結界工房――ハヴォニワ王国の南部に拠点を構える技術者集団の本拠地。
ワウアンリー・シュメの出身地にして、ここは外界と空間が隔絶された特殊な場所でもあった。
ここにいる限りは歳を余り取らない。時間の流れが外と違うためだ。
もっとも全く歳を取らないと言う訳ではないが、見た目十五ほどにしか見えないワウアンリーの実年齢が九十七歳に達するということからも、理解してもらえるはずだ。
そんな工房の最奥に、先史文明時代の書物や文献、更には使い道などよくわかっていない道具が眠る大書庫があった。
毎年何人かの行方不明者や迷子をだす広大な大書庫。上を見ても下を見ても、本やよくわからない物ばかり。
書棚が建ち並ぶ延々と同じような光景が続くその場所に、結界工房の責任者のひとりにして、キャイアやメザイアの父親でもあるナウア・フランの姿があった。
「ナウア様。まだ調べ物をされていたんですか?」
「ああ、少し気になることがあってね」
ナウアの研究グループに所属するひとりの女性が、彼の身体を心配して声をかけた。
もう一週間。しかし、まだ一週間。
調べ物をはじめると周りが見えなくなるのは、研究者の性分と言ってもいい。
ナウアがこうして書庫に籠もって出て来ないのは、今にはじまったことではなかった。
「程々にしてくださいね。もう一週間も、ここに籠もられているんですから」
そんなナウアを見て女性も半ば諦めた様子で、ハアとため息を漏らしながら自分の作業に集中する。
浮遊カートに載せられた大量の書物や文献。研究に使った資料をタイトルを確認しながら書棚へと戻していく。
簡単な作業ではあるが、黙々と同じ作業の繰り返しなので体力的にもかなり疲れる仕事だった。
どれだけ時間が経っただろうか? 朝も昼もないここでは、時間の経過も分かり難い。
カートに載っていた本が半分くらいなくなったところで、トントンと自分の肩を叩く女性。
もう一頑張りといった様子で、フウと息を吐いた――その時だった。
「きゃあああっ!」
女性は次の本を手に取ろうとして、そこにあった別のモノに驚き悲鳴を上げた。
彼女が悲鳴をあげるのも無理はない。浮遊カートの上に目をギラギラと輝かせたナウアが張り付いていたからだ。
これは恐い。かなり恐い。無茶苦茶気持ち悪い。
まだドキドキとする胸を手で押さえながら女性はスッと深呼吸をして、恐る恐るナウアに声をかけた。
「あ、あの……何をされてるんですか?」
「これだああぁぁっ!」
「ひぃっ……!」
突然大声をあげ、バッと立ち上がったナウアに酷く驚く女性。その瞳には涙すら滲んでいた。
「見つけたぞ。やはり、そういうことだったのか。だとしたら――」
また何やらバタバタと忙しそうに動き出し、さっき整理を終えたばかりの書棚からポイポイッと本を抜き去るナウア。
そんなナウアの奇行を女性はポカンとした表情で眺め、言葉を失う。
本を一通り抜き終えると、また落ち着きのない様子で走って何処かに行くナウア。
声を掛ける暇もなく、その姿はあっと言う間に見えなくなっていた。
「……これ、また私が片付けるの?」
目の前の惨状に、クラッと目眩を覚える女性。フラフラと書棚に身体を預ける。
その表情には若干の呆れと、なんとも言えぬ怒りが浮かび上がっていた。
――天才とナントカは紙一重。
まさに、その言葉が頭を過ぎった瞬間だった。
異世界の伝道師 第245話『天才とナントカ』
作者 193
『遂に見つけたのだ!』
――の第一声から、ワウアンリーの表情は固まっていた。
結界工房にいるナウアから遠距離通信。滅多にあちらから連絡を取ってくることなんてない人が、今日に限って日が昇る前、小鳥すら目を覚ましていない時間帯に連絡をしてきた。
ナウアからの通信。師匠からの連絡。弟子としてはどんな状況であっても緊急を要する可能性がある以上、出ないわけにはいかない。
だが、連絡してくる時間帯くらいは考えて欲しい。ワウはそう思った。
ナウアの体内時計が何時かはしらないが、聖地は今、朝の四時前。
しかも昨晩は遅くまで工房に籠もっていたこともあり、ワウは完全に寝不足モードだ。
「ふえ……なんですか? こんな朝早くに」
『教会の伝承にこのようなものがあるのを知っているか?』
そう言って始まった『ナウアのなぜなに講座』。これが始まると、とにかく話が長い。
そのことは弟子の彼女が一番良くわかっていた。
しかし、今は無茶苦茶眠い。
ワウは枕を腕に抱き、ウトウトとしながらパジャマ姿でナウアの話に耳を傾ける。
いつもの洗濯バサミもとい髪留めもなく、今はストレートに髪を下ろした珍しい姿をしていた。
そのことからもわかるとおり、格好に気を遣う余裕がないほどワウは寝ぼけていた。
『光を纏いし者、世界を救い。闇を纏いし者、世界を滅ぼす』
それは教会の古い文献に残された記述。結界工房にも残っている古い伝承だ。
教会関係者でも余り覚えている者は少ないだろう古い話。御伽話のようなものだ。
これからナウアの昔話でもはじまるのかと、ワウはポケポケした頭で考える。
頭の中では紙芝居が始まり、『どんぶらこーどんぶらこー』とナレーションが聞こえてきそうな危険な状態にあった。
『だが、この話には続きがあったのだ!』
「ちゅ……ぢゅき?」
もう、舌も回らない様子で反射的に反応するワウ。
一方ナウアの方はというと、こっちも寝不足と興奮から周りの様子が全く見えなくなっていた。
研究者の使命感と探求心。その強い意志だけがナウアを突き動かしていたからだ。
『黄金を纏いし者、その名は――黄昏』
「たしょがれ?」
『そうだ。語り継ぐこと、名前を記すことすら憚られるとされた、もう一つの伝説。名前以外は何も記されていない存在。だが、その者が黄金の光を纏っていたことから、この世の境界を繋ぐ者黄昏≠ニ呼ばれるようになったとここに記されている』
ビシッと手にした文献の一節を指さすナウア。
境界を繋ぐ、その意味は実のところナウアにもよくわかっていなかった。
だがこれまでのことから、幾つかの仮説は立てていた。
そして、そこから正木太老――彼の『黄金の聖機人』に考えが繋がるのは極自然なことだ。
『境界を繋ぐ者、私はこれを異世界人のことを指すのではないかと考えている。まだわかっていないことは多いが、彼が黄金の聖機人に乗れることは確かだ。だとすれば、この伝承にあるのもきっと――』
そこからの話はとにかく長かった。
ワウの意識は飛び、夢と現実の境でウトウトと彷徨いながらなんとか、通信機に向かっていられるような状態。
気付けば外ではチュンチュンと小鳥のさえずりが聞こえ、日の光が工房の屋根から漏れてきていた。
『――このことを彼に伝えて欲しい。ひょっとすると、この世界の秘密がまたひとつ明らかになるかもしれない。頼んだぞ、ワウアンリー!』
「ふわぁい……」
そこで通信は途切れた。
ナウアの姿が見えなくなったことを確認すると、そのままベッドにパタンと倒れるワウ。
「うみゅ……おやしゅみなしゃい……」
そのまま夢の世界へと落ちていった。
◆
カンカン、コンコンと釘を打ち付ける甲高い音が黄金の闘技場に響く。
競武大会開催まで残り十日。もう余り時間は残されていない。
それに来週からは授業を利用した予選が行われるため、出来る限り今週中に終わらせておきたい仕事がたくさんあった。
聖地の職員や商会の侍従、それに生徒まで駆り出されて、準備のラストスパートに入っていた。
「ふわぁ……」
「なんだか眠そうだな、ワウ」
「ううん、昨晩は遅くまで工房に籠もってましたしね」
「俺も余り他人の事を言える立場じゃないけど、程々にしろよ」
そんななか、眠そうにあくびを何度も漏らすワウ。
イベントで使う急場の施設や使用する機材の調整と組み立てに、ワウも学院に在籍する一生徒として協力していた。
そんななか眠そうな原因が工房にあると聞いて、太老は呆れた様子でフウとため息を漏らす。
自分も他人の事を余り言えるような立場ではないため、ワウのこれはいつものことと太老は半ば諦めていた。
実際、科学者や研究者といった類の人間は、何を言ったところで周りの話など聞きはしない。
健康や一般常識よりも、技術の進化と知識の探求を優先するのが彼等の性分だ。
それはもはや仕事というよりは、生き様そのものと言ってもいい。
それがわかっていての『やめろ』ではなく、『程々に』という太老の言葉だった。
「ふわぁーい……ん? あれ?」
「どうかしたのか?」
何か引っ掛かってるといった様子で首を傾げるワウ。そんなワウを見て、怪訝な表情を浮かべる太老。
重大なことを忘れているような、喉元まで出かかっているのに何故か言葉にでない。
何かを忘れているような気がするのに思い出せない。
そんな悶々とした感じが、ワウのなかでくすぶっていた。
「なんか、忘れてるような気がするんですが思い出せなくて……」
「ああ、そういうことってあるよな。まあ、大抵はたいしたことじゃなかったりするんだけど」
「いや、なんかこう……大切なことだったような……」
「まあ、本当に大切なことなら、いつかは思い出すんじゃないか?」
「ううん……まあ、そうですね」
太老に言われて、それもそっかと納得するワウ。
自身の研究に関することでもなさそうだし、と彼女の興味は薄れていった。
◆
「これを……私が全部ひとりで片付けるのか?」
「当然です。ナウア様が散らかされたのですから、当たり前ですよね?」
「いや、しかしだね。この数は……」
「当たり前ですよね?」
「そ、そうだな。自分の後始末は自分でするのが当たり前だ」
この間、資料の片付けをしていた女性と、ナウアの姿がこれまた大書庫にあった。
ナウアの前にあるのは、ここ一週間大書庫に籠もってナウアが自分で散らかした大量の資料だ。
一日や二日で片付けられる量ではない大量の本が、床や机の上にと散乱していた。
「少しは手伝って……いや、なんでもない」
監視付き。しかも逆らったら何をされるかわからない迫力があった。
ビクビクと体を震わせながら、散らかった本を集めはじめるナウア。
そこには研究グループの長、結界工房の重鎮、フラン姉妹の父親としての威厳が全く感じられない。
娘達がこんな父の姿を見たら、確実に呆れるような情けない男の姿がそこにはあった。
だが、これも自業自得。自分でやったことは自分で後始末をつける。これは子供でも知っている当然のことだ。
「はあ……」
「ほら、休んでないで手を動かす!」
「は、はい!」
「そんなことじゃ、いつまで経っても終わりませんよ!」
本来、部下であるはずの女性に命令され、青い顔をして後片付けをする中年の男性。
その背中には、なんとも言えない哀愁が漂っていた。
……TO BE CONTINUED
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