はここが星の箱庭のなかに存在する仮想世界という点だが、それも技術的にはクリアが可能な問題と考えていた。
太老様の資金力と財団の力を用いれば、手頃な惑星を調達することも難しくない。法律的にも高い知識力を持つ高度な人格プログラムには人権が認められ、生殖が可能な身体が与えられた例は過去にもある。
あとの技術的な問題点は、鷲羽様や太老様の知識と技術を活用すれば不可能なことはない。
いざとなれば、私の人脈と権限を使い、アカデミーに依頼をすることも可能と考えていた。
「太老様の理想をお手伝いすることが、私に出来る唯一の恩返し」
太老様の望まれること。その助けとなることが私の願いだ。
私は過去に、太老様から返しきれないほどの恩を受けた。
樹雷女性として、あれだけのご恩を受けて何もしないなど出来るはずもない。
「きっと太老様の助けになってみせます。一緒に作りましょう。太老様の理想の世界を」
それが、この私――立木林檎の為すべきことだった。
【Side out】
異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第127話『太老の国』
作者 193
【Side:太老】
――正木太老だ。突然だが、商会代表から皇帝にジョブチェンジした。
皇帝と言えば、この連合を統べる代表のことだ。
一番偉い人。端的に言えば、華琳や各国の代表より立場が上の存在だ。
既に根回しは終わっていたらしく、このことを知らなかったのは俺だけだった。
揚羽の婚約者から、何故にすっ飛ばして行き成り俺が皇帝なんて話になるのか?
もう、そこからして意味がわからない。そもそも皇帝の地位をそんな簡単に譲って大丈夫なのかと揚羽に聞くと、
『お飾りの皇帝などに意味はない。この国に必要なのは、民が真に必要としておるのは、我ではなくお主じゃ』
簡単に言えば、ここまでやった責任を取れということだ。
皇帝なんて柄じゃない、という言葉は通用しなかった。
当然、会議の内容など、そのことが気になって全然頭に入って来なかった。
街はお祭りムード一色。これ全部、俺の皇帝就任を祝う宴なんだそうだ。
これを発表するために、こんな大掛かりなイベントを催したと言う訳だ。
手っ取り早く皇帝の威光を知らしめるやり方としては、確かに効果的な方法だった。
「はあ……」
俺のため息は夜空に咲く花火の音でかき消された。
「納得が行かないという顔をしてるわね」
「やっぱり、これを仕組んだのは……」
後ろから掛けられた声に、振り向かずに俺は答える。
確認を取るまでもなく誰かなんてわかりきった答えだった。
曹操――真名は華琳。この件の首謀者だ。
「ええ、あなたの想像通り私が仕組んだことよ。皆には事情を話して協力をしてもらったわ」
会議の内容は、あの話のことだとばかり思い込んでいたが、そこから間違いだった。
「事情を話したってことは、例のことを?」
「ええ、私の知っていることはすべて説明したわ。全員、納得の上よ」
「話すなとは言わないけど、だからと言って、どうして今なんだ?」
「今だからこそよ。そうしなければ、あなたは自分一人で片付けるつもりなのでしょう?」
皇帝の地位を引き継ぐにしても、何故今で無ければならないのかわからなかった。
しかし、それを言われると辛い。華琳には何もかもお見通しだったのだろう。
華琳達がどう思おうと、何をしようと俺のすることに変わりは無い。この世界を救った後は、林檎と元の世界に帰るつもりでいたからだ。
この世界のことは、この世界の人達に任せたいところだが、『やるだけやっておいてやり逃げなんて無責任だ』と言われれば反論は出来ない。今になって冷静に考えてみると、確かに無責任だったかなと思わなくない話だった。
「私達はあなたに救われた。この平和が今こうしてあるのは、あなたのお陰よ。だから、私達はそれに見合った対価を支払う義務と責任がある」
「その対価が、皇帝の地位だっていうのか?」
「正確には、この世界と私達よ」
この世界の命運と自分達を対価に差し出すと話す華琳。
余程、思い悩んでだした答えだったのだろう。
いらんと言いたいところではあるが、断れる雰囲気でないことだけは理解出来た。
「恨んでくれて構わないわ。恩を返すと言いながら、私は結局あなたにすべてを背負わせようとしている」
そんな風に言われると怒るに怒れない。
確かに嵌められたみたいになったが、そのことで華琳を恨むつもりはない。
「華琳が悪いわけじゃない。これも身から出た錆だ」
自分の都合で、住みよい世界を作ると言って始めたこと。
その結果、まさか自分が皇帝になるとは思ってもいなかったが、こうなったのも自業自得だ。
それに自分がその立場になってみて、ようやく気付いたこともある。林檎に言われて元の世界に帰ることや、この世界を救うことばかりを考えていたが、結局はその後のことを俺は何も考えていなかった。
「寧ろ、大事なことに気付かせてくれて感謝してる」
技術や知識だけを残しても意味がない。残される人達のことを、俺は深く考えていなかった。
ましてや俺があちらに帰ると言うことは、彼女達に責任を丸投げすると言うことだ。
俺を信じてついてきてくれた人達に、自分の後始末をやらせるところだった。
いつから、こんな風に妥協するようになったのか? 我ながら恥ずかしい。
どうせ目指すのなら、中途半端な終わり方よりご都合主義≠フ方が良いに決まっている。
「林檎さんもこのことを?」
「当然、話してあるわ。この件で、彼女が一番の難関だったしね……」
「よく林檎さんを納得させることが出来たな……」
林檎は俺に甘すぎると注意をしたくらいだ。こんな騙すようなやり方に林檎が賛同するとは思えない。
だからと言って華琳の計画に林檎が気付かなかったということはないはずだ。だから妙な違和感を覚えた。
「言ったでしょ? 私達を差し出すと」
「まさか……」
それは悪魔の取引だ。
林檎を相手に自分を担保に差し出すなど、冗談としか思えない行動だった。
自殺志願者なら止めはしないが、悪魔との契約より質が悪い。
「……華琳、今からでも、それだけは撤回した方がいい」
「出来る訳がないでしょ? あなたの世界ではどうかしらない。でも、私達の世界では受けた恩には相応の謝儀を持って応える。それが常識であり、そうしないと私達の度量が疑われることになるのよ」
こう言い出したら、華琳は絶対に自分の考えを曲げない。
それにダメもとで言ってみたが、俺も実際に林檎との約束をなかったことに出来るとは思っていなかった。
林檎はこの手の契約に五月蠅い。
「それに好きにしろと言ったのはあなたよ。私は自分の好きなように行動しただけ」
さっきも言ったが、林檎と約束をしてしまっている以上、契約破棄は恐らく無理だ。それこそ、どこまでだって取り立てにくる。
一度、契約をしてしまったが最後、『鬼姫の金庫番』から逃れる術は無い。
これは、俺の世界の常識だった。
「はあ……本当にバカだな」
「私から見れば、あなたの方がバカよ」
お互いにバカと言うべきか、今回ばかりは華琳の不器用さに呆れた。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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