「そうか。曹操がそのようなことを」

 洛陽から戻った陸遜に会議の結果を聞いた周瑜は、その話に納得した様子で頷く。
 各国の代表を集め、魏の提案で開かれた連合会議。曹操の心の内までは読めなくても、この会議の思惑が最近活発な五胡の動きと太老の失踪に関係していることに、最初から周瑜は気付いていた。

「誇りを持つことは大切だが、それだけでは国を維持することは出来ない。無い袖は振れないか……」

 これで呉は魏に対して、更なる借りを作ったことになる。しかしそのことで陸遜を、周瑜が責めることはなかった。
 呉の実情を考えれば、陸遜の取った行動は間違っていないと彼女も理解していたからだ。
 孫権の補佐に経験の浅い呂蒙ではなく陸遜を付けたのは、やはり正解だったと周瑜は考える。

(情報を精査するのに時間をかけたのは確かだが、事前に情報を与えず会議を開いたのは、国に戻って協議をする時間を与えないためか)

 結論を急がせるために、曹操がこのような策にでたことは予想がつく。
 しかし、わかっていたところで、この提案を断ることは出来なかっただろうと周瑜は考えた。
 それほどに残された時間が少ないと言うことだ。

「蓮華様は最後まで悩まれていたようですけど……」
「蓮華様なら大丈夫だ。それが必要なことなら、受け入れてくださる」

 理解はしているが、納得できない。そうした孫権の気持ちを周瑜は代弁する。
 呉の王として、他の王から施しを受けることに孫権は抵抗を感じていた。
 理由はどうあれ曹操の施しを受けるということは、呉が魏よりも下と認めることに他ならない。
 事実、呉は既に返しきれないほどの施しを魏から受けている。返すあてがあればいいが、それも今の呉の経済状況では難しかった。

「何、見返してやればいいだけの話だ。いつか曹操には利子を付けて返してやればいい」

 周瑜も、それが難しいことは理解していたが、今は希望に縋るしかなかった。
 ここで呉が滅びるようなことがあれば、その可能性は完全に潰える。
 故に、今は生き延びる選択をする。それが周瑜と陸遜のだした答えだった。

「雪蓮様なら、どうされたと思いますか?」
「雪蓮か……」

 陸遜の質問に、周瑜は困った顔を浮かべた。
 孫策は一言で済ませてしまえば、自由奔放。気ままな猫のような性格をしている。だが、考え無しではない。

 ――英雄の資質と、鬼神の如き強さ。

 それは母、孫堅から受け継がれた孫策の才能を示す力ではあるが、孫策のすべてではない。
 ただ強いだけの猛者なら少なからずいる。だが英雄として名を挙げる武人はいれど、人の上に立つ王の資質≠ニはまた異なるものだ。
 例えるなら猛獣のような動物じみた野生の感覚。僅かな違和感から真理に行き着く、優れた洞察力を持っているからこそ、孫策は王たりえた。
 そして、それは孫権にはないものだ。

 ――孫権に孫策の代わりは務まらない。

 だが、それは王の資質で孫権が孫策より劣っていると言う訳ではない。
 寧ろ、王の器だけを問うなら、孫策より妹の孫権の方が上だと周瑜は考えていた。

(まだ、蓮華様には早かったか? 雪蓮の勘がはずれるとは思えないが……)

 孫策があっさりと王の座から退いたのは、いつもの悪い癖が出ただけではないだろう。
 これからの呉に必要なのは自分ではなく、孫権の力だと考えたからこそ、孫策も王の座を妹に譲った。
 少なくとも彼女と苦楽を共にしてきた周瑜には、そのことがわかっていた。

「雪蓮なら迷わず、こう言うだろうさ――」





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第145話『王の器』
作者 193






【Side:蓮華】

「――呉の女なら、男を奪うくらいの気概を見せなさい」

 一瞬、雪蓮姉様が何を言っているのかわからず思考が停止する。

「だから、華琳に太老を取られそうで、それで焦ってるんでしょ?」
「なっ!? 何故、そのような話になるんですか!」

 呉の実情を考えれば、魏の提案を受けざるを得ないことくらいはわかっている。
 しかし、王としてその判断が正しかったのかどうか、私は迷っていた。
 だからこそ、姉様に心の内を明かしたというのに、どうしてここで太老の名前が出て来るのかわからない。

「太老は関係ありません。私は国のことを考えて――」

 私は、この国の王だ。国のことを考え、民を守っていかなくてはならない。
 そのことと太老は関係ないはずだ。

「呆れた。本気でそんなこと言っているの?」
「それは、どういう……」
「不器用だとは思っていたけど、これは重症ね」

 やれやれと言った様子で、ため息を漏らす姉様。
 その仕草に不快なものを感じるが、ここはグッと我慢をする。
 姉様と、こんなことで言い争っても話は進まない。余計にややこしくなるだけだ。

「まだシャオの方が、そこのところわかっていそうね」
「……どうして、ここでシャオの名前が出て来るのですか?」

 この話の流れでシャオの名前がでてくることが腑に落ちない。
 姉様が何を考えているのか、わからなかった。

「あら? 聞いてないの?」
「何をです?」
「シャオなら太老に良いところを見せるんだって、明命と特訓中よ」
「はあ!?」

 あの会議の後、シャオは私達と一緒に呉へと帰ってきた。
 あれほど呉に帰ることを拒んでいたシャオが素直に帰ると言ったことに、何を企んでいるのか不審に思っていたけど、明命と鍛錬に励んでいるということは次の戦いに参加するつもりなのだろう。
 それでシャオの行動にも納得が行く。しかし――

「姉様、まさか……」
「あの子がやりたいって言うんだから、好きにやらせてあげなさい」
「ですが、シャオはまだ子供です。ただの(いくさ)ではないのですよ? 何が起こるか――」
「シャオも孫呉の女よ」

 ――覚悟は出来ている
 と姉様は言いたいのだろうが、幼いシャオを戦いにだすことに私は気乗りがしかなかった。
 しかし、シャオはああ見えて強情だ。一度こうと決めた以上、絶対に意志を曲げないだろう。

「わかりました。まったく誰に似たのか……」
「あの強情なところは蓮華じゃないの?」
「あの自由奔放なところは姉様似です」

 姉様だけには言われたくない。
 でも、それ以上、言い返せない自分が悔しかった。

「あなたは難しく考えすぎなのよ。もっと本能の赴くままに人生を楽しまなきゃ」
「姉様みたいに、お気楽にはなれません。昼間から酒を飲んでいられる身分ではありませんから」
「……言うようになったじゃない」

 事実だ。私がそのことを知らないと思ったら大間違い。証人は大勢居る。
 冥琳の目を盗んでは街に足を運び、昼間から酒に酔う毎日。私達に何の相談もなく勝手に王を辞めて隠居したかと思えば、仕事もせず自由気ままに遊び回っている姉様に、私の気持ちなんてわかるはずもない。
 大体、最初の質問にだって、まだちゃんと答えてもらっていなかった。

「話をはぐらかさないでください」
「はいはい。それで、蓮華はどうしたいのよ?」
「私は国のためを思って決断したつもりです。ですが――」

 王として正しかったのかわからない。だから、姉様の意見を聞きたかった。
 普段の生活態度を見ていると、どうしようもなくダメな姉だけど、私は王として姉様を尊敬している。朧気ながら記憶に残る母様と同じくらいに、気高く強い姉様は私の目標だった。
 それは王となった今も変わらない。口にはださないが、私は姉様のように強い王になりたいと考えている。
 だから、あの決断が正しかったのかどうか自信が持てない。
 ただ流されてしまっただけではないかと。もっと別にやりようがあったのではないかと。
 考えても出るはずのない答えを、ずっと探し続けていた。

「それって、もう答えが出てると思うんだけど? あなたは王として国のことを思って決断した。なら、迷うことなんてないでしょう?」
「でも、姉様だったら、もっと上手く――」
「やれないわよ。借金までしてる私に何を期待してるのよ……」

 呆れた様子で、そう話す姉様。

「敢えて言うなら、好きにやりなさい。あなたは周りのことを気にしすぎ。王なんて独善的でいいのよ」
「姉様と私は違います……」
「ええ、そうね。私と蓮華は違う、別の人間だもの」

 私と姉様は違う。
 わかっていたこととはいえ、そう姉様に言われると胸が痛んだ。
 私には王は務まらない。そう言われているように聞こえたからだ。

「蓮華は、この国が好き?」
「当然です」
「私も好きよ。でも、それと同じくらい太老のことが好き」
「なっ! それと私の話になんの関係が――」
「同じよ。太老のことが私は好き。だから太老が望む平和を、そこに住む人達を私は守りたい」
「……気持ちはわかります。ですが、私は王としてこの国のためにっ!」

 王の責務と、その重圧。葛藤を姉様にわかって欲しくて、言葉を荒げる。
 私には、これ以上どうすればいいのかわからなかった。
 所詮は与えられた役目だ。私には二人のような功績も力もない。だから、せめてこの国を少しでも良い方向に導こうと、王として私なりに努力してきたつもりだ。
 でも、どうしても届かない。今は亡き母様の影。そして姉様の背中に、王となった今も追いつける気がしない。

「太老が望む平和、守りたいもののなかに私達やこの国が入っていることも、当然わかって言っているのよね?」
「それは……」

 わかっている。いや、わかっていながら目を背けていた。
 それでも私は国を優先しなくてはならない。
 呉の王として民のために、必死に王であろうとしていた。

「これ以上、自分の気持ちに嘘を吐くのはやめなさい」
「それは……王を辞めろということですか?」
「そうしたいなら好きになさい。でもね、蓮華。誰も他の人にはなれない」

 誰も他の人になれない。
 そう話す姉様の言葉は自分のことのように、どこか寂しそうに感じた。

「悩むだけ悩むといいわ。でも余り遅いと、私が先に太老を頂いちゃうわよ」

【Side out】





 月の下、孫策と周瑜は久方ぶりに友として酒を酌み交わしていた。
 強引に仕事で疲れている周瑜を酒の席に誘ったのは、言うまでも無く孫策だった。
 最初は昼にあった孫権との話から入り、今は懐かしい昔の話に花を咲かせていた。

「……私も母様に憧れていたわ。いえ、今も尊敬している。でも、私は私。母様のようにはなれなかった」
「文台様か。あの方は色々と規格外だったからな……」

 覇王の器と言う意味では孫策は疎か、あの曹操でさえ、今は亡き孫堅に敵わないと周瑜は考えていた。
 話を聞けば、耳を疑うような逸話ばかりを残している鬼神。英雄という例えさえ生温い、非常識の塊。規格外という意味では、太老とためを張るだろうと思われる人物こそ、孫姉妹の母だった。
 孫策の自由奔放さと腕っ節の強さは母親譲りと言えるだろうが、それでも孫堅には遠く及ばない。

「太老の非常識さを私達が受け入れることが出来たのって、母様のお陰よね」
「軍師の立場として言わせてもらえば、あの方も天の御遣いと同類だ」

 昔を懐かしむというよりは、月を見上げ、遠い目を浮かべる孫策と周瑜。
 孫権はまだ幼かったこともあり、母のことは朧気にしか記憶にない。武勇伝などは人伝に聞いたものばかりだ。故に実感はないだろうが、この二人は孫堅の非常識さを目の当たりにしていた。
 まだ子供だった孫策と周瑜を自分の乗る馬の鞍に括り付け、三千人ほどいた敵本陣に単身突撃し、笑いながら兵を虐殺したという昔話まで出て来るほどだ。
 話に誇張がかかっていると普通なら思うだろうが、これは嘘偽りない事実だった。

「しかし蓮華様の件は他に言いようもあっただろうに……。本当に王を辞めると言いだしたら、どうするつもりだ?」
「本気で言ってないでしょ? あの子は私と違って責任感が強いから、そんなことにはならないわよ。それに蓮華は妹である前に、恋敵でもあるのよ!」

 妹のことは心配だが、太老のことは譲るつもりはない。
 そんな孫策の思いのほか子供じみた理由に、周瑜は苦笑を漏らす。

「小蓮様も頑張っているからな。案外、あの方が一番早いかもしれないぞ」
「冗談でしょ!? シャオには絶対に負けられないわよ!?」

 末の妹にまで負けたとあっては、姉の沽券に関わる。ましてや色恋沙汰で。
 年長者の余裕と言えば聞こえはいいが、妹達に助言して男を取られたとあっては、ただの道化だ。
 故に、幾ら二人が可愛くても、これだけは絶対に譲れないと孫策は意気込んだ。

「太老が戻ったら、まずは既成事実を……」

 ブツブツと怪しい企てを呟く孫策を横目に、周瑜は見て見ぬフリを決め込む。
 こうなった孫策が止まらないことは、付き合いの長い彼女が一番よくわかっていたからだ。
 それに御遣いの血が呉に入るのであれば、誰が一番最初でもよかった。

(御遣い殿には悪いが、これも呉のためだ)

 民が生き神として仰ぎ、崇拝する人物。その血を取り入れることは、そのまま民の信仰に繋がる。だからこそ、国の威光をより強固にするために、王族には太老の子を宿してもらう必要があった。

「当然、冥琳も協力するのよ!」
「……は?」

 しかして、策士策に溺れる。
 既に自身も太老の因果に絡め取られていることを、周瑜は知るよしもなかった。





 ……TO BE CONTINUED



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