正木卿メイド隊には、与えられた役割や任務の内容に応じて仕事をこなす幾つもの専門部署がある。
警備部、技術部、医療部など、全部署がその道のエキスパートで構成されており、ただの侍従の枠に留まらず太老の手足として様々な仕事をこなせるように組織されていた。
そんななかで新設された部署ながら、その役割の重要性から太老直轄という特別な権限を与えられた部署が存在した。それが『お側御用隊』だ。
メイド隊の中でも特に優秀な人材、古株の侍従達を中心に組織された侍従部隊。
仕事に趣味と何かと忙しい太老の私生活をサポートするために、マリアの発案で彼女達の部署は組織された。
能力的には申し分のない侍従達。ただその一方で、古株の侍従達が中心となって組織されているということは、それだけ太老への忠誠心が高いという証明でもある。
それもそのはず。マリエルをはじめとする初期メンバーは、太老から一生を掛けても返せないほどの多大な恩を受けていた。
彼女達を直接指揮できるのは太老を除けばマリエルのみ。そのマリエルにして、太老の一番の崇拝者と言ってもいい。言ってみれば、そんな侍従達が集うお側御用隊とは、身も心も太老に一生を捧げることを誓った――究極の太老様至上主義者が集まる部隊だった。
「太老様。着替えをお手伝い――」
「毎朝言ってるような気がするけど、一人で出来るからいい」
「ううぅ……私達に仕事をするなと? クビですか? 飽きたらポイッなんですね!」
「いや、そこまで言ってないし!? とにかく着替えくらい一人で出来るから!」
と言って太老に部屋を追い出されるのは毎朝のこと。
だが、そのくらいで太老を嫌いになる彼女達ではない。
寧ろ、このくらいはスキンシップの範疇のことだった。
「太老様の洗濯物ゲット!」
「あっ、狡い! なら、シーツは私が――」
「ちょっと、それはくじ引きの約束でしょ!」
太老が学院に出掛けたことを確認すると、早速仕事に取り掛かろうと太老の脱ぎ捨てた洗濯物の取り合いをはじめる侍従達。ここに本人が居れば、『自分で洗濯する』と言い出しそうな光景だ。
一見すればタダの変態行為だが、これも太老への忠誠心の現れだった。
「はあ……太老様の匂い」
「人様には見せられない姿ね」
「あなた達だって他人のこと言えないじゃない! 夜のお世話もさせてもらえないし、背中だって流させてもらえないのよ!? このくらいの役得がないと我慢できないわ!」
身も心もという言葉に嘘は無く、太老に求められれば本気で身体を差し出すくらいの覚悟は出来ているが、太老に好意を寄せる他の女性の目があるため、さすがの彼女達もそこまでは実行に移せないでいた。
特に――
「でも、ここで我慢しておかないと……」
「……冥土の試練フルコースは嫌だもんね」
「マリエル様や水穂様を怒らせる気にはならないわ……」
最大の障害とも言える二人を思い浮かべ、一斉にハアッと大きなため息を漏らす。
思いを募らせながら、今日も仕事に励む侍従達だった。
異世界の伝道師 第241話『侍従の心、主知らず』
作者 193
マリアの独立寮。ラシャラの独立寮。そして正木商会聖地学院支部で働く侍従達は、一部を除き、正木卿メイド隊のなかでも特に優秀な侍従達が配置されている。仕事を円滑に進めるためというのも理由にあるが、太老やその関係者の身の安全を重視するためでもあった。
聖地学院といえど、絶対に安全とは言い切れない。特に太老は味方も多いが、それに比例して敵も多い。王宮機師が常駐することになったのも、太老に敵意を持つ勢力に対する牽制の意味合いが一番大きかった。
「フフフッ、評判は上々のようじゃな」
「太老様とモルガ様の一件で、武術大会が注目を集めていますから。ですが、足りない人手の方はどうされるのですか?」
最初にも言ったがラシャラの独立寮で働く侍従は、アンジェラ達を除いて正木卿メイド隊から派遣されている侍従達だ。商会の人手不足を補うためにラシャラの独立寮の枠を借り受けているというのが主な理由だが、その費用は正木商会……太老から出ていた。
ラシャラにしてみれば、有能な侍従を無償同然で扱き使える絶好の機会でもある。
元々、経費の削減から近しい従者以外は聖地に連れてくるつもりがなかったため、正木商会からの提案はラシャラにとって願ったり叶ったりでもあった。
「違法者の摘発と治安維持なら問題ない。そちらはトリブル王宮機師に手伝って貰うからの」
「モルガ様ですか?」
「うむ。それに裏方の方も問題ない。屋敷の侍従達を動員するつもりじゃしな」
「もしかして、最初からそのつもりで……」
その状況に目を付けたラシャラは、競武大会を利用して儲け話を考えた。
今回、大会のブックメーカーをする代わりに、治安維持を含めた運営の裏方を生徒会より任せられたラシャラは、それに掛かる人件費を浮かせるために太老を餌にモルガを抱き込み、太老のところから借り受けている侍従達を利用することを思いついたのだ。
「あの……ラシャラ様? 仮にも太老様と婚約をされてるんですよね?」
「それはそうじゃが、それとこれは話が別じゃ」
太老やモルガに丸投げすることで人件費に掛かるコストを浮かし、ブックメーカーをすることで得た利益は、ちゃっかりと自分の懐に入れる。太老の婚約者、関係者という立場を利用したなんとも金に汚いやり方にアンジェラはただ呆れるしかなかった。
ただまあ、そこがラシャラらしいとも言えた。
「……後でどうなっても知りませんよ?」
「大丈夫じゃ。心配などいらん。何も違法なことはしておらんのじゃしな」
そう、限りなくグレーゾーンではあるが、咎められるようなことはしていない。
ラシャラは自分に与えられている権限の範囲内で、大会を成功させるために精一杯努力しているに過ぎなかった。
その最善の手というのが、トリブル王宮機師やメイド隊の侍従達を利用するということに繋がっているだけのことだ。
例え、ランやマリアが何かを言ってこようと、それをやり過ごす算段くらいは整っていた。
(ラシャラ様はこう言ってるけど、嫌な予感がするのよね……)
アンジェラには、ラシャラの言うように計画が上手く行くとは思えなかった。
確かに上手く行けば、かなりの収益を上げることが出来るのは間違いない。
だがそれは何事も無くイベントが無事に終わった時の話だ。
「フハハハッ! 笑いが止まらぬの。たっぷりと儲けてやるぞ」
大会の成功を確信し、高らかに笑い声を上げるラシャラ。
その姿を見て、やはりあの方≠フ娘なのだと思わずにはいられないアンジェラだった。
◆
「マーヤ様。よろしいのですか?」
「競武大会の件でしたら問題ありません。あちらも承知の上です」
「でしたら尚更、忠告をされた方がよろしいのでは?」
「それで素直に話を聞くラシャラ様とも思えませんし、その方がよい薬になるでしょう」
ヴァネッサの報告に、マーヤは苦笑を浮かべながらそう言った。
ラシャラが内緒で太老の領に出掛けた一件以降、ヴァネッサはマーヤの下でラシャラが暴走しないようにその動向を見守る……密偵のような役割を与えられていた。
言ってみれば、ラシャラのお目付役ということだ。
ヴァネッサもアンジェラもラシャラの従者ではあるが、マーヤは二人にとって親代わりであり師匠でもあり上司でもあった。
この場合、どちらに従うのが得策か? それがわからないヴァネッサではない。
主の間違いを正すのも従者の務めと言われれば、尚更マーヤに逆らえるはずもなかった。
「報告はそれだけですか?」
「いえ、後は本国から報告書が届いています」
「本国から?」
「カレン・バルタ様の件です」
その名を聞いて、ピクリと眉を動かすマーヤ。
カレン・バルタ――柾木剣士の後見人であり、聖地の教員をしている謎多き女性。
当然のことながら、ハヴォニワや正木商会も彼女の素性を探っていた。
その調査の件で、水穂からマーヤを通じてシトレイユにも調査依頼がきていた。
「カレン・バルタ――やはり、彼女でしたか……」
「学院ではグウィンデル王家の関係者という扱いになっています。そのことからも、あの方が関与している可能性が高いと思われます。このことをラシャラ様には?」
「報告すべきなのでしょうが、確信が得られるまでは黙っておいた方がいいでしょうね。時期を見計らって、私からお伝えします」
ラシャラに見せるのは時期尚早とマーヤは考え、今は伏せる事にした。
従者としては主に報告する義務があるのだろうが、それも内容による。
それにこれは水穂からマーヤに直接依頼されたものだ。恐らくはこうなることを予想して、ラシャラを介さずに直接自分に依頼してきたのだろうとマーヤは水穂の考えを察した。
それにこれがマーヤの想像通りの人物の仕業とすれば、ラシャラが受ける精神的ダメージは並大抵のものではないと予測された。
この事をラシャラが知れば間違い無く、競武大会どころではなくなるはずだ。
シトレイユの皇位継承者として周囲の思惑に振り回せれながら、それでも皇族としての義務と責任を果たすために努力を積み重ねてきたラシャラに、ようやく訪れた束の間の平穏。競武大会のようなバカ騒ぎが出来るのも、この学院に居ればこそだ。
ここでは学院に通うひとりの女生徒。年相応の少女らしく、学生としての生活をラシャラに楽しんで欲しいと考えているマーヤからすれば、不確かな情報でラシャラの心を乱し、追い詰めるような真似はしたくなかった。
「太老様はこの事をお知りなのでしょうか?」
「水穂殿が察していた可能性がある以上、あの方が知らないということはないでしょう」
正木卿メイド隊の情報収集能力は、大国の諜報部と比べてもズバ抜けている。
それは皇室に仕え、シトレイユの政治に長く関わってきたマーヤから見ても、圧倒的と言えるレベルの諜報力だ。
それには勿論、MEMOLやタチコマの性能によるところも大きいが、やはり水穂がトップを務める情報部の活躍が欠かせない。メイド隊の中から更に適性のある人物を選出し、能力の高い人間ばかりを集め、特別な訓練を課した情報部は、正木卿メイド隊に置いて最強の盾にして最強の矛の役割を担っていると言っていい。
その水穂が自分を通じて依頼してきたのも、確認を取る意味合いが強かったとマーヤは考えた。
それに、もしもの場合を想定して覚悟を決めておくように、と注意を促してきたと考えれば全てに説明が付く。
国か、ラシャラか、それとも――
何を優先するかで選択次第では、同盟国といえどハヴォニワや正木商会が敵に回ることも十分に考えられる。
同盟も婚約も、太老との関係があってこそ。マーヤは、この忠告を重く受け取った。
「ラシャラ様にとっては辛い選択になるかもしれませんね……」
「フフッ……」
「マーヤ様?」
「確かにラシャラ様にとっては大変な選択になるかもしれません。ですが、私はもうひとつの可能性に期待を抱かずにはいられないのですよ」
「もうひとつの可能性ですか?」
太老が真実を知っていると仮定した場合、どうしても腑に落ちないことが一つある。
家族を太老が何よりも大切にしていることは、これまでの太老の行動からも明らかだ。
なのに弟のように大切にしている剣士が利用されているにも関わらず、カレンの行動を見過ごし、何も言わずに黙っているのは不自然。しかし水穂の行動からも、太老が何も気付いていないとは考え難い。マーヤはそこに違和感を覚えた。
以前、彼女は太老に尋ねたことがある。
――ラシャラ様のことを、太老様はどうお考えなのですか?
と。その問いに太老は笑って答えた。
家族のような存在。マリアと同じくらい大切な存在だと。
マーヤは今も、その時の太老の言葉を信じていた。
そうでなければ国のためとはいえ、太老とラシャラの婚約を素直に受け入れることは出来なかっただろう。三代に渡ってシトレイユの皇室に仕えてきたマーヤは、ラシャラの教育係として時に厳しく時に優しく、愛情の全てを注ぎ、その成長を見守ってきた。
言ってみれば、ラシャラの親代わりのような存在だ。
口には出さないが、マーヤが一番願っているのはシトレイユの未来などではない。ラシャラの幸せだ。
生まれた時からシトレイユの皇になるべき育てられ、友と語らう喜びも、恋をする気持ちも、将来を選択する自由も、何一つ自分で選択することを許されず、子供らしい感情を学ぶ機会さえ奪われ与えられなかったラシャラの過去。
だが、それが皇族の責務であり、自分に与えられた運命だと彼女は受け入れていた。
そんなラシャラを見ながらも、マーヤは何一つラシャラにしてやることが出来なかった。
それが国を背負うということ。人の上に立つということ。皇になるということだと。
しかし、そんなラシャラに可能性を、別の道を指し示す人物が現れた。それが太老だ。
シトレイユの皇女ではなく、ひとりの少女としてラシャラに接したのは太老だけ。そしてラシャラは選んだ。自分の意思で。
婚約という道が与えられた選択肢の一つであったとしても、選んだのはラシャラ自身だ。太老に憧れた、恋した気持ちに嘘は無い。今まで見せた事のないような笑顔を浮かべ、楽しそうに太老のことを話すラシャラを見た時、マーヤは全てを察した。
「あの方がラシャラ様を悲しませるはずがありませんから」
あの時、ラシャラのことを大切な家族だと言った太老の言葉を、マーヤは一生忘れることはないだろう。
だからこそ、太老がラシャラを悲しませるようなことをするはずがない。
マーヤは、そう信じていた。
……TO BE CONTINUED
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