この学院の制服はラインの色で下級生か上級生か一目で見分けが付くようになっている。下級生なら緑。上級生なら紫といった具合にだ。
上級生の校舎の中を、そんな緑のラインの制服を着た生徒が歩いていれば、目立って当然。
不機嫌そうな顔を浮かべ廊下を並んで歩く二人の下級生――マリアとラシャラの姿がそこにあった。
「ラシャラさんの所為で資料室を追い出されたではありませんか」
「御主が騒がしいからであろう? 早く行かぬと授業に間に合わなくなるぞ」
「そう言って、お兄様のところに一人だけ戻ろうという魂胆なのでしょう? 抜け駆けはさせませんわ!」
「よくもぬけぬけと! 先に抜け駆けしたのは御主であろう!」
またも口論を始める二人。それが原因で様子を見にやってきたリチアに資料室を追い出されたというのに懲りない二人だった。
ここは上級生の校舎だ。本来、下級生が立ち入って良い場所ではない。生徒会役員であっても用もなしにここに来たりはしない。
とはいえ遠巻きに見ている上級生達も、相手がシトレイユの姫皇とハヴォニワの王女では注意をする訳にもいかず、騒ぎが収まるのをじっと見守る事しか出来ないでいた。
「ラシャラ様!」
「マリア様!」
そんな二人の喧嘩を止めに入る二つの影。ラシャラの護衛機師キャイアと、同じくマリアの護衛機師のユキネだ。
上級生の校舎で騒いでいる二人の下級生が居る――という話は、キャイアの教室にまで届いていた。
ユキネが慌てて飛んできたのも、その二人と言うのがラシャラとマリアで間違い無いと察したからだ。
まさにお約束。全く予想を裏切らない二人の行動に、キャイアとユキネは開いた口がふさがらないと言った様子で辟易とした表情を浮かべる。従姉妹と言うよりは、双子の姉妹と言った方が分かり易いほどに行動が良く似ていた。
同族嫌悪もここまでくると、先天的なものを疑わざるを得ない。『グウィンデルの花』の血は、この二人に確かに受け継がれていた。
「マリア様、そろそろ休み時間が終わります。早く教室に……」
「ラシャラ様もです。早くしないと次の授業に……」
「今日は休みますわ」
「我も今日は休む」
いつもならこんな我が儘は決して言わない二人だが、太老に関する事となると話は別だった。
教室に戻れば、もう片方が太老のところに行って抜け駆けをするかもしれない。互いにライバルと認め合い、牽制し合っている二人からすれば、ここで一歩たりとも引く訳にはいかなかった。
そんな二人を見て、これはダメだと諦めモードに入るキャイアとユキネ。この二人の喧嘩に限っては、どちらか一方が折れると言った事は無い。マリアとラシャラが強情なのは、護衛機師をやっている二人が誰よりもよく承知していたからだ。
しかし、その時だった。
「ダメです。教師として見過ごす訳にはいきません」
「な、なんじゃ!?」
「きゃっ! メ、メザイア先生!?」
ひょいっと脇に担ぎ上げられるラシャラとマリア。ジタバタともがくが、全く抜け出せそうにない。
廊下で騒いでいた二人を制止したのは、騒ぎを聞きつけてやって来たメザイアだった。
ギャアギャアと騒ぎ立てながらバタバタと暴れる二人を見て、ハアとため息を漏らすメザイア。
「全く、不審者が居ると聞いて来てみれば……。ここは上級生の校舎ですよ?」
「ですが、ここにはお兄様が――」
「そうじゃ、太老が――」
「彼は上級生。あなた達は下級生。そして、もう昼休みは終わりです」
メザイアの言っている事は正論だった。
生徒会の議事があるならまだしも、既にその会議も終わっている。だとすれば、大人しく自分達の教室に戻るのが筋。
上級生の校舎で下級生が騒ぎを起こすなど問題外。更に授業をさぼるなんて、教師として見過ごせるはずもなかった。
「キャイア! 我を助けぬか!」
「ユキネ! あなたも見てないで、私を助けなさい!」
主に助けを求められるも、メザイアの有無を言わせぬ迫力に気圧され、キャイアとユキネは何も言えなかった。
それにこの場合、悪いのはどう見てもラシャラとマリアの方だ。幾ら主君とはいえ、擁護する事は出来ない。
それにユキネは別として、キャイアはこの学院の生徒だ。メザイアの妹でもある。
間違った事を言っているのならまだしも、明らかに正しい事を言っている教師に逆らえるはずも無かった。
「さあ、行きますよ。二人とも」
「離せ、離さぬか!」
「ラシャラさんと一緒だなんて! こんな屈辱ありませんわ!」
「それは、こちらの台詞じゃ!」
メザイアに連れて行かれる二人を見送り、また一つ大きなため息を漏らすキャイアとユキネだった。
異世界の伝道師 第223話『覚悟と後悔』
作者 193
「全く、シンシアの奴。どこに行ったんだよ!」
もう直ぐ次の授業が始まるというのにシンシアの姿が見えない事に気付いたグレースは、その姿を捜して校舎中を走り回っていた。
走り回る、と言っても自分の足で捜している訳ではない。彼女が乗っているのは銀色のタチコマ。それも技術部の所有しているタチコマよりも更に性能を向上されたグレースカスタムモデル。世界に一台しかない彼女お手製のタチコマだった。
「きゃっ!」
「な、何!? 今の風……」
突風に驚き、慌ててスカートの丈を押さえる女生徒達。一瞬の事で、彼女達には全く理解できなかったはずだ。
それもそのはず、グレースの搭乗しているタチコマは光学迷彩を張り、その姿を隠して行動していた。しかも、その機動力は普通のタチコマの三倍。まさに風を切る速さだ。こうして姿を隠しているのも『太老のように目立たないように』――と、グレースなりに考えての行動でもあったが、逆に目立っている事に彼女は気付いていなかった。後に、これが『学院七不思議』の一つとして噂されるようになるとは、この時のグレースは想像もしていなかったに違いない。
それに、グレースなりに太老に言われた事を気にしていた。
剣士とセレスの事をよろしく、と太老に頼まれ、素っ気ないフリをしても二人の事を本当は気に掛けていたグレース。
昨日から女生徒達の間で流れている噂もあって、今日はタチコマを使って密かに二人を見守っていたのだ。
しかし二人に気を取られている隙にシンシアが姿を消してしまい、こうして慌てて彼女の姿を捜しているという訳だった。
「ああっ! もう!」
タチコマは全ての機体がMEMOLを通して一つのリンクで繋がっている。
そのリンクを使って位置を追えば本来は簡単な話だが、シンシアの専用タチコマは全てのタチコマの上位モデルになる機体だ。
MEMOLのマスター権限を持つシンシアなら他のタチコマの位置を知る事は容易だが、MEMOLに関してそこまでの権限を持たないグレースには難しかった。
それが可能だとすれば、シンシアと同じレベルの権限を持った太老と水穂くらいのものだ。
「そうだ! 学院の監視システムにアクセスすれば!」
学院の施設にはプライベート空間などの一部を除いて、至る所に監視カメラが設置されている。
元々この聖地学院は遺跡の上に建てられているとあって、先史文明に関わる技術と教会の機密が数多く隠されている。
それらを護るためというのもあるが、各国の重鎮でもある生徒達の安全を確保するため、軍事基地並の強固なセキュリティシステムが導入されていた。
周囲を高い渓谷に囲まれ、背には広大な森と山。唯一正門へと続く道は狭い一本道となっているため、大部隊を展開させるのには向いていない。この地形その物が強固な要塞の役割を果たしていると言う訳だ。
そこに加えて貴重な聖機人が惜しげもなく配備され、使われているのは先史文明の技術を利用して作られた世界有数の防衛システム。
聖地が『世界で最も堅牢な要塞』と呼ばれる理由がそこにあった。
「このグレース様に掛かれば、このくらいのセキュリティ!」
その教会が絶対の自信を持つ管理システムにアクセスするグレース。普通であれば、教会のコンピューターに外部から無断アクセスするなど不可能な話だが、本来バレれば大騒ぎ間違い無しの問題行為を教会に悟られないように、まるで答えの分かったパズルを紐解くように難なくクリアしていく。彼女からしてみれば、このくらいの芸当は朝飯前だった。
太老の世界の技術を用いて作られたMEMOLは、間違い無く世界最高の次世代型亜法演算器だ。異世界からやってきた先史文明の遺産すら凌駕する技術。そこにグレースの頭脳が加われば不可能は無かった。
タチコマとは本来、そのMEMOLにアクセスする端末の役割を持つ。関係者しか知らない事だが、全てのタチコマはこのMEMOLと繋がっていた。
タチコマに搭載されている様々な機能はその副産物。おまけのようなものだ。
本当に注目すべき点はタチコマの思考制御と自律機能の方にあった。これを可能としているMEMOLこそが商会の技術の肝と呼べる部分だ。
そして、そのMEMOLの設計に使われている未知の技術――それこそが、太老と水穂がこの世界に持ち込んだ異世界の技術だった。
色々と謎の多いこのMEMOLだが、情報戦に置いてはまさに『最強の武器』と言っても良い性能を誇っている。
グレースが簡単に聖地の中央コンピューターにアクセスする事が出来ているのも、このMEMOLの性能があってこそだ。
「よし! 繋がった! 後はシンシアを捜して――」
学院の中央コンピューターにアクセスしたグレースは、監視モニタの映像からシンシアの姿を捜していく。
すると呆気なく、シンシアが映ったカメラの映像が目に留まった。
だが、次の瞬間――グレースの表情が真っ青になって固まる。
「あそこは――」
◆
「セレスはどうした?」
「今、呼びに行かせてる。もう直ぐ、こっちにやってくるはずだ」
校舎裏手の森。シュリフォンが管理している森の一角に、先程の男子生徒達の姿があった。
本来、立ち入りが禁止されている森を彼等が選んだのは、それ故に人目に付かず、彼等にとって都合の良い場所でもあったからだ。
カレンに見られるという失敗を犯した教訓から、この森にセレスと剣士を誘き寄せる作戦を考えた男子生徒。だが早速、予想もしないアクシデントに見舞われていた。
「全く、どうするつもりなんだ? こんな子供を連れてきて」
「聖機師とも思えないし誰かの従者と思うが、見られちまったもんは仕方ないだろう?」
校舎裏で悪巧みをしているところを、偶然通り掛かった金髪の少女――シンシアに見られてしまった男子生徒。
勢いで連れてきてしまったものの、彼等もどうしたものかと困り果てていた。
だが話を聞かれてしまった以上、そのまま帰す訳にも行かない。木にロープで括り付けて、一先ずセレスが来るのを待っていた。
――いざとなれば、セレスと剣士に罪を被せて始末してしまえばいい
例え明るみになったとしても問題となるような事は無い。
子供一人の命の価値など、男性聖機師の自分達とでは比較にすらならないと侮っていた。
まさか掴まえてきた少女が、ハヴォニワで『天才』と呼ばれる双子の片割れで、マサキ卿メイド隊で重要な役職に就いてるとも知らずに――
尤も、シンシアが抵抗する事無く大人しく捕まった事も、彼等が油断する要因の一つとなっていた。
「やっと来たか」
仲間の一人に連れられてやって来たセレスの姿を確認して、ニヤリと笑みを浮かべるリーダー格の男。
「待ってたぞ、セレス。あの従者には気付かれてないだろうな?」
「……剣士くんには何も言ってない。だから、ハヅキには手を出さないって約束して欲しい」
「それはお前次第だ。セレス」
「僕……次第?」
剣士に嘘を吐き、男子生徒に誘われるまま森にやってきたセレス。それというのも幼馴染みの少女を人質に取られての事だった。
人を雇って平民を拐かす。そうした仕事を生業としている山賊が居るくらいだ。金と権力さえあれば難しい事では無い。
やると言ったら彼等はやる。それをセレスは知っていた。
そして、それを問題にしたところで相手は男性聖機師。平民と聖機師とでは身分だけでなく、命の価値その物が大きく違う。
例えハヅキが殺されたとしても、彼等が咎められる可能性は限りなくゼロに近い。そして聖地から一歩も外に出る事を許されないセレスでは、ハヅキを護る事は出来ない。万が一にも彼女に危険があると分かっていて、それを黙って見過ごせる少年ではなかった。
「柾木剣士をここに連れて来い。勿論、俺達の名前は伏せて、お前が連れてくるんだ」
「剣士くんを……?」
「そうだ。ククッ、友達と思っている相手に裏切られたとしれば、奴はどんな顔をするかな?」
「まさか、そんな事のために……」
「そんな事? これは重要な事だ。従者と聖機師。奴には、その立場の差を思い知らせてやる必要がある」
全く自分の言葉を疑わずに口にする男子生徒。資質を持たない従者と聖機師。その身分の差は彼等の中で絶対のものだった。
それ故に、聖機師の資質を持たないただの従者が自分達よりも目立っているという現状が、彼等には看過できなかった。
「……それは出来ない」
「幼馴染みがどうなっても良いと言うのか? 俺達がその気になれば平民の一人や二人、どうとでもなるんだぞ?」
「それは……」
ハヅキの事を出されて言葉に詰まるセレス。剣士の事は確かに友達だと思っているが、同じようにハヅキも大切な幼馴染みだ。その二人を天秤に掛ける事など出来るはずも無かった。
しかし、ここで断れば彼等は間違い無くハヅキに手を出す。その事はセレスが一番よく分かっていた。
だからこそ葛藤する。剣士を裏切りたくないという気持ちと、ハヅキを危険な目に遭わせたくないと言う思い。その二つの思いが、セレスの中でせめぎ合っていた。
「お前も聖機師だ。汚い平民の出とは言っても、本来はこちら側の人間だろう? 何故、あんな何の才能も無い従者と連む?」
「剣士くんは才能が無くなんか――!」
「少しチヤホヤされて調子に乗っているみたいだが、所詮は聖機師の資質が無い人間と我等では身分が違う。聖機師で無い以上、奴はただの平民だ」
そう、剣士は確かに勉強が出来る。昨日の授業でも器用になんでも人並み以上にこなし、初めてとは思えない成績を残していた。
彼等の認識ではそれなりに出来るという程度だが、教師達の間ではちょっとした噂になっていたくらいだ。尤も、その成績が公開されない限りは、剣士がどの程度の実力を隠しているかなど彼等に分かるはずもない。男性聖機師よりも遥かに優れた成績を収める一般の男子生徒が居る。それが公になれば、今まで以上に剣士は他の男子生徒から疎まれる存在になるだろう。
それを自尊心の高い彼等が黙っているとは思えず、教師達は剣士の成績を伏せる事を密かに話し合っているほどだった。
元々、怪我の危険性がある武術や体育などと言った授業を受けさせる訳にはいかないため、男性聖機師の成績は学問と亜法耐性値以外は非公開となっている。それ故に男性聖機師は操縦技術や剣術の腕よりも、亜法耐性値の高さで順列を競う傾向にある。
聖機師でない彼の成績を公開しなかったところで、それに異議を唱える者は居ないだろうという考えだった。
「あんな奴にはさっさと見切りをつけて、お前は聖機師である俺達と一緒に居るべきだ」
「どうして、今頃になって……」
「簡単な話だ。お前は落ちこぼれのダメな奴だが、マサキ卿との接点を作ったという意味では見所がある」
「そうか……。だから、君達は……」
ずっとセレスを仲間外れにしてきたのは彼等の方だ。それを今更、仲間になれと言われても納得の行く話では無い。
しかし太老の名前が彼等の口から出た事で、セレスは彼等が何を考えているのか、全てを察する事が出来た。
剣士の事が気に入らないというのは本当の話だろうが、それ以上に太老との接点を彼等は持ちたがっているのだ。
そのために自分を利用しようとしているのだとセレスは気付き、迷いが晴れたように覚悟を決めた。
「やっと分かったようだな。さあ、柾木剣士を連れて来い。そうすれば、お前を仲間に――」
「断る!」
「なっ!? セレス! 自分の立場が分かっているのか!?」
「分かってないのは君達の方だ! 僕は友達を裏切れない……それに、太老さんを裏切るような真似は出来ない!」
剣士とハヅキだけでなく、太老を裏切るような真似はセレスには出来なかった。
平民出身だとは言っても、彼にも聖機師としてのプライドがある。いや、これは人として決して譲れない部分だった。
友達を売るばかりか、恩を仇で返すような真似が出来るはずも無い。自分を必要としてくれた人であれば尚更だ。
彼等の言葉に従って例えハヅキが無事だったとしても、きっと後悔する事になる。それがセレスの出した答えだった。
「くっ! これだから平民出の聖機師は……。少し痛い目に遭わないと分からないようだな!」
「うっ……」
目の前には木剣を構えた男子生徒が四人。
セレスも授業で剣術を習っているとはいえ、元は剣など一度も握った事の無かった平民だ。当然の事ながら実戦の経験はない。しかも今は丸腰の状態だった。
戦って勝ち目があるとは思えない。だからといって一度言った言葉を、セレスは引っ込めるつもりは無かった。
(恐い……。でも、ここで逃げたら僕はきっと後悔する)
唇を噛むことで恐怖押し殺し、セレスは今一度覚悟を決める。
本当のところ、彼等に言われたから剣士に相談しなかったのではない。剣士の事を考えると相談できなかったのだ。
勝てないまでもセレスであれば、男性聖機師同士の喧嘩と言う事で話を済ませる事が出来る。だが、聖機師で無い剣士が彼等をどうにかすれば、それこそ取り返しの付かない大問題になりかねない。だからこそ、セレスはこの問題を自分の手だけで解決するつもりでいた。
それがどれほど無茶な事か、承知の上での行動だった。
「なーに、これはただの訓練だ。別に殺しはしない。だが、俺達に逆らった罰は受けてもらう!」
結果的にセレスは力を求めた。太老のようになりたいと、そこに希望を見つけた。しかし現実は、それほど甘くは無かった。
力を必要とした時にその力が無いのでは、何一つ護る事は出来ない。今もそうだ。セレスが必要な力を身に付けるまで待ってくれるほど、この世界は優しく出来ていない。剣士に言った言葉に嘘は無くても、自分の考えがどれほど甘いモノだったかをセレスは知った。
その所為で故郷に残してきた幼馴染みが危険に晒されていると言う事が、セレスは何よりも悔しかった。
(ごめん、ハヅキ。でも、僕は――)
武器を構え、セレスとの距離を一斉に詰める男子生徒達。すると、その時だった。
「タチコマ。『冥土の試練』――ランクSで起動」
足音に掻き消されるほどの小さな声でシンシアが呟いた瞬間――
光学迷彩で隠れていた金色のタチコマが姿を現した。
……TO BE CONTINUED
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