「行ってしまいましたね」
「……だから、落ち着いて話を聞いてくださいと言ったのに」

 マリアの通信機に連絡を入れてきたのはグレースだった。タチコマを使って関係者の通信機に連絡を入れて回っていたのだ。
 その通信の内容を伝えると、剣士は場所だけを聞いて慌てて森の方へ走り去ってしまった。
 それだけセレスの事が心配だったのだろうが、そそっかしいと言うか、剣士の行動にマリアの口からは大きなため息が溢れる。
 最初に『落ち着いて話を聞いてください』と言ったのも、そうならないように考慮しての事だったというのに全くの無意味だったからだ。

「大丈夫でしょうか?」
「もう終わっている頃でしょうし、危険は無いでしょう? 問題はそのバカな男子生徒の方ですわね……。ユキネ、あなたはどう思う?」

 よりにもよってグレースの口から『冥土の試練』の名前を聞かされた時には、マリアも耳を疑った。
 ユキネでさえBランクが精々。しかも、『気が狂いそうになった』と恐怖を語った『マサキ卿メイド隊』名物の試練だ。
 ミツキでさえAランクがやっと――最高ランクのSに至っては最近になってようやく調整が終わったところで、水穂専用とまで言われるほどの難しさを誇り、誰一人として挑戦者がいない。
 嫌がって誰もテストすら受けようとしない幻の難易度だった。

「怪我は問題無いと思いますが、精神の方は多分……」
「ですわよね……」

 よりにもよって、そのSランクの起動が確認されたとグレースから話を聞かされたマリア。恐らく起動したのはシンシアだ。
 身体の傷は治せても、心の傷は簡単に癒すことは出来ない。今回のはまさにそれだった。
 ユキネの言うように命に別状は無いと言っても、大きなトラウマを抱えている可能性が高い。
 いや、下手をすれば廃人になりかねない試練だと聞いているだけに、男子生徒が無事な姿などマリアには想像できなかった。

「正直、後始末を考えると頭が痛いですわ」

 セレスを連れていき、シンシアを攫った相手は以前、太老に近付いてきた男性聖機師達だ。
 恐らくはセレスを使って、太老に近付く口実にしようとしていたのだとマリアは考えるが、はっきり言ってやり方が拙かった。
 問題は、全面的に向こうに非があるとは言っても、相手が他国の特権階級だと言う事だ。
 やり過ぎてしまえば、逆に訴えられる可能性もある。下手をすれば外交問題に発展しかねない問題だけに、マリアは後始末を考えると頭が痛かった。

「ちょっと、いいかしら?」
「え? メザイア……先生?」
「詳しい事情を、私にも聞かせてくれるかしら?」

 事情が呑み込めず、おろおろと落ち着きのない女生徒達。そして、授業を台無しにされて恐いくらいの笑顔を浮かべるメザイア先生。
 ちゃんと事情を説明しないと、とてもではないが場を収める事は難しそうな雰囲気だ。
 本日二度目となる逃げ場の無い展開に、名も知らぬ女神にそっと手を合わせるマリアだった。





異世界の伝道師 第225話『幼女は悪魔?』
作者 193






【Side:太老】

 グレースから第一報が入って二時間。寮に戻った俺は、マリエルから報告を受けていた。

「それで、被害の方は?」
「男子生徒四人が心に大きな傷を負った様子で、その……」
「ああ……。無理に説明しなくても大体想像はつくからいいよ。治療はしたんだろう?」
「はい」

 マリエルが言い難そうに言葉を詰まらせるのも無理はない。水穂監修の『冥土の試練』。しかも、そのSランクを受けて無事に済むはずがなかった。
 特に肉体的なダメージより、精神的なダメージの方が心配される……ある意味で拷問と言っても過言では無い内容の試練だったからだ。
 例えて言うなら、黒モードの水穂や本気モードの鬼姫の精神攻撃に耐えられるかどうか、と言ったところか?
 攻略できる出来ない以前の話で、俺だって『冥土の試練』だけは受けたくないと思うほど厄介な代物だ。特にSランクなど、罰ゲームも同じだった。
 とはいえ――

「シンシアとセレスが無事だったんだし、何も問題無いな」
「ですが、太老様。相手は他国の男性聖機師です」
「悪いけど、マリエル。今回の件に関しては、譲るつもりはないから」
「……了解しました。本国のフローラ様にも、そのようにお伝えしておきます」

 今回のこの件に関しては、少しも譲るつもりは無かった。

 ――特権階級? 男性聖機師? 外交問題?

 それがどうした。シンシアに手をだされて、俺が怒らないとでも?
 マリアの手前、表だって行動には出ていないが、連中のところに怒鳴り込んで行きたいのを我慢しているくらいだった。
 多少、心に傷は残るかもしれないが、治療までしてやったのだから文句を言われる筋合いは無い。

「マリエルにも、迷惑を掛けると思うけど……」
「いえ、太老様のお怒りは尤もだと思います。寧ろ、シンシアの姉として、御礼を言わなければいけないのは私の方です」
「そう言ってくれると助かるよ。それじゃあ、具体的な対策を――」
「その事ですが、セレス様の事でお耳に入れて置きたい事があります」
「セレスの事?」

 タチコマに記録されていた映像に、セレスと男子生徒のやり取りが映っていたそうだ。
 それで今回の騒動の原因を探るために、学院のデータバンクからセレスの身元を照会したとのマリエルの話だった。
 結果、彼には『ハヅキ』と言う名の同い年の幼馴染みがいて、男子生徒に幼馴染みを人質に取られ、脅されていた事が分かった。
 どうも、その幼馴染みとの事が原因で家族とも上手く行ってないらしい。聞けば聞くほど、色々と複雑な事情を抱えていそうな話の内容だった。

「幼馴染みか……」
「はい。それで、太老様に謝罪すべき事が……」
「分かってるよ。もう、手配済みなんだろう?」
「申し訳ありません。勝手な行動を取った罰は如何様にも……」

 マリエルの事だ。相手が報復にでる可能性までを考慮して、セレスの幼馴染みを保護するように手を回したに違いない。
 だが、ハヅキを保護すれば、生徒同士の問題に俺が首を突っ込んだ、と考える者も少なからず出て来るだろう。
 平民出身のセレスの肩を持つという行為は、生まれながら男性聖機師として育った彼等からしてみれば余り良い気はしないはずだ。
 一部の男子生徒からは、今まで以上に疎まれる可能性が高くなる。マリエルがその事を心配してくれている事は容易に察しが付く。とはいえ、知っていれば俺も同じ事をした。
 確かに連絡が事後になってしまったが、その事でマリエルを責めるつもりは無かった。

「ここ最近、また書類の数が増えてきただろう?」
「はい? 太老様、突然何を……」
「人手不足が深刻だと思うんだよ。だから、気を利かせてくれたんだろう?」
「え……あっ!」
「将来有望そうな人材を見つけてスカウトをした。マリエルは自分の仕事を全うしただけだろう?」

 亡命させると言う手もあるが、ハヴォニワが他国の国民を保護すれば、それを理由に色々と言ってくるかもしれない。
 しかし保護するのが商会であれば、仕事のスカウトなど色々と言い訳も付く。
 どうせ、睨まれるのは俺だ。そのくらいであれば、何も今に始まった事では無いので今更な話だった。

「そっちの件はマリエルに任せるよ。剣士とセレスにも伝えて安心させてやってくれ」
「はい、確かに承りました」

 マリエルは融通が利かないところがあるので、こうでも言っておかないと自分を責めようとするだろう。
 バカな男子生徒の行動の所為で、マリエルが気に病む必要など全く無かった。

「パパ……」
「シンシア?」

 マリエルと話をしていた……その時だった。
 書斎の扉がそっと開かれ、そこからシンシアが顔を覗かせる。

「どうした? シンシア」

 少し不安げな様子で『パパ』と呼んでくるシンシアに、俺は優しく微笑みかけた。
 まだ、さっきの事を気にしているのだろうか?
 シンシアを怖がらせるなんて……やはり治療などせず、事故を装って始末しておくべきだったか?
 と、過激な考えが頭を過ぎった。
 実際そんな事をすれば、フローラはともかくマリアの迷惑になるので出来ない訳だが、本当に頭に来る連中だ。

「……怒ってない?」
「シンシアを怒る訳ないだろう?」
「ほんと?」
「ああ、それよりもごめんな。俺が油断してたから、恐い思いをさせてしまって」

 男性聖機師の事は、ハヴォニワやシトレイユの一件からも分かっていたはずなのに、油断していた俺の責任も大きい。
 こんなバカが出て来ないように、もっと早くに手を打っておくべきだった。今更ながら、その事を後悔していた。
 シンシアを守ると言っておきながら恐い思いをさせてしまったのだから、こんなに情けない話は無い。
 この件を放置すれば、第二第三のバカが出て来ないとも限らない。俺が譲るつもりは無いと覚悟を決めたのもそのためだ。
 相手から謝ってくるならまだしも、こちらから妥協をするつもりは一切なかった。こういう輩は隙を見せたらつけあがる。舐められたら終わりだ。

「シンシアがセレスを助けてくれたんだろう? ありがとうな」
「うん。パパが『よろしく頼む』って言ってたから……」
「良い子だ。でも、一人で危険な真似はしないでくれ。本当に心配したんだから」
「……ごめんなさい」

 俺が、頼んだあの言葉を、シンシアは忠実に守ってくれていたのだ。
 グレースも二人の事を気に掛けてくれていたようだし、セレスを助けてくれたシンシアの気持ちも凄く嬉しかった。
 ただ、タチコマを連れていれば助けを呼ぶ事も簡単だったはずだ。一人で突っ走るのではなく誰かに相談して欲しかった。

「それで、謝りにきてくれたのか?」
「うん……」

 シンシアも分かってくれたようだし、もう無茶な事はしないだろう。俺はシンシアの頭を、いつものように優しく撫でた。
 そもそも俺がもっと確りとしていれば、シンシアに恐い思いをさせる事も無かったのだから、そこは反省すべきところだ。

「パパ……いっしょに寝てもいい?」

 ここ最近、学院や仕事で忙しかった事もあって、余り構ってやってなかったから寂しかったのかもしれない。
 一緒に寝て欲しいと上目遣いでお願いしてくるシンシアに、まさか『ダメ』などと言えるはずも無かった。

「よし、今日は一緒に寝るか」
「……マリエルも」
「え?」

 それに驚いたのはマリエルだ。
 シンシアにスカートの裾を握られ、どうしたものかと俺に視線を向けてくる。

「シンシア……。さすがに、マリエルも一緒というのは……」
「……ダメ?」
「うっ……」

 子供には勝てない。結局、仕事が片付いたら一緒に寝る約束をさせられてしまうのだった。

【Side out】





「太老様は一歩も退くつもりは無い、と」
「そうですか。彼等のやった事を考えれば、お兄様の怒りは当然ですわね」
「本国のフローラ様にもお伺いを立てましたが、太老様の好きにさせて良いとの話です。今回の件に関しては、水穂様も同意見のようで……」
「お兄様にお母様。それに水穂お姉様まで怒らせてしまった、と言う事ですわね……」
「……はい」

 マリアもこの件に関しては、それも仕方の無い事と考えていた。
 セレスだけならまだしも、シンシアに手を出したのは明らかに失敗だ。太老が家族を大切にしている事は、マリアが一番よく理解している。その家族に手を出して無事だった者は、これまでに一人として居ない。そしてシンシアは、太老が実の娘のように可愛がっている少女。その少女に手を出したのだから、太老の怒りを買って当然だった。

「マリエル。向こうには、そのまま伝えて結構よ」
「よろしいのですか?」
「ハヴォニワの『黄金機師』と『色物女王』。あなたなら、その二人を本気で敵に回したいと思う?」
「いえ……完全に自殺行為ですね」
「でしょ?」

 大国シトレイユを味方に付け、正木太老を中心とした連盟を作り上げたハヴォニワ。
 今や教会と世界を二分するほどの勢力を持つ大国を相手に、一国で正面から喧嘩を売れる国は居ない。
 ましてや、あの『黄金機師』と『色物女王』の機嫌を損ねたと知れば、これほど頭の痛い話はないはずだ。
 学院側も今回の事件は、出来れば公にしたくはないはず。だとすれば、話の終着点は自ずと見えてくる。

「お二人の名前をだせば、何も言ってくる事は無いとお考えですか?」
「何も、と言うのは無いでしょうが、あちらも問題を大きくはしたく無いはず。だとすれば、公的には何も無かった≠ニする方が利口でしょうね」
「謝罪と賠償を要求しない代わりに無かった事にですか? それで太老様が納得されるでしょうか?」
「お兄様も、その辺りの事は承知しているはずよ。重要なのは、二度と同じ事を繰り返さない事よ」

 太老が譲歩しないと言ったのは、全てシンシアのためだとマリアは理解していた。

「……そう言う事ですか。彼等は男性聖機師であれば問題になるはずがない。自分達が咎められるような事は無い、と思って行動にでた。でも、実際に今回の事で国が自分達を守ってはくれないと知れば……」
「そう、二度とこんなバカな事は出来ないでしょう。男の聖機師が貴重なのは確かだけど、国益を損ねるとなれば話は別よ。何事にも限度がある。自分達が一番偉いと勘違いしているようだけど、その特権も国の庇護があってこそ。彼等にも良い薬になったでしょう」

 高い代償を支払う結果になったみたいだけど、とマリアは報告書に目をやって言葉を付け加えた。
 ここで譲歩すればこの四人に限らず、勘違いした男子生徒達を増長させる結果に繋がりかねない。
 バカにつける薬はないと言うが、環境に甘えて温々と育った自分達の考えが一番正しい≠ニ思っている輩に、何を言っても無駄だ。
 故に、マリアも太老の意見と同様、今回の件に関しては少しも譲るつもりは無かった。

「それより、シンシアはどうして態と捕まったのかしら?」
「それは……」

 マリアは、ずっとその事が疑問でならなかった。
 シンシアのタチコマは小型の物で戦闘力は低いが、男子生徒四人からシンシアを守るくらいは出来たはずだ。
 光学迷彩を使って相手に近付き、電気ショックで眠らせる事も可能だった。
 それに危険があれば、もっと早くに通信を使って誰かに知らせる事も出来たはず。しかし、シンシアはそれをしなかった。

「セレス様の件もあるようですが、もう一つの理由は……『冥土の試練』のようです」
「冥土の試練?」
「太老様が以前に、『Sランクの稼働データが欲しい』と仰っていたのを聞いていたようで……」
「まさか……シンシアはそれで」
「はい。最初から、彼等を実験に使うつもりだったようです」

 一番害が無さそうに見えて、さらりとえげつない事を思いつくシンシアにマリアは寒気を覚えた。
 だが、それは始まりに過ぎなかった。

 ――太老とマリエルが一夜を共にした

 と言う話が屋敷中に広まったのは、この翌日の事だった。





 ……TO BE CONTINUED



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