「りりかるまじかる、るるるるる〜」
穴があったら入りたい。そんな羞恥心と戦いながら曹操は呪文を紡ぐ。
魔法少女大全は使用者に応じて能力や特性が変化する特殊な戦闘服だ。その能力は使用者に大きく依存する。
これが林檎なら肉体のスペックに任せて武器を振り回しているだけでも十分な脅威となるが、曹操は生体調整を受けているとはいえ、肉体的には普通の人間と然程変わりはない。
妖術で肉体を強化された関羽と対等に戦うには、魔法で足りない力を補う以外に方法はなかった。
そう、『魔法』だ。
魔法少女大全は、所謂『戦闘服』と呼ばれる強化服だ。
肉体の強化だけでなく熱や寒さへの耐性を持ち、高い耐久性能と防御力で使用者の身体を外敵から守ることを一番の目的としている。
しかし基本的には海賊討伐や犯罪者の確保を想定したものなので、同じように生体強化を受けた犯罪者の相手をすることを前提としているため、そうした相手に対処可能なオプションも搭載されていた。
それが、この魔法少女大全の一番の特徴――『魔法』だ。
頭に浮かんだ呪文を口にすることで、それがキーとなって魔法は発動する。
直接的な攻撃力は低いため、あくまで捕縛用の補助機能と言ったところだが、寧ろGPのような犯罪者と日夜戦っている組織には、こちらの方が重要な機能と言えた。『りりかるまじかる〜』と呪文を唱えながら犯罪者と戦う魔法少女達の姿は、今日の宇宙の平和と秩序を語る上で欠かせないものとなっている。
余談ではあるが、これを切っ掛けに魔法少女ブームは銀河を股に掛けた一大産業となり、ZZZ財団がスポンサーを務める特撮番組『魔法少女ティンクル・ネージュ』や『魔法少女プリティ・サミー』などは大きなお兄ちゃんや子供達の人気を集めていた。
そして遠く離れた異世界でまた一人、魔法少女が産声を上げる。
「ぎゃらくてぃっく荒縄!」
その名は――魔法少女シニカル華琳。
空中に突如出現した巨大な荒縄が大きな円を描き、くるくると回転をしながら関羽へと迫る。
しかし、
「くっ、これは! な、縄が食い込んで……ああっ!」
「何やってるのよ、華蝶仮面!」
荒縄に捕まった趙雲は悲鳴を上げる。それは見事な亀甲縛りだった、
曹操にしても恥ずかしい思いまでして呪文を唱えたというのに、捕まえたのが関羽ではなく趙雲では報われない。
当事者達は命懸けで戦っているはずなのだが、場はいつも以上に混沌としていた。
「りりかるまじかる、るるるる〜」
この日、曹操の中で何か壊れる音がした。
異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第166話『事象の起点』
作者 193
「御主等、妾達の歌を聴くのじゃ――っ!」
「いっきますよーっ!」
場所は変わって成都の上空。
守蛇怪・零式の外に設けられた特設ステージに、袁術・張勲の主従コンビの姿があった。
意外にも歌と踊りの達者な二人。最初は太老に頼まれてというのがあった二人だが、今はノリノリでステージを盛り上げていた。
キラキラと照明が輝き、戦場全体を覆うように空間ディスプレイが投影され、二人の姿を映し出す。
最初は呆然と空を眺めていた兵士達も、軽快な音楽に自然と足でリズムを取るようになり、武器を捨て声を張り上げる者達も出始めていた。
『オオオオオオォォォッ!』
洗脳を更に強力な熱狂で解く。
張三姉妹が黄巾党の時にやったことと同じだが、問題はその効果範囲と持続時間だ。
張勲と袁術は張三姉妹のように何曲も続けて歌って踊ってといった経験がない上、そうした特別な訓練をこれまで積んだことがない。
体力から考えても、続けてて二曲か三曲が限界。しかし完全に洗脳を解くには絶え間なく歌い続ける必要があり、二百万近くの兵に歌を届かせるのには最低でも十曲。二人だけではやはり不十分だった。
「参ったな……」
太老はどうしたものかと頭を悩ませる。
それなりに効果は上がっている。しかし先程の問題がある。
「華琳や雪蓮達も頑張ってくれてるみたいだけど……」
船の甲板から曹操を見て『なんで魔法少女?』と本人が聞いたら怒り狂いそうな感想を述べながらも、しっかりと戦況の把握に努める太老。状況は確実に好転している。しかし、戦局を覆すにはまだ一つ足りない。せめて張三姉妹がいれば状況は違っていたかもしれないが、どこをほっつき歩いているのか? 三人は船の中で迷子になったままだ。
一旦、作業をストップして零式にあの三人を捜させるかと太老が考えた――その時だった。
「舞台は整ったようですね」
「お前は……」
空に浮かぶ人影。白い服の道士を見つけ、太老はなんとも言えない表情を浮かべる。
「すまん。うちの娘が色々と迷惑を掛けてしまったようで……」
「え、いえ……娘?」
颯爽と登場したにも拘わらず、丁寧に頭を下げられ于吉は困惑する。
これまでに色々と太老にしてやられたことは確かだが、今更謝罪されるようなことではない。
何かの罠か? と考えたところで太老の口から出た『娘』という言葉に于吉は首を傾げた。
「零式のことなんだが……ほら、青い髪の小さな女の子。あいつが色々と無茶を言ったみたいだから、そのことは一度ちゃんと謝っておこうと思ってな」
「ああ、彼女のことですか……って娘!?」
クールな表情が一転して、何か恐ろしいことを聞いてしまったかのように硬くなる。
于吉から見て、零式はまさしく高次元の存在。彼等が長年求めてきた『神』そのものだ。
それを娘など……太老のことをずっと非常識な男だと思っていた于吉だが、まさかそれほどとは考えていなかった。
「まさか、既にあなたは至っているのですか?」
「至ってる? なんのことだ?」
「神を創り出す存在? まさか、我々より先に成功を……」
ブツブツと独り言を始め、思考の海に埋没する于吉。
これは彼のシナリオにもない想定外の事態だったが、逆に都合が良いと于吉は考えることにした。
やるべきことは変わらない。ならば、少しでも確率が高いに越したことはない。
今更、非常識だと思っていた人間が予想と懸け離れていたところで、それは誤差の範囲と考えることにした。
「面白い。本当にあなたは我々の予想を裏切ってくれる」
「さっきから、なんのことを言ってるんだ?」
「だからこそ、私はあなたに期待しているのですよ。あなたならきっと、我々の期待に応えてくれると!」
バッと手を大空に向かって広げる于吉。
彼を中心に暗雲が立ち込め、空が漆黒の闇に染まっていく。
これも妖術の力か? 派手な演出に太老も「おおっ」と声を上げて驚いた。
「この手にある太平要術、そして三国の英雄達と二百万の生け贄」
右手を広げ、一つずつ順番に于吉は三本の指を折っていく。
「そして、あなたと鍵となる少女」
于吉が最後の二本の指を折ると同時に、鉄の杭に磔にされた幼い少女が姿を現す。
「さあ、はじめましょう! 新たな神を誕生させる儀式を――」
◆
まさにそれは地獄絵図。傷を負い、意識を失った兵の山がそこには築かれていた。
しかし、それもこれから起こることを考えれば、まだ地獄と言うには生温い。
この惨劇を引き起こした人物が最も恐れていたことが、目の前で現実の物となろうとしていた。
「遅かった……」
林檎は空を見上げ、神に祈るようにそう呟いた。
よりにもよって太老の前で子供を人質に取る愚かしさを、林檎はここにいる誰よりもよく理解していた。
于吉が太老を怒らせて酷い目に遭うだけなら、それでいい。
しかし太老を本気で怒らせた場合、予想も行かない方向に物事が進む恐れが高い。
それが良い方ならばいいが、これは最悪なケースだ。
「多麻ちゃん、お願い出て!」
『どうされたのですか? 今、マスターの言い付けで作業中なんですけど』
穂野火を通し、林檎は緊急コードで多麻に連絡を取る。
もはや一刻の猶予もないと言った様子で林檎は焦っていた。
「急いで! とにかく最速で!」
『これでも目一杯急いでるんですよ? 現在、すべての扉の起動は完了して最終段階に入っています。解析率は現在九三%、あと十五分ほどで終わります』
「遅い! 今すぐ、どうにかして。三分でどうにかならない!?」
『そんな無茶な! 即席麺じゃないんですよ!?』
かなり取り乱していた。林檎がこんな無茶を言うのは珍しい。
だが、それほどに危機的な状況だということは多麻にも伝わった。
一体なにが――と訊こうとしたところで、多麻の方でも異常が起きる。
『林檎さん大変です! マスターから撃滅信号が――って、このエネルギー反応は!?』
「遅かった……」
もう神に祈る他なかった。
その神様が知り合いというのもどうかと思うが、こうなっては林檎にはどうすることも出来ない。
願わくば無事に終わって欲しい。切実にそう願いながら、林檎は天を仰いだ。
【Side:太老】
「すまぬ……太老。我のことは気にせず……此奴を」
「まだ意識を保っていましたか。意外と頑張りますね」
俺の前で揚羽が磔にされ、于吉に言葉でなぶられていた。
まあ、大抵のことには耐性はあるし、これでも温厚な方だと自負している。
俺は常識人だ。出来ることなら平和的に解決したいと思うし、今回もその努力をした。
于吉が姿を現したら、まずは零式のことを謝罪して俺達の計画を打ち明け、彼等にも主張があるなら話を聞こうとまで考えていたんだ。
なのに――
「おい、ロン毛」
「ロ、ロン毛……?」
こんな真似をされたら、その努力も無駄だ。
意味がない。これでは敵と認めざるを得ない。
こいつは敵だ。幼女の敵だと、俺の心が叫び声を上げる。
「お前が何をしようが、何を企んでいようが関係ない。だがな」
あのタコ以来か。怒りでどうにかなりそうだ。
この手の連中は本当に何を考えているのかわからない。幼女をなんだと思っている。
俺と繋がっている零式や穂野火。そこから繋がる多くの意思が、俺に力を与えてくれる。
怒ってくれているのだ。俺の大切な家族を傷つけた愚か者に――
「よくも俺の家族を――揚羽を酷い目に遭わせてくれたな」
【Side out】
『お父様、撃滅しますか? なんでしたら下の有象無象も一瞬で焼き払えますが?』
太老が咄嗟に発した撃滅コードを受け取り、零式は眠りから目を覚ます。
既に空間投影されていたコンサートの映像は、青い『ZZZ』の文字にすり替わっていた。
今頃は覗き見≠オていたこの世界の外≠ナも大騒ぎになっていることだろう。
林檎の嫌な予感が最悪なカタチで的中しようとしていた。
「いや、今はいい。それより作業の進行度は?」
『現在九五%を超えたところです。あちらとのパスも無事繋がり、私に大量のエネルギーが流れ込んできています。後五分もお待ち頂ければ完了するかと』
「それじゃあ、その間に終わらせるか」
今まであった遠慮や常識と言った物をすべて捨て去った太老は、どこか達観した表情を浮かべていた。
いや、生き生きとしていると言うべきか?
抑えつけていたものをすべて取っ払い、たがの外れた危うさのようなものも感じる。
「終わらせる? こちらには人質がいるのですよ? それに――」
太平要術の書が光を放ったかと思うと、戦場の兵士達がバラバラと倒れ始める。
劉備隊、それに魏や呉の兵だけでなく五胡の兵までも、戦場にいるすべての人物を対象に于吉の禁術が発動する。
それは怒気や怨嗟、人々の負の感情を妖力へと変え、生命力をも奪い取る外法だった。
嘗てない大きな力が書へと集まっていく。
「それがお前の切り札ってわけか」
「残念ですが違います。これは私が持っていても意味がないのですよ」
そう言って、于吉は太平要術の書を太老に放り渡す。
「は?」
思わず受け取ってしまった書を見て、太老は首を傾げた。
于吉にとってこれは切り札と言える物だ。随分と前からこの書に執着していたことから、于吉の計画に必要な物であることは間違いない。
それを手放すなど、何か目的があってのことかと太老は怪訝な表情を浮かべる。
「妖力とは即ち負の力。そこには人々の怒りや怨嗟の声が詰まっている。お分かりですか?」
「何が言いたいんだ?」
「私ではダメなのです。あなたが手にして、初めてその書は真の力を発揮する」
于吉の言葉に呼応するように、太老の手にある書が怪しい輝きを放つ。
それは呪いの言霊。太平要術に囚われた人々の怨嗟の声が、書の持ち主へと襲いかかる。
「私が求めるのは、この世界を破壊してくれる神の誕生です」
闇に包み込まれた太老を見て于吉は勝利を確信し、愉悦の笑みを浮かべる。
太老を態と怒らせたのも、すべてはこのためだった。
負の感情に呑み込まれた人は操りやすい。怒りは人を狂わせ、その叫びは怨嗟となり呪いへと昇華させる。
太平要術の書に太老の心を浸食させるために、于吉はその怒りを態と自身へ向けさせたのだ。
「最後はあなたです。正木太老と深い縁を持つあなたが贄となることで、彼の怒りと哀しみは更に深い物となる」
「我を太老に殺させるというのか……」
「なかなか聡い。嬉しいでしょう? 神の誕生に立ち会えるのですから」
「太老に縁の深い英雄達をここに集めたのもそのためか。策に万全を期すために……」
「その通りです。あなたで足りなければ、下にいる者達も殺せばいいこと。まあ、このまま放って置いても衰弱して死ぬでしょうが」
「外道が……。そのようなことを太老にさせるくらいなら、ここで――」
劉協は舌を噛み切ろうとするが、それ以上、口を動かすことが出来なかった。
于吉の術で身体の自由を奪われたのだと、すぐに理解する。
必至に抵抗するが、ここまで意思を保てているだけでも奇跡に近いことだった。
(太老……)
瘴気を身体全体に纏いながら近付いてくる太老を見て、劉協は涙を流す。
一度は太老に救われた命だ。その命を太老に奪われることになっても、それは仕方のないこと。運命だと諦めも付く。
しかし、そんな役目を太老に負わせてしまうことが彼女は悔しかった。
「これで、すべてが終わる。あの老人達の思うようにはしない。すべては無に帰るのです」
于吉はこの世界を肯定する神ではなく、否定する神を生みだそうと目論んだ。
自身の存在を含め、この世界に関係するすべての存在を無に帰すためだ。
それが自分達を生みだし、管理する存在への復讐になると考えたからだ。
最初はその役割を北郷一刀に負わせるつもりでいたところに太老が現れた。計画の見直しを考えた于吉だったが、太老の能力と彼に協力する者達の力を知り、対象を一刀から太老へと変更することを思いついた。
より確率の高い方へ。
世界を確実に破壊してくれる存在へ、すべてを委ねようと考えたのだ。だが、
『バカですね。頂神ですら匙を投げるお父様の精神に、そんな手が通用するはずもないのに』
「……え?」
彼の計画は最初から破綻していた。
一刀だけに狙いを絞っていれば、まだこんなことにはならなかったかもしれない。
事象の起点――神すら匙を投げる男を計算通りに動かせると思ったことが彼の思い上がりだ。
精神干渉程度で太老をどうこう出来るのなら苦労はない。零式は心底、于吉の行動を哀れんでいた。
『でもまあ、あなたのお陰でお父様がようやく本気になってくれました。その点は感謝しますよ』
悪魔のような笑みを浮かべる零式の姿が頭を過ぎり、于吉はようやく理解した。
すべてを思惑通りに動かしているつもりでいて、実際はこの少女の手の平の上で踊らされていたに過ぎなかったのだと。
「大丈夫か? 揚羽」
「た……ろう?」
劉協を優しく腕に抱き寄せ、まるで虫を払うかのように太老は瘴気を振り払う。
その表情は穏やかなように見えて、激しい怒りに震えていた。
大切な家族や仲間を蔑ろにされ、黙っていられるほど太老はお人好しではない。
「さあ、お仕置きの時間だ」
それが幕引きの合図だった。
……TO BE CONTINUED
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