「うわあ……」
ハヅキは今、ハヴォニワから定期的に聖地へ物資を運ぶ高地間鉄道に乗車していた。
そこから見下ろす景色にハヅキは感嘆する。
荘厳な趣きで佇む聖地の門。そして見たこともない大きな建物や、ここからでもはっきりとわかる煌びやかな黄金の闘技場。
ここでセレスが立派な聖機師になるために頑張っているのだと思うと、自分のことのようにハヅキは嬉しくなった。
太老の屋敷に招かれてから目に映るものすべてが珍しいものばかりで、新鮮な驚きと感動で一杯の毎日を彼女は過ごしていた。
「あっ、遊びにきたわけじゃないんだから……気を引き締めないと」
水穂の使いできたことを思い出し、気合いを入れ直すハヅキ。
聖地学園支部への届け物、体操服が三百着とコンビニの補充用品が鉄道のコンテナにはたくさん詰まっていた。その納品が今回のハヅキの仕事だ。
物資を引き渡しサインを貰って返るだけの簡単な仕事だが、ハヅキにしてみれば何もかもが始めてのことばかり。カチコチとまでは言わないが、かなり緊張をしていた。
それに彼女にはもう一つ、聖地に来たかった理由があった。セレスと剣士のことだ。
セレスから届く手紙はハヅキの密かな楽しみになっていたのだが、何故かそこに書かれていることは剣士のことばかり。
特に最近の手紙の内容は酷く、ハヅキを気遣う文書どころか、ほとんど剣士のことしか書かれていなかった。
そのことをセレスに確かめるため、一人前になるまでセレスには会わないという決意を曲げてまで聖地に赴いたのだ。
「まさか、そんなことはないよね。信じてるからね、セレス」
と口にしながらも、どんよりと暗いオーラを背中に纏うハヅキ。彼女はセレスと剣士の仲を疑っていた。
それが、ただの友達関係ならいい。セレスに親友が出来たのなら心から祝福したい。でも、もしそれ以上の関係だったら……。
そんなことはありえないと思いつつも、万が一を考えるとハヅキは居ても立ってもいられなかった。
仕事仲間の侍従達からも、そういう趣味の人達がいるという話を聞いているだけに冗談と笑って流すことも出来ない。
ハヅキは世間に疎く真面目な性格をしているので、侍従達の下世話を余計に重く受け止めていた。
「ハヅキちゃん、そろそろ着くよ。必要な荷物をまとめておいてね」
「あ、はい!」
同行した先輩の侍従に急かされ、慌てて下車の準備を始めるハヅキ。
そう、きっと何かの間違いだ。ハヅキは自分にそう言い聞かせた。
異世界の伝道師 第246話『初めてのお使い』
作者 193
列車を下車して先輩の侍従達と別れた後、ハヅキが案内されたのは聖地学院の地下にある船舶用の停泊所だった。
ここで担当の職員が来るのを待つように言われ、ハヅキは港に停泊する船を珍しそうに眺めていた。
ハヅキ達は高地を走る鉄道を利用して聖地へとやってきたが、基本的には船による物資の搬送がほとんどだ。
特にシトレイユやシュリフォン経由の荷物は大体、船でここに集められ、学院へ搬送される仕組みになっていた。
そんななか、紋章の入った貴族の物と思しき船の姿も幾つか確認できる。そのなかに一際目立つ黄金の船をハヅキは見つけた。
「あれが噂に名高い太老様の船……」
話には聞いていたが、ハヅキは『カリバーン』を目にするのはこれが初めてのことだった。
黄金の輝きを持つ船を前に、聖地の門を初めて目にした時とは別の感動が込み上げてくる。
太老の逸話は侍従達から耳にたこができるくらい色々と聞かせられていたこともあるが、ハヅキ自身、太老には家族やセレスのことで多大な恩を感じていることもあり感動もひとしおだった。
「一度でいいから乗ってみたいな……」
「あの船に?」
「はい。歴史の一幕を飾った船ですから、やはり一度は……」
背後から掛けられた声に驚き、慌てて横に飛び退くハヅキ。
ふと見ると、そこには作業服に身を包んだ黒髪の男性が立っていた。
ハヅキはその服装から、待つように言われた商会の職員かと当たりを付ける。
「あ、もしかして案内の方ですか?」
「うん、ハヅキちゃんだよね?」
「はい。納品書に支部長のサインを頂いてくるように言われてきました」
「支部長に直接? ああ、体操服は学院の備品でもあるしな」
納品関係の仕事など侍従達だけでやってしまって問題のない仕事だが、学院や生徒会が絡むと話は別になる。
一応、学院の体操服に指定されることが決まっている衣装だ。問題がないか、支部長の確認が必要なのだろうと作業服の男は納得した。
作業服の男――彼の名は正木太老。これでもれっきとした正木商会の代表だ。当然のことだが支部長より偉く、多くの権限を持っている。
「ここでサインしてもいいんだけど、どちらにせよ支部には顔を出すし後でいいか」
そんなこととは知らないハヅキは太老の話を疑問に思いつつも、「よろしくお願いします」と頭を下げる。
その手慣れた対応から、ハヅキは太老のことを商会に長く勤めている大先輩くらいに考えていた。
どことなく見覚えのあるような、どこかで会ったような気はしているのだが、思い出せない。
それもそのはず。ハヅキは太老のことを色々と侍従達から聞いてはいるが、本人に会うのはこれが初めてだ。
しかも、ハヅキにとって正木太老とは天上の存在。貴族どころか、王族にも比肩する遥か雲の上の人物だ。
作業服の男と黄金の彫像の男が、ハヅキのなかで一致するはずもなかった。
「船の中も覗いていく? 今は整備中だけど、よかったら案内するよ」
「い、いえ! 今は仕事中ですから!」
思わず『是非』と言いそうになった言葉を呑み込んで我慢するハヅキ。
そんなハヅキを見て太老は『真面目だな』と感想を漏らす。
「それじゃあ、先にメシにするか」
「え、でも……」
「もう昼だし、お腹も減ったろ? メシをしっかり食べるのも仕事のうちってな」
そう言われて実は朝から何も食べていないことを思い出し、ハヅキは顔を赤くして頷いた。
【Side:太老】
予定より一日早くハヅキが到着すると聞いて、仕事ついでに直接迎えに行くことにした。
丁度、ハヅキを迎えに行く途中だった職員と出会し、案内の役を代わってもらったと言う訳だ。
会ってみると話に聞いていたより、ずっとしっかりした女の子だった。ちょっと真面目過ぎるところはあるが、それもきっと緊張しているからだろう。
でも、あの黄金の船をあんな風に絶賛するとは……。この子、マリアと気が合うかもしれないな。
「どうかな? 口に合えばいいけど」
「お屋敷の食事も凄く美味し物ばかりでしたけど、ここのも同じくらい美味しいです」
「まあ、ここの食堂も商会が運営してるしな」
俺はいつもの『本日のおすすめ定食』を注文した。今日のメインのおかずは川魚の煮付け。魚好きの俺としては嬉しいメニューだ。
ハヅキの注文したのは最近追加された『にゃんにゃんオムライス』だ。ケチャップでデフォルメされた『ぬこマリア』の顔が玉子の上に書かれていた。
実は二種類あって、もう一つはホワイトソースで『ぬこラシャラ』が書かれていて、こちらも人気商品となっている。
「どうかしたのか?」
「いえ、先程からチラホラと皆さん、こちらの様子を窺っているみたいで……私の格好、どこか変でしょうか?」
「そんなことないと思うけど? そのメイド服もよく似合ってると思うよ」
「そ、そうですか。ありがとうございます」
面と向かって似合っていると言われるのは慣れていないのか、照れ臭そうに顔を逸らすハヅキ。
俺の周りにはいないタイプの女の子だな。初々しいっていうか、純朴っていうか。
セレスも良い子を掴まえてるじゃないか。マリアも出会った当時はこんな感じで可愛らしいところもあったんだけどな。
あ、今が可愛くないとか、そう言う訳じゃないからな。ただ、なんというか……あの子は変な方向に突っ走ることが多いので、もう少し自重して欲しいと思わないこともないだけだ。
特に矢鱈と俺に金ピカした衣装を着せたがるところとか。あれさえなければ、良い子なんだが……。
「そうだ。セレスの様子を見に来たんだろう?」
「え、どうしてそのことを?」
「侍従達から色々と聞いているから。二人のことは噂にもなってるんだけど知らなかった?」
「は、初耳です! ううっ……恥ずかしい」
なんか、まずいことを訊いちゃったか?
いや、でも噂になっているのは事実だ。あれでセレスも学院じゃ有名人だしな。女性達の噂の種には持って来いと言う訳だ。
それにマリエルからも聞いているが、ハヅキの評判も悪くない。真面目に働いてくれているようだし、少し気の弱いところはあるが性格も素直で物覚えも良いと評判だった。
「あの……セレスは学院ではどうですか?」
「頑張ってると思うよ。成績も悪くないって話だし、仕事の方も筋が良いって評判だよ」
「セレスがですか?」
「意外?」
「はい。セレスは他人と話をするのが苦手で友達も少なくて、村でもよく孤立していましたから……」
さすが幼馴染み、セレスのことをよく見ているな。それだけ心配していたのだろう。
でも、ここ最近は剣士を目標に頑張っている所為か、そうした性格も随分と改善されてきた気がする。
ここはセレスの近況を教えて安心させてあげるのが一番か。
「対人関係は良好だと思う。他の男性聖機師のように威張った様子もなく真面目で人当たりも良いから、職員や女生徒達の人気も高いしね」
「そうですか。セレス頑張ってるんだ……」
彼女としてはセレスが女生徒に人気があるのは少し複雑なのか、微妙な表情を浮かべるハヅキ。でも、概ね好意的に受け止めているようだ。
実際、セレスは俺から見てもよく頑張っているしな。剣士に教わって剣術の稽古も頑張っているらしく、最初の頃に比べれば剣を振う様もなかなか様になってきた。
競武大会でも結構良いところまで行くんじゃないかと睨んでいる。
「剣士とも仲良くやってくれてるみたいだし、こっちとしても助かってるよ」
「剣士……さんですか?」
一瞬、ハヅキの目からハイライトが消えた気がしたが、き、気の所為だよな?
剣士はあれで友達が少ないからな。セレスが剣士の友達になってくれて、俺も安心している。
いや、まあ……同性の友達が少ないという点では、俺も剣士のことを言える立場ではないのだが、これって言い訳をさせてもらえば『柾木』の血だと思うんだ。
女難の相が付き纏っているというか、仮に男友達が出来ても一癖も二癖もある人物ばかり。セレスのような普通の冴えない男子が友人になる確率なんて奇跡と言っていいくらいだ。だから剣士には俺の分までセレスとの友情を育み、青春を謳歌して欲しいと俺は願っていた。
兄貴分として、このくらいは応援してやらないとな。
「あの剣士さんとセレスのことをお訊きしてもよろしいですか?」
急に威圧感の増した物を言わせぬハヅキの迫力に、俺は「はい」と頷くしかなかった。
【Side out】
【Side:ハヅキ】
セレスと剣士さんのことは本気で疑っていたわけじゃない。きっと何かの間違いだと信じていた。なのに――
「あの、ハヅキちゃん? さっきから様子がおかしいけど大丈夫?」
「はい。全然、大丈夫ですよ。寧ろ、さっきよりも元気が有り余っているくらいで」
セレスに会ったらどうしようかと考えると、胸の奥から怒りが沸々と湧いてくる。
直接二人のことをよく知る人から聞いた話だから、恐らく間違いはない。一緒に仕事をするくらいは仕事仲間なのだから普通にあることと納得が行く。
でも! 学院に仲良く一緒に登校したり、お風呂に入ったり、御飯を食べたり、あまつさえ一緒のベッドで……寝るなんて!
もう、それは仲が良いとか、そういうのを通り超しているとしか思えない。セレスにそんな趣味があったなんて……。
私は確かに女としての魅力には欠けると思う。胸も小さいし、都会の女の子のように垢抜けているわけでもない。化粧もしたことはないし服装だって地味だ。
でも……男の人に負けたかと思うと、涙が出そうになるくらい悔しかった。
「ほら、ここが正木商会聖地学院支部だよ」
「うわ……」
まるでお城のようなお屋敷に案内され、思わずため息が漏れる。ハヴォニワにある太老様のお屋敷も立派だったが、ここも凄く立派な佇まいの建物だった。
それだけに、今から聖地学院の支部長にお会いすると思うと緊張で胸がドキドキする。
確か名前はラン様。太老様や水穂様に認められ、平民から支部長にまでのし上がった御方だと聞いている。きっと水穂様のように立派で、凄く優秀な方なのだと思う。
そんな凄い方々がお仕えしている太老様も、今はこの学院に通いながら各地の商会に指示を出されているという話だった。
――お会いする機会もあるのだろうか?
でも、実際にお会いしたら、きっと緊張から何も話せないと思う。
私やセレスにとって恩人とも言える御方だ。一言お礼を言いたいと思いながらも、気軽に話をすることすら憚られる雲の上の人にどう接していいか、私はわからなかった。
そうだ。案内してくれたこの人にも、ちゃんとお礼を言っておかないと。
「あの……案内ありがとうございました。色々とお話も聞かせて頂いて」
「ああ、全然気にしなくていいよ。俺もランに仕事の話で少し用事があったしね」
「ラン様にですか?」
支部長のことを呼び捨てにする男性の素性が少し気になった。
なんとなく商会の偉い人のような気はしていたけど……あっ、そう言えば名前も聞いてない。
ううっ、初めてのお使いで緊張していたからって、色々と抜けすぎな自分の行動が情けなく思う。
「あ、あの……今更ですけど、お名前をお訊きしてもよろしいですか?」
「ああ、ごめん。そう言えば、名乗ってなかったっけ」
そう言って、男性が自己紹介をしようとした、その時。
「おーい、太老じゃないか。おっ、そっちの子が例のハヅキか?」
「ああ、ランか。丁度よかった。実は――」
え、太老って……太老様? それにランって……。
一瞬、目の前のやり取りが信じられず、思考が停止する。
そう言えば、ともう一度じっくりと目の前の男性の横顔を見る。やっぱり、あの広場にあった黄金の像とよく似ていた。服装は全然違うけど。
ということは――
「た、太老様!?」
「ん、ああ。そういや、自己紹介の途中だったな。俺は、正木太老。商会の代表なんかもやってる。よろしくな、ハヅキちゃん」
間違いない。太老様だ。わ、私なんてことを――っ!
太老様に今までしてきた数々の無礼な行いを思い起こし、どうしていいかわからなくなる。
ごめんなさい。お父さん、お母さん、それにセレス。私……とんでもないミスを犯してしまいました。
「ようこそ、聖地学院へ」
太老様のその言葉が何を意味するのか、この時の私には理解できませんでした。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m