「ブルマ……」
ランの前にあるのは、太老が副会長権限で生徒会の会議を開き緊急議題を提出。そこで決定され、競武大会を境に正式採用することになった学院指定の体操服だった。
運動に向いた汗の吸着率の高いTシャツに、同じく汗の吸着がよく動きやすいブルマ。運動に適した素晴らしい体操着ではある。
露出に関しても大騒ぎするほどではない。女性聖機師用のパイロットスーツに比べれば、寧ろ少ないくらいだ。
そう、何も問題ない。ないのだが……緊急議題として提出されるほどの事とは思えない。
しかも太老発案というところが、そこはかとなくランの不安を誘っていた。
「まあ、太老のことだから何か考えがあるんだろうけど……」
競武大会など学院の行事に口をだすくらいだから、きっと何か考えがあるんだろうとランは思う。
一番に思い当たるのは生徒達、そしてここの教員達の意識改革だ。
世界を変革するための第一歩を、ここでやるつもりなのだとランは考えていた。
モデルケースとして利用するには、この聖地は色々な意味で都合が良い。
聖地はまさに世界の雛型と呼べる場所。聖機師候補だけでなく世界各国の重要な立場にある子息女が通っている学院でもあるため、彼女達の意識を変えるだけでも世界に与える影響は大きな物となる。
十年、二十年先を見越した計画。そして、世界を変革するために必要な布石は既にはじまっている。ハヴォニワ、それに続くシトレイユの改革もそうだ。
太老との結婚権を餌としたフローラの計画。そして連合の設立。教会への牽制。全て、正木商会が掲げる理念、太老の理想とする『より住みよい世界に』を実現するために行われたことだ。
ランも、そんな甘い理想にみせられた一人。でも、太老ならきっと実現してくれるといった希望を持っていた。
ここに集まっている人達は、少なからずそうした希望を太老から貰った人達ばかりだ。
故に少々太老が趣味に走ったところで、そこに疑問を挟む者は殆どいなかった。
『ランちゃん? 定時連絡はまだのはずだけど、どうかしたのかしら?』
「ああ、太老からの注文なんだけど、これを三百ほど用意してこっちに送ってくれないかな? 学院にあるのだけじゃ予備が足りなくて、コンビニでも販売するらしいから数を揃えておこうと……って、どうかしたのか?」
『これって……まさか、体操服? しかもブルマ……』
「ん? これが何か知ってるのか?」
通信の向こう、空間投影された水穂の表情が引き攣っていた。
嫌な思い出が頭を過ぎっているようで、ランも「何があった?」とは聞き辛い。
何やら「太老くん何を考えて」「ああ、まさか……」と考えに埋没し、独り言をブツブツと呟きはじめた水穂を見てランは――
(気になるけど、訊いたら間違い無く地雷を踏むね……)
何も言わず、水穂の次の言葉を待った。
『体操服を送ればいいのね』
「あ、ああ……。いいのか?」
『問題ないわ。ああ、そうそう一つだけ』
急激に部屋の温度が下がった気がした。
ランも通信越しとは思えないほどのプレッシャーを水穂から感じ、冷たい汗を背中から流す。
これが情報部の長。太老の右腕とも言われているメイド隊最強の女。
そして――太老の次に、絶対に何があっても敵に回してはいけない女。
『太老くんに余り羽目を外しすぎないように、って伝言をお願いするわね』
にこにこと笑っているが、明らかに心の中は笑っていない。
その身も凍るような冷たい笑顔は、まさに悪魔の微笑み≠セったとランは後に語った。
異世界の伝道師 第243話『セレスの思い人』
作者 193
近付きにくいプレッシャーを水穂から感じたために、ハヅキは部屋の入り口で御茶と菓子を載せたトレーを持って、どうしていいかわからずオロオロと立ち往生していた。
「あ、あの……水穂様? 通信中でしたか?」
「ああ、いいのよ。もう、終わったから」
意を決して水穂に声を掛けるハヅキ。反応が思ったより普通だったので、ほっと息を吐く。
そんなハヅキの姿を確認すると、一転して柔らかな表情を浮かべる水穂。
氷のように冷たい空気や、怪獣すら逃げ出しそうな巨大なプレッシャーは部屋から消え、代わりにいつもの穏やかな空気が部屋全体を包み込んだ。
そう、怒らせなければ水穂はとても良い上司。同じ女性なら誰もが憧れる仕事が出来る女性。頼りになるお姉さんだった。
逆に怒らせた時は大変なのだが……大体その怒りの矛先は、ここにはいない鬼姫か、その寵児に向かうと相場は決まっていた。
水穂のストレスの原因の大半はあの二人なのだから、それは極自然な流れだ。
「そうだ、ハヅキちゃん。聖地に行ってみたくない?」
「え……それって聖地の学院にですか?」
「ええ、あちらの支部に届け物があるのだけど、そのお使いを頼めないかしら?」
研修も滞りなく進み、ハヅキも屋敷の仕事を大分覚えてきていた。
丁度良い機会と考え、屋敷に閉じ籠もってばかりではなく一度外の仕事を体験させておこうと考えた水穂。
それと同時に頑張っているハヅキへのささやかなご褒美でもあった。
聖地学院に行けば、セレスと会うことが出来る。
好きな人に会いたくても会えない寂しさは、水穂もよく知っている。
それもあってか、ハヅキの恋を応援してあげたいという想いを少なからず持っていた。
「あの……お気持ちは凄く嬉しいんですが……。セレスには会えません」
「どうして? セレスくんに会いたいんでしょ? それとも彼のこと嫌いになった?」
「そんなことありません! あっ……す、すみません」
好きなのに会えないと話すハヅキ。いや、好きだから会えないと言った方が正しかった。
聖地で頑張っているセレスの邪魔をしたくない。彼の重荷にだけはなりたくない。それに自分は何一つ、まだ受けた恩を返せていない。そしてそれはセレスも望まないはずだ。
会いたくても、今は会える時ではない。ハヅキはそんな風に考えていた。
だが水穂とて、そんなハヅキの考えがわからないわけではない。その上で敢えて、こんな提案をハヅキにしたのだ。
それはハヅキが無理をしていることが、傍目から見ても明らかだったからだ。
「気持ちはわからないでもないけど、お互いに一人前になってからとか言ってると、何年先のことになるかわからないわよ? それでもいいの?」
「はい……その覚悟は出来ています」
「その間にセレスくんに別の彼女が出来たとしても?」
「セ、セレスはそんな人じゃありません!」
「わからないわよ? 彼だって男だもの。うちのメイド達も彼のことを『可愛い』って言ってるらしいし、それに彼……学院でも結構モテてるらしいわよ?」
「セレスがモテる……」
これは嘘ではなかった。
セレスの立場を考えればわかることではあるが、彼は正木太老に近い位置に立つ関係者だ。
しかもハヴォニワのマリア姫の庇護を受け、商会やラシャラとの交流も深い。
マリアやラシャラ。そして太老に近付きたいと考えている生徒達にとって、彼もまた剣士同様に特別な存在になっていた。
当然ではあるが、そうした事実がある以上、セレスが注目を集めないはずがない。
太老ほどではないにせよ、普通の男性聖機師以上の価値がある優良物件だ。
男性聖機師には自由な恋愛と結婚は許されないが、彼との交友を結ぶことは間接的に正木との関係を深めることに繋がる。
しかもあの性格だ。他の男性聖機師のように威張った様子もなく、権力を笠に着て高圧的な態度を取ることもなく、剣士のようにさり気なく気遣ってくれるその優しさが、女生徒達の間で噂となり好印象に繋がっていた。
商会でのアルバイトも、セレスの株を上げていた。
同じようにアルバイトに従事する女生徒も最近では増え、仕事を通して連帯感が生まれ身近に感じられる分、親しみが持てるといったところだろう。
これだけの条件が揃っていて、モテないなんてことはありえない。
セレスを誘惑しようと動く女生徒が出て来るのは時間の問題。ハヅキがどれだけセレスを思っていても、その誘惑をセレスが振り払えるかどうかは全くの別問題だった。
それと当然の事ではあるが、太老達もそこまでは面倒を見てくれない。
相談に乗ったり助けてくれるのは、本人にはどうしようもない政治的な問題や太老絡みで向けられる悪意など、落ち度がないにも関わらず問題に巻き込まれた時だけだ。
プライベートな問題まで助けてくれるほど甘くはなかった。
そのことを考えると、水穂が自分からこんな提案をすること自体、彼女がハヅキを気に入っている証拠と言えた。
水穂とて、何もハヅキを好きで虐めているわけではない。これは試練だ。
そのことをちゃんと理解した上で、二人には幸せになって欲しいと考えての行動だった。
「どうする? それに別に会わなくてもいいのよ? 私が頼みたいのはあくまでお使いだから」
「ううっ……わかりました。行きます。行かせて頂きます」
少し意地悪をされて涙目になるハヅキ。
どちらにせよ、聖地行きは断れない頼み、ということはハヅキにも伝わったらしかった。
こうした搦め手で相手を追い詰め、強引に事を進めようとするところは、とても鬼姫に似て……いや、樹雷女性らしい性格を現していた。
好きな人を追って、家を飛び出したお姫様もいたくらいだ。
ハヅキのように家で亭主の帰りを待つ、といった性分にないことだけは確かだった。
「あっ、それと」
「はい?」
「聖地からの手紙。ハヅキちゃん宛に」
駄目押しとばかりに、セレスからの手紙をハヅキに手渡す水穂。
水穂の気遣いに感謝しつつも、その意図を感じ取ってため息を漏らすハヅキだった。
◆
翌日――
「水穂様! 出発はいつですか!?」
「競武大会に間に合わせるために五日後を予定してるけど……」
昨日とは人が変わったように気合いの入ったハヅキに驚く水穂。
その姿は水穂ですら一瞬たじろぐほどに、凄まじい迫力に満ちていた。
いつもの大人しいハヅキの姿はそこになく、何やら炎のようなものまで背後にみえる。
何があったのか、と不思議になった水穂は、近くにいたメイドにそのことを尋ねた。
「どうしたの? 彼女」
「えっと……。昨日、届いた手紙をみてから、ずっとああなんですよ」
水穂が尋ねた侍従は、ハヅキと仲の良い仕事仲間だった。それだけに事情を詳しく知っていた。
水穂が昨日、ハヅキに手渡した手紙。そこに書かれていた内容はいつもの手紙と何も変わらない極普通のものだったらしい。そう、いつもと内容が全く変わらなかったのだ。
セレスがこれまでハヅキにだした手紙は五通。その全ての手紙に、学院での生活の様子が書かれていた。
今日は何があったか? 今は何をしているのか?
僕はこんなことを頑張っているよ。
と、まあ普通に聞けばただの近況報告。『ハヅキも頑張ってね』と、素直に受け取れる手紙の内容ならよかったのだが、残念ながらそうはいかなかった。いかない理由があった。
手紙のなか。どこにでも出て来る……ある人物の名前。
――柾木剣士。セレスの親友。
セレスの手紙のなかで、彼の名前が出て来ない手紙はひとつもない。
でもそれだけなら、仲の良い友達なのだと納得する事も出来ただろうが……その名前が登場する頻度は、ハヅキが許容出来る限度を軽く超えていた。
一通目が七回。二通目が十三回。三通目が十六回。四通目が……。
そして昨日届いた五通目の手紙の内容は、ほとんど剣士のことで埋め尽くされていた。
今まであったハヅキを気遣う文面すら消えているほどに……。
更には昨日、水穂がけしかけた話。そのこともあって、ハヅキのなかの何かが壊れた。
女生徒にモテるセレス。なのに書かれていることは剣士のことばかり。普通であれば考えられないことだ。
幾ら親友とは言っても、仲が良いにも限度がある。これでは親友というよりノロケ。親友ではなく恋人自慢だ。
好きな相手から、ノロケとも言える手紙を何度も送られ、しかもその相手が男だというのだから、これほど質の悪い話はない。
いつもならこんな面白い話、すぐに噂を広め騒ぎ立てる侍従達だが、今回ばかりは余りにハヅキが不憫に思えて、そうした行動を自粛しているくらいだった。
「ええと……大変ね。ハヅキちゃんも」
水穂の言葉にも、同情の色が混じっていた。
これならまだ、普通に女の影があった方が遥かにノーマルでマシだと、その場にいる全員が同じ事を考えていた。
……TO BE CONTINUED
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