【Side:太老】
「結局、フローラさんは見つからないままか。ワウも捕まらないしな……」
「会場の中は勿論、外もくまなく捜索させたのですが……」
さすがのマリエルも、今回ばかりはお手上げと言った様子で首を傾げていた。
入り口で受付を済ませている事からも、二人とも会場入りしている事は間違いないそうだ。
しかしどこにもフローラは勿論、ワウの姿すら見当たらない。それに設営スタッフが何人か居なくなっていると言う話も上がっていた。
全てが繋がっているのは確かだ。しかし、会場の内と外を侍従達がくまなく探したと言うのに発見できていない。それが不可解でならなかった。
一体、二人はどこに消えたというのか?
「……あれこれ考えても無駄か。こうなったら、なるようにしかならんよな」
「太老様、そろそろお時間です」
「うし、それじゃあ行くか!」
フローラが何か企んでいるのは確かだが、その姿を確認できていないのではどうしようもない。なるようにしかならないと覚悟を決め、俺は目の前の事に意識を集中する事にした。
ハヴォニワとシトレイユの同盟調印式典。そしてラシャラとマリア、二人との婚約発表。これが上手く行けば、国皇に就任したばかりのラシャラの立場をより盤石な物としつつ、俺達の計画にも大きな前進が望める。これからの事を考えると、絶対に失敗が許されない大切なイベントだ。
「太老さん……」
「え? リチアさん? それに後の人達は?」
控え室から会場に向かう途中、廊下で待ち伏せていたと思われるリチアに声を掛けられた。
珍しくラピスは一緒じゃなく、後には黒髭を生やした勇ましい感じのオッサンと、その脇に護衛機師か従者と思しき女性が三名控えていた。
「こちらの方はトリブル王。後の方々はトリブル王宮機師の方々です」
トリブルと言うのは聞いた事の無い名前だった。いや、どこかで聞いた事のあるような。
「トリブル王国。教会の次に古い歴史を持つ王国の事です。トリブル支店はご存じのはずですが?」
「あっ、そう言えば支店の候補地にそんな名前があがっていたような……」
最近、タチコマの輸出などで交易先が随分と増えた事もあって、商会の支店が急増していた。
その中にマリエルの言う『トリブル』の名前があった事をようやく思い出す。
ハヴォニワ、シトレイユ、シュリフォン。この三大国と教会が大陸の主権を握っていると言っても過言では無いが、それ以外にも小さな国々は存在する。
ハヴォニワも分散統治されていた国を統一する事で、シトレイユやシュリフォンと肩を並べるほどの大国になったという経緯があるが、過去にあった大戦や戦後の混乱の最中、大国に吸収され消えた国もあれば、逆に今も教会や大国の顔色を窺いながら細々と存続している国も数多くある。その一つがトリブル王国だ。
とはいえ――
「これから大事な式典があるんで、挨拶や話は後にして欲しいんですけど……」
「……その式典に関わるかもしれない重要な話なのです。時間は取らせません。どうか私達の話をお聞き下さい」
リチアがそう言って頭を下げると、それに習うようにトリブル王やその護衛機師達も一斉に俺に頭を下げた。
さすがのマリエルも驚いた様子で、その光景を前に固まっていた。
それはそうだ。聖地学院の生徒会長に、一国の王が頭を下げている光景など滅多に目に出来るものではない。
張り詰めた空気の中、その迫力に気圧され首を縦に振ると、真剣な表情でリチアが重い口を開いた。
「トリブル王宮機師の一人、モルガ様がハヴォニワに……いえ、フローラ様に引き抜かれました」
【Side out】
異世界の伝道師 第191話『グウィンデルの花』
作者 193
【Side:リチア】
トリブル王にはあれほどお願いしていたというのに申し訳なさそうに彼が言った言葉は、私を混乱させるのに十分な内容だった。
聖地学院の前生徒会長であり、現在ではトリブル王宮機師の筆頭機師として名を挙げているモルガ先輩が、秘密裏に行われたハヴォニワとトリブルの外交取引でハヴォニワに二年の期限付きで出向が決まったというのだ。
期限付きとはいえ、あの『戦闘狂』の異名を持つモルガ先輩が、『色物女王』で噂に名高いハヴォニワのフローラ様と手を結んだとなると、これは由々しき事態だ。
そもそも、何故そんな取引に応じたのかとトリブル王を問い質すと、何とも答え難い返事が返ってきた。
金の問題、との話だ。
トリブル王国は教会に次ぐ歴史ある古い国の一つだが、歴史があるからと言って国が裕福だとは限らない。
表向きは確かに貧しい国ではないし、トリブル王は聡明な方で民からも慕われている有能な為政者だ。
しかしトリブル王宮は、ハヴォニワに対して直ぐには返せないほどの大きな借款があった。
大陸全土を巻き込んだ先の大戦で疲弊したトリブル王国は、一時は国としての存続を危ぶまれる状況に追い込まれた事があった。
教会や周辺諸国から少しずつ得た支援でなんとか持ち直しをみせたトリブルではあったが、それでも国を建て直すために作った借金が減る事は無かった。
歴史こそあるものの特に目立った産業もなく特産品も乏しい国情では、国の借金は膨らむばかり。しかも先代、先々代の王がそうした事に疎い人物だったようで、かなり楽観的な捉え方をしている部分があったそうだ。
それにトリブル王国の立場も、その楽観的な考え方を生む要因の一つとなっていた。
ハヴォニワが今ほどの国に成長するまでは、周辺諸国の中でシトレイユ・シュリフォンの何れにも属さない一番歴史のある中立国として権勢を振るっていた国がトリブルだ。
確かに古いだけの国ではあるが、歴史があると言う事は教会との繋がりもそれだけ深くなる。そして殆どの国が教会から供与された聖機人や技術で国を護り、生活を営んでいた。
金を貸している周辺諸国もそうした事情もあって、トリブル王には余り強く言えないと言った事情もあったのだろう。一国当たりの額自体もそれほどの金額では無かったので、今までは返済が滞ったところで文句を言うような諸侯もいなかったそうだ。
しかし、それが今になって問題の種として浮上していた。
ハヴォニワが分散統治されていた国を統一し今の大国にまでのし上がった事はよく知られていると思うが、その時にトリブル王宮が諸侯から借金していた借用証書が全てハヴォニワに集まる事になってしまったのだ。
ちりも積もれば山となるとはこの事だ。利子もあって膨れるに膨れあがった借金は、そう易々と返せるほどの金額では無くなっていた。
しかもその最中、正木商会の登場によって、更にトリブル王国は『古いだけの国』として世界から取り残されていく事になる。
他の国々の諸侯が商会と通じて旨味を得ようとする中、取引をしようにも金も交渉材料も無いトリブル。
しかしトリブルとしても、この波に乗り遅れれば確実に荒廃の一途を辿るしかなくなる。
国家百年の大計は疎か、次の代までトリブルが存続しているという保証はどこにも無いような状況に追い込まれていた。
だからと言って、相手は商人。何のメリットもなく協力してくれるとは思えない。
しかもその商会の代表はハヴォニワの貴族。フローラ様との繋がりが強い事で知られ、政府機関にも多大な影響力を持つハヴォニワの重鎮だ。
本来、借款の取り立てをされても文句を言えない立場にありながら、それを見逃してもらっている弱い立場でもあるので無理は言えず、半ば諦め掛けていたところに今回のフローラ様からの提案があったと言う話だった。
――王宮機師モルガを差し出せば、トリブルの借款を帳消しにしてもいい
幾ら、聡明な王と呼ばれていようとトリブル王とて人の子だ。無い袖は振れず、そんな話をされて心が動かないはずがない。
それでもモルガ先輩はトリブルの筆頭機師。謂わば、国家防衛の要とも言うべき存在。
これまでの借金が全て帳消しになるといえ、それを易々とハヴォニワに譲る訳にもいかず、話し合いの末、他に幾つかの条件を呑む事で二年の期限付きの出向と言う話で決着がついたらしい。
その条件の内容までは教えてもらえなかったが、トリブル王の申し訳なさそうな顔を見ていると余り強くは訊けなかった。
相手があのフローラ様となると同情的な気持ちにもなる。
それに今回の話にモルガ先輩は随分と乗り気だったというし、その用意周到さから考えると私達の知らないところでモルガ先輩とフローラ様が結託していたと考えるのが自然だ。
ハヴォニワにしても返ってくるか分からない借金の返済を待つよりは、世界有数の女性聖機師を期限付きとはいえ、自国の物と出来るというのはメリットのある話だ。
トリブル王宮にしても確かにモルガ先輩は国家防衛の要を担う強力な聖機師ではあるが、あの性格もあって頭痛の種として彼等の頭を悩ませていたという一面もあった。
厄介払いとまでは言わなくても、そうした思惑が無かったとは言えない。それにモルガ先輩の思惑に気付きつつも上手く行けば、と太老さんとの結婚を期待した人達も居たはずだ。
現在、諸侯が一番注目しているのは太老さんとの結婚権と言っても過言では無い。
歴史上類を見ないほどの高い資質を持つ聖機師の血を自国に取り入れ、大陸一の影響力と技術力を持つとさえ言われる大商会との関係を築きたいと思っている諸侯は沢山居る。だからこそ、彼との結婚権に魅力を感じない諸侯などいるはずもない。
トリブル王宮に仕える貴族達も同じような事を考えたはず。
トリブルが誇る世界有数の女性聖機師と、世界最強の男性聖機師の間に生まれる子。それを期待しないはずがなかった。
「それでは、太老様もご存じ無かったのですね」
「ええ。フローラ様とモルガ先輩の暴走と見て間違いないでしょうね……」
その事からも、やはりモルガ先輩の狙いも太老さんと考えて間違いない。
フローラ様の狙いまでは分からないが、協力関係を結んでいる以上、利害が一致していると考えて良いはず。
「それでラピス。あなたの方はどうだったの?」
「やはり、モルガ様の専用聖機人がシトレイユに持ち込まれていました。イベント用と言う名目で……」
「イベントって……」
「はい。間違い無く、この後の式典の事だと思われます」
正直、この先の事を考えると頭が痛くなった。
フローラ様の事だ。ハヴォニワの不利益になるような真似はしないはずだが、それ以外の部分では全く予想が付かない。
「シトレイユの上層部も絡んでいると見て間違いなさそうね……」
「ラシャラ様はご存じ無いようですが……」
「ババルン卿……は考えられないから、皇族派の貴族達と結託しているのでしょうね」
「ラシャラ様に内緒で……ですか?」
「そういう方なのよ。あの方は……」
ラピスからしてみると貴族達が一緒になって皇に内緒で悪巧みをしていると言う時点で信じられない話のようだが、事がフローラ様が関わっているとなれば話は全く別物だ。
あの方はこうした計画を考えさせれば、右に出るものは居ないとさえ言われるほどの策略家だ。
太老さんの乗った船が襲われたと言う話もある。その辺りをネタに脅されているか、言葉巧みに煽動されていると考えるのが妥当なところだ。
フローラ様は武芸に優れている事で名を馳せておられるが、あの方の本領は別の部分にある。ただ強いだけでハヴォニワを大国と呼ばれるまでに押し上げたと思ったら大間違い。政治のフローラ、経済のゴールド。グウィンデルの花姉妹は、聖地学院に通う者であれば知らない者は居ないとさえ言われる伝説の数々を残していた。
学業トップの元生徒会長ゴールド様。武芸トップの天才聖機師フローラ様。
後にも先にも、これほど優れた生徒は学院に二度と現れないだろうとまで言われた才女のお二人だ。
あのモルガ先輩ですら、フローラ様には頭が上がらない。
寧ろ、あのフローラ様を『尊敬している』と言えるのがモルガ先輩の恐いところだった。
「分かっていて楽しんでいるのよ。その上で、ラシャラ様を試しておいでなのかもしれない」
それにマリア姫も対象に入っているのかもしれないと考えた。
私の知るフローラ様は、娘だからと言って甘い顔をされる方ではない。
「あの……本当に大丈夫なのでしょうか?」
「そうは言っても私達に出来る事は何もないわ。太老さんに事情を話して注意を促す事くらいしか……」
「それはそうですが……」
「ラピス、良い勉強になるから、これから起こる事をよく見ておきなさい」
「はい? えっと、それはどういう……」
「あの方が、グウィンデルの姉妹が今も何故恐れられているのか。私達の常識や考えが通用しない本物の天才と言うものを――」
天才と言うよりは天災と言った方が正しいかもしれないけどね、と私は苦笑を漏らしながら言葉を付け加えた。
そう、全ての騒動の中心にはいつもあの方々が居たと聞く。教会とてシトレイユがここまで力を付ける事や、ハヴォニワが僅か十年足らずであれほどの国に発展するなど予想もしていなかった。
それを成し遂げた本物の天才。それが『グウィンデルの花』と呼ばれる姉妹の話だ。
「でも、フローラ様が本気で動かれたとなると厄介ね。祖国に亡命されていると言うあの方が、大人しくしていてくれると良いのだけど……」
フローラ様と双璧を為すもう一輪の花。そちらに動きがない事を今は祈るばかりだった。
【Side out】
グウィンデル王国。大陸の沿岸部に位置し、正面に海、背に山を持つ自然豊かな国。
特産品として他国にも出荷されている南国ならではの少し変わった果物や、独自に発展させた少し変わった亜法技術を使って産業を盛り上げてきた貿易国家としても有名な国だ。
現在でも世界有数の貿易国家として名が必ず挙げられるほどで、その中でもゴールド商会と言えば、商売に携わる者で知らぬ者はいないとさえ言われるほど有名なグウィンデルを代表する大商会の一つだった。
時には国の方針にさえ影響力を持つと言われ、ハヴォニワで言うところの正木商会と変わらないほどの強い力をグウィンデル国内で有していた。
それと言うのも、全てはこの商会を設立した人物の功績によるところが大きい。
貿易都市としてグウィンデルが大きく発展する事が出来たのも、全ては『グウィンデルの花』として噂に名高いゴールド嬢の活躍があってこそだからだ。
そうした事情もあって王宮の者は疎か、グウィンデル王とて彼女には頭が上がらない。
それに少なからず、彼女の協力がなければ身の破滅を招く可能性がある者達が大勢居ることも、彼女に逆らえない要因の一つとなっていた。
大国の皇妃の座を捨て祖国に亡命した身でありながら、彼女がここグウィンデルで圧倒的な権勢を振るっているのにはそうした事情もある。
ゴールド商会が『グウィンデルの影の支配者』と言われ、恐れられている所以がそこにあった。
「お嬢様。また、そのような事を……。売り上げの計算など、従業員に任せて置けば……」
「これは私の趣味よ。もう何百回、その台詞を聞いたかしら?」
「余り良い趣味とは言えませんね。それと、さばを読まないで頂きたいものです。正確には九九九九回。後一回で記念すべき一万回目ですよ?」
「相変わらず、細かい性格をしているわね。カレンちゃんを少し見習ったら?」
「カレンは大雑把すぎるだけです」
毛先がクルクルと内巻きにカールされた茶髪のロングヘアーが特徴的な女性。
細かくびっしりと数字が記された書類を前に算盤を弾きながら、執事服に眼鏡と定番の格好をした黒髪の男に面倒臭そうに女性は答えた。
女性の名は『ゴールド』。グウィンデルの花と呼ばれし、ゴールド商会の代表。元シトレイユ皇妃、ラシャラの生みの親でもある女性だ。
そして男の名は『セバスチャン』。これが本名か偽名かまでは分からないが、それがこの男のここでの名前だった。
「こちらがカレンから送られてきた報告書になります」
そう言ってゴールドの前に綺麗に束ねられたレポートを置くセバスチャン。
それを待っていたとばかりに三度の飯よりも大好きな金勘定を止め、渡されたレポートに食らいつくゴールド。
流れるような速さでレポートの内容に目を通しながら、その表情は段々と悦楽に満ちた物へと変わっていく。
「フフッ、やっぱり姉様も動いたみたいね」
「そちらも余り良い趣味とは言えませんが……」
「良いのよ。これも、私の趣味なんだから」
レポートを前に舌なめずりをするゴールドを見て、眼鏡の位置を直しながらハアと深くため息を漏らすセバスチャン。
その姿は言っても聞かない出来の悪い子供を前に、半ば諦めていると言った様子さえ窺えた。
「仕事よ。セバスチャン」
「趣味では無かったのですか?」
「実益を兼ねた趣味よ」
「仕事が趣味……ですか?」
「何か言いたそうな顔ね……」
「いえ、別に。それよりも、そちらはよろしいのですか?」
机の上に放置された計算途中の書類に視線をやり、そう話すセバスチャン。
しかしそのセバスチャンの言葉にキョトンとした表情を浮かべ、ゴールドは何を言っているのかと言った様子で――
「勿論、続きは後で楽しむわよ?」
と、当たり前のように答えた。
「そこで『やめる』とは仰らないのですね。金勘定が趣味などと、嫁ぎ先が益々なくなってしまいますよ?」
「あら? これでも私、人妻よ?」
「シトレイユの皇妃を名乗って、今度は<Nーデターでも起こされるつもりですか?」
「実の娘と大国の皇の座を争うか。それはそれで面白そうね。ババルンちゃんも苦戦しているようだし――」
思いきって立候補しようかしら、と話すゴールドを見て、本当にやりかねないと言った呆れた表情をセバスチャンは浮かべた。
「冗談よ。今更、あの国に未練なんてないわよ」
「その割りにラシャラ様の事は気に掛けておいでのようですが?」
「あの子は特別。母親が娘を気に掛けるのは当然でしょ?」
「それだけには思えないのですが……。まあ、そう言う事にしておきましょう」
これ以上何を言っても無駄と諦めた様子で、セバスチャンはそう話を締め括った。
「セバスチャンも納得したところで、早速仕事の話をしましょうか?」
さっきので一万回目よね、と笑いながらゴールドはセバスチャンに話を振った。
……TO BE CONTINUED
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