【Side:太老】
「おはよう、マリア。早く朝飯を食べないと遅刻するぞ」
「……いつもの朝の風景ですわね」
今朝の朝食は、天日干しした魚を焼いた物にネギと豆腐の味噌汁。漬け物に白い御飯という、日本の朝の食卓ではお馴染みの顔合わせが並んでいた。
基本的に正木家の朝は和食で済ませる事が多い。朝はガッツリ御飯を食べないと、パンでは味気ないからだ。
こちらの食事は基本的に洋食が主体となる。それはハヴォニワだからシトレイユだからと関係無く洋食が多いと言う意味でだ。
異世界人の影響か、まだハヴォニワは和を感じさせる物が多い方だが、それでも主食は米でなくパンだ。
最近になって広がりを見せているようだが、ここのように毎朝米を食べる家はまだまだ少なかった。
「ん? 洋食の方が良かったか?」
「いえ、お変わりが無いようで安心しましたわ」
「……?」
この家の食卓は、マリアが俺の好みで合わせてくれていると言った方が正しい。
それで偶には洋食が食べたくなったのかと思い気になって尋ねてみたのだが、どうもそう言う訳では無さそうだった。
「剣士さんとセレスさんの事、どうされるおつもりなのですか?」
「ああ、その事か。大丈夫、昨日の内に手は打っておいたから」
何を気にしているのかと思えば、剣士の事は心配するだけ無駄だ。
あの姉達に囲まれて育った剣士が、ちょっとやそっとの事で潰れるはずもない。
問題はセレスの方だが、そちらは昨晩の内に手を打っておいた。
当分は気を配っておく必要があるが、取り敢えずは安心できるはずだ。
「それなら良いのですが、昨日は随分と気にされていたようなので……。その、私もやり過ぎてしまいましたし……」
「ん? マリアは悪くないだろう?」
昨晩の件は全部俺が悪い。マリアが気にするような事など何一つ無いはずだ。
いつもの癖でステージの仕掛けに凝ってみたのだが、さすがにアレはやり過ぎたと今更ながら反省していた。
もう少し普通に紹介をすればよかった。悪気はなかったのだが、結果的にああなってしまいセレスには申し訳無い事をした。
「それよりも剣士とセレスの事、学院でも気に掛けてやってくれ。人任せで悪いけど、校舎が違うからな」
「承りました。お兄様の分まで、私が確りと面倒を見て差し上げますわ!」
随分と気合の入った様子のマリアだが、この様子なら任せておいて心配ないだろう。
俺は上級生として編入手続きを済ませてしまっているので、下級生の剣士とセレス、それにマリア達とは校舎が違う。
学院でもフォローをしてやりたい気持ちはあるが、こればっかりはマリア達に頼るしか方法がなかった。
「パパ。シンシアも頑張る」
「おっ! それじゃあ、よろしく頼むな」
「うん」
「し、仕方ねーな。私がフォローしといてやるよ」
「ああ、グレースもよろしくな」
俺の周りは良い子達ばかりで助かる。取り敢えず、セレスの問題はこれで大丈夫だろう。
「なっ! この臭いは――」
と、安心して朝食の続きを取っていたところ――
マリアが口と鼻を両手で押さえ、椅子を倒す勢いで慌てて席を立ち上がった。
「ん? どうかしたのか?」
「それです! それ! その例えようのない異臭を放っている物体の事です!」
「それ?」
マリアが指差す先、そこには本日の朝食の一品としてだされた小鉢があった。
うっかり忘れていた。朝の献立に今日から一品加わったのを――それが、この『納豆』だ。
基本的に、こちらの食材は名前が違うだけで余り地球のそれと大きな変わりはない。
違いといえばエナの海の影響か、異常に大きく発達した植物や生物が見受けられるくらいの事だ。
ちょっと試しに作ってみたのだが、これが意外と良い出来だったので今日の朝食からだしてみたのだ。
「シンシア、グレース! あなた達は大丈夫なのですか!?」
「ただの発酵食品だろ? シンシア、醤油とってくれ」
「うん」
シンシアとグレースも大丈夫だったので、マリアも大丈夫かと思っていたのだが、ここまで過剰な反応を示すとは思ってもいなかった。
とはいえ、好き嫌いはダメだ。確かに好みの分かれる料理だが、食べず嫌いは一番よくなかった。
正木家の家訓に『出された料理は残さず食べる』という物がある。ちなみにこれは絶対の掟だ。
このルールを破ると、砂沙美やノイケの厳しいお仕置きが待っている。
あの魎呼と阿重霞でさえ、食事の時は殆ど喧嘩をせず、だされた物を黙って食べていたくらいだ。
「騙されたと思って食ってみな。これで結構美味いんだぜ? ほら、こうして掻き混ぜると……」
「い、いやああぁぁぁぁっ!」
朝から寮に、マリアの悲鳴が響き渡った。
【Side out】
異世界の伝道師 第214話『クラスメイト』
作者 193
【Side:マリア】
「おはようございます、ラシャラ様」
「うむ。おはよう、ユキネ。なんじゃ? 御主の主は挨拶なしか?」
「……おはようございます、ラシャラさん。これで満足かしら?」
登校途中、嫌な人と顔を合わせてしまった。寮が近いとはいえ、通学路が同じというのも考え物だ。
ラシャラさんの後に控えているキャイアが主の非礼を詫びてか、困った表情を浮かべ私やユキネに向かって頭を下げる。
全く……従者に気を遣わせるなど、困った主もいたものだ。
「朝から、不景気な顔をしておるな」
「あなたはアレを知らないから、そんな事を言えるのです。異世界の料理に、まさかあのような恐ろしい物があるなんて……」
「恐ろしい物? また太老の考案した料理か何かか?」
それでなくても今日は朝から気分が落ち込んでいるというのに、一番顔を合わせたくない人に会ってしまった。
これなら、シンシアやグレースと一緒に寮をでるのだったと後悔する。あの納豆という食べ物の所為で、朝から散々だ。
出された料理は好き嫌いを言わずに最後まで食べる――それがお兄様が設けた食卓での規則だ。
最初はシンシアやグレースの教育のためにと設けられた約束だったが、今日ほどそのルールを恨めしく思った事はなかった。
「キャイア、ここまでで良いぞ。御主も自分の教室に向かうがよい。ユキネもおるしな」
「はい。マリア様、ラシャラ様をよろしくお願いします」
「む……。我はユキネに……」
「ユキネは私の従者です。勝手に自分の護衛にしないでください」
油断も隙もない。このタダで利用できるものはなんでも使おうとする遠慮の無いところは、本当にあの方そっくりだ。
お母様の双子の妹であり、ラシャラさんの母親。私の叔母にあたるのが、『グウィンデルの花』の名で有名なゴールド叔母様だ。
「ゴールド叔母様にそっくりですわね」
「それは新手の嫌がらせか?」
少なくとも初めて紹介された頃のラシャラさんはこんな風では無かった。
もっと純真で、今のシンシアのように可愛らしい感じの無垢な少女だった。
どこで間違ったのか、次に再会した時のラシャラさんはすっかり性格がすれてしまっていた。
何度かお会いした事があるが、あの方も今のラシャラさんと同じで金に五月蠅い方だった。
その性格は娘にも容赦がなく、ラシャラさんがこんな性格になったのもあの方の影響によるところが大きいと聞いている。
さすがは『色物女王』などと呼ばれている、私のお母様の双子の妹だ。私も、その血を継いでいるかと思うとため息が漏れる。
特にラシャラさんのような例を前にすると、尚更そのため息は深くなるばかりだった。
「フンッ、御主とてフローラ伯母にそっくりではないか!」
「失礼な。私をあんな色物キャラと一緒にしないでください!」
「それはこちらの台詞じゃ。あのような守銭奴と一緒にされたくないわ!」
今回は、いつもの口論とは調子が違っていた。一言発する度に、何とも言えない焦燥感が心を蝕む。
ラシャラさんに言っているのに、何故か自分にダメージが返ってきているような……そんな虚しさだけが心に残った。
「この話はやめましょう……。お互いのためにも、よくありませんわ」
「そうじゃな……。精神的に疲れるしの」
珍しくラシャラさんと意見があった。やはり、この話題だけは触れるべきでは無かったと痛感した。
◆
「マリア様。こちらです」
「ここが、私の教室……。ユキネ、あなたはここまでで構いませんわ」
「はい」
東校舎にある下級課程三年生の教室。ここが今日から、私が通う事になる教室だ。
一つのクラスに王侯貴族は一人だけが原則。生徒同士の対立を未然に防ぐと言う狙いもあるが、ラシャラさんと教室が別々な事だけが唯一の救いだった。
王侯貴族や大貴族、その従者と護衛機師が下級課程の履修に四年必要なところ二年に免除されているのは、一年目と二年目の授業内容に理由がある。
一年と二年は普通の学校と同じ基礎教育の習得を目的としており、幼い頃から英才教育を施されている王侯貴族や、高い知識と技術が無くては務まらないその従者と護衛機師は免除されているという理由が背景にあった。
――本格的に聖機師としての訓練が始まるのは三年生から
他にも政治や経済学、特別な技術を必要とする専門分野や聖地学院ならではの花嫁修業やマナーの勉強など、それらを全て下級課程の三年と四年の二年間に学び、そこから上級課程に進んだ後は、それぞれの進む道に応じて更に適性を磨く授業内容へと変わっていく。
聖機師と一口に言っても、求められるスキルはその仕事の内容によって様々な種類に分けられるからだ。
前線で戦闘能力を活かして活躍する聖機師も居れば、指揮官としての資質、後方支援や護衛としてのスキルを求められる聖機師もいる。
更には王宮機師ともなれば、政治や経済に通じている必要もあり、求められる能力は普通の聖機師よりもずっと高い物となる。
自分の適性を見るのが下級課程での主な目的。上級課程はその適性に応じて、能力を高める期間と考えれば分かり易いだろう。
私とラシャラさんを始め、その従者であるシンシアとグレースも三年生からのスタートと言う事になる。
あの双子に関しては歳は幼くても勉強の面に関しては私よりも優秀なのだから、そこは全く問題がないはずだ。
後は剣士さんだが――
「そう言えば、剣士さんの教室はどこかしら?」
お兄様の話では独立寮を持つ、とある大貴族の従者と言う話だった。それなら剣士さんも三年生に編入されていておかしくはない。
クラスは全部で四つ。一クラス二十人ほどのクラスだから、一学年八十人ほど居る計算になる。
上級課程が各学年二クラス。学年で多少の人数のばらつきはあるが、全校生徒三百人ほどの生徒が通う学院だ。
これを多いか少ないかと言えば、全世界から集まった聖機師の卵達がこの聖地で修行している事を考えると決して多いとは言えない。
王侯貴族や大貴族の数を全校生徒数から引くと、実際の聖機師の数は三百人に届くかどうかも怪しい。
しかしこれでも実際に国に認められ、正規の聖機師となれるのは半分にも満たないのが現状だった。
一番大きな大国であるシトレイユやシュリフォンですら、国全体で保有する聖機人の数は五十体ほどだ。
国力に応じて教会から供与される聖機人の数が決まっているのだから、こればかりはどうする事も出来ない現実だった。
聖機師に与えられている特権。それを享受できるのは男性聖機師と、才能のある選ばれた女性聖機師だけというのがこの世界の常識だ。
この聖地は言ってみれば、有能な聖機師を選別するためのふるい落としの場。
このクラスの生徒の内、何人が正規の聖機師になれるか分からない。その厳しい現実の中で、彼女達は聖機師として資質を認められるべく、勉強に鍛錬にと勤しんでいた。
話が少し脱線してしまったが、これから私達はそんな学院で生活を送る事になる。
剣士さんの事をお兄様に頼まれた手前というのもあるが、昨日の事は私にも責任がある。
お兄様は『マリアは悪く無い』と仰ってくれたが、パーティーに参加した方々に噂を流し、煽るような真似をしたのは紛れもなく私だ。
その結果、お兄様の弟の友達であるセレスさんに多大な迷惑を掛ける事になってしまい、本当に申し訳無い事をしたと反省していた。
「剣士さんやセレスさんのためにも、私が確りとしないと」
お兄様に頼まれたからではない。これは私自身で決めた事だ。
これからの学院生活を心置きなく送るためにも、自分の冒した過ちの責任くらいはきちんと取りたいと考えていた。
いざ、と言う掛け声と共に教室の扉を開く。重厚な扉の向こう、そこには建物二階分の高さを持つ、段差式の階段教室が広がっていた。
(ここが、これから私が過ごす事になる教室……)
今、私が入ってきた教壇に近い手前の入り口は一階に通じており、階段を上がった先、奥の扉は建物の二階へと通じる扉となっている。
私の席は探すまでもなく、はっきりとしていた。
左右対称に規則正しく並べられた机の中、奥の一番高いところにある机だけが、中央に備えられ重厚な趣を見せていた。
クラスに一人だけの王侯貴族のために設けられた席があれだ。お兄様辺りが見たら、絶対に遠慮しそうな目立つ位置にある。
「マ、マリア様、おはようございます!」
「おはようございます。皆さん」
席に座っていた生徒も立ち上がり、私が席を横切る度に頭を下げて挨拶をする。
男性聖機師の席も高い位置に設けられているが、王侯貴族の席はそれよりも更に高いところに特別製の物が備えられている。
慣れた事とは言え、自分一人だけが周囲と違うのだと自覚させられる瞬間でもあった。
「マリア様、おはようございます」
「おはようございます。同じクラスでしたのね。セレスさん」
「は、はい。よろしくお願いします!」
「こちらこそ、よろしくお願いしますわ」
セレスさんも同じクラスだったなんて、偶然とはいえ、昨日の失敗を償う絶好の機会だと考えた。
すると、その時だった。
――キーンコーンカーンコーン
授業開始を告げるチャイムが鳴り、散らばっていた生徒達が一斉に自分の席へと戻る。
私も、もう一度セレスさんに会釈をすると、そのまま奥の自分の席に腰掛けた。
「カレンさん、離れてください! 俺一人で歩けますから!」
「つれないわね……。折角、私達の仲の良さをアピールしておこうと思ったのに」
「それは色々と拙いから! ここでは生徒と教師ですよね!?」
腕を組み、教室に入ってくる男女の姿。随分と賑やかな様子で、生徒達の目もその二人へと集中する。
凛々しい感じのスーツ姿の女性に、もう一人は私もよく知る男子生徒。柾木剣士――その人だった。
「ここでは……って、あのお二人どう言うご関係なのかしら?」
「もしかして、教師と生徒の禁断の恋!」
『きゃああぁぁっ!』
女生徒の黄色い声が教室に響く。乙女の妄想全開と言った様子で、それに拍車を掛けて騒ぎ出す女生徒達。
厳かな雰囲気漂う教室が一瞬にして、よく見慣れた雰囲気漂う……賑やかな空間に変わっていた。
「ほら、カレンさんの所為で変な誤解されちゃったじゃないですか!」
「私は別に構わないけど? 先生として、色々と教えてあげましょうか?」
「少しは構ってください! てか、その色々も要りませんから!」
柾木剣士――彼はやはり、お兄様の弟で間違い無い。
実際には親戚と言う話だが、そう納得させられるに十分な光景が目の前に広がっていた。
そして直ぐに気が付く。お兄様が昨晩の内に打っておいたという手がなんなのか――
「はいはい、皆さん静かに。今日からこのクラスの担任を務めさせて頂くカレン・バルタです。で、こっちが私の従者の剣士くん」
「はじめまして……柾木剣士です」
剣士さんが照れ臭そうに挨拶をすると、再び女生徒達の歓声が教室に響き渡った。
剣士さんを見ての女生徒達の反応はある意味で一貫していた。『可愛い』だの『ショタ』だの年相応といった反応だ。
まだ雰囲気に呑まれて『マサキ』の名字に気付いていない様子だが、彼の素性が明るみになった時の事を考えると大変そうだ。
それにセレスさんが一緒のクラスで、そこに加えて剣士さんまで一緒だなんて、ただの偶然とは思えない。
彼等が同じクラスになるように手を回し、お兄様が私に二人の事を頼むと仰った訳。
そこから推察すれば、こうなるように誰が仕組んだかなど直ぐに分かる事だった。
「彼は今日から、皆さんのクラスメイトとして一緒に授業を受ける事になります。仲良くしてあげて頂戴ね」
そして、カレン・バルタ。それが剣士さんの主で、私のクラス担任の名前だった。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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