【Side:太老】
目を覚ますと、シンシア、マリア、ラシャラの三人がベッドに上半身を預け、椅子に座って寝息を立てていた。
「パパ……」
「お兄様……」
「太老……」
何だかよく分からない状況だが、このままでは風邪を引かせてしまう。
そう思った俺は自分の使っていた毛布を、横並びに仲良く眠っている三人の肩に起こさないようにと優しく掛ける。
よく見ると、マリア達の眼の下には薄らと涙の跡が残っていた。
「あれ? そもそも、なんでベッドに?」
寝起きで頭に靄が掛かったみたいにはっきりとしない。そこで一つ一つ順を追って昨日からの記憶を辿ってみる。
昨日は朝から仕事をしているとマリアとラシャラが書斎に飛び込んできて――
「ああ、そうか。俺、気を失ったんだ」
ミツキと話をしている最中に昔の事を少し思い出して、それで頭が痛くなって気を失ったのだと気付く。
今一つ前後の記憶がはっきりとしないが、恐らくはミツキ達が俺をベッドにまで運んでくれたのだろう。
だとすると、この涙の跡も……。
(ずっと看病してくれていたのか)
また、心配をかけてしまったな、と反省する。本当に頼り無い兄、頼り無い父親だ。後でちゃんと謝っておかないとな。
しかしまさか、昔の事を思い出したくらいで気を失うとは思ってもいなかった。今まで、一度もこんな事は無かったというのに……。
それに何か重要な夢を見たような気がするのだが、その内容がどんな物だったのか、全くと言って良いほど思い出せない。
「ううん……ダメだな。頭がはっきりとしない」
よくよく考えてみると、はっきりと前世の記憶がある時点で俺はかなり特殊だ。これまでは問題なかったが、身体に不具合があっても不思議では無い。特に気にしてなどいなかったが、今まで何も無かった方が寧ろ不自然だったのかもしれない。
とはいえ――
(あれこれ考えても仕方が無いか。原因が分かれば苦労はしないしな……)
転生とか、前世とか、正直体験した本人ですら現実感の無い話だ。何か問題があったとしても、原因の解明なんて出来るはずも無い。
鷲羽なら或いは……と思うが、本当の事を話して実験動物にはされたくなかった。カニ頭の嬉々とした表情が頭を過ぎる。うん、俺に自殺願望はない。その案だけは絶対に却下だ。
根本的な解決は何もしていないが、気を失った原因は前世の記憶にあるという事は分かった。そこにだけ気をつけておけばいいのだから、それが分かっただけでも随分とマシだ。
実のところ、前世の事は断片的にしか覚えていなかったり、気になるところは幾つかあるのだが、無理をしてまで思い出したいとは考えていなかった。
俺には今の生活がある。『正木太老』としてこの世界に生を受けてからの十数年という人生は、夢や幻ではなく紛れもない現実だ。
今の生活に支障をきたしてまで、昔の事を知りたいとは思わない。ましてや、今回のように周りに迷惑や心配を掛けてしまっているようでは尚更だ。
「……パパ?」
「ん? 起こしちゃったか? おはよう、シンシア」
「パパッ!」
目が覚めたシンシアにガバッと抱きつかれ俺は少し戸惑いながらも、その小刻みに震える小さな身体を優しく抱き留め頭を撫でた。
「パパ……パパ……」
「シンシア?」
シンシアの父親の話は俺も聞いている。その父親の死がトラウマとなって、シンシアが喋れなくなってしまったという事も――
(はあ……。これじゃあ、父親失格だな)
なのに、目の前で俺が突然倒れたのだ。事故とはいえ、昔の古傷を抉るような真似をしてしまった。
亡くなった父親と俺を重ね合わせて、シンシアが取り乱すのも無理はない。
「ごめんな、シンシア」
「ぐすっ……どこにもいっちゃヤダ」
「何処にも行かない。俺は、ずっとシンシアの傍に居るよ」
こんなに良い子を泣かせてしまう駄目な父親代理だけど、それでも傍にいてやるくらいの事は出来る。
何度も何度も優しく頭を撫でながら、シンシアが泣き止むのをじっと俺は待ち続けた。
「お兄様!? シンシアとベッドで抱き合って……!?」
「太老!? まさかミツキではなく、シンシアが本命じゃったのか!?」
目覚めるなり俺とシンシアが抱き合っている姿を見て、場違いな勘違いを引き起こす少女が二人。
折角の感動的なシーンを台無しにする二人を見て、ハアとため息が一つ漏れた。
異世界の伝道師 第176話『仕事禁止令』
作者 193
「えっと、マリエルさん?」
「ですから、仕事は禁止です。太老様に回せる仕事はありません」
仕事禁止令が発令されてしまった。原因は今更言うまでも無い。あの気絶の所為だ。
物を言わせぬマリエルの迫力に俺は反論の言葉を失う。主従の立場が完全に逆転していた。
「でも、俺でないと出来ない仕事とかあるし……」
「ご心配には及びません。太老様で無ければ決済の出来ない仕事を除いて、他の仕事は全てこちらで処理させて頂いております。前者に関してもマリア様やラシャラ様の協力を得て最低限に留めていますので、太老様のご負担にはなりません」
うん。もう、何を言っても無駄という事が分かった。
侍従達が結託しているばかりか、マリアやラシャラまで関与している時点で最初から俺に選択肢はない。
まさか『前世だ。転生だ』なんて本当の話を出来るはずもなく、曖昧に誤魔化した結果がこれだった。
◆
「さて、どうしよう? 一気に暇になってしまった」
日課となっていた仕事を奪われ、ならば工房にと向かうとそこにも侍従達が待ち構えていて、それも禁止されてしまった。
手持ち無沙汰とはこの事だ。マリア達も十日後に控えた戴冠式の準備や仕事の引き継ぎで忙しそうにしているし、俺だけが暇を持て余す事態に陥っていた。
とはいえ、屋敷に居ても何もさせてもらえそうにない。そこで侍従達の目を盗んで屋敷を抜け出し、商会本部に足を運んだのだが――
「太老くん……。それで私のところに来られても困るんだけど? シンシアちゃんはどうしたの?」
「グレースと一緒に技術部の仕事らしいです。何か仕事ありません?」
「はあ……。太老くんも十分に、仕事の虫よね……」
「水穂さんに言われたく無いですけどね……」
仕事中毒の水穂に言われたくない。水穂の場合、仕事の虫というよりも仕事が日常のような生き方をしている。
情報部副官、『瀬戸の盾』なんて呼ばれて彼氏居ない歴ン百年。
周囲に置いてけぼりをくらって行き遅れになっているのも、結局のところそうした――
「太老くん、何か言いたそうな顔をしてるわね。いいのよ。はっきりと言ってくれて」
「な、なんでもありません!」
にっこりと笑う水穂を見て、背筋に何とも言えない悪寒が走った。
危なかった。口は災いの元とはこの事だ。一瞬考えただけとはいえ、雰囲気からそれを察するとは……水穂の勘の鋭さを甘く見ていた。
今のやり取りだけで、寿命が千年ほど縮んだかもしれん。口に出してたら、今日が俺の命日になっていた。
「のんびりしてたらいいじゃない? 寝転がってダラダラするの好きでしょう?」
いや、確かに好きだけど……何か棘がある言い方だな。さっきの事を根に持っているのか?
下手にツッコミを入れると藪蛇になりそうなので、そこはグッと我慢する。
「でも、落ち着かないんですよね。一人だけグータラしてるってのも……」
周りが忙しそうに働いているのに、一人だけ何もしないというのも落ち着かない。
ましてや、シンシアやグレースまで働いているのだ。正直、これほど肩身の狭い思いは他に無かった。
とはいえ、屋敷に居ては何もさせてもらえそうにない。そこで一番仕事を抱えてそうな人のところに顔を出したのだが――
「無いわよ。それに太老くんに仕事を振った事がバレたら、私が皆に怒られるじゃない?」
「……それは確かに」
「大人しく休暇と思って休んでなさい。太老くんが倒れて、本当にみんな心配してたのよ?」
それを言われると辛い。確かに皆を心配させたの事実なので反論は出来なかった。
「私だって、心配したんだから……。全く太老くんは」
「水穂さん? 何か言いました」
「何でもありません! ほら、仕事の邪魔よ」
ボソボソッと声が小さくて聞き取れなかったが、どうやら水穂の機嫌を損ねてしまったらしい。
結局、水穂にも邪魔者扱いされて商会を追い出される羽目になってしまった。
ううん。どうしたものか?
「太老様?」
「アンジェラさん?」
考え事をしながら歩いていると、アンジェラとばったり商会の前で出会した。
◆
「あの……本当に結構ですから」
「でも、荷物持ちは居た方が楽でしょ? 俺も丁度、暇を持て余してたし」
「た、太老様に荷物持ちをさせるだなんて、そんなっ!?」
というやり取りがあったのが、三十分ほど前。
俺は今、アンジェラの買い物に付き合って、退屈を紛らわすかのようにブラリと市場を散策していた。
「す、すみません。本当に荷物持ちをさせてしまって……」
「寧ろ、俺の方こそごめん……。まさか、こんな事になるなんて……」
俺の両手は前がちゃんと見えないほどの大量の紙袋で塞がっていた。
紙袋に入っているのは果物や野菜、肉や魚といった食料品ばかりだ。全部、市場の人達が俺の姿を見つけるなり持たせてくれたお土産の品々だった。
普段から市場に買い物にくると色々とお裾分けを貰っていた俺だが、今日はそれにも増して貰い物が多い。
アンジェラは俺に荷物を持たせている事を申し訳なく思ってくれているようだが、全部俺の貰い物なのでそれをアンジェラにまさか持たせる訳にはいかない。第一、男の俺が女性に買い物袋を持たせて、無手で歩くなんて真似が出来るはずも無かった。
「本当にごめん。買い物の邪魔になっちゃったな」
「お気になさらないでください。それにちょっと得をしたと言いますか……」
「……得?」
「い、いえ、なんでもありませんよ! なんでも!」
顔を真っ赤にして、あたふたと手を左右に振るアンジェラ。トク、得……ああ、そういう事ね。両手の紙袋を見て合点が行った。
買い物するのが省けたって事か。まあ、そうだよな。これだけ食料品があれば、大抵の物は作れそうだし。
ああ、それで俺に持たせている事を気にしていたのか。気にするほどの事でも無いのに。
どちらにせよ、調理しないと食べられない物も多いし、一人で食べきれる量でも無いので屋敷の皆へのお土産にしようと思っていた。
「あの……お身体の方は、もうよろしいのですか?」
「ああ、うん。一日ゆっくり休ませてもらったしね」
皆、心配してくれるけど、逆に元気が有り余っているくらいだ。
「そう言えば、何を作るつもりだったの?」
「え? お気付きだったのですか?」
「うん? そりゃ、まあね」
俺はそんなに鈍くない。この紙袋を前にして『お得』なんて言われたら、そりゃ気付く。
アンジェラが何を作るつもりか知らないが、ここにある食材で足りないようなら買い足しをしないとダメだろう。
そう思って尋ねたんだけど――
「その……。滋養強壮に良いシトレイユの家庭料理を……」
「おおっ、それは食べてみたいな」
「ほ、本当ですか!?」
「うん。ハヴォニワの料理は食べ慣れてるけど、シトレイユのはまだ余り食べた事が無いしね」
以前にシトレイユに行った時も、家庭料理と言うよりは宮廷料理に近い高級料理ばかり食していたので、そうした物には興味があった。
ハヴォニワの料理はどこか和を思わせる物が多いが、逆にシトレイユの料理は洋食に近い。
個人的には和食の方が好みではあるが、洋食も嫌いでは無かった。基本的に美味ければなんでも好きだ。肉より魚派なんだけどな。
塩焼きや煮付けなんか特に最高だが、洋風の魚料理も捨てがたい。アンジェラとか料理が上手そうだし、かなり期待できそうだ。
「それでは、あの……私の手料理でよろしければ、食べて頂けますか?」
「是非! あっ、ここにあるので足りるかな?」
「あ、はい。香辛料を少し買い足せばなんとか……」
その後、アンジェラと二人で残りの買い物を済ませて屋敷に戻った。
買い物が安く済んだのが余程嬉しかったのか、終始ご機嫌のアンジェラに約束通り料理を振る舞ってもらい、その味は自慢するだけあって『凄く美味しかった』とだけ評価しておく。
偶にはこういう休日も悪く無い、と思っていたのだが――
「お兄様! アンジェラさんの手料理、ってどういう事ですの!?」
「太老! 何故、我ではなくアンジェラなのじゃ!?」
そのあと何故か、公務から帰ってきたマリアと話を聞きつけてやってきたラシャラの二人から、『今日は何をしてた』だの『どうしてアンジェラの手料理を食べている』だの、謎の質問攻めを受けた。
――そんなに二人とも、アンジェラの手料理を食べたかったのか?
結局そのバタバタもあって、大幅に書類仕事を減らされはしたが仕事に戻っていい事になり、仕事禁止令は撤回された。
目を盗んで屋敷を抜け出した件に関しては、この後、マリエルに嫌と言うほど説教される羽目になった、とだけ付け加えておく。
うん。悪い事はするもんじゃないな。だけど、やっぱり不思議なのがマリアとラシャラの二人だ。
余程、アンジェラと二人きりで美味しい料理を頂いてしまった事を根に持っていたのだろう。
「お兄様から目を放すと、ライバ……いえ、被害者が増えそうですし……」
「うむ。無自覚に被害を拡大するから困りものじゃ」
食い物の恨みは恐ろしい。ご機嫌斜めのマリアとラシャラの視線が痛かった。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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