益州、成都――。
 現在、商会が支部を構え、『仲』の首都機能が集約している大都市に激震が走った。

 ――五胡の大侵攻。

 二百万を超す大軍勢が西の国境を破り、益州へ侵攻を開始したという知らせを受けたためだ。

「美羽と七乃が逃げた!?」

 その最中、袁術と張勲の二人が五胡との戦いのために蓄えていた物資を掠め取り、城から姿を消したと鳳統から報告を受けた一刀は余りの話に唖然した。

「何を考えてるんだ。こんなことを皆が知ったら……っ!」

 王が国を捨て、逃げるなど本来あってはならないことだ。
 国とは、そこで暮らす庶人の盾となり矛となることで対価として労働力や資金を得ている。
 なのに税だけを納めさせ、肝心な時に守ってくれないようでは意味がない。
 下手をすれば暴動が起こりかねない大事だけに、一刀が怒るのも無理のない話だった。

「あわわ、ごめんなさい……」
「いや、雛里ちゃんを責めたわけじゃ……」

 思わず怒鳴ってしまったことを謝罪する一刀。
 ここで誰かを責めても解決しない問題であることは彼もわかっていた。
 起こってしまったことを悔やむことよりも、これからどうするべきかを考えることだ。

「五胡との戦いを前にこれじゃあ……作戦に支障は?」
「いえ、特には……」
「へ?」

 仮にも王が民を捨て、戦う前から逃げ出したのだ。
 もっと深刻な事態に陥っているかと思えば、鳳統は落ち着いていた。
 そんな鳳統の態度に、怪訝な表情を浮かべる一刀。理解できないのは当然だった。
 しかし、その理由も鳳統の次の一言で解決する。

「袁術さんが自分からでて行ってくれたことで、軍の全指揮権がこちらに移って作戦が立てやすくなりましたから」
「ああ……」

 指揮権の問題で揉めるくらいなら、最初からいない方がいい。袁術の力など、鳳統は最初からあてにしていなかった。
 袁術に期待している者はここに誰一人いない。諸葛亮がいても同じことを言っただろう。
 民とて、この国の実質的な支配者が袁術でないことを理解していた。

「それに持ち出された物資も馬車一台分。そのほとんどは蜂蜜などの趣向品ですから、兵站にも大きな影響はありません」

 誰にも気付かれず、二人で持ち出せる物資の量など高が知れている。
 確かに馬車一台分となれば結構な量になるが、数万の兵を養うために必要な物資の量からすれば微々たるものだ。
 それに(いくさ)の前と言うこともあって、商会には大量の物資が集められていた。
 それに元々、袁術の奪った馬車は彼女に献上されるはずの蜂蜜を載せた馬車だった。
 手切れ金として袁術に譲ったとしても、なんら商会の懐は痛まないということだ。

「ようするに、まったく影響がないってこと?」
「寧ろ、いない方が助かってます」

 さらっと毒を吐く鳳統。責任を放棄して逃げたとはいえ、酷い言われようだった。
 ただまあ、余計な口をだされるよりはいない方がマシだ。
 傀儡ならまだいいが、袁術はいるだけで邪魔になる。それが彼女達の共通見解だった。

「まあ、それならいいの……かな?」

 腑に落ちないものを感じつつも、どうにか自分を納得させる一刀。先程まで感じていた怒りはどこかに消え、邪魔者扱いされる袁術達を哀れにさえ感じていた。

「でも、仕方ないか。裏切られた人達の気持ちを考えるとな……」

 すべては自分で撒いた種。同情の余地はどこにもない。
 仲間を騙し、信頼を裏切って得た地位などで、本当の信用を得られるはずもない。
 一刀も同情こそすれ、ここまでのことをしでかしては袁術を擁護する気にはなれなかった。
 この件で一番の被害者は、二度に渡って支配者に裏切れた民達だ。
 劉璋の悪政から解放されたと思えば、今度は袁術に裏切られ、これでは民が悲惨すぎる。

「そこで一刀さんに一つ頼みがあるんです……」
「頼み?」
「一刀さんにしか頼めないことで……その……ダメでしょうか?」

 ――ドクンッ!
 一刀の胸に衝撃が走る。
 もじもじと恥ずかしそうに、胸の前で両指を交差させる鳳統。
 小さな女の子に上目遣いでお願いされて、ダメと言える男はいない。

「お、俺に出来ることならなんでも言ってくれ!」

 一刀もそんなダメな男の一人だった。

「あわわ……そ、それじゃあ、この国の代表をお任せしましゅ!」
「おう、どんと任せ……」

 そこで一刀は気付く。
 それが『孔明の罠』ならぬ『士元の罠』だったことに――

「はああああっ!?」

 気付いた時には、何もかもが遅かった。





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第149話『蜀の王』
作者 193






【Side:一刀】

 仲改め、蜀の王となった北郷一刀です。
 緊急事態ということもあって略式とはいえ、こんなカタチで『蜀』が誕生するとは思ってもいなかった。
 しかも俺が王様。なんの冗談だ?
 皇帝の任命状に、各国の王の推薦状。こんなものをいつの間に用意したのか?
 気付いた時には、すべてが終わった後。退路は完全に断たれていた。

「太老って失踪中なんだよな? それに王の推薦状って、こんなものをいつの間に……」
「任命状は、お兄さんが失踪する前に用意してあったものです。推薦状の方は先日、洛陽で開かれた会議の席で用意して頂きましたー」

 さらっと重大なことを言ってのける風。思わず眉間にしわが寄る。
 この任命状を持って軍議の席に現れたのが風だった。
 話の流れからして出来すぎている。

「そんな前から? なんとなく嵌められた気がするんだけど……」
「いえいえ、気の所為ですよー。これも人望あってのことかとー」

 俺に人望があると言われても、今一つピンと来ない。
 それに用意周到すぎる。まるで美羽が失脚することをわかっていたかのようだ。
 ……予想していたんだろうな。雛里や風の態度を見ていると、そうとしか思えなかった。

「でも、俺なんかより、こういう役目は桃香の方がよくないか?」

 最後の悪あがきとばかりに桃香を推薦する。
 成り上がり者という点ではお互い様かもしれないが、俺と違って桃香には靖王伝家という宝剣と中山靖王劉勝の末裔という箔がある。

「中山靖王劉勝の末裔なんだろ?」
「あわわ……それを言ったら、一刀さんはご主人様の代理……ですよね?」
「……代理って、そんなに偉いの?」
「ええと……御遣いの名を許されたということですから、ご主人様の次くらいには……」

 予想もしなかった雛里のツッコミに驚愕する。
 あの人の次って、それって皇帝の次ってことで実質この国のナンバー2じゃないのか?
 交換条件に引き受けたことなのに、とんでもなく名誉なことらしい。
 でもこれって、明らかに面倒事を俺に押しつけようとするあの人≠フ企みだよな?
 尚更、納得が行かないんだが……。

「でも、桃香は皆からも信頼されてるし……」

 桃香の魅力は、あの豊満なおっぱい……ではなく優しさだ。
 あの笑顔を見ていると不思議と幸せな気持ちになれる。それは彼女の周りに集まっている人達を見れば一目瞭然だ。
 皆を幸せにする力。そのためか、彼女の傍には自然と人が集まる。
 民だけでなく部下からの信頼も厚いので、実際に俺なんかより桃香の方が適任だと思うのだが……。

「あたしは一刀のことを信頼してるぞ!」
「うむ。北郷隊の結束力は天下一だ!」

 狙いをすませたかのようなタイミングで、会話に割って入る翠と華雄。

 ――なんで、こんな時ばっかり息が合うんだよ!

 いや、まあ確かにうちの隊は気が合う奴等ばかりだけど、変わり者が多い。
 その結果、変態にちなんで『変隊』なんて呼ばれてるんだぞ?
 街の子供達に『へんたいのお兄ちゃん』とか、擦れ違う人達に『両刀さま』と呼ばれる俺の身にもなってくれ!

「とにかく一度、桃香の気持ちを確かめてみてからでも――」
「……桃香様は辞退されました」

 遅くないと言おうとしたところで、朱里の言葉に遮られた。

「辞退? また、なんで?」

 桃香は国を興そうとしていた。それは、皆が笑顔でいられる平和な国を作りたいという彼女の理想を叶えるために必要なことだったからだ。
 一度は諦めかけた願い。それが手に入るかもしれないというのに何故、辞退する必要があったのか?
 他にやりたいことを見つけたというのなら、それでいい。
 でも彼女の想いが、そんなに軽いものだとは俺には思えなかった。

「先日の失態もありますから……」
「失態? でも、あれは桃香だけの責任じゃ……」

 朱里の言葉通りなら、桃香は益州解放作戦失敗の責任を感じて辞退したということになる。
 白服の介入は予期しなかったことだ。あれさえなければ劉璋軍に負けることも、美羽に国を乗っ取られることもなかった。
 それに美羽の件に関しては、俺にも責任の一端がある。
 なのに桃香だけ責任を負わされるというのは、やはり納得が行かなかった。

「一刀さんがどう思おうと、桃香様の責は免れません。それが兵の命を預かる者の務めです」
「でも……」
「お願いします。どうか、桃香様の気持ちを察してください」

 深々と頭を下げる朱里。
 そう言って頭を下げられると、それ以上、俺には何も言えなかった。
 朱里も辛いのだ。その苦渋に満ちた表情を見ればわかる。

(やっぱり、まだ気にしてたのか……)

 あの戦いでは多くの犠牲者がでた。戦争である以上、それは仕方のないことだ。
 しかし、俺達を逃がすため、志半ばで死んでいった兵士達のことを考えると心が痛む。
 しかも、その兵達の命を奪う切っ掛けを作ったのは愛紗だ。
 敵に操られてしたこととはいえ、その事実は桃香達の心に重くのし掛かっていた。

「桃香は?」
「五胡侵攻の報を受け、準備の指揮を執っています。決着をつけると仰って……」

 朱里の口から『決着』という言葉が出て、桃香が何をするつもりなのか察することが出来た。
 五胡の背後に白服がいることはわかっている。だとすれば、この戦い、愛紗が出て来る可能性が高い。
 決着をつけるとは、そういうことだ。

「お願いします、一刀さん。桃香様の意志を継いでください……」

 それは朱里だけじゃない。桃香を慕い集まった彼女達の願いだった。
 こうしている間にも、五胡の軍勢は刻一刻と成都に迫っている。民の不安を払拭するには、出来るだけ早く国の代表を決める必要があった。
 俺が王に推挙されたのも、そのためだ。
 桃香の意思を継ぐということ、それはこの国の人達の命を俺が預かるということだ。
 重圧は確かにある。でも――

(愛紗、桃香……)

 桃香は恐らく、今回のことでケジメをつけるつもりだ。
 王にならないというのは、そういうことなのだろう。
 苦悩し、だした決断であれば、俺は彼女の決断を否定することは出来ない。

(俺に出来ることは……)

 彼女達の絆の強さを、俺は信じたい。
 しかし万が一、愛紗が正気を取り戻さなかった時は、桃香はどうするつもりなのか?
 夕焼けで真っ赤に染まる荒野。大地に横たわる血に塗れた二人の姿。
 最悪の結果を想像し、俺はそのイメージを振り払うように頭を左右に振った。

「雛里ちゃん、皆を集めてくれ」

 朱里に頼まれたからじゃない。
 自分自身のために、ここで投げ出すような真似はしたくなかった。

「俺に何が出来るかわからない。でも、俺は皆を守りたい。助けたい人がいる。だから――」

 この世界にきてすぐ、行き倒れていた俺に唇を……手を差し伸べ、救ってくれた貂蝉。
 行き場もなく困っていた俺を黙って受け入れ、この世界で生きていく術を教えてくれた水鏡さん。
 そして、共に戦った仲間達。桃香や愛紗、多くの人達の協力があって、俺は今ここに居る。

「皆の力を貸してくれ」

 頭を下げる。今の俺に出来ることをするために――。

 俺は非力だ。愛紗のように強くもなければ、朱里のように頭が良いわけでもない。
 でも、そんな俺にだって出来ることがある。きっと、あるはずだ。
 爺ちゃんの言っていた言葉が頭を過ぎる。

 ――世に生を得るは事を為すにあり。

 俺が、この世界に呼ばれた理由。今、俺がここに居る理由(ワケ)
 俺が為すべきこと。自らの意思で選択し、進むべき道。
 その答えは、きっと――

【Side out】





「風、久し振りだな。壮健そうで何よりだ」
「お久し振りですー。星ちゃんも変わりがないようで安心しました」

 戦いの前だというのに、外でメンマを肴に一杯やっている趙雲を見て、いつもと変わらぬ挨拶を返す程イク。
 ここに郭嘉がいれば注意の一つでもしたのだろうが、程イクは無駄を嫌う。
 趙雲とは一緒に旅をした仲だ。付き合いが長いこともあり、彼女のその行動をいつものことと諦めていた。

「稟は……一緒じゃないのか?」
「稟ちゃんは本部に詰めてます。全体の指揮がありますからねー」
「ふむ。まあ、小五月蠅いのがいないのは僥倖か、どうだ? 一緒に一杯」
「遠慮しておきますー。風は共犯者になりたくないので」

 存外に巻き込むなと拒絶する程イクに、趙雲は苦い表情を浮かべる。
 とはいえ、しつこく誘って郭嘉に告げ口をされたは堪らないと、素直に差し出した酒杯を引っ込めた。

「それで、どうしたのだ? まだ軍議の途中ではないのか?」
「それがわかっていて、星ちゃんはここで一杯やってるんですよねー?」

 付き合いが長いだけあって的確な切り返しだった。

「これが私なりの心構えという奴だ。戦前(いくさまえ)の高揚した気分で飲む酒は、また格別だぞ」
「おいおい、そう言って(いくさ)が終わったら『戦勝祝いだ!』と、また騒ぐ気なんだろ?」
「これこれ、宝ケイ。例え、本当のことであっても、そういうことを口にしてはダメです。酒飲みに正論を説いても絡まれるだけですからねー」
「うっ……」

 言葉では敵わないと悟ったのか、手厳しい程イクと宝ケイの言葉に、趙雲は反論を控える。
 さすがの趙雲も、程イクが相手では分が悪かった。

「さっきの話ですが、風は今回軍師ではなく、ただのお使いで来てますから」
「……お使い?」
「はい。先日良い品を仕入れたので、少々お届けものを――」

 程イクの商人らしい物言いに、怪訝な表情を浮かべる趙雲。
 何かを企んでいることだけは確かだが、その内容を聞こうとまでは思わなかった。

「訊かないんですか?」
「聞くと引き返せない気がしてな……」
「鋭いですねー。まあ、見てのお楽しみってことで」

 面白いものが見られそうだと思う反面、詳しく聞きたい気持ちをグッと堪える趙雲。
 好奇心は猫を殺すという言葉もある。太老とその関係者によく当て嵌まる言葉だ。
 下手に探りを入れて、蛇どころか龍がでてきては洒落にならない。
 武人としては優れた洞察力を持ち、勘の鋭い趙雲には、そのことがよくわかっていた。

「真桜ちゃん達も連れてきてますから、きっと戦力になると思いますよ」

 商会の主戦力である三羽烏の参戦は確かに心強い。
 しかし、ここで李典の名前がでることに、何とも言えぬ不安を抱く趙雲だった。





 ……TO BE CONTINUED



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