【Side:太老】
先日は危なかった。貞操の危機に晒された俺は間一髪のところでマリアに助けられ難を逃れた。
据え膳食わぬは男の恥、とか思った奴、一言だけいっておく。その考え方は長生きしない。
自暴自棄になって人生を自分から捨て去りたいなら止めはしないが、そうでないのなら絶対にやめておけ。これは今までクソババアに苦しめられてきた先人達からのありがたい忠告だ。
特に鬼姫の旦那、神木内海樹雷の一言は重かった。涙が出るほどに……。
数多くの会員数を誇る『クソババア被害者の会』の名誉会員であり、人生の先輩でもある樹雷皇、内海、兼光の三人と飲みに行った時の事だ。
先人達の話を聞かされ、中でも内海こそ、男の中の男だと本気で尊敬させられたくらいだ。それほどに、あれは悲しくも不運な話だった。
原作知識である程度、内海と瀬戸の馴れ初めは知っていたつもりでも、本人から聞かされるとあれほど重い話だとは思わなかった。
俺自身、当事者の一人であるから、余計にそう感じたのかも知れない。
ちなみに余談だが、この会合の後、三人はそれぞれの奥方に連れて行かれた。酒に酔ってバカな事を口走った挙げ句、未成年に酒を勧めた罰という話だ。
ああ、俺は大丈夫だったから、三人に連れて行かれた被害者≠セったしな。
え、見捨てたの間違いじゃないかって?
先の言葉に嘘は無い。尊敬はしているさ。でも、男の友情なんてそんな物だ。
誰でも我が身が可愛いに決まっている。先人達の言葉を教訓にし、あちら側に行かないように努力していると言ってくれ。
「お兄様。どうかされました?」
荷物の間から表情を覗き込むように上目遣いで、俺の顔を見ながらそんな質問をしてくるマリア。
俺は今、何をしているかと言うと、フローラの魔の手から助けてもらった御礼にマリアの買い物に付き合っていた。
何かして欲しい事はあるか、と尋ねると『買い物に付き合って欲しい』と誘われ、二人で首都西部にある市場に足を運んでいた。
所謂、荷物持ちと言う奴だ。買い物を初めて一刻ほど、俺の手にはマリアが買い求めた品の数々が収まっていた。
自分の物以外に屋敷の侍従達へのお土産も含まれているとの話だ。屋敷と言っても首都にある別宅ではなく、俺の領地にある本邸の方だ。
首都でしか手に入らない貴重な香水や化粧品。後は幾つか珍しい食料品を買い漁っていた。
食料品などの持ちきれない分は注文だけして、後で屋敷の方に届けてもらう手はずとなっている。
領主の俺がすっかり忘れていたというのに、マリアの気配りの良さには本当に感心させられる。
「いや、昔の事を少し思い出してね」
「昔の事、ですか?」
「ああ、儚くも散っていった心から尊敬できる人達の事をね」
話は戻るが、樹雷皇、内海、兼光の事を思い出し、悲しみの籠もった表情で俺はそう口にした。
あの散り際は潔かったとは言わないが、勉強には成った。
絶対にあちら側には行きたくない、と固く心に誓う事が出来たのも、あの三人のお陰だ。
どんな誘惑にも屈せず、俺が自制心を保てているのも、そうした前例を知っているからに他ならない。
その事には深く感謝の意を示していた。
「……そうですか」
俺の話を聞いて表情を曇らせるマリア。そんなつもりでは無かったのだが、心配させてしまったらしい。
優しい子だからな。それにある意味でマリアもフローラの被害者だ。
薄らと、俺の気持ちを察してくれているのかもしれない。
「マリアにも、いつか分かる時が来るよ」
いや、既にその片鱗は幾度となく味わっているはずだ。
フローラはまだあの域≠ノまで達していないとはいえ、クソババアのカテゴリーに片足を突っ込んでいるしな。
今現在でも、かなり危ないラインだと俺は予想している。後は時間の問題だ。
娘のマリアが相当に苦労を強いられる事は予想に難しくない。この純真さをいつまで損なわずにいられるか、と思うと悲しくもあり寂しくもあった。
せめて、こちらの世界に居る間は、マリアの負担を少しでも減らせるように俺も頑張ってみよう。
本音を言えば、あのフローラの所業を軽減できるとは思えないのだが……。あれは災害の一種だしな。
【Side out】
異世界の伝道師 第152話『究極の願い』
作者 193
【Side:マリア】
思わず舞い込んできたお兄様とのデート。不可抗力とはいえ、今回ばかりはお母様に感謝しなくてはいけないようだ。
定時報告の際、本邸の侍従達に頼まれていた品物の話を思い出し、その買い物をマリエルに代わってもらった。
丁度良い口実もあった事もあり、誰の邪魔もなくスムーズにお兄様を誘い出す事が出来たのは幸いだった。
随分と久し振りのお兄様とのデートだ。自然と笑顔が溢れ、気持ちが弾むのも無理はない。
以前はユキネも交えて三人でお出掛けする機会もあったが、最近では商会の仕事や公務が忙しく、余りこうした時間を取れないでいた。
本音をいうと寂しいし、もっとお兄様と一緒にお出掛けしたい。でも、お兄様の覚悟と努力している姿を知っているからこそ、自分の我が儘でお兄様の仕事の邪魔をしたくはなかった。
それは多分、私だけではない。シンシアやグレース。それにマリエル達も同じ気持ちのはずだ。
「お兄様。どうかされました?」
そうして楽しい時間はあっと言う間に過ぎていく。買い物を始めてから、もう一刻ほど時間が過ぎただろうか?
お兄様の両手には沢山の荷物が収まっていて、その荷物の隙間から覗いたお兄様の表情はどこか暗く見えた。
最初は遠慮無く買い物に連れ回した所為で、疲れさせてしまったか、と思ったが直ぐにそうではないのだと気付いてしまう。
例えて言うなら悲しげな表情。こんな表情のお兄様は私も余り見た事がない。
「いや、昔の事を少し思い出してね」
「昔の事、ですか?」
「ああ、儚くも散っていった心から尊敬できる人達の事をね」
そう口にしたお兄様の表情は哀愁に満ちていた。
儚くも散っていった人達。以前に軍に所属し、海賊を相手に戦っていたという話を聞かされた事を思い出した。
お兄様が寂しげな表情を浮かべ想いを馳せているのは、その当時に亡くなられた戦友の姿に違いない。
お兄様が自ら尊敬できると仰るほどの方々だ。余程、心に残る素晴らしい方だったのだと推察した。
時折見せる、お兄様の憂いを帯びた表情の訳。そこには、お姉様しか知らないお兄様の過去に原因があるのだと私は察していた。
でも、お兄様の過去について、私が知る事は少ない。大まかな事情を伺う事は出来ても、詳しい話はお姉様も話してはくださらない。
それはお兄様が『樹雷』いう国の皇族である事と関係があるに違いない。
そして詳しくは話せないほどに、その国にとってもお兄様の存在≠ヘ特別なモノなのだと感じさせられた。
「……そうですか」
その事を思うと、少し寂しかった。
話して貰えない事に対する不満から……いや、それはきっと違う。
お兄様を時々遠く感じる理由。それがお兄様の過去にあるのだと知りながら、何一つ出来ない自分に苛立ちを感じ、そしていつの日か、お兄様が自分の世界に帰ってしまうのではないだろうか、という不安に駆られているのだ。
「マリアにも、いつか分かる時が来るよ」
――本当にそんな日が来るのだろうか?
――そしてその時が来ても、お兄様は私の傍にいてくれるのだろうか?
――商会の理念。目的が叶ってしまったら、お兄様は居なくなってしまうのではないだろうか?
そんな不安に駆られながらも、私はその事をお兄様に問い質す勇気がなかった。
聞いてしまえば、そこで終わる。この楽しい時間が消えてしまいそうな、そんな予感がしていたからだ。
「マリア?」
「もう少し、このままで居させてください。お願いします」
お兄様の上着の裾を掴み、頭を背中に押しつける。
お兄様の匂い。お兄様の温もり。この心から安らげる居場所を失いたくない。
出来る事なら、ずっとこのまま一緒に――
私は心の底から、そう願わずにはいられなかった。
【Side out】
【Side:太老】
あの買い物の後、今日は一日、マリアの様子がおかしかった。
屋敷に戻ってからも、ずっと俺の傍を離れようとせず、食事だけでなくトイレや風呂にまで付いてきて俺を困らせる始末。
確かに何度かこういう事が今までにもあったが、今回のは特に酷い。何というか、甘えさせてくれる相手を探していると言った様子だ。
(そうか……あの時に少し雰囲気が似てるんだな)
マリアが俺の事を『お兄様』と呼ぶようになった事件。今日のマリアは、少しあの時のマリアに似ている気がした。
そこで、今日のマリアの様子から寂しかったのかも知れない≠ニ俺は思った。
忙しかった事もあり、仕事、仕事で余りマリアに構ってやれる時間がここ最近なかった。
それは仕方の無い事とはいえ、そんなのは言い訳にしかならない。
「ごめんな。俺から『家族にならないか』って誘ったのに、寂しい想いをさせてしまって」
ベッドの上で俺の左手を握りしめたまま眠ってしまったマリアの頭を、優しくもう片方の手で撫でる。
力を込めれば壊れてしまいそうな小さな身体。あの時から変わらない長く艶やかな髪。少女特有のフローラルな甘い香りが漂う。
あれから二年。身長も伸び、胸も発展途上ではあるが主張する程度に膨らみを増してきたマリア。少しずつではあるが、子供から大人への階段を歩み始めている。
しかし大人びて見えても、中身は依然として変わらないままの少女を、俺は優しげな表情で見詰めていた。
「……お兄様」
どんな夢を見ているのだろう?
俺の名前を呼びながら、ほんの少しマリアの目元に涙が零れるのを俺は見つけた。
王族と言う立場故に同世代の友達も少なく、貴族の社会で生きていくために無理にでも大人になるしかなかった少女。
子供らしく振る舞えず、かといって大人にも成りきれない。
そんな寂しがり屋のマリアという女の子を、俺はこの二年ずっと傍で見続けてきた。
今のマリアを見ていると思う。やはり、俺にとってマリアはハヴォニワのお姫様である前に、大切な一人の女の子なのだと。
「なら、寂しい想いをして泣いている子を放って置けないよな」
直ぐには難しいかも知れないが、少しずつでもマリアとの時間を増やして行こう。
それが『家族になろう』と誘った俺の責任であり、マリアを本当の妹のように思っている俺の素直な気持ちだ。
もっと真剣に仕事に取り組めば、時間も今よりはもっと作れるはずだ。
かなり大変だとは思うが、マリエルや水穂とも相談して真剣に考えて見ようと思った。
(その分、マリエル達には負担を強いるかもしれないけど……)
あちらを立てれば、こちらが立たず。しかし、俺に出来る事はそれくらいしかない。
もう少し経てば聖地学院での生活も待っている。それまでに、出来る事なら何とかしたい。
(仕事を減らせないまでも、効率と速度を上げて毎日の睡眠時間を削ればなんとか……)
イベントは目白押しだ。商会の仕事に領地視察。ラシャラの戴冠式の次には聖地での修行と新しい生活。
どちらにせよ、大変な事は目に見えている。俺がやろうとしている事は、平穏とは程遠い茨の道なのかもしれない。
でも、兄として妹のためにしてやれる事は全て試してみたい。
確かに大変な事かも知れないが、家族のように大切に想っている女の子に寂しい想いをさせたり泣かれるよりはずっとマシだ。
少なくともマリアが成長し独り立ちするまでは、傍で見守っていてやりたい。
それがこの世界に飛ばされたばかりで何も分からず戸惑っていた俺を、何も聞かずに受け入れてくれたマリアに俺がしてやれる唯一の恩返しだと考えていた。
尤も、それはそれ、これはこれだ。随分と当初の予定から遠のいてしまったが、平穏な暮らしを願う俺の気持ちに嘘は無い。
立ち塞がる障害は幾つもあるし問題は残るが、鷲羽と鬼姫が居ない分、それだけでもこの世界は俺の理想に適っていると言える。
折角訪れたチャンスを棒に振るつもりはなかった。
それに俺が夢を諦めてしまったら、俺の夢を応援してくれた皆に申し訳が立たない。
自分のために夢を諦めたのだと、マリアは余計に悲しい思いをする事になる。そんな結末を俺は望んではいない。
(全部、手に入れてやるさ。そう、皆が納得の出来る未来を!)
二兎を追う者は一兎をも得ず、と言うが俺はどちらも手に入れて見せる。
ご都合主義の何が悪い。何かを得るために何かを諦めなくてはならない、なんて言うのは最初から諦めている奴の詭弁だ。
そのくらいの無茶が叶えられなければ、俺が目指す理想なんて夢のまた夢だ。先にも述べたが、俺は内海達みたいになるつもりはない。
二年、その二年で、ようやくこの世界で理想を実現するための土台が出来た。
結果が良ければ全て良し、なんて言うのは諦めに過ぎない。その裏で泣いている女の子が居るのでは意味が無い。
何年掛かろうと、俺も含めて皆が幸せに笑えて過ごせる理想の答えを見つけてやる。
「究極のハッピーエンドを目指して!」
マリアや皆のため、そして俺自身のためにも、無理ではない。やるんだ。
それが俺、正木太老の新たな目標。そして絶対に譲れない願いだった。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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