【Side:太老】
これ、何回目かな?
「ぐぐっ……雪蓮。少しは遠慮しなさいな」
「くっ……華琳こそ、少しは年上を敬いなさいよ」
華琳と雪蓮が朝から俺の部屋で、取っ組み合いの力比べをしていた。
「尊敬出来るところがあるなら、ちゃんと敬うわよ!」
「……私の方が、おっぱいは大きいわよ?」
「胸の大きさは関係ないでしょ!?」
喧嘩の原因はよくわからないが、今は胸の大きさを競っているみたいだ。
おっぱいに罪はないというのに、どうして女という生き物は胸の大きさに拘るのか?
いや、自分にない物を求めるのは人間の性か? 何れにせよ、空しい戦いだった。
「ご主人様、お茶のお代わりは如何ですか?」
「それじゃあ、貰おうかな」
「はい。あと、よかったらお菓子もどうぞ。……甘い物は疲れが取れますし」
そう言って、温かいお茶と一緒に十万斤饅頭をそっと差し出してくれる月。
彼女のさりげない気遣い、そして優しい笑顔を見ていると、ほっと安心させられる。
俺にとって月との時間は、この殺伐とした世界に残された数少ない心のオアシスだった。
「関係ないフリをして、何ひとりで寛いでいるのかしら?」
喉元に『絶』の刃が突きつけられた。
雪蓮との喧嘩には持ち出さなくても、俺には武器を持ち出すんだな……。
胸の話を男の俺に振られても困るんだが、ここはフォローを入れておくべきか。
「大丈夫だ、華琳。俺はちゃんとわかってるから」
「太老……」
そっと指で刃を寝かせ、華琳の胸≠見て話す。
「華琳は貧乳じゃない。微乳だ」
「なんの話よ!」
次の瞬間、俺は屋根を突き破って星となった。
異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第128話『威厳と自覚』
作者 193
絶をバット代わりに人間を空高く弾き飛ばす、華琳の器用さには驚かされた。
いや、この場合、驚くところは腕力の方か?
幾らギャグ補正が働いているとはいえ、俺じゃなきゃ死んでるぞ。
「一応、俺って皇帝なんだよね?」
「そうね」
「この国で一番偉いんだよね?」
「そうね」
「なら、この扱いはないんじゃないかと思うんですが……」
それに、この扱いはどうかと思う。ただ求められたから正直に答えただけなのに理不尽だ。
今、俺は――鉄製の椅子にロープでぐるぐる巻きに固定されていた。
尋問じゃないんだから、まるで中世の魔女裁判に掛けられている気分だ。
「あなたに足りていないのは、ただ一つ自覚≠諱v
「いや、これでも自覚しているつもりなんだけど……」
俺ほど謙虚な人間はいないと思うが?
「全然足りてないわ」
「華琳の胸くらい?」
「フフ……なるほど、あれでもまだ足りなかったみたいね」
口は災いの元という言葉を俺は思い出した。
これでも自覚しているつもりなんだがな。華琳姫はお気に召さないらしい。
大体、庶民出の俺に皇帝の威厳を求めるのなんて、どう考えても無理って話だ。
「帝王学か……俺には縁もゆかりもないものだと思っていたけど……」
「そんなことないでしょ? 林檎にも確認を取ったけど、あなたも国や世界は違えど皇族の一員なのだから、そのくらいの教養は本来あって当然でしょうに。寧ろ、あれだけの知識を持っていながら、そうした勉強をしてこなかったというのが信じられないわ」
普通はそんな教養がある方が不思議だ。大体、山奥の田舎の村で、帝王学なんて教わる機会があるはずもない。精々、社交ダンス教室がいいところだろう。それだって参加者はジジババがほとんどだしな……。
「正確には眷属だけどな。それに皇族と言っても大勢いるし、俺は宮廷暮らしとは程遠い田舎出身なんで」
そもそも俺は名ばかりの皇族だ。そんなのでよければ、村のなかにゴロゴロしてるぞ。
皇家の樹と契約しているわけでもなければ、皇位継承権だってあるわけじゃないしな。
「……むしろを編んでたって言うんじゃないでしょうね?」
「なんで、むしろ?」
「桃香が以前にそんなことを言っていたのよ」
高そうな宝剣を所持していたり、中山靖王劉勝の末裔とか立派な肩書きを持ってはいるが、桃香も田舎の小さな村の出だ。言ってみれば、根っからの庶民の出だった。
母親と二人で暮らしていたと言う話だし、余り裕福な家庭ではなかったのかもしれない。それなら家計を助けるために、むしろくらい編んだことはあるだろう。活躍は期待出来ないが、畑仕事の経験もありそうだ。
「ううん、むしろは編んだことないけど、俺も工作は得意だったかな?」
材料を鷲羽の工房からくすねて、小学校の自由研究でロボットを自作したこともある。
今からすると大した出来ではなかったが、あの頃は習得した知識と技術を色々と試してみたくて、作るのに夢中になってたんだよな。
桃香のように家計を助けるためにやっていたわけではないが、畑仕事なんかは手伝っていた。
その経験が今こうして役立っているわけだから、何が役立つかわからないものだ。
「……何か違う気がするんだけど」
「自動むしろ編み機でも作るか?」
「便利そうだけど、話の趣旨がズレてるわよ?」
そう言えば以前、真桜が自動カゴ編み機とか作ってたな。爆発しちゃったけど。
あの頃から、真桜の作る道具は自動と言いながら半自動の中途半端な物が多かった。
発想は悪くないんだがな……。
「そう言えば桃香達、元気にやってるかな?」
「知らせがないのは元気にやっている証拠よ」
「でも益州には、きな臭い噂もあるしな……」
「桃香一人なら心配だけど、関羽達も一緒なんだし大丈夫でしょ?」
桃香の活躍に期待していないといった言い方だが、これでも華琳が桃香のことを気に掛けていることは間違い無い。
そもそも全く期待していないのであれば、どんな事情があっても、こんな重要な役目を桃香に任せるはずがなかった。益州解放戦の指揮に桃香を推薦したのは他の誰でもない。華琳自身だからだ。
「素直じゃないな。信頼してなければ、推薦しないだろうに……」
益州の件を桃香に任せた背景には色々と政治的な事情もあるが、その一つに俺のところや華琳のところでは、桃香の能力を発揮出来ないというのが理由にあった。
口の悪い言い方になるが、中山靖王劉勝の末裔と自称してはいるが、実際のところは金も権力もない田舎娘だ。
麗羽のような名家の生まれでなければ、華琳のように官職に就いているわけでもない。
一応、うちの商会に籍を置いてはいるが、うちは完全な実力主義だ。能力があれば、それなりに高い役職に就けるし仕事も貰えるが、お世辞にも有能とは言えない桃香に回せるような仕事はなかった。
せめて鈴々のように腕が立つとか、朱里のように頭が良いとか、何か特出した部分があれば話は別だったかもしれないが、剣術の腕は並以下、運動神経も余り良いと言えず、勉強は言わぬが花と言った出来。本当に私塾に通っていたのか不思議なくらいだった。
それこそ華琳の言うように、むしろを編ませるくらいしか、桃香に任せられる仕事は思いつかない。
長所と言えば、人に好かれやすいこと、子供に懐かれることくらいだ。
それも才能の一つと言えるが、それだけで世の中を渡っていけるほど甘くはない。
差し当たってすぐに思いつく職業は保母さんくらいだ。学校の先生は学力がな……。
「私が信用してるのは桃香の人脈よ。それに桃香が一番暇そうだったから、推薦しただけのことよ。多くを期待しているわけではないわ」
それは多くを期待しているわけではないが、少しは期待しているという意味でもあった。
(華琳が期待するってことは、桃香のことを認めてるって言ってるようなもんだしな)
人脈も、その人の持つ力であり才能の一つだ。そう言ったのは他ならぬ華琳自身だ。
華琳が桃香を推薦したのは、少なくとも桃香のためを思ってのこと。
桃香のことを認めていなければ、そもそもこんな回りくどいことをする必要もない。
大方、桃香を成長させるつもりで仕組んだのだろうと言うことはわかっていた。
「……何よ? 何か言いたそうな顔をしてるわね」
「いや、別に」
華琳が素直じゃないのは相変わらずだが、確かに今のままでは桃香の才能が開花することはない。だが逆を言えば、その能力を生かせる場さえ与えてやれば、大きく羽ばたける可能性があるということだ。
それに彼女なら悪政を敷く心配はない。人望も厚く、人格的には申し分無い以上、あと足りないのは経験と能力だ。そこは時間が解決してくれる問題でもある。あとは仲間が補ってくれると信じていた。
「また権力争いをするくらいなら、その方が益州の人達にとっても良いことだろうしな」
益州の置かれている状況から考えて、民が求めているのは侵略者ではなく救世主だ。
戦後の処理を考えても、華琳達が表立って動くのは得策とは言えない。最悪、領土分配や戦後の利権を巡って水面下で権力闘争が起こる可能性だってある。華琳達、国の指導者が納得しているからと言って、全部それだけで解決すれば苦労はない。
だとすれば、戦後の処理のことを考えても、桃香に任せるのは最良ではないにしても最善と言えた。
協力した分は投資というカタチにして、国としての体裁が整った後に金銭や貿易など別のカタチで返してもらえばいい。
想定される面倒事を回避出来るだけでも、華琳達には大きなメリットがあった。
「……何を考えているか大体想像はつくけど、それだけが理由じゃないわよ?」
俺の考えを読み、補足するように言葉を返す華琳。
「呉が表立って動かないのも、その方が都合がいいからよ。戦乱が終わり平和になっても、外部との戦争は終わらない。西には五湖の勢力が、南には蛮族が控えている。蜀の地は確かに魅力的ではあるけど、その分、西にも南にも気を配らなくてはいけないから負担も大きいのよ。今は少しでも力を蓄えておきたい時期だしね」
「桃香達を国を守るための盾にするってことか。腹黒いな……」
「どう捉えて貰っても構わない。それが国の指導者というものよ」
理屈は通っているが、今のは王としての考えであって、華琳個人のものとは違う気がした。
逆を言えば、それだけの力が桃香達にはあると認めているということだ。
それに、そうした名目があれば経済的に支援もやり易い。やっぱり素直じゃないと思った。
「それより続きをするわよ。太老には三日で全部覚えてもらうわ」
「三日って、幾らなんでも……」
「あなたなら、そのくらい簡単に覚えられるでしょ? あとは慣れの問題よ」
「……それって、自分を基準に考えて無いか?」
「太老の基準で考えていいなら、今日一日にするけど?」
それ、どこの超人ですか?
覚えるだけなら確かに三日あれば覚えられるかもしれないが、皇帝としての自覚を持てと言われても、三日どころか一年掛けても理解出来るかどうかわからない。いや、自分のことだからはっきり言えるが絶対に無理だ。
皇帝らしく威厳に満ちた自分を全く想像出来ないしな……。
「庶民派皇帝ってことで手を打たない?」
「バカ言ってないで、さっさと始めるわよ」
にべもない。取り付く島もなかった。
【Side out】
「ちょっと太老を屋台に誘っただけで、華琳も融通が利かないんだから……」
「で、奢らせるつもりだったのか?」
周瑜の的を射た言葉に、ギクッと身体を硬直させる孫策。
「や、やーね。そんなわけないでしょ!」
「図星か。程々にしておけよ。今度請求書が届いたら、お前を差し出すことになるかもしれないからな」
「じょ、冗談でしょ?」
「だといいな」
今の周瑜はやると言ったらやる。孫策の勘が、そう告げていた。
さすがの孫策も借金のカタに売り渡されるのは嫌なようで、ここは黙って言うことを聞いておくべきか考える。
しかしそこで、ふとしたことに彼女は気付いた。
「あっ、でも太老にならいいかも。うん、それって名案じゃない?」
太老に売り渡されるのなら、寧ろ好都合。董卓も色々とあって太老の専属侍女をやっているくらいだ。そうなったら借金もチャラになって、堂々と太老の傍にもいられる。なんとも一石二鳥な案だ。
名実共に太老の物になれば、曹操だって邪魔を出来ないはず。これは名案かもしれないと孫策は考えたのだが――
「本当にいいのか? 勤め先は異民族との最前線だぞ?」
「ちょっ、何よ、それ!」
孫策の期待は周瑜の一言で裏切られた。
「ほとんどは商会からの請求書だ。商会の代表をしてはいても、だからと言って彼は商会を私物化しているわけではない。お前と違ってな」
「ぐっ……」
「となれば、商会の部署に配置されることになるわけだが、あそこは能力に応じた仕事が割り当てられると言う話だ。なら、大体どこに配置されるかは予想がつく。よかったじゃないか、雪蓮。好きな戦場で働けるのなら、これ以上の職場はないだろう?」
呉を私物化している自覚はあったのか、言葉に詰まる孫策。
嫌味たっぷりに親友に皮肉を言われ、反論することすら出来なかった。
「太老がいないなら意味がないじゃない……。冥琳、やっぱり本気で怒ってない?」
「そう見えるのなら、少しは自重しろ。お前も小蓮様と一緒に学校に通ってはどうだ?」
遠回しに子供からやり直せと言われて、さすがに孫策もへこんだ。
「何よ、冥琳のバカ!」
と、孫策が叫び部屋を飛び出そうとした、その時だった。
バタンッ――と大きな音を立て、勢いよく部屋の扉が開かれ、
「ふぎゃ!」
開かれた扉に頭を打ち付け、孫策は後ろに倒れ込んだ。
「な、なんのよ……明命?」
余程痛かったのか? 目尻に涙を浮かべ、元凶を睨め付ける孫策。
だが次の瞬間、孫策の表情が驚きに変わった。
全身を傷だらけに息を切らせ、転がるように部屋に駆け込んできたのは周泰だったからだ。
「そ、孫策様!? あ、あの……すみません。大丈夫ですか?」
「それより明命。あなた、その怪我……一体、何が?」
「明命、どうしてここにいる? 何か報告があったのではないか?」
彼女は現在、劉備軍との連絡役で益州に派遣されているはずだ。
その彼女が何故、傷だらけの身体で洛陽に現れたのか?
「ほ、報告します!」
ただならぬ気配を感じ取り、孫策と周瑜の表情は険しさを増していく。
「桃香様の軍は敗退。一刀様も行方不明に――」
――劉備軍敗退。それは誰もが予想をしなかった結果だった。
……TO BE CONTINUED
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