【Side:太老】
「よし、これで今日の分は終わりだな」
「お疲れ様です。太老様」
仕事が終わる頃を見計らって御茶を用意してくれている辺り、やはりマリエルは俺には勿体ないくらい良く出来た侍従の鏡だ。
「少し仕事の量を減らされた方が良いのでは? 学院の方もありますし……」
「でも、学院を理由に仕事を放棄する訳にはいかないしね。それを言ったらマリアも同じだし、シンシアやグレースも技術部の仕事があるだろう?」
「それはそうですが……」
俺の場合、学院で授業を受けていれば、それでよしと言う訳ではない。マリアやラシャラに公務があるように、俺も商会や領地の仕事を抱えていた。
確かにマリエルのいうように学院での生活と、領地運営と商会の二つをこなすのは中々に大変だ。
とはいえ、皆にだけ仕事をさせて俺だけ遊んでいる訳にもいかない。まだ書類地獄にならないだけ遥かにマシな状況と言えた。
それに成績を心配して言っているのなら、それこそ全く心配は不要だ。
こちらの世界に飛ばされてきてもう二年。その間に亜法技術をはじめとしたこの世界の基礎知識は、ほぼ習得済みだ。
亜法という特殊な技術と歴史に違いは見られるが、文化水準は地球のそれと大差が無い事は分かっている。
特殊な技術を除けば学院の上級課程で教えている勉強も、恒星間移動技術のない初期文明段階の惑星の域を超えるレベルではない。十分に持っている知識で補足できる範囲だ。その程度であれば、俺にとっては大した障害には成らなかった。
それに仕事と言っても、机に向かって集中すれば二時間もあれば終わる仕事ばかりだ。
それというのもマリエル達が、俺しか決裁の出来ない案件や早急に確認の必要な書類以外、こちらに回さないでくれているお陰だった。
ランにも感謝しないといけないだろう。俺がこうして自分の仕事に集中できているのも、支部の仕事の殆どをランが皆と協力して処理してくれているからだ。
「心配してくれてありがとう。でも、本当に大丈夫だから」
「太老様がそう仰るのでしたら……。ですが、無理はなさらないでください」
「ああ、肝に銘じておくよ」
昔から上司には恵まれないが、なんだかんだで同僚や部下には恵まれていると実感していた。
これで贅沢を言っていたら罰が当たる。マリエルの言葉に甘えてばかりもいられなかった。
『太老様。剣士様とセレス様がお見えになっています』
「剣士とセレスが?」
マリエルの淹れてくれた御茶で一息吐いていると、机に備え付けられた亜法通信機から来客を告げる知らせが届いた。
「丁度仕事が終わったところだし、直ぐにそっちに向かうよ。夕食だけど、二人分追加できる?」
『はい。それでは食堂の方にお通ししておきますね』
「よろしく」
仕事中は機密に関する内容を多分に含んでいるため、俺の書斎には関係者以外、誰も近付けない事になっていた。
剣士は家族、セレスはその友人とは言っても商会の関係者ではない。
ここにノックもなしに飛び込んでくるのはマリアくらいのものだ。
「――お兄様! 哲学科の件でお話があります!」
ほら、こんな風にな。
【Side out】
異世界の伝道師 第219話『客員講師』
作者 193
【Side:マリア】
お兄様には困った物だ。お兄様が開示された情報は、何れも水穂お姉様が各国や教会に向けたダミーとして用意していた物だった。
他国にとっては有益な情報ではあるが、私達にとって大きな脅威にはならない技術ばかりだ。
知られたところで、ハヴォニワの国益を大きく損なうような事は無い。しかし――
(私達に注目が行かないように、ご自身を犠牲になさるなんて……)
あそこであのような公開の仕方をしてしまえば、教会や各国の注目は全てお兄様に向いてしまう。
以前として緊張状態にある教会との関係や、執拗に技術開示を迫られていたというのも理由にはあるのだろうが、それだけであればもっと他にやり方があったはずだ。
しかしお兄様は敢えて、このような方法を採られた。全ては――私達のためだ。
これでシトレイユでの一件を含めて、お兄様は更に注目を集める事になる。その上、教会にも恨みを買ったはずだ。
教会は技術の独占を目論んでいたはずだが、それも今回のお兄様の行動でご破算になってしまった。
この先、お兄様に対する教会の目が益々厳しくなっていく事は容易に想像が付く。そして、お兄様の狙いは恐らくそこにあった。
私達が学院での生活を平穏に過ごせるように、と先の事を考えての行動だった。
ハヴォニワや商会の事を快く思っていない人達の目を自身に向けさせる事で、全ての責任を一人で背負われるつもりだったに違いない。
剣士さんやセレスさんのためだけではない。全ては私達のためになさった事だと容易に察する事が出来た。
(これ以上、お兄様の負担ばかりを増やす訳にはいきませんわ)
それでなくても、今も大量の仕事をこなされているとマリエルからは話を聞いている。
常人がやれば三日は掛かるような仕事を僅か二時間で終わらせてしまうお兄様の能力は、さすがとしか言いようが無い。
しかし学院との両立を考えると、些か無理が過ぎるように思える。その上、私達の事を気に掛けて、今回のような無茶を平然となされるのがお兄様だ。その優しさに甘えて、お兄様にばかり負担を強いる訳にはいかなかった。
早急に何か手を講じる必要がある。お兄様に出来る限り仕事を回さないのは簡単だ。でもそれで、じっとしてくれるお兄様とは思えない。
今回のようにまた無茶をされては、そちらの方が遥かに心配事が大きかった。
「――様、マリア様。どうかされましたか?」
「あ、ごめんなさい。少し考え事をしていて……あら? お兄様は?」
「剣士様とセレス様を送って行かれました。ついでにコンビニに寄ってくると仰って……」
少し、ぼーっとしていたようだ。考え事に耽るのも程々にしておかないと、お兄様の事を言えそうにない。
しかし剣士さんとセレスさんを送っていくのは分かるが、コンビニとは……。また夜遅くまで仕事をされるつもりなのだろうか?
ちょっとした食料品から日用雑貨まで手軽にいつでも手に入るコンビニは、貴族や聖機師だけでなく二十四時間交代制で働いている聖地の職員の方々にも好評で、これが切っ掛けとなって他国からも出店の話が来ているほどだった。
お兄様の事だ。また夜遅くまで仕事をされるつもりで、コンビニに買い出しに行かれたのかもしれない。心配していた矢先にこれだ。
「困ったお兄様ですわね。注意して、見て置いてもらえますか?」
「はい。それとマリア様。本国のフローラ様から連絡がありまして……」
「お母様から?」
シトレイユでの一件以来、一度も連絡を取り合っていなかったお母様からの連絡と聞いて、私は訝しげな表情を浮かべた。
侍従も困った表情を浮かべている事から、恐らくは碌でもない話なのだと想像が付く。
私に直接連絡してくるのではなく、侍従に伝言を頼むような内容だ。
出来れば聞きたくは無いが、ハヴォニワの王女としての立場でいえば、そう言う訳にもいかなかった。
「それで、何の用でしたの? 態々連絡してきたくらいですから、何かあるのでしょうが……」
「まずは、こちらをご覧下さい」
そう言って侍従が取り出したのは、手の平サイズの小さなガラス玉。『メモリークリスタル』と呼ばれている記憶媒体だった。
専用の再生機に設置する事で、記録された映像を再生する事が出来るアイテム。
貴族の間でアルバムや手紙の代わりに用いられる事が多い、そこそこ高価な代物だ。
『マリアちゃん、学院生活はどう? 将来の弟くんとは仲良くやれてる?』
「……あなた達、お母様に私達の事を報告でもしているの?」
「いえ! 私達はそのような事は――」
「……そうよね。でもそれじゃあ、なんで知っているのかしら?」
立体映像に浮かんだお母様の姿は、どこか嬉しそうに見えた。これは、面白いネタを仕入れたといった時の顔だ。
昨日、今日の話なのに、どこでその話を知ったのか? 相変わらず、こうした事に耳の早い人だった。
『今日は耳寄りな情報があって、愛する娘のために態々連絡をしたのよ。太老殿に関する事だから、きっとマリアちゃんの役に立つと思うわ』
「……お兄様に関する事?」
愛する娘のためという台詞が、この上なく胡散臭かった。
【Side out】
聖地正門から続く中央庭園を挟み、東と西に学生用校舎がある事はご存じの通り――
その校舎の間を抜け、中央庭園を更に真っ直ぐに進むと、聖地の中でも一際大きな建造物に行き当たる。それが職員用施設だ。
以前話にでた大食堂やコンビニなどの商業施設も、この職員用施設に全て入っていた。
「本当によかったのかい? こんな許可をだして」
「仕方がありません。このままでは、そちらの作業にも支障が出るでしょう?」
「違いない。全く、さらっと問題を増やしてくれる坊やだよ」
その施設の最上階に、この聖地の実質的な最高権力者――学院長の執務室がある。
過度な調度品はなく機能的に纏められた石造りの小さな教室ほどの広さがある部屋。床には赤い絨毯が敷き詰められ、代々の学院長が使ってきたその部屋からは歴史の匂いと格式さえ漂っていた。
学院長席の後、壁一面の大きなガラス窓から入り込む月明かりが、部屋に居る二人の姿を照らし出す。この部屋の主である学院長と、聖地で働く職員達を取り仕切っている職員長のハンナだ。
ハンナは、長年の力仕事で鍛え上げられた歳を感じさせない肉体と、男顔負けの大きな体格が自慢の女性だった。
学院長とは古くからの付き合いで、学院長が教職員達の纏め役であるなら、ハンナは聖地を裏から支える職員達のリーダーとも言える存在だ。
聖地での生活運営の一切を取り仕切る最高責任者と言った方が分かり易いかもしれない。最終的な決定権は学院長にあるが、職員を実質的に動かしているのは彼女だった。
「だけど、次から次へと面白い事を考えつくもんだね」
「彼なりに色々と考えてやっている事なのでしょうが……」
「やっぱり、上から何か言ってきたのかい?」
「相当に焦っているみたいですね。今回の件で口実を一つ失った上に、技術を独占する事はこれで難しくなってしまいましたから……」
学院長とハンナが話し合っているのは、哲学科の工房で太老が開いたロボット講義の事だった。
それが噂となり、これまで聖機工に興味すら示さなかった生徒達も哲学科に興味を示し、希望者が殺到する結果に――
更には教師や職員も一緒になって、授業や作業を中断してその講義を覗きに行く始末。さすがにここまで大きな問題となっては、それを放置する訳にはいかない。
聖地の学業と生活のトップを司る二人には、頭の痛い問題となって降りかかっていた。
とはいえ、全面的にそれを禁止してしまえば、教会が他国に不信感を抱かれるという話以前に、生徒や職員達の不満を募らせる結果となる。
最悪の場合、授業にも影響が出かねない上に、職員の作業効率の低下にも繋がりかねない重要な問題だった。
そこで一つの対策として学院長は哲学科の特別授業を公式に認め、太老を哲学科の客員講師として迎える事を決めたのだ。
生徒が一部とは言え教師を兼任するという異例の事態ではあるが、このまま勝手気ままに講義を続けられるよりはずっとマシだ。
仮とはいえ客員講師となれば、学院の方で授業スケジュールを指示する事が出来る。
無理矢理中止させた時のデメリットや、周囲への影響を考えた上での苦肉の策だった。
今回の件で、教会本部と太老の間で板挟みの状態にある学院長が一番苦労をしたのは言うまでも無かった。
教会上層部は太老の勝手な行動に激怒し、太老を召喚して審問に掛けるように学院長に指示をだしたほどだ。
だがそんな事をすればハヴォニワとの関係が一層悪化するばかりか、他国に要らぬ不信感を抱かせる結果に繋がりかねない――
と学院長が上層部を説得し、太老を一時的に客員講師として迎える事で学院の管理下に置き、監視を強化する案を提示したのだった。
それに開示された技術は、教会本部にも送られる事になっている。
結果的に技術開示をさせる事には成功した以上、教会にしてみれば納得の行かない結果ながらも、この辺りが妥協点と言えた。
「職員の間でも色々と噂になってるよ。学院に来るなり早速色々とやらかしてるみたいだし、後始末をする学院長も大変だね」
「一筋縄でいく少年ではありませんからね。ハンナ、少し気に掛けて置いてもらえますか?」
「それは坊やの方かい? それとも坊やにちょっかいを掛けてくる方、どっちの心配だい?」
「両方……お願いします」
◆
ここはラシャラの独立寮。風呂上がりなのか、バスローブ姿のラシャラが何やら書斎で唸っていた。
「ううむ……」
「ラシャラ様。そのような格好でいつまでもいると、マーヤ様にまた叱られますよ?」
「それどころでは無いのじゃ! 例の噂が気になっての」
「例の噂? 太老様の事ですか?」
机の上に散らばった書類を片付けながら噂と聞いて、アンジェラの脳裏には太老の姿が過ぎる。
哲学科に行けば正木太老の講義が受けられる、と言う話は今や学院中の噂となっていた。
転科願いや哲学科の授業を見学したいという申し込みが相次ぎ、その対応に教師や生徒会も追われているという話だ。
太老の事を知るアンジェラからしてみれば、実に太老らしい思いきった事をしたものだと感心していた。
「その事では無い。太老のする事じゃしな、心配など全くしておらぬわ」
「それでは……」
「剣士とセレスの事じゃ。マリアめ……よもや、あのような先手を打ってくるとは」
「ああ、その事ですか……」
太老の話の所為で話題としては大分薄れてしまったが、朝から噂のあったセレスの話に付け加えて、剣士が太老の身内であると言う噂が学院中に知れ渡っていた。
だがそのくらいであれば、ラシャラもここまで焦りはしない。問題なのは、その噂の出所。そして噂の内容の方だった。
マリアがクラスの女生徒達を使って学院中に流させたのは、剣士が太老の身内であるという話だけではない。
剣士とその友人のセレスが、マリアと太老の『大切な人物』である事を強調して広めたのだ。
「でも、マリア様も悪気があった訳では……。お二人の事を考えてだと思いますし……」
「だとしてもじゃ! 我に一言も相談なく、こっそり自分と太老の名前だけ≠入れて噂を流す辺り、明らかに狙ってやっておるとしか思えぬ。マリアは、あの年増の娘じゃぞ?」
「まあ、そう言われると確かに……」
その噂の中に自分の名前が入っていなかった事に不満を覚えるラシャラ。
それもそのはず、これでは太老とマリアの仲ばかりが強調されて、ラシャラだけが蚊帳の外に置かれているも同じだった。
しかしこれが逆の立場だったなら、ラシャラも同じ事をした可能性が高い。悔やまれるとすれば、教室が別々になってしまった事だ。
しかしそれを今更悔やんだところでどうする事も出来ない事は、ラシャラ自身が一番よく理解していた。
「このままではダメじゃ。早々に何か手を打たなければ……」
同じ婚約者という立場でありながら、マリアに一歩リードされてしまった事に焦りを感じるラシャラ。
それも当然だ。ここは世界中の王侯貴族と聖機師の卵達が通う学院。どんな噂であれ、その噂が持つ影響力はバカには出来ない。
このままマリアと太老の仲が周囲の認めるところとなれば、同じ婚約者であるラシャラの立場が危うい。
そのままの流れでマリアが第一皇妃という話になれば、それこそ手後れとなってしまう。
「マリアにだけは負けられぬのじゃ!」
何より、皇としての面子や二番扱いされる事よりもマリアに負けるという現実の方が、ラシャラにとっては受け入れ難いものだった。
「ですが、どうされるおつもりなのですか?」
「我に良い考えがある。アンジェラ、御主にも協力してもらうぞ! フハハハ、見ておれ! マリア!」
腰に手を当てて高笑いをするラシャラを見て、嫌な予感を覚えるアンジェラだった。
……TO BE CONTINUED
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