【Side:グレース】
私の名前はグレース。太老付きのメイド長を務めるマリエルの妹、シンシアの双子の妹で、正木卿メイド隊技術部に所属する天才技師とは私の事だ。
正木商会の最高機密、新型亜法結界炉『フェンリル』を開発した事で知られ、姉のシンシアも私と同様に技術部に席を置き、次世代型亜法演算機『MEMOL』の開発に携わっていた。
商会が保有するシステムの殆どは、技術部主導の下で開発が行われている。謂わば、私達は商会の頭脳とも言うべき存在だ。
最近、各国を賑わせている人工知能を搭載した多脚戦車『タチコマ』も、その一つだ。
尤もタチコマは、技術協力兼名誉顧問であるワウアンリーの協力を得て開発された物で、基礎的な設計思考はワウの開発した機工人を基にしていた。
「ふう……」
カタカタと端末を叩く規則正しい軽快なリズム音が部屋の中に響く。
モニターに流れるプログラムの羅列に目を通しながら一息吐くと、私は長時間放置され冷めきった紅茶を口にした。
「思ったより難解だな。これは、まだ先は長そうだな」
ようやく全体の三割と言ったところまできて、私は手の動きを止める。
仕事の合間を利用してコツコツと進めている物なので、思いの外、進行速度は遅い。少しずつ進めていくしか方法は無さそうだった。
ワウに依頼された新型機工人≠フ制御プログラムの製作に一区切り付けた私は、背もたれに体重を預けググッと手を伸ばして凝り固まった筋肉を解す。何気なく視線を移した先、窓の外には見渡す限り一面の大森林が広がっていた。
私達を乗せた船は今、マサキ辺境伯の領地へと向かっていた。
黄金の船『カリバーン』。ハヴォニワで知らない者は居ないとさえ言われるほど有名な船に乗って。
「グレース。太老様を知らない?」
「太老なら、シンシアと一緒だろう? ああ、そういや、マリアも太老に張り付いてたな」
「そ、そう……」
私の言った光景を想像して、複雑な表情を浮かべるマリエル。文字通り張り付いていたのだから、それ以外に何も言えない。
普段、私達は王立学院の寮に住んでいるし、殆ど研究室に籠もりっきりの毎日を送っている。
週末を利用して屋敷に帰っても仕事の都合などで時間が噛み合わず、確実に太老に会えると言う訳でも無いし、実際こうして太老と顔を合わせるのも二週間振りの事だった。
シンシアも久し振りに太老に会えて嬉しかったのだろう。船に乗る前から太老にべったりと張り付いて離れようとしなかったくらいだ。
それを見たマリアが、今度はシンシアに対抗するように太老にべったりと張り付いて、結果はさっきマリエルに説明した通りになっていた。
以前はシンシアの事もあって気になって仕方の無かったその光景も、最近では『毎度の事』と言えるくらいに慣れてしまっている自分が居る。
母親の病気が治り、昔からの夢だった技師になると言う夢を果たせた事もあって、多少は心に余裕が生まれたからかもしれない。
少なくともシンシアの事に関しては、太老に任せておけば大丈夫と思うくらいには信用していた。
今はこうして研究に没頭をする毎日が楽しくて仕方が無い、といった側面もある。
「それよりもグレース。また、太老様とマリア様の事を呼び捨てにして!」
「いいだろう? 二人もそれで良いって言ってるんだから」
「そう言う訳にはいきません! 仮にもお仕えしている主人の名前を呼び捨てにするなんて……」
確かにマリエルの言うように、私も正木卿メイド隊技術部に所属する人間だが、今更あの二人の事を様付けで呼ぶ気にはなれない。
マリアはお姫様らしく無いというか、友達という感覚で気楽に付き合っているし、本人もその方が楽だと納得してくれている。
太老の場合は出会いからそうだ。使用人の家族である私達の事を『妹』と呼んだり、最初からやる事なす事、非常識な奴だった。
実際アイツにとっては貴族とか平民とか、身分の差など大した意味はないのだと思う。
私達に対してだけでなく、屋敷で働く使用人全員、誰が相手でもあからさまに態度を変えるような真似はしない。
そんな太老の行動に最初は大抵の者が戸惑いを見せるが、太老の事を嫌う者は使用人の中には誰一人として居なかった。
屋敷の外では口の悪い奴が、正木卿メイド隊を称して『マサキ卿のハーレム御殿』などと言っているらしいが、それもある意味で的を射ていると言えなくは無い。
実際、客観的に見ても、使用人達の多くは太老に好意を寄せている者が大半だからだ。
尤も、ハーレムなどという事実が実際にあれば、マリエルもこんな苦労をしているとは思えない。
私の見立てでは、それが事実であって欲しいと願っている使用人達の方が寧ろ多いと踏んでいるくらいだ。だが、現実はそれほど甘くはない。
その証拠に――
「マリエルは真面目過ぎるんだよ。なら、マリエルだって『太老』って呼び捨てにすればいいじゃないか」
「そ、そんな事が出来る訳……」
「公私の区別をきちんと付けさえすれば、太老なら許してくれると思うけど?」
「た、太老様を呼び捨てになんて……で、出来ません!」
そう言って、顔を真っ赤にして否定するマリエル。
本当はそんなシチュエーションに憧れている癖に、素直になれないのが生真面目なマリエルの悪いところだった。
太老の侍従として、自分は常に一歩引いたところで太老を支えるのが役目、と言って融通の利かないマリエル。
関係者なら誰だって、マリエルが太老に想いを寄せている事くらい知っていると言うのに、ずっとこの調子だ。
「二人して楽しそうな話をしているわね」
『――!?』
私とマリエルは、慌てて声のした方角を振り返る。いつの間にか近くの椅子に腰掛け、優雅に御茶を飲んでいる私達姉妹の母親、ミツキ。
目の前に居る私達の母親が、病気の治療のためにと生体強化を受け、太老や水穂と同じ身体になったのが一年ほど前。
その後は力の使い方を学ぶためと、命を救ってもらった恩に報いるためという理由で情報部に所属し、水穂の副官として忙しく働く毎日を送っていた。
これでも、まだ太老や水穂に及ばないらしいのだが、その実力は間違い無く正木商会でも五指に数えられるほど。水穂に次ぐ高い評価を得ている。
「この様子だと、孫を抱けるのは随分と先になりそうね……」
「母さん! 私と太老様はそんな関係ではありません!」
「誰も、太老様とは言ってないわよ?」
「うっ……」
「はあ……シンシアとグレースに先を越されないようにね」
「余計なお世話です!」
さすがのマリエルも母親が相手では分が悪いようだ。
これも一家団欒と言うのだろうか? ふと、そんな言葉が頭を過ぎった。
【Side out】
異世界の伝道師 第153話『マサキ辺境伯領』
作者 193
【Side:太老】
領地視察にやってきました。はい、皆さんの領主、正木太老です。
『――ワアアアッ!』
すみません、調子に乗りました。だから迫って来ないでください。
到着するなり早々、物凄い歓声に出迎えられた。ありえないほどの人の数。ありえないほどの熱気だ。
「さすがはお兄様。領民達に凄い人気ですわね」
自分の事のように嬉しそうに話すマリア。
俺も驚きだ。でも、実際にはそれだけでは無いと思う。その理由は簡単、マリアが一緒に居るからだ。
ハヴォニワ国内でのマリアの人気は今更語るまでもない。毎日、朝と昼に放送されている『にゃんにゃんダンス』の知名度を始め、マリア様グッズの売り上げは商会のマスコット部門で堂々の一位を席巻しているくらいだ。二位に正木卿メイド隊がランクインしているのだが、その二位と倍近い差を付けての圧倒的な人気振りを誇っていた。
首都を中心に『マリア信教』という団体まで存在して、熱狂的な信奉振りで『マリア様のためなら、脱げる、死ねる』なんて公言して憚らない奴は大勢いる。彼等の合い言葉は勿論、『マリア様萌え』だ。
このマリア至上主義は、テレビの普及によりハヴォニワ全土に広がりを見せている。
お茶の間の国民的アイドルであり、現在のハヴォニワの経済発展の礎を築いた人物の一人。それが、今のマリアの国内での支持の高さを盤石な物としていた。
「マリアが可愛いから、皆で観に来たんだよ」
「そ、そんなお兄様ったら……」
その言葉に嘘は無い。『マリア様萌え』だしな。ほら、青い法被を羽織った信者と思しき連中の姿もチラホラ見える。
さて話は変わるが、カリバーンが停船したのはうちの辺境伯領、都市開発の中心ともなっている都市の郊外に造られた新設港だ。
その規模は首都の港を上回るほどの広さで、旅客船だけでなく交易船が多く姿を見せ、貿易港としても盛んな賑わいを見せていた。
マリアに教えて貰ったが、ここの港は『西の貿易拠点』と言われるほどの賑わいを見せているそうだ。ここから国内だけでなく、国外にも様々な品物が送られているらしい。
(そう言えば、タチコマの製造工場もうちの領地にあったんだっけ?)
余り知られていないが、地下都市を始めとする国内の各地で製造された部品が集められ、ここでタチコマは組み上げられている。この港と反対側に位置する巨大な工場がそれだ。
第二工場がもう少しで稼働予定。第三、第四工場も既に建設に入っているとの話だった。
護衛の役目や防衛力の強化という側面もあるが、軍事目的だけでなく商人達が労働用として購入するケースも増えているそうだ。
商会がこれまで以上に莫大な富を得て急速に成長している背景には、このタチコマを始めとする輸出産業が大きな役割を果たしていた。
「太老様。お待ちしておりました」
港で、皆を代表して出迎えてくれたのは本邸の侍従達だ。以前に領地運営を任せ、ここに残してきた侍従達五人、その内の二人が出迎えに着てくれたようだった。
二人の案内で小型船へと乗り換え、その足でまずは領地の屋敷、本邸へと向かう。
先程の港から見た風景もそうだが、窓の外から見える街道の風景も以前に来た時とは随分と様変わりしていた。
他国との貿易拠点の一つになっていると言うだけあって沢山の種類の船が見受けられ、そして出迎えてくれた大勢の人達や、港を利用し行き交う人々の賑わう姿は圧巻の一言だった。
それに荒れ放題だった街道も綺麗に整備されている事が印象に深い。それは俺が任せた領地運営の計画案に沿って、彼女達が努力してくれている証拠でもある。
報告書である程度把握していたつもりだが、こうして実際に現場を見て、肌で感じるのとでは違う。紙面だけでは、街の活気やそこに住む人々の表情などは窺い知れないからだ。
領民の過ごしやすい環境作りは、着実に進んでいるようで少し安心した。
「二人とも、ありがとう」
『え?』
俺が頭を下げて礼を言うと、目を丸くして驚く侍従達。
「大変だったとは思うけど、ここまで復興できたのも君達のお陰だ。だから、感謝する」
「そ、そんな! 私達は自分達に課せられた仕事をこなしただけでっ!」
「そうですよ! 太老様、ですから頭を上げてください!」
これは俺の素直な感謝の気持ちだった。
他の侍従達にも後でちゃんと御礼をしないといけないが、まずは一言、彼女達に御礼を言って置きたかったのだ。
自分でもかなり大変な仕事を押しつけてしまったという自覚があった。
だと言うのに、商会の仕事や首都での公務が忙しかった事もあり、俺は余り領地運営に関しては関与する事が出来ないでいた。
責任を持つと言いながらも、結局は彼女達に任せきりだったのが現状だったのだ。
にも拘わらず、彼女達は俺との約束を守って、立派に役目を果たしてくれた。その御礼はきちんとするべきだ。
主人だから使用人だから、というのはこの際関係ない。人として、してもらった事に対して感謝するのは当たり前の事だ。少なくとも、俺は彼女達のお陰で助かったと感謝している。
「後で、他の娘達にも御礼を言うつもりだけど、何か欲しい物、叶えて欲しい事があったら遠慮なく言ってくれ。俺に出来る範囲で良ければ、何でもするから」
「ですが、それは……」
「うん。私達の好きでやった事ですから……」
困った表情を浮かべる二人。困らせるつもりは無かったのだが、どうにも真面目な性格のようで素直に御礼を受け取ってくれる様子がない。
これでも一応、大商会の代表で辺境伯という地位を預かる貴族だ。未だ実感が持てないでいるが、そこそこの金持ちである事は自覚している。
普段、金の使い道なんて殆ど無く、たまに市場に買い物に出掛けたりするくらいで屋敷の維持費と生活に懸かるお金以外は殆ど使った事がない。精々、ワウと推し進めている研究資金に少し投資しているくらいの話だ。
そんな訳だから遠慮無く言ってくれていいのだが、遠慮深い二人を見て、どうしたモノかと考える。
「素直に受けて置きなさい。お兄様はこういう方ですから、断る方が後で怖いですわよ」
マリア、フォローしてくれるのはいいが、その言い方はどうかと思うぞ。
それでは、俺が素直に御礼を受け取ってくれなかったら、まるでとんでもない事をしかねないような発言じゃないか。
御礼を個人で受け取れないのであれば、侍従達のために役立つアイテムの一つか二つを開発してプレゼントしようと考えたくらいだ。
手作りのプレゼントというのは、こういう場合は感謝をカタチで示す意味で一番無難な贈り物だからな。
「……では、御言葉に甘えて、皆で相談して決めさせて頂きます」
「こっちには一週間ほど滞在する予定になっているから、その間に決めてくれればいいから」
『はい』
手作りの贈り物というのも捨てがたいが、もらって困るという可能性もあるしな。
欲しい物があるのなら、自分達で決めてもらうのが一番だ。
そうこう話をしていると、屋敷の姿が見えてきた。
「太老様。この後、私は屋敷の警備の件で別行動に移ります。マリア様とミツキ様のご家族の護衛は、ユキネとタチコマ部隊に一任する事になりますが、よろしいでしょうか?」
「ああ、こっちは構わないから、よろしく頼むよ」
本邸に戻る際、コノヱには屋敷の警備強化と対策をお願いしていた。領地から届けられた報告書に、ここ最近また侵入者の数が増しているという報告が上がっていたからだ。
タチコマの製造工場や、本邸の方にもかなりの数の侵入者が毎月訪れているらしい。
水穂が屋敷に残してきた二体のバイオボーグと、警備用のタチコマによって全て捕縛されていると言う話だが、念のためコノヱにその確認と対策を依頼したと言う訳だった。
正木卿メイド隊警備部の責任者である彼女なら、上手く対策を講じてくれるはずだ。
犠牲者が出てからでは遅いしな。こうした対策は事前に打っておかないと。
「それじゃあ、ユキネさん。皆の事をよろしく」
「……うん」
こうして、俺の領地視察の一日目が始まった。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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