【Side:太老】
さて、突然ではあるが冷静に聞いて欲しい話がある。
最初に言って置くが、これは自慢でもなんでもない。そもそも俺と同じような状況に立たされれば、誰とて同じような反応をするはずだ。
そう、俺は今、非常に困った事態に頭を悩まされていた。
「太老様。実は相談があるのですが、よろしければこの後、私と一緒に……」
「ちょっと待ちなさい! 抜け駆けは禁止と言ったはずでしょう!?」
「そうよ! 狡い! 私達にも太老様と話をさせなさいよ!」
目の前を覆い尽くす女生徒達。我先にと迫ってくる女生徒の集団。
え? 良い事じゃないか、って? 羨ましいぞ、コンチクショウ! 甘い、激甘だ!
冗談ではない。普通であれば百人が百人羨む状況なのだろうが、これだけ大挙して押し寄せられると喜んでいる余裕など微塵も無い。
女三人寄ればかしましい、と言うが三人でも大変なのに相手は総勢百人を超す女生徒達だ。楽しむ余裕など、あるはずもなかった。
そう、ここはハヴォニワ王立学院。今日は、シンシアとグレースの卒業式の日だ。
「あなた達! そんな羨まし……いえ、お兄様の迷惑になるような真似は慎みなさい! 淑女のする事ではありませんわよ!?」
『うっ……』
その迫力に呑まれて唖然としていたマリアだが、ようやく意識を取り戻して女生徒達を大声で叱責する。
さすがにハヴォニワの王女の言葉には逆らえないのか、マリアに咎められて大人しくなる女生徒達。『すみませんでした。太老様、マリア様』と言って肩を落として散っていく女生徒達の哀愁漂う背中を見て、少し悪い気がした。
とはいえ、あのままマリアが止めてくれなかったら一体全体どうなっていた事やら。ここは心を鬼にせざるを得ない。
厳しく女生徒を叱るマリアの背中に後光が差して見えた。今日ばかりは、マリアに感謝しないとな。
俺一人で来ていたら、もっと酷い目に遭っているところだった。
「お兄様も気をつけてください。それでなくても、顔が知られているのですから」
「……面目ない。とても助かりました」
この人気はウーパールーパーのような物と理解していても、精神的に凄く疲れる。
最近では随分と慣れたといっても、その疲労具合は並では無かった。
例えるなら、徹夜明けに上司から突然の誘いを受け、接待ゴルフに付き合わされる平社員その一と言ったところだろうか?
もう一つ例えるなら、胃薬を片手にキリキリとする場の雰囲気と格闘しながら、接待麻雀を打つ営業マンその一と言ったところか?
はっきり言って、普通に仕事をしているよりもずっと疲れる。特にあれだけ大勢の女性が集まると、もはやかしましい≠ニ言うより凶器に近い。
「太老様、マリア様。受付を済ませて参りました。どうかされたのですか?」
「いや、なんでもないよ。ミツキさんは?」
「母さんは先に会場の方へ。警備の最終確認もありますし」
「あの人は、居ないと思ったら……」
ハヴォニワ王立学院の卒業式にはフローラやここに居るマリアを始め、ハヴォニワの重責にある人達が数多く出席する、
この学院に通う生徒達は、その殆どが貴族や商家など身分のある家柄の子女達ばかりだ。
当然、入学式や卒業式などの重要な式典ともなれば、そうした生徒達と参列者の家族を護るために厳重な警備が敷かれる事になる。
そしてハヴォニワのそうした重要な式典には、最近は必ずと言って良いほど正木商会が関わっていた。
会場の外は聖機人を主力とした軍の正規兵が固めてくれているとはいえ、会場内部は白兵戦に強いタチコマや侍従部隊の出番という事だ。
更に今日は、俺やフローラ、マリアが参列しているとあって、情報部・警備部総出での厳戒態勢だ。マリエルの話によれば、ミツキはコノヱと一緒に情報部代表として、その指揮を執っているらしい。
「はあ……融通が利かないというか、普通に保護者席に座ってればいいのに……。マリエルもなんで、メイド服?」
「これが私の正装です」
はっきりと迷わずにそう言い切るマリエルを見て、俺は額に手を当ててため息を漏らした。一方、やれやれといった感じでマリアも同じ困った顔をしていた。
いや、もう融通が利かないとか、そういう次元の話ではない。ここまで来ると病気だ。
仕事熱心なのは良いが、マリエルは妹の卒業式で、ミツキは娘二人の大切な卒業式だろう? それを仕事を優先とか、まずありえん!
そもそも、その理由に俺の警護が含まれているのが一番納得が行かなかった。穏便に話して済ませようと思っていたが、限界だ。
話が通用しないのであれば、残された手は強硬手段しかない。
「あーっ! もう我慢ならん! マリア、侍従達を連れて直ぐにマリエルとミツキを式典用の衣装に着替えされてくれ! 最重要任務だ!」
「た、太老様!? 御言葉ですが、私には侍従の仕事が――」
「そんなのは無し、休み、反論はきかん!」
「お兄様、お任せください」
『マリエル様。申し訳ありません』
「ちょっ! あなた達、何を――」
バッとマリアが手を上げ合図を送ると、どこからともなく侍従達が姿を現しマリエルを連れ去ってしまった。
異世界の伝道師 第174話『双子の卒業式』
作者 193
「うん。二人とも似合ってるじゃないか」
マリエルとミツキが着ているのは、ハヴォニワの伝統衣装の一つ『着物』だ。
簡略的な物では無く、慶事用のきちんとした着物を用意したのだが、初めて着たと言う割には二人ともよく似合っていた。
(やっぱり、ハヴォニワは和の文化が多いよな。和菓子といい)
マリエルの方は淡い水色の振袖。ミツキは少し渋めの紺色の振袖。既婚者であれば留袖がマナーとされているが、ミツキの場合は既に夫と死別し独り身である事もあって、こちらを用意してもらった。
女性は年齢に敏感というのもあるし、留袖などを用意して入らぬ怒りを買いたくはない。これは俺の経験による配慮だ。
以前に一度、柾木家の正月行事にやってきた水穂に、子供ながら『振袖は二十代までじゃ』なんて迂闊な事を言ったらプレッシャーだけで殺されかけた経験がある。あの日から、年齢の話は女性の前では禁句だと身を持って体験した。
特に命が惜しかったら、水穂の前で結婚を連想させる話はしない方が良い。パジャマ姿で魔窟に裸足で飛び込むくらいの自殺行為だ。
マリエル、ミツキ、どちらの着物も見事な意匠が施された職人が丹精込めてこしらえた一品だ。
ハヴォニワの重要な式典では、こうした着物がドレスの代わりに用いられる事も少なく無い。
異世界から伝わった文化の一つとして、伝統衣装の一つに挙げられるほどポピュラーな物だった。
ただ、着物を仕立てられる職人の数と技術的な問題、芸術的な価値が高い事からも値がかなり張る代物で、一般人がおいそれと手を出せる代物ではない。
マリアが嗜んでいる日本舞踊や、茶道・華道といった習い事が特権階級の物とされているのも、そうした経済的な事情が一番大きかった。
マリエルとミツキが、着物を一度も着た事が無いというのも無理のない話だ。
ミツキも聖地に通っていたとはいえ、実際に自分用の着物を持っているとなれば、そこそこ金を持った貴族や商家の娘くらいのものだ。
具体的にどのくらい高いかというと、マリアに王室に納められている着物の一着辺りの値段を聞いて目が飛び出るほどだった、と言って置く。
実際、地球でもかなり値が張る代物ではあるが、こちらの着物はそれに輪を掛けて高い。上等な物になると、大型の中古船が一隻買えるほど高額な代物もあった。
例え特権階級の貴族であっても、男爵以下の貧乏地方領主ではおいそれと手がだせない値段だ。一般的な聖機師ですら、年収が軽くそれ一着で吹き飛んでしまう。
「あの……太老様。このような高価な服を着せて頂く訳には……」
「……マリエル。そんなレベルの問題じゃないわ。これ、もしかしなくても王家の意匠ではないですか?」
「マリアに頼んだからよく分からないけど、王室御用達の職人に仕立ててもらったって言ってたし、そうじゃないかな?」
目を丸くして驚く二人。俺も詳しい金額を聞いた訳ではないが、かなり高価な代物である事は確かだ。
この着物の代金は俺の懐から出ているのだが、マリアとフローラの顔でかなり格安にしてもらっているという話だった。
大型の中古船とかまではさすがに無理でも、これ一着で家一軒くらいなら買えるんじゃないだろうか?
うん。自分で着る服として考えたら十分にありえない値段だ。マリエルとミツキが驚くのも無理はない。
とはいえ、自分では着る気が無いというだけの話であって、これでも商会の代表であり辺境の地方領主とはいえ侯爵の位を持つ貴族の一人だ。着物の一着や二着、買うくらいの金に不自由はしていない。
まあ、自分の物を買うとなると今でも庶民癖が抜けなくて、お買い得品にばかり目が行くのは直らない訳なのだが……。
高級料理とか全然食べた気がしないし、肌触りの良い裾丈ぴっちりしたオーダーメイドの衣装とか、どうやっても慣れない。こればかりは骨身に染みついた物なので、矯正するのは無理だと諦めていた。
「とにかく、それを着て保護者席で大人しくしてること。今日は仕事は良いから」
普段、そんな風にケチ臭い俺ではあるが、事が幼女のためとあれば話は別だ。
マリアに言って二人の着物を用意してもらったのも、全ては卒業式にミツキとマリエル揃って参加して欲しくてだ。
だというのに、朝から二人して何をしているかと思えば、こんな時にまで仕事仕事仕事……。仕事が悪いとは言わないが、もっとシンシアとグレースの事を考えてやって欲しい。
卒業式という一生に何度もある事じゃない大切な日に、保護者不参加じゃ格好が付かないし可哀想だ。
第一、それが俺の所為だったりすると、俺は二人に顔向けが出来ない。
「その着物は二人のために作った物だから着てもらわないと困るし、返されたりしたらもっと困る。仕事なんて忘れて、今日くらいはシンシアとグレースの卒業を祝ってやってくれ」
大体、着物を一着用意したくらいで、ミツキとマリエルの普段の仕事振りに報いる事が出来るとは思っていなかった。
シンシアとグレースの二人なんて、商会への貢献度で考えれば大型船の一隻や二隻、プレゼントしたとしてもまだ足りないくらいだ。
あの二人の保有しているパテントだけでも、特権階級の貴族達がゼロの桁を見て、顔を真っ青にして驚くほどの数字が並んでいる。
ワウアンリーが研究資金を気にせず研究に没頭できるのも、実はこのタチコマを始めとした商品のパテント料が大きいからだった。
それに比べたら、俺のプレゼントした着物なんて高が知れている。その気になれば、衣装部屋にダース単位で揃える事だって可能だろう。
「マリエル。素直に太老様のご厚意に甘える事にしましょう。私達の負けよ」
「ううぅ……分かりました。ありがとうございます」
渋々といった様子だが、シンシアとグレースのためにも二人が折れてくれて良かった。
【Side out】
【Side:ミツキ】
「卒業おめでとう。シンシア、グレース」
「二人とも、卒業おめでとう。グレース、首席代理の答辞よかったわよ」
「うっ……なんで二人揃っているんだよ? 仕事はどうしたんだよ」
マリエルと私が揃って顔をだした事で、驚いた様子のグレース。私が答辞の事を褒めると、顔を真っ赤にしてふて腐れてみせた。
本来であれば首席卒業のシンシアが答辞を読むのが普通なのだが、シンシアは心因的な問題から話す事が出来ないため、代わりに次席のグレースが卒業生を代表して答辞を行う事になった。
グレースは強気に見えて、かなりの恥ずかしがり屋だ。その姿を私達に見られたくは無かったのだろう。
来賓席に居る私達を見つけたグレースが、顔を真っ赤にして驚いた様子が、先程の事のように鮮明に思い出される。
アレを見られただけでも、出席した甲斐はあったという物だ。機会を与えてくださった太老様とマリア様には感謝しないと。
マリエルもその事が分からない訳ではない。それでもこの子は真面目だから、色々と考えてしまうのだろう。
この着物だって、決して安い物では無い。今、私達が頂いている給金でも、おいそれと手が出せるような代物では無かった。
普通の着物なら買えなくは無いが、これは王室御用達のハヴォニワ有数の職人の手によって作られた最高級の着物だ。
これ一着で下手をすると屋敷もしくは船一隻分に相当すると思うと、プレゼントされて素直に喜べないのは無理もない話だ。
マリア様やフローラ様ならまだしも、私達では服と身分が釣り合っていない。分不相応な代物だ。事実、参列していた他の貴族達が私達の方を見て驚いていた。
「太老様が気を利かせてくださったのよ」
「……太老とマリアが?」
マリエルの口から太老様の話が出た事で、微妙な表情を浮かべるグレース。一方、シンシアの方はどこか嬉しそうにも見える。
グレースも内心では分かっているはずだが、今一つ素直になりきれないのはシンシアの事もあるからなのだろう。
シンシアは特に実の父親のように太老様を慕っている節がある。それこそ、人見知りが激しくグレースや私達以外に懐こうとしなかったシンシアが、こうして学院に通えるようにまでなったのも太老様のお陰だと私達は思っていた。
自分が出来なかった事を容易く為してしまったばかりか、自身の半身とも言えるほど大切にしてきたシンシアを奪われたかのような錯覚。グレースは聡い子なので、マリエルや私の気持ちにも薄々気付いているはずだ。グレース自身も太老様の事を悪く想っていないだろうし、その内心はかなり複雑な物に違いなかった。
私が情けなかったばかりに、シンシアを護るために子供ではいられなかったグレース。その事には母親として思うところが無い訳ではない。
そうしてしまったのは私の責任だ。一を聞いて十を知る。頭が良すぎるのが、この子の欠点でもあった。
「こらっ! また、太老様とマリア様を呼び捨てにして!」
「うっ……別にいいだろ! そのくらい!」
「よくありません!」
マリエルとこうして姉妹喧嘩しているところを見ると年相応の子供だが、やはりシンシアと違ってグレースはどこかぎこちない。
太老様に少しでも恩返しが出来ればと仕事を優先していた部分があるが、そうした娘達への接し方に私自身戸惑っていたのかもしれないと今回の事で考えさせられた。
恩返しと言いながら、太老様の所為にして母親の責務から目を背けていたと思うと恥ずかしい。
太老様の事だ。その事に気付いていて、今回のような機会を与えてくださったのかもしれないと考えた。
「おっ、皆そんなところに居たのか。いや、酷い目に遭ったよ……。マリアが居なくなった途端にこれだもんな」
服装を僅かに乱した様子の太老様。恐らくはまた女生徒達、いや今度はその保護者達の攻撃を受けていたに違いない。
太老様に取り入ろうとする者は大勢居る。それこそ、少しでも他家よりも有利な関係を築きたい、と考えている商人と貴族は少なくないはずだ。
今年度の卒業生の内、聖地学院に進学する生徒は約四十五名。内、聖機師が三十名と例年に比べてかなり多い。
そして既に彼女達の戦いは始まっているといっても過言では無い。学院在籍中に少しでも太老様と良好な関係を築こうと画策している貴族達は大勢居るという事だ。
「マリア様はどうされたのですか?」
「フローラさんと一緒に学院長の長話に付き合ってるよ。あっちもあっちで大変みたいだな」
マリエルの質問に、やれやれといった様子で肩をすくめる太老様。余りこうした席がお好きでは無い事が、その様子からも窺えた。
このような場所に姿を見せれば注目されるのは当然だ。
それでもこうなる事が分かっていて、シンシアとグレースのためを思って参加してくださったのは太老様の優しさだ。
「グレース、卒業おめでとう」
「フ、フンッ!」
照れ隠しのつもりなのだろう。赤くなった顔を見られたく無いのか、顔を背けてしまうグレース。
普通であれば大変な失礼にあたる行為だが、そんなグレースを前にしても太老様は嫌な顔一つしない。
寧ろ、微笑ましそうにそんなグレースを見守っているくらいだった。
シンシアとグレース、二人の事を自分の娘のように大切にしてくださっている証拠だ。畏れ多い事ではあるが、それが今は嬉しい。
「――パパ!」
「ああ、シンシアも卒業おめでとう。来月から一緒の学校だな」
「うん」
――――唖然とした
多分、それはマリエルも、先程まで顔を背けていたグレースも同じだ。
「あの、太老様?」
「ん? どうした、マリエル?」
「シンシアが……話して……」
マリエルの言葉に一瞬、思考に耽った様子で沈黙する太老様。場に一時の静寂が訪れる。
「…………おおっ! シンシア、いつの間に言葉を覚えたんだ!?」
「?」
よく分かっていないのか、首を傾げるシンシア。太老様は太老様でどこかずれていた。
「よかったな、話せるようになって。今日は二重の意味でお祝いだな」
「おいわい?」
「そそ、パーティーしないとな。今日は御馳走だぞ」
私達の驚きなど、この方にとっては些細な問題なのかもしれない。
シンシアが喋ったというのにも驚かされたが、太老様の適応力の高さにはもう一つ驚かされた。
ずっと一緒に暮らしてきた家族の私達にすら出来なかった事を、平然とした顔で太老様は容易く為してしまう。
グレースの気持ちが少し理解できた気がした。シンシアの閉ざされた心を開いたのは、間違い無く太老様だ。
「あれ? そういえば、パパって?」
「……ダメ?」
「まあ、いいか。今までも、娘みたいなもんだったしな。グレースも『パパ』って呼んでいいんだぞ?」
「呼ぶか!」
グレースに拒絶されて心底残念そうな顔をする太老様。冗談と分かっていても、そのお気持ちが今は凄く嬉しかった。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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