【Side:剣士】
放課後、セレスくんの事で太老兄に御礼を言いにマリア様の独立寮に向かった。
で御礼を言って、その後は太老兄に誘われるまま夕食を御馳走になり、そろそろお暇しようとした時――
『あっ、コンビニに用があるから一緒に行こう』
太老兄がそう言った時点で、俺は気付くべきだった。
何事も無くこのまま一日が終わると考えていた自分の甘さを……俺は今、痛感していた。
「剣士くん。搬入のチェック終わったよ」
「あ、うん。客も大分引けてきたみたいだね」
職員施設に常設されたコンビニエンスストア。その名も正木商会からとって『正木マート』。
捻りも何もない覚えやすい名前だ。その店で何故か、俺とセレスくんはアルバイトをしていた。
二十四時間開いているとあって利用者は多く、夜遅くまで働いている職員達には好評なようだった。
実際、夜の客といえば、施設で働いている職員が殆ど。寮には門限があるし、規則を破ってまで夜遅く外を出歩いているような生徒は少ない。
その方が気が楽と言えば楽だけど、まさか異世界にきてコンビニでアルバイトをする事になるとは思ってもいなかった。
「二人とも、お疲れ様。いや、本当に助かったよ」
「いえ、このくらいさせてください。太老さんには色々とお世話になってますから……」
朝日が差し、外は明るくなり始めていた。太老兄が差し出した飲み物を照れ臭そうに受け取るセレスくん。
太老兄の買い物に付き合ってコンビニに寄ったところタイミング悪く、従業員が風邪やぎっくり腰で休んで困っているとの話を聞かされ――『じゃあ、俺が手伝うよ』と太老兄が言いだしたのが今から数時間前の事。
太老兄に何か恩返しがしたいと言っていたセレスくんが、その太老兄の話に乗っかったのが全ての始まりだった。
「ほら、剣士も」
「あ、うん。ありがとう」
砂糖がたっぷり入った甘いホットココア。太老兄が研究所で夜遅くまで作業していた時に、よく飲んでいた飲み物だ。
渋い御茶や酒のつまみのような物を好む太老兄にしては珍しいと思って尋ねた事があった。
すると――
「甘い飲み物は嫌いって訳じゃないけど確かに余り飲まないな。でも、これは別なんだよ」
その味が懐かしくて、作業で疲れた時などに好んで飲んでいるという話だった。
俺と違って両親と別々に暮らしていた太老兄。俺がその事に疑問を持ったのは、それが初めてだった気がする。
太老兄は『マッドに捕まったんだ』と軽く笑って誤魔化してたけど、俺はそれ以上、何も訊く事が出来なかった。
「ねえ、太老兄」
「なんだ? お代わりが欲しいのか?」
「え……あ、うん。じゃあ、もらおうかな」
「セレスはどうする?」
「あ、はい。頂きます」
どうしようもなく、太老兄が遠くに感じる瞬間――
実のところ、姉ちゃん達が隠している事よりも、太老兄の方が秘密が多いと俺は思う。
この味の何が懐かしいのかとか、俺の知らない太老兄の秘密だけは訊けそうに無かった。
「おっ、そうだ。アルバイト、これからもやってみない?」
「え、でも……」
「剣士は分かるとしてもセレスも随分と手慣れてた様子だし、これなら十分にやっていけると思うぞ」
「村に居た頃は、よく店の手伝いとかしてたから……。多分、それでだと思います」
セレスくんは乗り気のようで、太老兄の話に真面目に耳を傾けていた。
友達が自分の身内を尊敬していると言うのは正直な話、複雑な気分だ。でも慣れていると言ってしまえば、それまでだった。
向こうの学校でも太老兄の事は知らない人が居ないくらい有名で、俺の同級生の中でも太老兄に憧れていた生徒は少なく無かった。
俺が太老兄の親戚だと言う話は有名だったので、よく太老兄の事を訊かれたものだと思い出す。特に女生徒からの人気が凄まじかった。
顔とルックスはそれなりだが、幼い頃から鍛えあげられてきた引き締まった身体と、同世代の男子とは違う大人びた雰囲気。
学力も全国トップの成績を収める優等生にしてスポーツ万能。先生からの信頼も厚く、中学では一年から生徒会役員まで務めていたほどだ。
身内の目から見ても文句の付け所がないくらい良く出来た優等生だった。ただ一点、あの傍迷惑な性格を除いては――
(皆、太老兄の本性を知らないんだ……)
俺も太老兄の事を全て知っている訳じゃない。でも、一つだけはっきりしている事がある。
太老兄の本質はマッドサイエンティスト。それも究極に質が悪い方のマッドだ。その上、美星姉と同じ類の天才。
そう、カードで例えるなら太老兄は『ジョーカー』みたいなものだ。状況を覆す最強の切り札にもババにもなる。
確かに頼りになるけど、出来るだけ頼りたくない義兄――と言うのが、俺から見た正木太老だった。
「剣士くん。よかったら一緒にやってみない? 無理にとは言わないけど……」
「え?」
何も知らないセレスくんを、太老兄の被害者にする訳にはいかない。
こちらの世界で出来た初めての友人のために、俺は覚悟を決めて首を縦に振った。
【Side out】
異世界の伝道師 第220話『アルバイト』
作者 193
【Side:太老】
今朝は生徒会の議事があるとかで、俺とマリアはその会議に参加するため、上級生の校舎にある生徒会室に向かっていた。
その途中、昨晩から今朝に掛けての事をマリアに話して聞かせていた。
一晩、俺が帰ってこなかった事を侍従から聞いた様子で、何をしていたのかと心配して尋ねられたからだ。
「……アルバイトですか?」
「ああ、正式に募集してみようと思って。セレスと剣士も、やってみてもいいって言ってくれたし」
俺の話を聞いて訝しげな表情を浮かべるマリア。しかし、これは真面目な話だ。やはり人手不足は深刻な問題だと今回の事で痛感させられた。
グレースの読んでいた学院新聞。それに載っていた新作肉まんの味を確かめるべくコンビニに赴いたのだが、話はそれどころでは無かったからだ。
風邪やぎっくり腰で同時に従業員が休んだからと言って、仕事に支障が出るようでは困る。こちらの事情など客には関係ないからだ。
そう、客として行ったのに幾ら人手が足りなくて忙しいからと言って、肉まんの補充すらしていなかったなんて――
え? お前の商会の店じゃないかって? 客として来店している以上は俺も客だ。
「ですが、それなら職員を補充すれば……」
「手続きが面倒な上に色々と条件が厳しいからな。俺とマリア、それにラシャラの枠まで使って職員を補充したのだって、言ってみれば裏技みたいなもんだし。それに聖地に出向させている職員の件もあるだろう?」
「確かに……学院側との交渉はどうなっているのですか?」
「ラン曰く、今のところ交渉の余地がないそうだ。こればっかりは、学院長の権限だけではどうする事も出来ない問題らしい」
自衛の観点からというのもあるのだろうが、教会本部がハヴォニワや商会の息の掛かった人材を聖地に入れるのを嫌っているそうだ。
随分と嫌われたものだとは思うが、こればっかりは教会の意向を無視して勝手にやる訳にもいかない。
規則の範囲内での活動ならともかく無茶をすれば、リチアや学院長に迷惑を掛ける事になる。
なら、聖地に出向させている職員をこちらの業務にあてれば良いと思うかもしれないが、聖地も人手不足なのは同じだ。
教会本部の意向はどうあれ学院長にはお世話になっているし、支部の件を含めて色々と無理を聞いてもらっている以上、そちらを無視は出来なかった。
「頭の痛い問題ですわね……。それで、アルバイトですか」
「ここの生徒なら十分に即戦力になるし、休日と放課後に数時間の簡単な仕事なら学業に支障をきたすような事もないだろう?」
ここは何だかんだ言っても、王侯貴族や聖機師の卵が通う世界有数のお嬢様・坊ちゃん学院だ。
基本的に真面目で優秀な生徒が多い。アルバイトにかまけて学業が疎かになるような生徒は居ないだろう。
それに急速な事業の拡大に伴い、人材の確保と教育はうちの商会でも急務とされている問題だった。
というのも、教育制度の確りとしていないこちらの世界では、下手をすれば計算や文字の読み書きから教えなくてはいけない。
こちらで言う義務教育とは、貴族やその従者を対象とした制度だからだ。
学校に通う金の無い一般人は精々、村の大人達に勉強を見てもらうくらいの事しか出来ない。実際セレスもここに来る前は、そんな感じだったと話を聞いていた。
シンシアやグレースも同じだ。あの二人は父親の残した書物や町長の家にある本を読んで独学で育った天才だが、皆がそんなに頭の出来が良い訳ではない。
セレスのような資質や、シンシアとグレースのような才能を持った子供が特殊なだけだ。
だが、貴族や聖機師だけならともかく、一般人にまで広く義務教育を施すのは金と時間が掛かる上に政治的な問題も障害となる。
ハヴォニワのような政策が、他の国でも上手く行くと考えてはダメだ。あれはハヴォニワの女王がフローラだったから成功しただけの話で、支配者の側から見れば一般人に余計な知恵をつけられると厄介だと考える者も少なくない。
既得権益を失うかもしれない危険を冒してまで、民のために改革を成し遂げようという貴族は寧ろ少ないと言えるだろう。こうした問題は、一朝一夕で解決するような話でもなかった。
じっくりと腰を据えてやっていかなければならない問題だ。しかし人手は直ぐに必要と来る。だったら、やるべき事は一つしか無い。
「……ですが、学院がそれを許可しますか?」
「ああ、それなら大丈夫。これ、学院長の許可書」
「いつの間に……」
今朝、学院長の方から連絡があって、哲学科の件で客員講師の誘いを受けた。
そこで物は試しにと、講師を引き受ける代わりにアルバイトの件を頼んでみたら、あっさり了承を貰えたのだ。
元々、哲学科の件はなんとかしたいと考えていた矢先の事なので、今回の話は願ったり叶ったりだった。
即戦力で働いてくれる有能な人材は幾らいても困るような事はない。職業適性を見るという意味でもアルバイトは有効な手段だ。
学院卒業後の選択肢の一つとして、聖機師に採用されなかった場合でも商会で仕事を斡旋できれば、という狙いもあった。
「それに、ただ人手不足を解消したいって話だけじゃないんだよな。これは昔から考えていた事でもあるんだが、この学院にきて確信したよ」
「確信……ですか?」
「ああ、決闘騒ぎでも居た男性聖機師みたいに――バカが増長する訳だ。この環境が良くないって実感した」
人手不足の解消も目的の一つだが、本音をいうとこれが一番の理由。ここの連中は現実を知らなすぎる。
一般的な常識や金銭感覚を養わせるのに、アルバイトをさせると言う選択は悪く無い方法だと考えた。
ここの生徒は贅沢に慣れすぎていて、庶民の感覚が全く分かっていない。
――庶民の暮らしをしらない奴に、庶民の気持ちが本当に理解できるだろうか?
俺はそうは思わない。民あっての国だ。国民の代表とも言うべき特権を享受する彼達がそれでは、その国の未来は暗い。
コンビニの一角に設けられた貴族用コーナー。そこには一本で庶民の一ヶ月分の給料が飛ぶ香水とか、常軌を逸しているとしか思えない商品が並んでいた。
全員がそんな暮らしをしているとは思わない。しかし現実問題として、ここの暮らしが外の世界と懸け離れている事だけは確かだ。
広すぎる施設に豪華すぎる設備。修行の場と言いながら、とてもじゃないが全て必要な物とは思えない。
「お兄様の仰る事は分かりますが、それが貴族と言うものですし……」
「金遣いが荒いってだけで言ってるんじゃないぞ? 問題はそれが税金だって事を自覚しているかどうかなんだよ」
「それは……」
「この学院だってそうだ。学院の運営に関わっている多くの人員。彼等が汗水垂らして働いてくれているからこそ、俺達は不自由のない学院生活を送る事が出来ている。そうした人達の存在を知らないまま過ごしていたら、どうなると思う?」
「否定……出来ませんわね」
マリアはそうじゃないと分かっている。だが現実として、その事を何も理解できていない奴が大半だ。
この聖地にきて最初にショックを受けたのは、外の世界と余りに懸け離れた現実だった。
贅沢な暮らしが悪いとは言わないが、こんな世界にどっぷりと浸かっていれば感覚が麻痺して当然だ。
聖機師になり損なった浪人が山賊に堕ちるという話をよく聞くが、それもここでの贅沢な暮らしに慣れてしまって、普通の生活に馴染めないからではないかと考えていた。
一度身についた生活水準を急に引き下げる事は難しい。それで失敗をして借金塗れになった奴の失敗談なんて、よく耳にするありがちな話だ。
最終的には何をしようと本人の責任だが、この学院のやり方にも問題がある。
だがそれは、教師や学院長だけが悪いと言うよりは、この世界の在り方に問題があると俺は考えた。
「聖地の外から職員を補充する事が出来ないなら聖地で確保すればいい。一石二鳥だろう?」
「ですが、よりによってセレスさんを……彼は男性聖機師ですよ?」
「だから? そもそも男性聖機師だからって、なんでも特別扱いする必要はないだろう?」
なんだかんだで力仕事もあるし、男手がないよりはある方が良いに決まっている。
ただでさえ、女ばかりの学院だ。セレスのように仕事に慣れていて、やる気のある若い男の働き手は貴重だった。
正直な話、そこらの男性聖機師よりもセレスの方が遥かに使える。性格が大人しすぎて接客業には今一つ向いていないが、ようは時間と慣れの問題だ。
男性聖機師ってのは単純でプライドが高いので、自分の力量以上の大きな仕事をやりたがってそれで失敗する奴が多い。
逆にセレスは小さな事からコツコツと積み重ねていくタイプだ。ああ言うタイプは伸びるので、これからの成長を楽しみにしていた。
第一、怪我をするかもしれないから訓練や実技が禁止。何もさせないっていうのはどうなのか?
何もしなくたって事故に遭う可能性、怪我を負う危険は生活の中にだってある。それは心配して言っているのではなく単に過保護なだけだ。
結局のところ、万が一の事があった時に誰も責任を負いたく無いから、義務を放棄しているに過ぎなかった。
男性聖機師がバカになっている原因を作っているのは国と教会だ。その責任は重い。
「……いえ、そうでしたわね。ですが、お兄様のなさろうとしている事は、この世界のルールに真っ向から逆らう行為です」
「理解してるさ。でも、何も行動しなかったら何も変わらないだろう?」
ここはそう言うところだと納得してしまえば、きっと楽なのかもしれない。
郷に入っては郷に従え、という言葉もある。それがここの常識というなら、俺のしようとしている事は非常識と言える行為なのだろう。
だけど、それも時と場合による。ハヴォニワやシトレイユでの一件もそうだが、明らかに間違っていると言えるような事にまで妥協する気は一切なかった。
俺は異世界人だ。ハヴォニワの聖機師どころか、この世界の人間ですら無い。彼等からすれば部外者が口を挟んでいるようなものだ。
しかし俺はマリアと出会ってしまった。そしてこの世界の事を知ってしまった。
マリエルと出会い、シンシアやグレースと家族になり、彼女達の生まれ育った村をこの目で見てきた。
見て見ぬ振りなど出来ないほどに、この世界に関わってしまった責任がある。
二度と悲しい想いをする子供達をだしたくない。幼女が笑えない世界なんて、絶対に認められなかった。これは俺の我が儘だ。
「聖地なら、少しは大人しくしてくださるかと思いましたが……やっぱり、何処にいてもお兄様はお兄様でしたわね」
「えっと……マリアさん? それ、褒めてないよね?」
「ええ、呆れています。でも、お兄様らしい答えです」
まあ、普通は呆れられて当然の考えだと自覚はしていた。マリアにも迷惑を掛けると分かっていても、この考え方だけは変えられない。
シンシアやグレースのような子供が二度と悲しい想いをしなくて済む世界にしたい。
それは俺にとって、新作肉まん以上に重要な事だからだ。
「私も同罪ですわね。そんなお兄様の手助けをしたい、と考えているのですから」
「マリアは、それでいいのか?」
「良いも悪いも今更です。お母様もマリエルも――皆、同じ事を言うと思いますわ」
迷い無くそう言い切るマリアを見て、正直敵わないと思った。
迷惑を掛けられる事を承知の上で、俺の考えに賛同してくれると言っているのだ。
「それでは、初めての生徒会。お兄様の野望を叶える第一歩を華々しく飾りましょう」
「野望って……」
「大丈夫です。お兄様ならきっと、聖地を足掛かりに世界征服だって夢ではありませんわ」
いや、何処かのマッドサイエンティストじゃあるまいし、そこまで大きな野望は持っていない。
ただ、幼女に囲まれながら平穏に過ごしたいだけだ。それが俺のささやかな願いだった。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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