【Side:太老】
「それじゃあ、俺はハンバーグ定食で」
「私はオムライスにしますわ」
「は、はい! 暫くお待ちください!」
昼食を兼ねて俺達はマリアが興味を持ったファミリーレストラン、略して『ファミレス』で休憩を取る事にした。
お昼時とあって結構な数の客で店は賑わいを見せている。
メニューは定番のハンバーグ、カレーライス、パスタ、オムライス等々、子供向けメニューとして『お子様ランチ』も名を連ねていた。
お国柄を意識してか、ハヴォニワらしく和食のメニューも品揃えが良いみたいだ。
制服は本格的なメイド服と言う訳では無く、メイド喫茶とかでありがちなミニスカートのなんちゃってメイドを模した物だ。
白を下地に淡い青色のストライプとリボンが特徴的な可愛らしい制服に身を包んだウェイトレス達が、『いらっしゃいませ』と笑顔で出迎えてくれる明るくて感じの良い店だった。
「何か、店員の娘。テンパってたな」
「商会系列の店に来れば当然かと思いますけど? お兄様は有名人ですからね」
そう、マリアの言うように、ここに来る前も結構な人の注目を浴びていた。
さすがに直接声を掛けてくるような人は居なかったが、遠巻きに注目されるというのはそれはそれで精神的に疲れる物だ。
この店に休憩に入ったのも、正木商会の傘下の店であれば幾分かマシだろう、という狙いがあったからこそでもあった。
結果だけをいえば、店員はガチガチに緊張した様子だし、周囲の客達の視線に晒されて余り外と大差が無かった。
これも有名悦という奴だろうか?
残念ながら知らない人が居ないくらい俺の顔は知れ渡っているし、マリアも一緒なのだからこれは仕方の無い事と言える。
普通に考えて、自分達が勤める店の親会社の代表が店を訪れたのだ。
俺にその気がなくても、抜き打ちの視察か何かと勘違いして、店員が緊張するのも無理はない話だ。
正直、そこまで気が回っていなかった。店の娘達には少し悪い事をしたかもしれない、と反省していた。
「それだけでは無いと思いますけど……頬を赤く染めて、あの狼狽えようは……」
腑に落ちないと様子で、そう口にするマリア。
何か、変なところとかあったか? 俺としてはあの店員の態度は極自然だと思うのだが?
ようは、それだけ緊張してたって事だろう。寧ろ、よく頑張っていた方だと思う。
しかし、いつもながら仕事に対してのマリアの評価は厳しい。
遊びに来ているのだからもっと楽にすれば良いと思うのだが、そこはマリアらしいと言ったところだろう。
傍から見ている感じ、常に周囲に目を配らせている様子が窺えるし、恐らくはさっき俺が心配した通り、マリア自身は視察も兼ねているつもりに違いない。
あれだけ街に出掛けたがっていた一番の理由は、そこにあるのだと俺は思った。
「お、お待たせしました」
そう言って、先程のウェイトレスが注文した料理をトレーに載せて運んできてくれた。
テーブルに並べられる料理。ハンバーグ定食にオムライス、それに――
「あれ? こんなの頼んでないけど?」
「サ、サービスです!」
「いや、でも……」
ドンッ、と存在感を放つように置かれた巨大なトロピカルジュース。ご丁寧にハートのカタチを模した二本のストローが備え付けられていた。
これは何か? 俺とマリアの二人でこの嬉し恥ずかしい代物を飲み干せと、そう言う事か?
こんな商品は先程目を通したメニューの中に無かった。
恐らくは俺とマリアが訪れたのを良い事に、試飲のつもりで持ってきたのだろうが、ここにきて『サービス』と言う名の思わぬ羞恥プレイを強要された俺はどうした物か、とマリアの方を見た。
こんなピンチは以前にマリエルと水穂、それに侍従達を交えて体験した『ラブラブトロピカルジュース事件』以来の話だ。
「…………」
目が輝いていた。余程、目の前のジュースが珍しいのか、その様子からも興味津々といった様子が窺える。
仕事熱心なマリアの事だ。メニューにも載っていないような新しい商品を見せられたら、興味を持たないはずがない。
これは覚悟を決めなくてはならないようだ。そう、今日はマリアのために設けた時間だ。
兄として妹が望むのであれば、出来る限りそれを叶えてやりたいと思う。
一呼吸置き、息を整え覚悟を決めると、料理を運んできてくれたウェイトレスに向かって礼を言った。
「ありがとう。遠慮無く頂くよ」
そう、これは試練だ。きっと、性格のねじ曲がったカニ頭の神が与えた試練に違いない。
仲睦まじい兄と妹であれば、トロピカルジュースを二人で飲むくらい自然な事だと自分に言い聞かせ、俺はストローに口を付けた。
【Side out】
異世界の伝道師 第157話『ハヴォニワの休日』
作者 193
【Side:マリア】
明らかに店の娘達の反応は、客や上司に対する者とは違っていた。
お兄様に向ける視線、態度、それは憧れに近い物だ。もしかしたら、ただの憧れでは無いのかもしれない。
それほどに熱狂的な感情を、彼女達から私は感じ取っていた。これはこの店に始まった事ではない。
デートの最中にずっと感じていた視線。その内、女性から向けられていた視線の殆どは彼女達のように、お兄様に向けられているモノだった。
お兄様はここハヴォニワでは特に有名で、その名と顔を知らない者は殆どと言って良いほどいない。
雑誌やテレビと言ったマスメディアに顔を露出している事も理由にあるが、ハヴォニワに住む人達にとってお兄様は神にも等しい存在と言えるからだ。
教会が定める女神のような目に見えない物では無く、生きた偶像としてお兄様は人々に崇拝され、感謝されていた。
そんな遥か雲の上に居る人物が無造作に街中を歩いていて、しかも店に入ってきたりしたら騒ぎにならないはずがない。
お兄様は特に気にしていらっしゃらないご様子だが、彼女達が言葉を詰まらせ頬を赤く染めるのも無理からぬ事だった。
(お兄様の人気があるのは嬉しい事ですが、何だか複雑な気分ですわ)
とは言え、慣れて置かなくてはならないのも事実だ。モヤモヤとする気持ちを抱えながらも、私はグッと我慢する事にした。
聖地学院に入学すれば、今まで以上に多くの女性がお兄様に言い寄ってくるに違いない。
お兄様の事だから上手くあしらって相手にはされないと思うが、その度にヤキモチを妬いていてはお兄様のご迷惑になるばかりだ。
何となく納得の行かない部分がありつつも、そこはドンと構え、広い心で寛容に対応するべきだと考えていた。
特にお兄様ほど優秀な殿方であれば、それは極自然な事。何人側室が居ても不思議では無い。
この世界の結婚には二種類あり、一生を添い遂げる意味での結婚の他に、聖機師の義務としての結婚がある。所謂、種付け行為の事だ。
お兄様が聖機師としても飛び抜けて有能である事は武術大会で明らかとなっている。学院を卒業すれば、お兄様宛てに大量の種付けの申し込みがくる事は疑いようが無い。
その頃には、私達と結婚して正式に大公国の国主となっているはずだが、どうされるかはお兄様次第だ。
聖機師の結婚は国が管理しているとはいえ、国と国の取り引き、その仲介には必ず教会が間に入る仕組みとなっている。
お兄様が拒否されたとしても、お兄様ほど飛び抜けた才能を持つ聖機師となると、各国の戦力バランスに目を光らせている教会がそれを許すかどうかは別問題になるだろうし、各国もそれでは納得が行かないに決まっている。
有能な男性聖機師の血は特に貴重だ。
もしお兄様が拒否するような事があれば、戦力強化のための自国への抱え込みと判断されて、大きな戦争に発展する恐れもある。
それほどに聖機師の血とは、この世界で絶対的な意味を持つ。軍事的にも、宗教的にも軽視できない物だからだ。
国として認められ、自国に聖機人と聖機師を抱え込む事になれば、余計にその問題は付き纏ってくるだろう。
だから、私は自分の感情を押しつけて、お兄様に浮気をするな、とは言えなかった。
同盟に参加する一人として、添い遂げる意味での正式な結婚は簡単に認めるつもりはないが、聖機師としての務めに関しては私が口出し出来る事は何もない。
聖機師としての才能を持って生まれた以上、この世界ではそれは避けては通れない問題だからだ。
特にその重要性を理解している王族に生まれたからこそ、私はお兄様に自分の感情を押しつけることは決して出来なかった。
(そうですわ! 寧ろ、これは誇りなのです!)
それほど注目を浴びる殿方の婚約者であり、家族のように慕われている私は、寧ろ恵まれているこの状況を誇りに思うべきだ、と気持ちを切り替える事にした。
お兄様から誘って頂いてデートできる女性が果たして何人居る事だろう?
お兄様に名前を呼び捨てにして頂ける女性が何人居る事だろう?
お兄様と腕を組んで街中を歩ける女性が何人居る事だろう?
そう、私は一歩も二歩も彼女達をリードしている。
ここは正妻として、ドンッと構えるのが寛容な態度だと、自分に言い聞かせた。
正妻として……はっ!?
(私とラシャラさん、どちらが第一夫人になるのですか!?)
これは由々しき問題だ。何故、今の今までその事に気がつかなかったのか、自分でも不思議なくらいだった。
恐らくは水面下で、ハヴォニワとシトレイユの間で今も意見調整が続いているのだろうが、私とラシャラさんのどちらかが第一夫人になり、片方が第二夫人という事になるのは確実だ。
平民であればそこまで気にする事ではないのかもしれないが、私達は王族だ。体裁の問題もあるが、一番か二番かは国際的にも重要な問題となる。
勿論、お兄様の気持ちが一番だと考えてはいるが、政治とはそれほど簡単ではない。
(帰ったら、お母様と相談してみないといけませんわね)
お兄様と婚約できるという嬉しさで一杯で、今まで肝心な事に気付かないでいた。
婚約したらしたらで、絶対に浮上する大きな問題だ。
上手く落としどころを作らないと、後々大きく揉める原因となるのは明白だった。
「お、お待たせしました」
考え事をしていると、料理を運んできたウェイトレスの声が聞こえて、ハッと意識を揺り戻す。
机の上に並べられる料理。お兄様の注文されたハンバーグ定食と、私の注文したオムライス。
それに――
「あれ? こんなの頼んでないけど?」
「サ、サービスです!」
「いや、でも……」
それは前にも一度、タクドナルドの限定メニューで頼んだ事のある『トロピカルジュース』が、私の目の前にあった。
あれとは違って、このファミレスのオリジナル商品のようで、交わるように左右に飛び出たハート型の赤いストローが、私とお兄様の方へと向けられている。デートなのだから当然とは言えるが、まさかこんな展開が訪れるとは思ってもおらず、心構えが出来ていなかった。
店員の思わぬ配慮に、気恥ずかしさと、嬉しさと、感謝の気持ちが同時に込み上げてくる。
チラッ、と店員の方を見ると『頑張ってください』と言った感じで、その表情から応援してくれているのが直ぐに分かった。
先程まで、ヤキモチを妬いていた自分が恥ずかしい。彼女達の心遣いを、とても嬉しく感じていた。
「…………」
お兄様と目があった。私は期待の籠もった瞳で見詰め返す。
確かにこんな公の場で恥ずかしくない、と言えば嘘になるが、それ以上にお兄様と一緒にこのジュースを飲みたいという想いの方が勝っていた。二人きりでこんなジュースを飲む機会なんて、そうはある物では無い。
ましてや、聖地学院に通うようになれば、尚更こんな機会は少なくなるはずだ。
今を逃せば、次はいつ訪れるか分からないイベントに、私は大きな期待を寄せずにはいられなかった。
「ありがとう。遠慮無く頂くよ」
そう言って、ストローに口を付けられるお兄様。それに習うように、私ももう片方のストローに口を付けた。
甘い、甘い、ジュースの味が、私の心を甘く溶かしていく。
まさに至福の時。一緒に街を見て回って、買い物して、食事をして、そして同じ飲み物を恋人のように口にする。
どこからどう見ても、恋人の休日としか思えないシチュエーションに、胸が一杯になっていくのを私は感じていた。
その後、このトロピカルジュースはテレビや雑誌で特集が組まれ、噂と共に『ハヴォニワの休日』という名前で大ブレイクする事になる。
日常の中の小さな出来事。それでいて、私にとっては大きな前進でもあった。
【Side out】
「太老兄……何やってるんだよ」
「あらあら、幸せそうですね。くれぐれも言っておきますが、まだ控えてくださいね。こちらにも段取りがありますので」
「分かってますよ。拾ってもらった恩は忘れてません」
立ち並ぶ建物の屋上から、太老とマリアを観察する二人の男女の影があった。
片方は十五、六のまだあどけなさが残る少年といった様子。
もう片方は、二十代前半といった感じの大人の色香が漂う短い茶髪の女性で、その場には不釣り合いな白と黒のメイド服を身に纏っていた。
「では、様子見はこのくらいにして、私達も帰る事にしましょう」
「……はい」
「心配しなくても、直ぐに会えますよ。後、一ヶ月ほどの辛抱です」
一ヶ月後。それはラシャラの戴冠式が終わり、彼女達が聖地学院に入学する時期と重なっていた。
偶然か、それとも必然か、それはまだ分からない。
ただ、何かの思惑の下で、二人が動いている事だけは間違いなかった。
「絶対に帰るんだ。元の世界に……」
二人の男女はスッと立ち上がると、少年はそう言い残し、景色の中に溶け込んでいった。
……TO BE CONTINUED
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