【Side:太老】
「それじゃあ、続きをするわよ」
「やっぱりするんだ……」
てっきり中止になったと思っていた華琳のスパルタ特訓は意外にも早く、会議の翌日から再開した。
俺に皇帝としての威厳と自覚を持たせようというのが、華琳が執拗に帝王学を教えようとする一番の理由らしいのだが、忘れてくれていてよかったのにとか、やるだけ無駄な気がするというのはここだけの話だ。
(やる気をだしてる華琳を止められるはずもないしな)
何故か知らないが、華琳がやる気をだしている以上、下手なことは口に出来ない。
それに華琳も悪気があってのことではない。俺のためを思ってのことだ。威厳が足りていないのは自覚していた。
少なくとも華琳から心構えを習うことは、皇帝を演じる上で無駄ではないと考えていた。
というか、皇帝って何をすればいいのか、実際のところよくわかっていない。皇帝になって何か変わったかと言えば、『陛下』と言う呼び方が増えたことと、揚羽からこの国の玉璽を託されたくらいだ。
目に見えるところで変わったことといえば、商会の仕事に皇帝の政務が増えただけだった。
(あれ? これって仕事が増えただけじゃね?)
前と扱いが変わったとは思えないし、特に何かグレードアップした気はしない。
元々、宮廷の一角に屋敷を貰っていたので、そこに今も変わらずに住んでるしな。
色々と身構えていただけに拍子抜けというか、こんなものかというのが正直な感想だった。
「――ロウ、太老! 聞いてるの?」
「あ、うん」
「たるんでいるわよ」
うっ、集中しないとな。こんなことで威厳と自覚が身につくのか甚だ疑問ではあるが、こんな態度では貴重な時間を割いて教えてくれている華琳に失礼だ。
「でも、皇帝って今一つ想像が出来ないんだよな……」
「目標とする人物とか、尊敬する偉人とかいないの?」
目標とする人物に、尊敬する偉人か。今一つ、ピンと来ない。
こう言っては悪いが、揚羽では参考にならないんだよな。幼女皇帝――これはこれで絵になるが、俺の持つ皇帝のイメージとのギャップが大きすぎる。いっそ、知っている身近な人物に当て嵌めて考えてみるか。樹雷皇とか……。
「どうしたの?」
「いや、俺のなかの皇族のイメージって、なんか可哀想な人が多くて……」
同情しか湧いて来なかった。
「可哀想か……。太老、やはり気になっているの?」
「気になってる?」
「益州のことよ。心配なんでしょ?」
そりゃ、心配だ。無茶苦茶、気になっている。本音を言えば、自分で行きたかったくらいだ。
別に華琳の特訓を受けたくないとか、皇帝の仕事が嫌で逃げ出そうと言う訳ではない。
調査と言っていたが、林檎にこのまま任せることが不安だったのだ。
「そりゃ、心配だよ……」
地形を変えたクレーター事件は、俺達の世界では有名な観光名所、銀河アカデミー名物の『鷲羽の毛穴』を彷彿とさせる大騒動となった。
川の流れが変わり、突然大きな湖が現れたのだ。騒ぎにならないはずがない。
観光名所とする動きもあるみたいだが、そのことを考えると頭が痛かった。
「もしかして、心配してくれてたのか?」
「そ、そんなわけないじゃない! 身が入ってないようだから気になっただけよ!」
俺が元気がないのを心配してくれているのかと思ったのだが、気の所為だったらしい。
そこまで全力で否定することないと思うんだが……。
何はともあれ――
「無事だといいな」
「……そうね」
桃香や一刀達のことも心配だが、今は無事に終わってくれることを祈るばかりだった。
【Side out】
異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第130話『馬岱の成長』
作者 193
【Side:華琳】
「素直じゃないんだから」
太老の態度を見ればわかる。桃香達のことが気になっていることは間違い無い。
林檎に行かせるのでは無く、本当なら自分が行きたかったという顔をしていた。
少しでも気分転換になればと考え、誘った特訓に身が入っていない様子からも、それは一目瞭然だった。
「それは私も同じか……」
素直に心配だと言えればいいのに、どうしても強がってしまう。
他人に甘えることに慣れていないのは、私も同じだった。
「あの様子だと、私達が反対しても止まるとは思えない」
一番の心配は、私達の目を盗んで太老が益州へと向かうことだ。それだけは絶対に避けたかった。
林檎の報告や今後の情勢次第では、益州との全面戦争も覚悟しないといけない。その時、一番心配されるのが太老の行動だ。
本来であれば立場上、太老にはここを動かないで欲しいのが本音だ。
とはいえ、他人に任せて自分だけ安全なところにいられるような男でないことは理解していた。
「やはり、手は打っておくべきね」
それに天の御遣いは行動と結果で、民の声に応えてきた。
最悪の事態に天の御遣いが動かないということになれば、今まで築き上げてきた実績に傷が付くことになりかねない。
劉備軍が敗退した話は、何れ民の耳にも入る。その時、私達が取るべき行動は限られていた。
「まさか、こんなことになるなんてね。でも、良い機会かもしれない」
太老が皇帝に即位するのと同時にこんな報告が入るのは、さすがに私も予想していなかった。
それだけに不安要素も大きいが、逆に私達にとっては良い機会でもあると考えていた。
私が太老を皇帝に推したのは、太老をこの世界に束縛するためではない。
主君と臣下。曖昧な私達の関係を明確にするためだ。
太老の力になるには、太老に恩を返すには、これしかないと私は考えた。
理想が高く、誰よりも貪欲に見えて、行動に見返りを求めるような男ではない。
普通のやり方では、太老は私達の感謝を受け取ってくれないとわかっていた。
――太老は優しすぎる。
それが太老の行動の原動力であり、強さの秘密だということはわかっている。
それでも私は、その太老の優しさに甘えたく無かった。
いつか、その優しさが太老を傷つけてしまうような気がしてならなかったからだ。
「桂花、予定が少し早まりそうよ。例の件、急がせて頂戴」
「はい。ですが、益州の話は聞いていますが、まさか華琳様がでられるのですか?」
部屋で帰りを待っていた桂花に指示を飛ばす。
「念のためよ」
この心配が杞憂となることを、今は祈るばかりだった。
【Side out】
「やああああっ!」
調練場に馬岱と、彼女の叔母であり西涼の盟主でもある馬騰の姿があった。
馬岱や馬超がそのまま歳を重ねたかのような美人。とても子供がいるとは思えない引き締まった身体をしていた。
「はあっ! やあああっ!」
手にした槍で、馬騰を攻める馬岱。風を切るその音からも、馬岱の攻撃の鋭さが窺える。
「なかなかやるようになったの。だが――」
そんな馬岱の猛攻を前にしても、馬騰は余裕のある笑みを浮かべていた。
先日まで、病気で床に伏せっていた人物とは思えない足の運び。まだ一度も槍を使わず馬岱の攻撃をかわしていることからも、その実力の一端が窺える。
公平にして勇猛、五胡の間にも勇名を轟かせる豪傑にして、西涼の諸侯を束ねる稀代の名将。その名に偽りはなかった。
「まだ、甘い」
「ぐっ!」
姉の忘れ形見、馬岱の成長を確かめるように、馬騰はこの戦いを楽しんでいた。
槍の一撃では無く、馬騰の鋭い回し蹴りが馬岱を襲う。
しかし馬騰の一撃を柄の部分で受け止め、後に跳ぶことで馬岱は威力を受け流した。
「ほう……」
これには、馬騰も目を見開いて驚く。
以前の馬岱なら、確実に避けられるはずもないタイミングで放った一撃だったからだ。
「今のを防ぐか」
素直に感心すると共に、馬岱の成長を馬騰は喜んだ。
旅にだして僅か数ヶ月で、以前の馬岱とは比べ物にならないほどの成長を遂げていたからだ。
勿論、一般兵に比べれば、馬岱は以前から飛び抜けた実力を持っていた。だがそれも並と比較すればだ。
馬騰や、馬超のように常人離れした力を持っているわけではなく、経験や技量もまだまだ二人に比べれば未熟だった。
若さの分、経験で劣るのは仕方がないとして、今まで馬岱が強くなれなかったのはその性格故だ。
馬岱は馬超と違い、戦いが好きと言う訳でも無い。毎日の鍛錬が嫌と言う訳ではないが、世が世なら槍など持たずに年相応の少女らしく、恋に遊びと毎日を楽しく過ごしていたかもしれない、武人には不向きな性格をしていた。
「驚いたの。いつの間に、それほど腕を磨いたのだ?」
「へへん、驚いたでしょ。たまに、ご主人様に稽古をつけてもらってるからね」
「なるほど、天の御遣いか。優れた武人と聞いてはおったが……」
優れた武人が、優れた師匠になるとは限らない。呂布が良い例だ。
天才が努力をしていないとは言わないが、持って生まれた才能の壁は大きい。才能のない者や弱者の悩みは、天才には本当の意味で理解は出来ない。大陸最強と謳われる呂布でさえ、太老に破れ、挫折と自らの限界を知ることでより強くなった。
「よい師に巡り会えたようだの」
馬岱の成長から、太老が師としても優れた人物であることを馬騰は評価した。
太老はわかっていてやっているのか甚だ疑問ではあるが、弱点や個性を見抜くことに関しては特出した観察眼を持っていた。馬岱の動きから硬さが抜け、一皮剥けたのは太老のアドバイスがあったからだ。
正々堂々、武人らしく型に嵌まった戦い方は、馬岱の持ち味を殺す。
武人に不向きな性格をしていることが、逆に戦術の幅を広げ、馬岱の強さの秘密となっていた。
「ここから本気で行くよ。母様にだって勝っちゃうんだから!」
「面白い。どれほど成長したか、見せてもらうぞ」
先程とは一転して、真剣な表情で槍を構える馬騰。
それは馬岱を姉の娘としてではなく、対等の敵と認めた証でもあった。
◆
「あう……勝てると思ったのに……」
「まだまだ甘いと言いたいところだが……」
正直、危なかったというのが、馬騰の素直な感想だった。
先程まで二人の戦っていた調練場は、見るも無惨な荒れ果てた場所へと変わっていたからだ。
「……蒲公英。御遣い殿に何を教わったのだ?」
「えっと、戦い方? 蒲公英なら『とらっぷますたー』になれるって言われて」
「とらっぷますたー? なんだ、それは?」
聞いたことのない言葉に首を傾げる馬騰。
「負けないための戦い方って、ご主人様は言ってた」
「負けないための戦い……」
「やっぱり、ご主人様みたいにはいかないや。もっと練習しないと」
一見、闇雲に攻めているように見えて、馬岱は幾つのも罠を攻撃に忍ばせていた。本気で行くというのは、罠を張り終え、準備が整ったという合図だ。
今回は事前に準備をする時間がなかったので即席の罠しか用意出来なかったが、これが事前にわかっていた戦いだったなら、また結果は違っていただろう。勝負には勝ったが、馬騰が素直に喜べない理由がそこにあった。
(林檎殿の主人と言うからには優れた御仁とは思っておったが、想像以上のようだの)
馬岱のやったことは武人の戦い方としては余り褒められたものではないが、これが戦場であったなら卑怯と罵ることは出来ない。訓練で幾ら勝てたとしても、実戦で生き残れなければ、そこで終わりだ。潔く戦場で命を散らすのも武人の生き方かもしれないが、帰りを待つ家族の元へ生きて帰ることも大切なことだ。
そのことから馬岱の話す『負けないための戦い方』とは、無事に生きて帰るための戦い方だと馬騰は考えた。
「優しい御仁のようだな」
「うん。ご主人様は変だけど、とっても良い人だよ」
馬騰は太老の人格や能力に疑いを持ってはいなかった。そうでなければ劉協が了承しているとはいえ、曹操の案に乗って太老を皇帝に即位させる手伝いなどするはずもない。漢の将軍であり西涼の諸侯を率いる馬騰にとって、皇帝との盟約はそれほどに重いものだった。
洛陽に出向いたのも本当のところは、自身の目で太老が皇帝に相応しい人物かどうかを見極めるためだ。その結果は言うまでもない。
太老が有能で優れた人格の持ち主であることは、太老に付き従っている人物達の人柄や性格、それに馬岱がよく懐いていることからも明らかだったからだ。少なくとも今回のことで、馬騰のなかの太老の評価は固まった。
だからと言って今までと何かが変わるわけではないが、代々この国を治める皇帝と交わし続けてきた盟約を思いだし、西涼を預かる一族の長として、再度そのことを馬騰は考えさせられた。
「母様は、しばらく洛陽にいるの?」
「うむ、益州の件もあるしの。しばらくはここに滞在するつもりだ」
母と慕う馬騰の口から『益州』の名を聞き、馬岱は表情を暗くする。
まだ関係者以外には口外しないように箝口令が敷かれているが、馬岱も益州で起こったことは知っていた。
それだけに一刀の護衛として益州に向かった馬超のことを、密かに馬岱は心配していた。
「姉様、大丈夫かな?」
「心配か?」
「少し……でも、姉様のことだから元気にしてると思うけど」
幼い頃を一緒に過ごした従姉妹だから、馬岱は馬超の強さを誰よりもよく知っている。そして簡単に死ぬような馬超ではないことを、そのしぶとさもよく理解していた。
だからと言って心配でないと言えば嘘になる。そんな馬岱の気持ちを察してか、馬騰はポンと馬岱の頭に手を載せ、
「翠はバカだが、実力だけは確かだからの。心配はいらんよ」
くしゃくしゃと、その小さな頭を撫でた。
「だよね。姉様、皆に迷惑をかけてなければいいけど」
「それは難しいかもしれんの」
これも家族だから言えることなのだろうが――二人とも言いたい放題だった。
……TO BE CONTINUED
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