【Side:ミツキ】
「申し訳ありません。太老様に荷物を持つのを手伝って頂いて」
「学院じゃ教師と生徒。主従の関係なんて気にしなくて良いよ」
「はい。太老様がそう仰るのでしたら……」
授業の参考にするための資料を集め、寮に戻る途中で太老様に偶然会い、こうして荷物を運ぶのを手伝って頂いていた。
こう言うさり気なく気遣ってくれる優しいところが、太老様が侍従達に好かれている一番の要因だと私は思う。
身分や立場など関係無く誰にでも優しいというのは太老様の長所であり、少し控えて欲しいと考える欠点の一つだ。
太老様にとっては当たり前の行為でも、太老様を想う女性達にとっては少し意味が違う。
太老様を想う女性達がヤキモキとする気持ちも、今の太老様を見ると分からないではなかった。
「出来れば、様付けや敬語もやめて欲しいんだけど……」
「それは……」
さすがに御主人様を呼び捨てにするのは躊躇われる。
しかし、教師と生徒。学院では同じ生徒として扱って欲しい、と言う太老様の気持ちを考えると断り難い。
「太老……くん」
「少しぎこちないけど……まあ、いいか。じゃあ俺も、学院ではミツキ先生って呼ぶよ」
「うっ……はい。仕方がありませんね」
少し抵抗はあるが、くん付けで呼ぶのも新鮮で悪くは無かった。
こんなところを娘達に見られるのは恥ずかしいが、ほんの少し得をした気分になる。
(フローラ様から頂いた結婚権。一生使う事は無いと思っていたけど……)
娘達の気持ちを考えると今すぐにどうこうと言う考えは無いが、いつか……時が来るのかもしれない。そんな事をかんがえさせられる。
勿論、先だった夫の事を忘れた訳では無い。今も愛しているのは間違いないだろう。でも、私の中の女が太老様を求めていた。
太老様とこうして話すと湧き上がってくる感情。思わず抱きしめてしまいたくなるほど、心と体が疼く。それは決して嫌な感じでは無く、心地のよいものだった。
やはり娘達だけでなく、私も太老様に惹かれている一人なのだと自覚する瞬間でもあった。
「しかし随分とあるな。これって、授業で使う資料か何か?」
「はい。授業の参考になればと過去の資料を――学院長が武術教師をされていた頃の記録もありますよ」
「え? あの人って武術を教えてたの? ああ、そう言えばなんか小耳に挟んだような気が……」
「はい。今は引退されていますが、その昔は有名な聖機師だったんですよ」
「只者じゃないとは思ってたけど……。うん、まあ美守校長の例もあるしな」
「美守校長……ですか?」
懐かしそうに話をされる太老様を見て、私はその『美守校長』という人物の事が少し気になった。
太老様が異世界人だと言う事は知っていても、自ら率先して昔話をされる事は余り無かったからだ。
太老様がどのように育ち、これまでにどんな事をされてきたのか、私はその内容を詳しくは知らない。
私が知る太老様は、水穂様やマリエルと言った、いつも誰かを通しての話ばかりだった。
「ああ、俺の世界で『GPアカデミー』ってところの校長を務めている人でね。ちょっと学院長に似てるかな、と」
「ジーピーアカデミーですか?」
「GPってのは『ギャラクシーポリス』の略で、言ってみれば銀河警察ってところかな? 憲兵……いや、こっち風に言うと『衛兵』に近い感じだと思ってくれれば良いと思う」
どうやら、そのGPアカデミーと言うのは兵士の養成所のようなものなのだと分かった。
「聖地学院のようなものでしょうか?」
「聖機師の養成所だし、似てなくはないかな?」
太老様が似ていると仰った意味をようやく理解した。
確かに兵士を養成するという意味では、聖地学院とそのGPアカデミーはよく似ている。
聖機師も言ってみれば兵士だ。その役割は一般兵とは大きく違うが、国を守るという意味では大きな差はない。
(もしかすると、太老様は……)
両手一杯に抱えた資料を見て、太老様が突然このような話をされた意図を私は感じ取った。
恐らくは、そのGPアカデミーを参考にしてみてはどうか、と仰っているに違いない。
私が授業の参考に資料を集めていると聞いて、気を利かせてくださったのだろう。なら、その心遣いに甘えてみようと考えた。
それに私自身、太老様の昔話を聞いてみたかったと言うのもあった。
マリア様やラシャラ様。それに娘達に心の何処かで遠慮をしつつも、太老様と二人きりのこの時間を楽しく感じていた。
「太老様、そのGPアカデミーの事を教えて頂けませんか?」
「ん? 別に良いけど。俺の知ってる範囲でよければ」
異世界の伝道師 第229話『鬼教官』
作者 193
「ミツキ様、いらっしゃいますか?」
「はい、どうぞ」
扉をノックする音でハッと我に返る。
寮に戻ってから部屋に籠もり、授業で使う訓練メニューの作成に没頭していた。
「少し休憩なさいませんか? 夕食も取っていらっしゃらないようですし……」
部屋を尋ねてきたヴァネッサさんの言葉で、時計を確認して気付く。あれから五時間も経っていたらしい。
外は暗く、日付も変わろうとしていた。
「そうね、ごめんなさい。少し作業に集中し過ぎていたみたい」
「それでは御茶を淹れますね。よかったら、こちらもどうぞ」
夜食にどうぞ、と言ってヴァネッサさんが差し入れてくれたのは、三角のカタチをしたおにぎりだった。
「塩加減も丁度よくて、凄く美味しいわ」
「喜んで頂けたようで何よりです」
私も太老様と同じで、どちらかと言うとパンより米を中心とした食事の方が好みと言う事もあり、この気遣いは素直に嬉しかった。
「明日の授業の準備ですか?」
「ええ。訓練メニューを新しく組もうと思って」
太老様に教えて頂いた話の内容と学院から借りてきた資料を元に、新しい訓練メニューを考えていた。
この資料からも分かる通り、学院のカリキュラムはメイド隊の訓練と比べると話にもならない甘い内容だ。
私の学生時代と比べても、今の学院の訓練内容は生温いと言うのが正直な感想だった。
「そう言えば、今日の授業で武舞台を破壊したと聞きましたが……」
「うっ……。それは言わないで。これでも、少しやり過ぎたと反省してるんだから……」
「フフッ。でも、主導権を握るという意味では、これ以上ないくらいに効果的な方法だと思いますよ。マーヤ様に色々と教えて頂いた頃の事を思い出します」
「マーヤ様に?」
「はい。私とアンジェラは、マーヤ様に育てて頂いたので」
孤児院で育った二人はマーヤ様に引き取られ後、ラシャラ様の世話係兼護衛役として育てられたそうだ。
アンジェラさんはトラップや毒、重火器や飛び道具を使った戦い方を得意とするエキスパート。
ヴァネッサさんは剣や槍と言った近接武器を用いた白兵戦が得意で、二人ともただの従者ではなく護衛としても一流の力を備えていた。
その二人を育てたというマーヤさんは三代に渡ってシトレイユの皇に仕え、現在ではラシャラ様の執務秘書や従者の統括をされている方だ。
まさに侍従の鏡とでも言うべき立派な御方。見習うべき点が多い、人生の大先輩とでも言うべき人物だった。
「マーヤ様も、やはり厳しかったのですか?」
「はい、それはもう……凄く厳しい方でした」
何故か顔を青ざめ、話し難そうに口を噤むヴァネッサさん。
水穂さんの特別訓練を受けた経験を持つ私には、何となくではあるがヴァネッサさんの気持ちを察する事が出来た。
【Side out】
「キャイアはどうしたのじゃ? 夕食に顔を出さぬとは珍しいの」
「寮に戻られてから、ずっと部屋で休まれてます」
「体調でも悪いのかの?」
キャイアが夕食になっても食堂に姿を現さないのを不審に思い、アンジェラにその事を尋ねるラシャラ。
スワン襲撃事件以降、ずっと様子のおかしいキャイアをラシャラなりに気に掛けていた。
「ミツキ様の初授業が、今日あったそうで……。多分、それが関係しているのかと」
「ミツキの? ふむ、そう言えば教師をするとか言っておったの」
「はい。武芸科の担当教師らしいです。凄いですよね」
「……武芸科じゃと?」
アンジェラの話に、ふむふむと頷きながらも『武芸科』の名前を耳にして怪訝な表情浮かべるラシャラ。
様子のおかしいキャイア。それにミツキと武芸科の組み合わせを聞くと、嫌な予感しか頭を過ぎらなかった。
「ミツキさんの実力に疑問を持った生徒が騒ぎ立てたらしくて……」
「何と命知らずな……。まさか、怪我をさせたのではあるまいな?」
スワンの一件で、ミツキの実力を嫌と言うほど知ったラシャラからしてみれば、生徒達の行動は無謀としか言えない無茶な行為だった。
聖機人を生身で蹴り飛ばすような規格外の実力者だ。並の人間にどうにか出来るような相手では無い。
ラシャラの知る限りでそれが可能なのは、箒一本で聖機人を斬り倒した水穂と、規格外の代名詞とも言うべき太老くらいのものだった。
「いえ、争いにすらならなかったそうです。一喝して、武舞台を叩き割ったそうで」
「は?」
「ですから、足でこう『ドン!』って」
授業の内容を再現して、床にドンッと靴底を叩き付けるアンジェラ。
彼女によると、生徒達を黙らせるためにミツキがそれをやって、訓練用の武舞台を粉々に破壊したと言う話だった。
しかも、その時に発した殺気にあてられ、気を失った生徒も居たそうだ。
舞台の修繕にメイド隊の侍従達が呼ばれたとの話なので、どうやら冗談では無く本当の事だとラシャラは理解する。
生身で聖機人を蹴り飛ばすような脚力の持ち主だ。確かにそのくらいの事が出来ても不思議では無い、とラシャラは納得した。
「もしや、ミツキの姿を見ぬのは……」
「はい。今日はそれで授業が中止になったらしくて、ミツキ様も戻られてから、ずっと部屋に籠もられてますよ。沢山の資料を抱えて帰って来られたので、明日の授業のカリキュラムを考えられているのでは無いかと」
「それでは、キャイアが部屋から出て来ぬのも……」
「少しショックが大きかったようで、心に傷を負って無ければよいのですが……」
「よい! それ以上は、言わんでも分かる!」
最後まで言われずとも、キャイアが何故部屋に籠もって出て来ないのか、ラシャラには察する事が出来た。
(洒落になっておらぬな。生徒達は本当に耐えられるのじゃろうか?)
ミツキの訓練は、あのコノヱやユキネですら厳しいと評価するほどの鬼メニュー。
先日の騒ぎの元凶である『冥土の試練』ほどでないにしても、慣れている侍従達ですら辛いと感じるほどの訓練だ。
明日から始まるであろう鬼の訓練を考えると、ラシャラは生徒達の無事を祈る事しか出来ない。
「明日はキャイアの好きな物を作ってやってくれぬか? 風呂もキャイアが一番で構わぬ」
「え? はい。畏まりました」
さすがに不憫と思ったのか、キャイアにとっては望んでいた強さを手に入れるチャンスと考え、ラシャラは影ながら応援する立場を取る事にした。
本音は余計な口を挟んで巻き込まれたくなかったから、とも言える。
「適任と言えば適任じゃが……これは適任過ぎるのが問題じゃな」
「……まあ、ミツキ様ですしね」
ミツキが聖機人を蹴り飛ばしたスワンでの一件を思い出し――
「うむ。御茶のお代わりをもらえるかの?」
「はい。ラシャラ様」
現実逃避を始める二人だった。
◆
「『鬼』ですか……」
「はい。『鬼』です」
マリアはユキネから、学院中で噂となっているある話≠聞かされていた。
一昨日から、学院内で囁かれている噂。それは上級生のクラスに『鬼教官』が現れたという話だ。
その鬼教官と言うのが何を隠そう――ミツキ≠フ事だった。
「予想通りの展開になりましたわね」
「何でも太老が、ミツキさんに助言をしたとの事で……」
「お兄様が?」
「はい。異世界の兵士養成所で行われている訓練方法を伝授したと聞きました」
太老が助言をしたと話を聞かされ、訝しげな表情を浮かべるマリア。
「ミツキさんはともかく、お兄様は何を考えているのかしら?」
「学院の生徒を本気で鍛えるつもりなのでは?」
「鍛える? でも、そこにどんなメリットが……はっ!」
「何か心当たりでも?」
マリアには一つだけ心当たりがあった。
「ユキネ。あなたもお兄様が生徒会の副会長に就任され、予算計画書を作られているのは知っているわね?」
「はい。先日からずっと、生徒会の資料室に籠もっていると聞きましたが?」
「お兄様は本気で、この聖地を内側から変えるつもりなのかもしれないわ」
「聖地を内側から?」
「ええ。アルバイトの一件もそう、根本から皆の常識を塗り替えるおつもりなのよ。ハヴォニワのように」
真っ向から、この世界のルールに逆らってみせたのは太老だけだった。
聖地をおかしいと言ってのけた太老が、聖地学院の副会長に就任する。
それはアルバイトの件と同様、聖地学院を内側から変えていくためだとマリアは考えた。
「それでは哲学科の講師の件や、ミツキさんの訓練も……」
「ええ、間違い無いわね。生徒達の意識改革を行うのが、本来の狙いなのでしょう」
それを連盟の布石にもするつもりなのだと、マリアは太老の深い考えを察した。
ハヴォニワやシトレイユのように成功するか否かは、まだ誰にも分からない。
しかし太老ならそれが可能かもしれない、とマリアは期待を膨らませていた。
……TO BE CONTINUED
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