「恋殿! 言われた通り、準備は整えておきましたぞ」
「……うん。ありがとう、ねね」
洛陽の西、五里の地点には、既に親衛隊を筆頭とした洛陽の駐留部隊が展開されていた。
その数は五千。目一杯動員出来る数の凡そ半分に過ぎないが、戦力として乏しい未熟な新参兵や警備隊まで駆り出すわけにはいかず、そうした者達は後方待機とし、賈駆の指揮の下、住民の避難誘導にあたっていた。
どのみち、数の差は歴然。十万の敵が相手では、今更五千の兵を加えたところで勝算が大きく変わるわけでもない。
逆に訓練を終えていない未熟な兵を加えることで、連携や作戦に支障をきたすくらいなら、実力のはっきりとしている少数精鋭の兵で迎え撃とうというのが、軍師として陳宮が下した結論だった。
「ですが、本当に大丈夫なのですか? 幾ら恋殿でも……」
少数精鋭で迎え撃つことは陳宮自身が提案したことだが、その選択に彼女は不安を抱いていた。
軍師の観点からみて、この戦に勝てる可能性はかなり低い。数が勝敗の絶対条件ではないとはいえ、数の差が結果を左右するのは明らか。ましてや、相手は人間ではなく妖術で仮初めの命を与えられた土人形。疲れを知らず、恐怖もなく、術者の命令のままに襲ってくる異形の兵を相手にしなくてはならない。
降伏や撤退などありえない。あるのは生きるか死ぬかの戦いだ。
呂布を慕う陳宮からしてみれば、このような戦いに大切な人を送り出したくはなかった。
だが、その考えは軍師として正しくない。ましてや呂布自身が一番望んでいないことだ。
「……大丈夫。恋は一人じゃない」
「恋殿……」
呂布の言葉に励まされ、グッと涙を堪える陳宮。
陳宮が不安や恐怖で押し潰されそうな時、いつも彼女を救ってきたのは呂布の何気ない一言だった。
こんな時代だ。両親もなく、力仕事もままならない幼子を助けてくれる者など、そうはいるものではない。誰一人振り向く者がいないなか、孤児である自分を拾い上げてくれた呂布に、陳宮は感謝していた。
彼女が軍師を志したのも、そんな呂布の力になりたいと考えてのことだ。
呂布と一緒にいるため、呂布の力になりたいがために彼女は努力をし、軍師としての力をつけていった。
呂布に救われた命。ならば、その一生を彼女のために使いたい。それが陳宮の願いだったからだ。
「わかりました! ねねも恋殿を守り、一緒に最後まで戦いますぞ!」
「……それはダメ。ねねはここに残る」
「な、何故ですか!? 先程、恋殿は一人じゃないと」
「……戦うのは恋の役目。ねねは後で恋の背中を見守ってくれていればいい」
軍師になったのは呂布の傍に居続けるため。それは呂布と共にいるためだ。
「で、ですが……」
なのに、陳宮は恐れていた。
呂布は確かに強い。戦場では一騎当千の活躍を見せ、飛将軍として名を馳せる呂布だが、戦場で絶対はない。
いつか呂布も自分を置いて何処かに行ってしまうのではないか?
そんな恐怖を抱き続けながら大切な人の帰りを待つのが、陳宮は恐くて仕方がなかったからだ。
「……それに、太老と約束した。皆を守るって」
「ううっ、またあの男ですか。恋殿、はっきり言ってください! あの男は恋殿のなんなのですか!?」
「……太老は恋の飼い主」
「な、なんですとおおっ!」
自分から呂布を奪っていくもの。
それが戦であると苦悩していた陳宮だったが、ここにきて別の問題が浮上した。
――それが、太老だ。
「恋殿、いつの間にあの男とそんな関係に!? ま、まさか調教され……」
「……ちょうきょう? 太老には色々と教えてもらった」
「――ッ!」
陳宮にとって太老は、最大の敵にして最大の障害。
先程まで悩み続けていたのはなんだったのか、話の論点は完全にすり替わっていた。
「はは、ねねの負けやな。大人しくウチらの帰りを待っとき」
「……ああ、いたのですか」
「いたのですかって、ウチも一応、親衛隊の一人やねんけど?」
「ねねには、二日酔いで早朝の軍議に出席できないような知り合いはいないのです」
「アンタこそ、さぼってたやないか!?」
「ねねは恋殿の言い付けで戦の準備を整えてたのです!」
喧嘩を始める二人。張遼もまた現在は、太老の親衛隊に所属していた。
退屈をしない、美味い酒が飲めるという理由でやり始めた仕事だが、それには事情もあった。
董卓陣営に所属していた者達は張譲の件で少なからず諸侯との因縁がある。彼女達にすべての責任があるわけではないが、首謀者である張譲が捕まっていない以上、その矛先が彼女達に向くのは仕方のないことだ。
そのため、監視の意味を込め、宮中の仕事をさせることで罪を償わせるというのが、周囲を納得させるための理由として使われていた。
そんな事情では洛陽を長く離れるわけにはいかず、就ける仕事が限られている。当初、商会への就職を希望していた張遼ではあったが、今は太老の傍にいられるということで納得していた。
他の女性達と大きく違うのが、そこだ。張遼の興味は、太老への好意から来るものではなく、結果に対する関心の方が大きい。太老の近くにいれば退屈をしない。見ていて面白いからと言うのが大きな理由だった。
呂布や張遼が太老の親衛隊をすることに文句が上がらないのも、そうした事情が関係する。
都を守るためにも、そして皇帝の護衛は必要不可欠。だからと言って誰にでも任せられるものではない。
無害……とまでは言わないまでも、他の誰かに親衛隊を任せるくらいなら、呂布や張遼の方がマシというのが太老に好意を寄せる女性達の共通認識だった。
「……二人とも喧嘩はダメ」
ちなみに隊での上下関係は、呂布が隊長で張遼が副隊長だ。
もっとも部隊の指揮は張遼が執っているため、実質的な主導権は張遼にある――はずなのだが、呂布の方に分があるようだ。
苦手意識というほどのものではないが、他の者達同様、張遼も呂布にやり難さを覚えていた。
愛玩動物にせがまれているような、どうしても逆らえない強制力が呂布の言葉にはあったからだ。
「恋殿がそう言うなら……」
「そやな。味方で争ってる場合やない」
言葉とは裏腹に頬を紅く染めながら矛を収める二人。そんな、いつもの光景を見て、兵士達の表情にも笑みが溢れる。
先程まで漂っていた戦う前から負け戦≠ニ言った感じの暗い雰囲気はなくなっていた。
たった一言、あの男の名前がでただけで――
異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第153話『風の計画』
作者 193
【Side:太老】
「――へっくしょ!」
何故か、くしゃみがでた。
「マスター、風邪ですか?」
「俺って風邪を引くのか?」
「ああ、バカは風邪を引かないって言いますしね」
「さらりと人をバカにするな!」
鷲羽に色々と身体を弄られてるから、そっちの意味で普通の風邪とか引くのか聞いただけなのに……酷い言われようだ。
こういう人を弄って楽しむところは、鷲羽そっくりなんだよな。多麻……。
「それより、準備の方はどうなってる?」
「順調ですよ。こっちの準備は万端。他もゲートに配置済みですから」
「……で、一号。お前は何をしてるんだ?」
「いや、退屈だからマスターのあっちのお世話を……」
「せんでいい! どこでそんなの覚えてくるんだ!?」
急いで半分ずり下ろされたズボンを元に戻す。
人のズボンを下ろして何をする気だ。油断も隙もない。
こんなところを誰かに見られたら、どうしてくれるんだ。
「ばっちりマスターの下着画像は保存済みです。零ちゃんにも送信しておきました」
「やめい! てか、いつの間に『ちゃん』付けで呼ぶほど仲良くなったんだ!?」
「……食べられた仲ですから」
「間違ってないけど、その表現はやめとけ」
マスターと呼ばれているのに、全然敬われている気がしない。
まあ、オリジナルがあの人じゃ仕方がないか。うん、そう自分を納得させよう。
はあ……俺の平穏って、どこに置き忘れてきたんだろう。最近、毎日のように思う。
「あ、それとマスター。セカンドマスターがゲートの使用許可を求めてます」
「セカンドマスター? 華琳のことか? てか、ゲートの使用って大丈夫なのか?」
そう言えば、ゲートのことを華琳には教えてたんだっけ。
商会の各支部にはゲートと呼ばれる超空間扉、所謂『瞬間移動装置』が設置されている。
特殊なエネルギーを必要とするため、多麻がいないと起動すら不可能な代物だが、これを使えば瞬時に支部と支部を移動することが可能な便利な代物だ。
「考えてることはわかる。でも華琳は確かに跳べるだろうが、他はどうする気なんだ?」
ただ使用には条件があり、ナノマシンを体内に投与され、生体調整がされた者しか使うことが出来ない。謂わば欠陥品だった。
しかし、欠陥品と言えど使い方次第だ。有用であることに変わりはない。
恐らく、それを使って益州に援軍を送るつもりなのだろうが、普通に考えて先の条件がある限りは無理な話だ。
「ああ、それなら大丈夫ですよ。親衛隊は全員、ナノマシンを投与済みですから!」
「……は?」
今、信じられないような話を耳にした気がした。
「勿論、戦闘用に特化して調整済みです!」
「俺はそんなの聞いてないぞ!?」
「聞かれませんでしたから。サプライズですよ。サ・プ・ラ・イ・ズ」
「アホかあああああっ!」
機材がここにない以上、稟や華琳の件からも完全な生体強化は不可能だと判明している。
だとすれば、強化≠ナはなく調整≠ネのだろうが、それでも普通の人間とは比較にならないほどの大きな力と寿命が手に入る。
しかも、戦闘用とか言ってるし……嫌な予感しかしなかった。
「それ、華琳のところの親衛隊だけ……だよな?」
「いえ、各国の武官と文官の皆さんは殆ど受けていますよ?」
「なっ!?」
一瞬、目眩がした。
生体強化なんかしなくても、人間離れした連中がゴロゴロいるってのに、そんな調整をやったりしたら……俺も勝てないんじゃね?
少なくとも腕自慢の武官には勝てない気がする。
戦闘技術だけなら、樹雷の闘士に匹敵するようなのもいるしな。色々とダメだろう。
「林檎さんの承諾も取ってますよ?」
「……もしかして知らなかったのは俺だけ?」
「まあ、そういうことですね……てへ」
「てへ……じゃない。どうして、そういう重要なことを黙ってるんだ」
「必要だと思ったからですよ。マスターなら絶対に反対するでしょ?」
当たり前だ。ゲートの件にせよ、自重しないと言ったのは俺自身だが、それとこれは話が別。
生体強化なんてすれば、もう後には引けなくなる。普通の生活に戻ることは不可能だ。
病気にかからない。長い寿命を得られるというのはメリットばかりに見えて、実際のところはそうとも言い切れない。自分を残して死んでいく友人や家族。何十年経っても老いず姿の変わらない人を見て、周囲がどう思うかくらいは想像が出来るはずだ。
俺はこの世界を去ればいいだけの話だが、この世界で生まれ育った彼女達はそうもいかない。恒星間移動技術を持たない初期文明への干渉が銀河法で厳しく制限されているのも、そうした問題を考慮してのことだ。
「まったく……林檎さんも何を考えて」
「勝手なことだと理解はしています。自分が何をしているのかも……」
背後からした声に俺は振り向く。そこには申し訳なさそうに林檎が立っていた。
今の話を聞かれていたようだ。手にした時計に目をやると、時間は正午を大きく回っていた。
成都から南西に十里。ここで落ち合う約束をしていた時間は正午丁度だ。
時間に正確な林檎にしては遅い到着だ。それだけに油断をしていた。
「……どうして?」
自然と疑問の声が漏れる。
最悪このことが明るみになれば、立場を悪くするかもしれない。彼女の本来の雇用主である鬼姫にだって迷惑が掛かる。それなのに、この計画に彼女が加担したというのが、俺には一番腑に落ちなかった。
「この計画を打ち明けてきたのは風ちゃんでした」
「……風が?」
「はい。太老様の負担を少しでも減らしたい。そのために自分達が出来ることをしたいと」
「今でも十分に助けられるんだけど……」
「太老様がそう思っていても、彼女達からすれば足りないと感じたのでしょう。私にはその気持ちが痛いほどよくわかりました」
そう話す彼女の言葉には重みがあった。
林檎はこう見えて思い込みの激しいところがある。恐らくは西南のことを思い出し、彼女達と自分を重ねているのだろう。
返しきれなかった恩の大きさと、言葉に尽くしても足りない感謝の気持ち。
思い人に届けることの出来なかった言葉と共に、彼女はやり残した後悔を今も引き摺っている。
「だから、私は彼女達を納得させるために対価を求めました。この世界を救う手助けをする代わりに、必要な対価を支払ってもらうことにしたのです」
そこには『鬼姫の金庫番』として恐れられる林檎のもう一つの顔があった。
冗談ではなく、本気で彼女達の気持ちに向き合おうとする林檎の真剣さが伝わってくる。
「星の箱庭――それは人を高みへと至らせるシステム。その本来の目的を果たしてもらいます。将来のために、太老様に相応しい人材を育む場として」
――ここを銀河アカデミーみたいにする気か?
いや、将来を見越してと林檎は言った。俺に相応しい人材ってのがよくわからないが、ようするに樹雷の女官候補をこの世界で育成するつもりなのだ。
気の長い壮大な計画だ。だが、やってみる価値は十分にあると考えたのだろう。それなら、林檎が許可した理由にも納得が行く。
宇宙は広く、今も人の持つ文化圏は広がりをみせている。
そうしたなか、どこの組織も人材不足で頭を抱えているのが現状だ。
「それに、既に彼女達は巻き込まれています。こちらの事情に――」
「うっ、それは……」
「ならば、最後まで責任を持つのが、私達の責任の取り方ではありませんか?」
「はい……ご尤もです」
こちらの事情とは、零式の胸≠フことだ。
その話を持ち出されると弱い。一応、アレのマスターは俺になってるしな。
言いくるめられた感じだが、そもそも俺が林檎に口で敵うはずもなかった。
【Side out】
深紅の呂旗が舞う。
「……遅い」
呂布が方天画戟を振るう度に、十を超す兵馬妖が吹き飛び、粉々に崩れ去る。
まさに、大陸最強の名に相応しい戦い振りだった。
「恋の奴、いつにも増して飛ばしとるな……」
「援護をしなくていいのでしょうか?」
「やめとき、今の恋に下手な援護は邪魔になるだけや。それより抜けてきた連中を片付けるのに専念するんや」
呂布が強いと言っても、一人の力では敵兵を討ち取れる戦場の範囲に限界がある。
当然、敵はその隙を突いてくる。そこをカバーするのが、張遼達の役目だった。
張遼の言葉に沸き立つ兵士達。家族や街を守るため、厳しい訓練に耐えてきた成果を見せようと気持ちを奮い立たせる。
「いくで、ここが正念場や」
◆
「フフッ、なかなかやるではないか」
そんな呂布達の戦いを、高みから見物している男がいた。
「この傷……受けた屈辱は忘れない」
十万を超す兵馬妖に囲まれ、守られるように祭壇――七星壇の中央に男はいた。
額から右頬にかけ痛々しい傷痕を残す男の顔は、酷く憎悪に歪んでいる。
「……忌々しい奴等だ」
彼と董卓達には顔の傷同様、決して消すことの出来ない因縁があった。
それもそのはず、この男こそ洛陽の事件を起こした張本人――張譲だからだ。
最後に益州でその姿を確認されてから、ずっと行方がわからなくなっていた男が兵馬妖を率い、洛陽へと帰って来た。
そこから考えられる目的は、はっきりとしていた。
「遂に力を手に入れたのだ。絶対的な力を!」
失われた栄光を取り戻すため、そして復讐を果たすため――
力を手にした男の暴走は止まらない。
……TO BE CONTINUED
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