「あの……カレンさん」
「何? 剣士くん」
「本当に潜入工作なんてするんですか?」
潜入なんてするんですか? とカレンに問う剣士だったが、既に剣士とカレンは聖地学院に関係者として潜入していた。
グウィンデルの国王直筆の推薦状を持って、対外的な立場はカレンがグウィンデルの貴族、剣士はその従者と言う事になっている。
この根回しを事前に済ませていたのもゴールドだ。学院を卒業をして十年以上が経過した今も、学院内部に独自の情報網、強い影響力を彼女は持ち続けていた。
ゴールドがここ学院で『伝説』とまで言われる逸話を数多く残しているのも、それが理由の一つだ。
重ねて言うがゴールドとフローラ、『グウィンデルの花』と呼ばれる姉妹の事を、この聖地で知らぬ者はいない。
新入生は勿論の事、学院の関係者であれば名前を耳にしただけで話題を避けようとするくらい有名な二人だった。
「当然よ。私達の任務を忘れてはいないでしょう?」
「それはそうですけど……カレンさんの歳で学生っていうのは無理が……」
「何か言った?」
「いえ、何も……」
カレンの有無を言わせぬ迫力に気圧されて、言葉をグッと呑み込む剣士。彼には一つだけ大きな疑問があった。
確かにカレンは見た目はそれなりに若く見えるが、ゴールドと古くから付き合いがある事を考えても、それなりに良い歳の女性である事は確実だ。
聖地学院といえば、若い聖機師£Bが通う謂わば修行の場。カレンの歳を考えると、『女生徒』と言うのはさすがに無理があるのではないか?
と、女性に対して失礼な事を剣士は考えていた。
「勘違いしているようだけど、生徒じゃなく教職員よ。先生、教師、分かる?」
「ああ、なるほど」
「剣士くんも生徒として学院に通うのよ」
「そうですよね……俺はてっきりって、ええ!?」
カレンがいつも以上にウキウキと楽しそうな表情をしているので、てっきり女生徒として潜入するつもりなのでは、と勘違いをしていた剣士だったが、本人の口から真実を聞かされてようやく自分の間違いに気付く。
教師としてなら年齢的にも能力的にも納得の行く話だ。しかし、剣士の驚きはそこでは終わらなかった。
今、カレンは『教師として学院に通う』とそう言った。そして極自然に、剣士も『生徒として学院に通う』と付け加えたのだ。
そんな話は微塵も聞かされていなかった剣士は戸惑いを見せる。異世界に来てまで、学校に通う羽目になるとは考えてもいなかったからだ。
それに剣士が学院に通うにあたって、一つだけ大きな問題があった。
「俺が生徒!? で、でも、ここって聖機師の学院ですよね!?」
剣士が異世界人であると言う事、聖機師である事は時が来るまで誰にも秘密と言う事になっていた。
白い聖機人はそれほどに珍しく、異世界人と言うだけで注目を浴びるのは必至だ。
剣士も騒ぎを大きくするつもりもなければ、男性聖機師と言うだけで種馬扱いをされるのも嫌なので、素直にゴールドとカレンの忠告に従っていた。
だが、ここで学院に通う事になれば、異世界人はともかく聖機師だとバレる危険性は高くなる。それを危惧した剣士だったのだが――
「聖機師以外にも一般生徒は居るわよ? 私とゴールド様の推薦状付きだから、身元保証も完璧。何も問題ないでしょ?」
「いや、あの……それって職権乱用なんじゃ……。というか、カレンさんの推薦状って……」
「昔、ちょっとだけここの臨時教師をしていた事があるのよ。ゴールド様と出会ったのも、それが切っ掛けで――」
既に決定事項なのだと知って肩を落とす剣士。
しかし、確かに一般生徒としてならバレる危険性も低くなるか、と前向きに剣士は考える事にした。
少なくとも、ただの従者にしか過ぎない自分が注目されるような事は無いはずだ。そう、自分を納得させる。
それにカレンの言うように聖地に潜入するのであれば、生徒として潜り込んでいた方が何かと都合が良いのは確かだった。
「あれ? でも、ゴールドさんの学生時代に教師って事は、カレンさんの歳って……」
「剣士くん。そんなにお姉さんと『お・は・な・し』をしたいのかな?」
「いえ、なんでもないです……」
また不用意な発言をしかけた自分の迂闊さを剣士は呪った。
女性の歳の話をするのはあれほど危険だと、宇宙一危険な姉達に囲まれて分かっていたはずなのに、最近その手の災難に見舞われていなかった所為か、気が緩んでいたと剣士は反省する。
(危なかった……。でもま、姉ちゃん達も見た目はああだけど実際には……)
それにカレンが見た目若く見えようと、それ自体は大きな問題ではない。よくある事だと剣士は納得した。
剣士の周りの女性は、それとは比較にならないような年齢の女性ばかりだったからだ。
姉達の実際の年齢を知っている剣士からしてみれば、カレンの実年齢が何十歳だろうと百歳を超えていようと大した問題では無かった。
「学院ではカレン先生と呼ぶように。良いわね?」
「はい……カレン先生」
これからの学院での生活を考えると、大きなため息が溢れる剣士だった。
異世界の伝道師 第207話『頼りたくない兄』
作者 193
「でも、本当に学院に生徒として通ってもいいのかな?」
学生服を身に纏い、校舎の見学をしながら頭をポリポリと掻き、剣士はそんな事を口にする。
一番厄介なのが太老の事だ。てっきり剣士は、太老にまだ正体を明かしてはいけないのだと考えていた。
ゴールドとカレンにはそれなりに感謝しているというのもあるが、剣士自身、太老と関わると碌な目に遭わない事を知っているので敢えて避けていたというのもある。
だがカレンは、太老と顔を合わせる危険が高い事を知っていながら、剣士に生徒として学院に通うように指示をした。
特に太老との接触を避けるようにと命令された訳ではない。逆にあの様子から察するに――
「まるで、俺と太老兄を会わせたがってるみたいだ……。でも、なんで今になって?」
そこだけが全く腑に落ちないで首を傾げる剣士。これでも、それなりにそうした陰謀や罠に免疫のある剣士だ。
共働きで忙しい両親に変わって、何かと世話を焼いてくれていた姉達。そんな姉達に囲まれて、長期休暇や週末は天地の家で過ごす事が多かった。
だからと言う訳ではないが、柾木家で太老と一緒に育てられた所為か、日常的なレベルでそうした騒動や厄介事に巻き込まれる事に剣士は慣れていた。
「絶対に何かあるよな……」
そんな剣士の野生の勘が告げていた。この件、絶対に何か裏がある、と。
その裏が何かまでは分からないが、自分にとって余り好ましい状況とは思えないだけに剣士は腕を組んで考える。
元の世界には戻りたいが、太老関係の面倒事にだけは巻き込まれたく無い。そんな考えが、剣士の中でせめぎ合っていた。
「ゴールドさんとカレンさんは、太老兄の事を知らないからな……」
説明したところで理解してもらえるとは剣士も考えてはいなかった。
アレは実際に体験した者で無ければ分からない。美星にせよ、太老にせよ、言葉や文書で説明するには難しい人物だ。
一つだけ言える事は、どんな策略家が智謀を働かせたところで、思い通りに行くような相手では無いと言う事だ。
――美星や太老が関わって計画通りに上手く行った試しなど一度としてない
と言うのが、姉達の共通の見解だと剣士は当時の生活を思い出していた。
「とにかく平和が一番だよな」
あれこれ考えても答えはでないと考えた剣士は現実逃避に走る。自分から会いに行くつもりはないが、会ってしまった時はその時だ。
積極的に関わろうとしなければ、取り敢えずは平穏に過ごせるはずだと自分を納得させる。実際には、それすら怪しい訳だが……。
太老の事だから偶然顔を合わせる事になっても、『よっ、久し振り』くらいの軽いノリで話が済みそうだと剣士は考えていた。
「太老兄の事は深く考えるだけ無駄だし、なんとなく俺もどうでもよくなってきたしな……」
事実、これまで太老を影から観察してきた剣士だったが、異世界にきても変わらず、太老は剣士のよく知る太老だった。
大抵の事には慣れているつもりの剣士でも、太老ほど太くは出来ていない。
どこまでもマイペース。悲壮感の欠片も感じさせず、ここでの生活に馴染んでいる太老を見て、剣士は元の世界に帰ろうと必死になっていた自分がバカらしく思えたくらいだ。
「姉ちゃん達に逆らうより、太老兄を怒らせる方がずっと恐いし……」
楽天的というか、太老のああ言う性格は本当に羨ましいと考える剣士。しかし『平穏に』と言いながら騒動の元凶に居るような人物だ。
なるようにしかならない、と言うのが太老の口癖だった。諦めていると言う訳では無く、心の底から面倒臭いと思っている時に口にする言葉だ。
面倒事を嫌う。厄介事を嫌う。それは日常を壊されるのを、平穏を乱されるのを嫌っていると言う事。
心の底から『面倒臭い』と思っている時は、太老が本気で怒っている証拠だ。そんな、なるようにしかならない状況を、なんとかカタチにしてしまうのが剣士がよく知る太老の姿だった。
剣士が恐れる姉達ですら、太老を本気で怒らせようとはしない。柾木家の力の連鎖の中で、太老だけはある意味で例外と言える存在だった。
剣士が太老と出来る事なら関わり合いになりたくない、接触を避けたいと考える一番の理由がそこにはあった。
危険と分かっているパンドラの箱を無理にこじ開けようと考えるほど、剣士は好奇心旺盛な訳ではない。
好奇心は猫を殺す、という言葉の意味を彼は誰よりもよく理解していた。
「でも、広いところだな……」
案内板を眺めながら、ポツリと呟く剣士。全校生徒数の割に無駄にだだっ広いのが、ここ聖地学院の特徴でもある。
ここ聖地には学生だけでなく、大貴族が連れてきている下働きや聖地で働く職員など、実際には全校生徒数の数千倍という数の人々が生活を共にしている。
当然、それなりの広さが必要になるのも理解できるが、それにしても『学院』と呼ぶには広すぎる――『街』と呼んだ方が正しい広大な敷地面積を有していた。
学舎や寮といった主要施設の集まる学院だけでなく、その学院を覆う森や谷も含めれば、その広さはちょっとした島にすら匹敵する。
事実、毎年新入生の中から何人か行方不明者がでていて、捜索隊が組まれる事も珍しい話ではなかった。
この時期、周辺の森を中心に聖地内を巡回しているシュリフォン警備隊の主な任務は、そうした迷子の捜索と言っても過言ではない。
訓練を兼ねた警備隊の恒例行事といってもいいイベントがそれだ。今年も入学式から一週間、既に三人も迷子が出た後だった。
「ちょっとお腹が減ったな。よしっ!」
腹が減ったと言う割に大食堂に向かう訳でもなく、どう言う訳か道を外れて森の方に走っていく剣士。
慣れた動きで枝から枝へと飛び移り、森の奥へと進んでいく。その姿は人間というよりは、まるで野生の動物のようだ。
「やっぱり思った通りだ。食材の宝庫だな。この森」
無秩序に動き回っているようで、ちゃんと食べられそうな物を見極めながら、剣士は森の様子を観察していた。
キノコや沢山の木の実、魚に動物と食材や獲物には困らない自然豊富な森を見て、久し振りに活き活きとした表情を浮かべる剣士。
魎皇鬼と一緒に、こうしてよく山や森を駆けて遊んだ日々の事を思い出しながら、その懐かしい空気に浸っていた。
「これも食べられそうだな。カレンさんにも、お土産に持って帰ろうかな」
瑞々しいよく熟れた黄色い実を手にとって、それをかじりながらそんな事を口にする剣士。初めての森で迷わずに、毒のない食べられそうな物だけを集められるものだ、と感心するくらい慣れた手並みをしていた。
そこはやはり野生の勘と言ったところか。太老が以前に言っていたように、こうしたサバイバル技術に剣士は人一倍長けていた。
食材を確保するのも修行の内と、幼い頃から勝仁の修行に付き合わされていた剣士にしてみれば、森で食材を集めるくらい難しい話ではなかった。
こればかりは感覚的なものも含まれるため、言葉で説明するのが難しい。言ってみれば、『野生の勘』と言った方が分かり易いか。人間と言うよりは、自然に溶け込んでいる時の剣士は動物に近い感覚を発揮していた。
これも幼い頃から培った経験の成せる業だ。この姿を見れば『魎皇鬼と同類』というのも、あながち間違いとは言えないだろう。
「思い出すな。太老兄にやらせると、森が罠だらけになっちゃうんだよな……」
――獲物を捕まえるためか?
――それとも侵入者を排除するためか?
どちらか分からないほど、えげつない罠を大量に設置していた太老の事を剣士は思い出す。
子供の頃は、剣士もよくその罠に掛かって酷い目に遭わされていた。
「そうそう、こんな風に……って、ええ!?」
剣士は周囲を見渡して、ギョッと目を見開いた。
目立たないようにカモフラージュされてはいるが、森の至る所に巧妙に罠が隠されている。
しかも、明らかに普通の罠じゃない。かなり訓練された、罠に精通した知識を持つ熟練者の仕業だ。
「この容赦の無い罠の配置って、まさか太老兄……」
そうとしか考えられず、ポツリと冷や汗を溢す剣士。すると、その時だった。
「――ッ!」
突如、音も無く、気配も感じさせず現れた襲撃犯に焦る剣士。
久し振りの自由に浸り油断していたというのもあるが、不意を突かれたのは剣士にとって、かなりの驚きだった。
勘の鋭い剣士に攻撃の瞬間まで動きを察知されなかったというだけでも、相当の手練れである事が窺える。
「うわっ! ちょっと待って! 暴力反対!」
しかし剣士も負けてはいなかった。
メイド服を身に纏った三人組の攻撃を紙一重のところで回避する剣士。
十分に訓練された手練れである事は確かだが、剣士もそう言う意味では達人クラスの実力者だ。
相手が何人いようと、どれだけの実力者であろうと、普通の人間相手に後れを取る剣士ではない。
「私達の攻撃をかわした!? それに、この動き……」
実力的には剣士の方が圧倒的に上。
しかし形勢は、剣士にとって余り好ましい状況では無かった。
(この人達、かなり訓練されてるな。それに、もう別の部隊が動いてる……)
一人一人の実力は遠く剣士には及ばなくても、メイド達には地の利と数がある。
闇雲に攻撃を仕掛けている訳では無く、他の部隊と連絡を取り合い、段々と剣士の逃げ場を塞いでいく。
一糸乱れぬ統率の取れた動き。これまでにない危機的な状況に、剣士は内心焦りを感じていた。
(太老兄の関係者で間違いないよね……)
森に不釣り合いなメイド服。しかも太老を連想させる罠の数々に、剣士もこれが太老の仕業だと気付く。
剣士は思考を巡らせる。
考えられる事は知らず知らずの内に、入ってはいけない場所に足を踏み入れていたという事実だけ。
逃げようと思えば逃げられるが、顔を覚えられてしまった以上、学院内での行動に制限が掛かる。
(このままじゃ、カレンさんにも迷惑が掛かるし、ここは……)
下手に事を荒立てるよりも、大人しく捕まって正直に事情を話した方がいいか、と考えた矢先の事だった。
「いやー、大漁大漁。思った通り、ここの森は食材が豊富だな」
「太老様!? こちらは危険です!」
ガサガサと茂みの奥から大きな籠を抱えて現れた人影。その間の抜けた声の持ち主は、剣士がよく見知った人物だった。
勝仁から剣術を一緒に学んだ兄弟子であり、白眉鷲羽の後継者とも呼ばれるマッドサイエンティスト。
そして剣士にとって、最も頼りにしたく無かった′Zのような存在。
「た、太老兄!?」
「ん? …………剣士か?」
メイドのもたらした『偶然』と言う名の数奇な運命。
共通の師匠を持つ義理の兄と弟の再会は、本人達の予想もしなかったカタチで実現した。
……TO BE CONTINUED
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