【Side:太老】

「お兄様! 私というモノがありながら、ミツキさんと結婚されるってどういう事ですか!?」
「太老! 我との婚約を前に結婚とはどういう事じゃ!? 浮気をどうこういうつもりは無いが、後四年が何故待てんのじゃ!」
「はあ!? なんだそりゃ!」

 書斎に飛び込んでくるなり、俺に鬼の形相で迫ってくるマリアとラシャラ。
 結婚とか、俺ですら初耳なんですが……。いやいや、そんな身に覚えのない事で責められても困る。
 ギャアギャアと喚き立てる二人を落ち着かせ、事情を尋ねてみると、

「それです!」
「そう、それじゃ!」
「それ?」
「?」

 マリアとラシャラが声を荒らげて指をさした先には、俺の膝の上にちょこんと腰掛け大人しく読書に耽っているシンシアが居た。
 二人に突然指をさされて首を傾げるシンシア。そのあどけない仕草が、また何とも言えず癒される。
 研究室の引き継ぎも無事に終わり、二日ほど前に寮を引き払って屋敷に戻ってきたシンシアとグレース。それからというもの会えなかった日々の寂しさを埋めるように、毎日俺のところにシンシアは入り浸っていた。
 俺もシンシアのような可愛い子に懐かれれば嫌な気はしない。それに仕事も手伝ってくれるので正直かなり助かっていた。
 こうしてのんびりと寛げているのも、シンシアが書類整理を手伝ってくれているお陰だ。

「……パパ」
「ほら、シンシアが怖がってるじゃないか。人を指さすもんじゃないぞ」
「うっ……申し訳ありません」
「うっ……すまん」

 分かってくれればいいんだ。分かってくれれば。こんな小さな子にヤキモチを妬くようでは困る。
 不安そうな表情を浮かべるシンシアの頭を優しく撫で、くすぐったそうに微笑むシンシアを見て、世のお父さん達の気持ちが少し分かった気がした。確かにこれは、嫁に出したくなくなると言うモノだ。
 今からそんな先の話をすると笑われそうではあるが、そうなった時、絶対に反対するし娘の結婚式では号泣する自信があった。
 娘に彼氏が出来たというだけで、きっと殺意が芽生えるに違いない。ああ、そう考えるとなんかちょっと嫌だな。
 実際に子供を作るなら、男の子の方が気楽で良いかもしれない。俺が昔やってた遊びや鍛錬も色々と気兼ね無しに教えてやれるしな。

「そうではありません! それです! それ!?」
「それ?」
「その……ほら、あれじゃ! シンシアの『パパ』とはどういう事なのじゃ!?」
「ん……ああっ、そういう事ね。だったら、最初からそう聞いてくれればいいのに」

 シンシアが話せるようになった事を驚いているのか。それなら、そうと最初から言ってくれればいいのに。
 まあ、二人が驚く気持ちは分かるが、

「良い事じゃないか」
「良い事なのですか?」
「良い事じゃと?」
「そりゃ、そうだろ。俺はシンシアのためにも良かったと思ってるよ」

 シンシアが話せるようになって悪い事などあるはずもない。俺も最初ちょっと驚いたが、良い方向に進んでいる証拠と思って特に気にしてはいなかった。
 学校にも通えるようになって以前に比べて人見知りも随分とマシになったと聞いているし、シンシアも日々成長しているのだと実感している。
 まだ少し甘えたなところが抜けないが、それは年齢を考えればそれほど問題ではない。逆に甘えてもらえなくなると、ちょっと悲しくなるしな。少しずつ成長していけばいい、と俺は長い目でシンシアの事を見守っていた。娘が居る父親の感覚って、こういう事を言うのかもしれないな。

「太老様……。先日のあれは冗談では無かったのですね?」
「ミツキさん?」

 ラシャラとマリアが開けっ放しで入ってきた扉の前に、いつの間にかミツキが立っていた。
 先日のアレ≠ニは何の事を言っているのかよく分からない。俺、何かミツキに言ったか?
 ツカツカと部屋の中に入ってくるなり、俺の手を取って真剣な表情を浮かべるミツキ。

「では、私が太老様の妻という事で問題ありませんね」
「問題大アリですわ!」
「問題ありすぎじゃ!」

 何だか、状況が全く理解出来ないまま場は混沌とした様相を醸しだしていった。





異世界の伝道師 第175話『失われた過去』
作者 193






「娘は認知して妻は要らないと……!?」
「いやいやっ! なんで、そんな話になるんだ!?」

 シンシアに『パパ』と呼ばれる事から、なんでミツキが俺と再婚するなんて話に飛躍するのか?
 ようやく何を誤解していたか理解した俺は、マリアとラシャラに事情を説明してどうにか納得してもらった。
 まだ腑に落ちないと行った様子で訝しんでいたが、そこは仕方が無い。嘘は吐いてないしな。

「フフッ、冗談ですよ」
「……笑えない冗談は勘弁してください」

 笑えない冗談は始末が困る。ミツキのそれはフローラと同じで破壊力があり過ぎるので、勘弁して欲しかった。
 実の兄のようにマリアとラシャラが慕ってくれるのは嬉しいが、嫉妬パワー全開で迫られるのも精神的に凄く疲れる。

「でも、太老様に感謝しているのは本当ですよ?」
「感謝って言われても、俺は大した事はしてないんだけど?」
「太老様にとっては極当たり前の事でも、私達家族にとってはそうでは無いのです」
「そんなもんかな?」
「そんなものですよ」

 そう言って、フフッと微笑むミツキを見て、俺は動揺を隠すように今も膝の上にちょこんと腰掛けるシンシアの方を向いた。
 まあ、確かにこうしていると仲睦まじい一家団欒に見えなくも無い。マリアとラシャラの責めを受けた後ではあるが、こんな時間も悪く無いと心のどこかで俺は思っていた。
 今の今まで深く考えなかったが、俺も結婚すればこうして家庭を持つのだと思うと少し感慨深いモノがある。
 特別裕福で無くていいから、平穏で温かな家庭をいつか俺も築いてみたい。
 まあ、そのためには色々と課題が残るのだが、その課題が一番の難題なんだよな。でも、家庭か。いいな、こう言うの。
 ――――――ッ!

「……か、ぞく?」

 その時、頭にノイズのようなモノが走った。
 ザザーッという音と共に、脳裏に浮かぶのは白と黒の二色で描かれたモノクロの世界。
 ――前世。それは、今となっては断片断片にしか思い出せない過去の遠い日の記憶。
 前世の俺にも家族は、大切な人達は存在した。父、母、妹に、一緒に馬鹿をやった友達。そして――

「うっ、がああぁぁ!」
「――太老様!?」

 頭が割れるように痛い。昔の事を考えても、今までこんな事は一度として無かったはずだ。それがどうして突然?
 走馬燈のようにイメージが次々に頭に浮かんでくる。まるで情報を押し流されるように、絶え間なく脳裏に浮かぶ映像。それは過去の記憶。俺が前世だと思っている記憶の一部だった。
 その中に、映像がぼやけてはっきりと分からない記憶の一欠片を見る。
 俺が忘れていた記憶。いつの事かも分からない。学生時代? いや、社会人になってからか?

 ――お兄ちゃん

 声が聞こえた訳じゃ無い。八、九歳くらいの女の子が記憶の中の俺をそう呼んだ気がした。
 見知ったはず≠フ少女。だけど、名前も顔も覚えていない少女。彼女は俺の――――だったはずだ。
 白い屋根の一戸建て。庭でバーベキューをしているのだろうか? 画面越しに見るその向こうには、温かな家族の団欒が映っていた。
 その平穏は俺が求めてやまないものだ。そこには俺の大切な人達が居る、それは確かなのにその人達の顔と名前が俺には思い出せない。
 大切な人の記憶のはずなのに、まるで泡沫の夢を見ているかのようにあやふやで、他人の夢を見せられているかのように現実感がそこには無かった。

 転生して新たに生まれ変わった俺は『太老』という名前を両親から与えられた。
 正木太老――それが今の俺の名前。この世界で生まれ育った俺の新たな名だ。

 ――なら、昔の俺はなんて名前だった?

 転生したのであれば、俺には前世があったはず。そしてその記憶は俺の中に確かにある。
 でも、どこか空虚で断片的にしか思い出せない記憶に言い知れぬ不安が襲う。転生したという事は、俺は死んだという事だ。

 ――それじゃあ、俺はなんで死んだ?

「――ロウ様、誰か! 太老様が――」

 身体を揺すられ、一瞬にして意識が現実に返る。再び、薄れ行く意識の中で、ミツキの悲痛な叫び声が聞こえた気がした。
 最後に見たモノ。それは記憶の中で、アンティークの重厚な椅子に腰掛け、じっとこちらを見ているマリエルの姿。

 これは現在(いま)の記憶? それとも前世(かこ)の記憶?

 答えが出ないまま闇に沈んでいく意識の中で、俺は――――の名前を口にする。
 そう、目が覚めたら夢の事と忘れてしまいそうな泡沫の記憶の中で、俺は確かに彼女≠ノ出会っていた。

【Side out】





「――! お兄ちゃん!?」

 その頃、樹雷で一人の少女が一早く天樹の異変に気付き、全高十キロを超す巨大な大樹を見上げていた。
 まるで鼓動するように何度も何度も淡く白い光を発する大樹。それは樹雷の首都、樹雷最大の樹『天樹』だった。

「……ごめん。心配をかけちゃったね。船穂と龍皇も心配なはずなのに……」

 後で二本に束ねた癖のある茶髪。見た目、九歳前後の少女の肩には、二匹の小さなマシュマロのような生き物の姿が見える。
 右肩に乗った白い方は『龍皇』。左肩に乗った黒い方は『船穂』。共に第二世代の皇家の樹と第一世代の皇家の樹と同じ名を持つ生体端末だ。
 心配するように身体全体を使って少女に頬ずりをする二匹に、少女は『大丈夫だよ』と優しく微笑み返した。

「覚醒が早い……。もっと時間を稼げると思ってたのに、どうして?」

 困惑と不安。そして悲しみの入り交じった表情を浮かべ、少女は天樹を見上げる。

「鍵を見つけた? ううん、鍵と出会った?」

 その声は震えていた。不安と悲しみ、そして喜びと寂しさ。そのどちらとも取れない不可思議な感情。
 錯綜する感情の中、思案に耽る少女の瞳には既に一つの決意が宿っていた。

「こんなところに居らしたのですか? 瀬戸様と夕咲様がお呼びですよ」
「うん、直ぐに行く」

 樹雷の着物を身に纏った一人の女性が姿を見せ、階段下から上階のバルコニーに居る少女に声をかけた。
 階段下の女性に手を振り、よっほっはっ、と掛け声をかけながら二十段はあろうかという階段をトントントンと三足で飛び降りる少女。
 普段からやっているのか、随分と手慣れた様子だ。その危ないとも、行儀が悪いとも取れる少女の行動を見て、一方の女性も慣れた様子で『気をつけてくださいね』と一言だけ言い含めるに留めた。
 この少女であれば、この程度の高さ一足で飛び降りたところで怪我一つ負わない事は分かっている。確かに行儀が悪い行為ではあるが、口で言っても素直に聞いてくれないであろう事は何度も試して確認済みだからだ。
 それにこのくらい瀬戸様なら、『元気があってよろしい』くらいで面倒臭そうに済ませるに違いないという確信が女性にはあった。

「呼び出しって、天樹の発光の事かな?」
「多分、そうだと思いますが……。以前の発光の時も、大騒ぎになりましたし」
「私の所為じゃないから、私に振られても困るんだけど……」
「それはご本人達に直接仰ってください。私に言われても困ります」
「むー」

 同じように切り替えされて頬を膨らませる少女。傍目には本当の姉妹のように見えなくもない。
 尤も、実年齢は姉妹や親子どころか十倍では済まないくらい離れているのだが、そこはここだけの秘密だ。
 見た目と実年齢が伴わないのは、ここ樹雷では決して不思議な話ではない。
 ましてや、それが皇族に連なる者であれば尚更だ。それもそのはず。この少女と女性は――

「ねえ、林檎お姉ちゃん」
「はい?」
「お兄ちゃんの事、やっぱり気になるよね? 心配?」

 そう少女に問われて、ギクリと足を止め、動きを停止する着物の女性。
 少女に『林檎』と呼ばれた女性は、隣を歩く幼い少女に考えていた事を見透かされ、表情をそのままに固まっていた。
 そんな林檎の表情を覗き込み、『ふふん、どうなのかな?』といった様子で悪戯が成功した小悪魔のように笑みを浮かべる少女。

「それは……。桜花ちゃんは騙せませんね。ええ、気にならないといえば嘘になります」
「だよね。お兄ちゃんの事が好きなら当然か」

 観念したと行った様子で、一つため息を漏らし林檎はそう口にした。林檎の口からでた『桜花』という名前。そう、それが少女の名だ。
 フルネームは『平田桜花』。『瀬戸の剣』と恐れられる神木家第七聖衛艦隊司令官『平田兼光』と、元第七聖衛艦隊司令官で現在は『樹雷の鬼姫』と銀河で最も恐れられる『神木瀬戸樹雷』の政策秘書を務める『平田夕咲』の一人娘だ。

 先程から少女に『林檎お姉ちゃん』と呼ばれている女性は、同じく樹雷の鬼姫に仕える経理部主任。『鬼姫の金庫番』と恐れられる『立木林檎』その人である。現在、太老の元にいる柾木水穂同様、その名前を耳にすればどんな犯罪者でも泣いて許しを請うと言われるほど、おっかない人物だった。
 その事を本人は随分と気にしているようだが、事実なのだから仕方が無い。だが、本人の尊厳のために言って置くと彼女も立派な皇眷属の一人。樹雷四大皇家『竜木』に連なる縁者だ。
 竜木の家の者は、例え『立木』であろうとも対外的には『銀河連盟お嫁さんにしたい女性ランキング』の上位を独占しているのは紛れもない事実だった。
 そう、経理部主任などやっていなければ、鬼姫の部下などやっていなければ、彼女も今頃は女の幸せを掴めていたのかもしれない。
 それは同様に水穂にも言える事なのだが、これ以上の話は危険なので避けさせて頂く。

「うん! 決めた! お兄ちゃんを追い掛ける!」
「え……ええっ!?」

 桜花の爆弾とも取れる発言に、林檎は思わず大声を上げて張り叫んだ。

「瀬戸様とかに遠慮してたら、一生お兄ちゃんを物に出来ないよ? それに水穂お姉ちゃんも向こうに行っちゃってるし、うん。これは危ないね。水穂お姉ちゃんの独走態勢だよ」
「え、えっ?」

 手を大袈裟に広げて、林檎を煽る桜花。でも、その眼は至って真剣その物だった。

「それにお兄ちゃんって無自覚に色々な女の人を虜にしていくから、実際にはもう現地妻≠ニか作っちゃってるかもしれない。帰ってくるまで待ってたら、もう手後れかもしれないよ!」
「た、太老様に限ってそんなっ!」
「甘い! 激甘だよ。相手はあの頭に『銀河最強』が付くほど唐変木のお兄ちゃんだもん。瀬戸様の女官さんがみーんな、お兄ちゃんを狙ってるの、林檎お姉ちゃんも知ってるでしょう?」

 桜花の物を言わせぬ迫力と、確かにそう言われてみるとそうかもしれないと考える林檎。
 事実、『お兄ちゃん』もとい『正木太老』が『鬼の寵児』と呼ばれ樹雷に居た頃、瀬戸の女官達を尽く籠絡したというのは本当の話だ。
 尤も実際には、そのような行為に及んだ自覚は本人には無いのだが、真実は時に噂よりも残酷な物だ。
 噂とは本来誇張されて伝わる物だが、太老の場合は違う。有能すぎる神木家情報部の働きによって、その噂はそれでも随分と抑えられている方だった。

「瀬戸様と母さんに直談判する! それでダメなら家出してでも追い掛ける! 林檎お姉ちゃんはどうする?」
「うっ……。でも、私には太老様の留守を預かる責任が……財団や経理部の管理もありますし」
「無理強いはしないけど……後悔してもしらないよ?」

 後悔。確かに、また後悔する事になるかもしれない、と桜花に古傷をえぐられて危機感を抱く林檎。
 この時、立木林檎の脳裏には、後の歴史書に『最も多く側室を抱えた樹雷皇』別名『オットセイ将軍』として不名誉な名前を残しても全く不思議では無い、現実的な太老の未来が浮かんでいた。

 事実、思い当たることは沢山あった。
 今、林檎が頭の中にパッと思い浮かぶ太老の恋人候補だけでも、銀河を代表する一勢力が新たに歴史に名を刻まれるほどの数に上っている。
 しかも全員が全員、政治や経済、軍部の中枢に深く関わる人物ばかり。ちょっとした混乱が銀河規模で起こったとしても、全く不思議ではない面子が揃っていた。
 もしも、もしもだ。ここで太老が異世界で現地妻なんて作って帰ったら、そうした人達が黙っているだろうか?
 答えは否。林檎は顔を真っ青する。今まで抑えていた衝動が暴走するかのように、平穏、そんな言葉が夢物語と思えるほどの混乱が銀河を覆う事は必至だった。

 それに林檎自身の気持ちも納得が行かない。それでも太老様のためになるなら、と考えていても彼女も恋する乙女の一人だ。その中に自分も加わりたいという願望が無い訳ではなかった。
 寧ろ、過去に逃した得物は大きい。その事を他の誰よりもよく知っている彼女が太老に向ける想いは純粋で強いモノだ。

「わ、分かりました! 瀬戸様に相談してみます!」
「うん! 一緒に頑張ろうね!」

 涙目を浮かべギュッと拳を握りしめる林檎を見て、大成功と行った様子でニヤリと笑みを浮かべる桜花。

(林檎お姉ちゃんを味方に付ければ、瀬戸様や母さんの説得もやり易くなるしね)

 ずっと、ずっと待っていた。この時が来るのを。
 全ては大切なあの人のため。それが平田桜花≠揺り動かす唯一無二の想い。

(お兄ちゃん……。待っててね。必ず、私が……)

 やっと見つけた手掛かり。
 気の遠くなるような時間、待ち焦がれた瞬間が訪れようとしていた。





 ……TO BE CONTINUED



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