「ああ、そう言う訳だから――了解。じゃあ、後でそっちに連れて行くよ」
支部長室に案内されたハヅキは、先程からずっと塞ぎ込んでいた。
誰かと通信越しに話をする太老の声もハヅキの耳には届かない。そんなハヅキを見て、ランは「はあ……」とため息を漏らす。
実はこれでもマシになった方で、ハヅキが泣きながら土下座を始めた時は大変だった。
突然、土下座で許しを請い始めたハヅキを前に太老も何事かと慌て、そんなハヅキを慣れない様子でランは宥め、侍従達の協力を得てようやく騒ぎが収まったのだ。
どうにか騒ぎが収まったのはいいが、それからずっとハヅキはこの調子だ。それだけショックも大きかったのだろう。
幾ら名前を聞いていなかったとはいえ商会に厄介になっている身で、恩人の顔を見て気付かなかった失態をハヅキは重く受け止めていた。
しかも、その後はランや先輩の侍従達にまで迷惑をかけて、真面目なハヅキが落ち込むのも無理はなかった。とはいえ、
「――ヅキ。ハヅキ!」
「あ、はい!」
「落ち込む気持ちはわかるけど、まだ仕事中だろう? くよくよするのは後にしな」
「うっ……はい。申し訳ありません」
「これ、納品書。サインをしておいたから、後でそっちの責任者に渡しておいてくれ」
「はい。ありがとうございます」
ランに少し厳しく注意をされ、気を引き締め直すハヅキ。気持ちの整理はまだついていないが、仕事である以上はそうも言っていられない。そのことはハヅキもよくわかっていた。
ただ、恥ずかしいやら情けないやら、余りにショックなことが立て続けに起きすぎた。
聖地を初めて訪れた時の胸の高鳴りはどこかに消え、今はもう穴があったら入りたい気持ちで一杯になっていた。
しかし、これもある意味で『聖地の洗礼』と言えるだろう。太老と接する機会の多いランはハヅキを見て、何やら懐かしいものを感じる。
正木商会に所属し、太老に近しい者なら誰でも一度は通る道だ。これまでの人生で培ってきた常識や価値観と言ったものは、ここでは通用しない。ようするに慣れるしかないということだ。
応援くらいしか出来ないが、ハヅキが早く本当の意味で商会に慣れることをランは密かに心の中で祈った。少し厳しく言ったのも、そのためだ。
先輩としてというのもあるが、太老に振り回されているハヅキを見ていると昔の自分を見ているようで放って置けなかった。
「取り敢えず、お疲れ様。この後は特に予定はないんだろう?」
「え、はい。納品書にサインは頂きましたし、特には……」
太老の言葉の意図が理解できず、首を傾げるハヅキ。まさか――と言った様子でハヅキは顔を青ざめる。
ハヅキの仕事はこれで終わりだ。次にハヴォニワへ向かう便は三日後。それまでは特にこれと言った予定はない。
なのに予定を聞いてくるということは、やはり重い罰が与えられるのかとハヅキは身構えた。
もしかしたら、これでクビになるのかもしれない。両親やセレスにも迷惑がかかるかもと考えると、また涙が出そうになる。
「ラン、明日の準備は?」
「ああ、必要な物は全部揃えてあるよ」
「じゃあ、後のことは頼むよ。ハヅキちゃん、行こうか」
「い、行くって、どちらへですか?」
――もしかして本当にクビ!?
と慌てるハヅキだったが、もっと驚く言葉を太老の口から聞かされる。
「マリアの寮だけど?」
「…………え?」
異世界の伝道師 第247話『パジャマパーティー』
作者 193
森に囲まれた小さな城と言った外観の大きな屋敷。そこはハヴォニワの王女、マリア・ナナダンの独立寮だ。
南寄りの豪華な造りの部屋。重厚な扉の向こう、マリアの寝室から賑やかな少女達の声が聞こえる。
「これも似合いますわね。でも、こちらの方がいいかしら? マリエルはどう思います?」
「我はこっちの赤いネグリジェの方が良いと思うのじゃが……」
「あなたには訊いていませんわ。相変わらず慎みのない、下品な趣味ですこと」
「なんじゃと! 御主の方こそ田舎娘らしい地味な衣装ばかりではないか!」
「なんですって!」
マリアとラシャラの二人に、為すがままにされるハヅキ。余りに理解の範疇を超えた出来事に、呆然と言葉も出ない。
何故、自分はマリア姫の寝室にいるのか? ハヅキには、そこから理解できない。
しかもそのマリアが、シトレイユの姫皇とハヅキに着せる寝間着を取り合い喧嘩をしていれば驚くのは当然だ。
夢や幻を見ているのかと、自分の頭を疑ってしまうのも無理のない話だ。しかし、これは紛れもなく現実だった。
「ハヅキさんは、こちらの方がいいですわよね?」
「我の選んだ方が良いじゃろう?」
「うっ……」
どちらを選んでも角が立つ。ましてや、相手は王族だ。選べるはずもない究極の選択を突きつけられてハヅキは涙目になる。
それに二人が差し出した衣装は見たこともない意匠が凝らされ、高級な生地で作られた職人の一品だ。
安い既製品の衣服しか身に付けたことのないハヅキからすれば、袖を通すことも憚られる高級品だった。
「お二人ともハヅキさんが困っています」
「でも、マリエル。これはラシャラさんが……」
「このことを太老様とフローラ様のお二人にご報告しても?」
「うっ!」
マリエルに注意をされ、何も反論できず言葉を詰まらせるマリア。
太老に知られるのは勿論、フローラにこのことを知られるのだけは絶対に避けたかった。
母親と言えど、相手は『色物女王』の名で知られるフローラ・ナナダンだ。彼女に知られるということは弱みを握られたも同然だった。
親子と言えどフローラに弱みを握られればどうなるか、わからないマリアではない。いや、親子だからこそ、嫌と言うほど理解していた。
「ははは! いい気味じゃな」
「ラシャラ様も、このことをマーヤ様にご報告しますがよろしいですか?」
「い、いや、それは……待ってくれぬか?」
マーヤに知られれば待っているのは再教育と言う名の説教地獄だ。ラシャラも、それには耐えられない。
マーヤは赤ん坊の頃からラシャラのことを知っている、シトレイユ皇家に仕える侍従のなかでも一番の古株だ。
好みから苦手なものまで、あらゆることをマーヤには知られている。それだけにラシャラはマーヤを苦手としていた。
「うわ……」
マリエルに完敗し大人しくなった二人を見て、ハヅキは驚きの声を上げる。
ピンチを救ってもらったこともあるが、マリアとラシャラを一言で黙らせたマリエルの手腕にハヅキは感心した。
そして自分とは大違いだと思うと、また昼のことを思い出し気持ちが滅入る。
「あの……ところでこの騒ぎは一体?」
でも、まずはこの状況をどうにかしないと、とハヅキは思いきってマリエルへ質問した。
しかしハヅキの質問に答えたのはマリエルではなく、その質問を待ってましたとばかりに元気を取り戻したマリアだった。
「パジャマパーティーですわ」
「ぱじゃまぱーてぃー?」
聞き慣れない言葉に首を傾げるハヅキ。パジャマパーティーなるものがなんなのか、ハヅキにはさっぱり想像できない。
なんとなく言葉のニュアンスと今までのやり取りから、寝間着に着替えて何かをすることまでは理解できるが、そもそもパーティーと寝間着がどうして繋がるのか、そこがまったく理解できなかった。
「異世界では閨を共にして寝間着で語らい、親睦を深める文化があるそうですわ」
マリアの簡潔な説明に、ハヅキは前に水穂が言っていた『裸の付き合い』を思い出す。
しかし問題はそこではなかった。
「閨を共に! ここでマリア様とラシャラ様と一緒にですか!?」
「マリエルも一緒ですわよ? あとでシンシアとグレースも合流しますわ」
王族と寝所を共にするなど、平民のハヅキからすれば畏れ多いことだ。幾ら女同士とはいえ、常識的に考えてありえない。
なんで、そんなことに――とハヅキはマリエルに視線で助けを求めるが、『諦めて』とばかりにマリエルは首を横に振る。
こうなったら、どうやってもマリアとラシャラの二人を止められないことをマリエルはよく理解していたからだ。
しかも、パジャマパーティーの発案者は太老だ。それだけにマリエルは、この件に関しては何も言えない。
昼間の反省を踏まえ、ハヅキが少しでも早く聖地の生活に馴染めるようにと、太老が余計な気を回した結果がこれだった。
「さあ、今日は寝かせませんわよ!」
「うむ、セレスとの仲をたっぷりと聞かせてもらうのじゃ! 今後の参考にな!」
随分と気合いの入った様子の二人。なんの参考かというのは言わぬが花だ。
聖地一日目の夜。ハヅキにとって、長い夜が始まろうとしていた。
【Side:太老】
我ながら良いことをしたと思う。パジャマパーティーは名案だった。あれならハヅキもすぐにここでの生活に馴染めるだろう。
急に泣き出した時は何事かと焦ったからな……。もう、何を言っているのかわからないくらい取り乱して宥めるのには苦労した。
セレスの件でも色々とあったしな。そこから生活が一転して、恐らく心労が堪っていたのだろう。それを察してやれなかったのは失敗だった。
まあ、こういうのは男の俺がどうこうするより、女同士で語らうのが一番だろう。
あれでマリアも面倒見がいいしな。マリエルもついていることだし、任せておけば大丈夫なはずだ。
「シンシア、どうしたんだ? グレースは一緒じゃないのか?」
「ううん……グレースは工房に籠ってる」
「しょうのない奴だな」
風呂から上がり飲み物を取りに食堂に行くと、そこにシンシアの姿があった。
グレースは大方、パジャマパーティーが嫌で逃げ出したのだろう。
あれで結構人見知りなんだよな、あいつ……。とはいえ、シンシアを置いて行くとは、どうしようもない奴だ。
「もう、パジャマパーティー始まってるんじゃないか? シンシアも参加するんだろう?」
「……パパを待ってた」
「俺を?」
「うん」
何だかよくわからないが、シンシアのお願いなら断ることなど出来ない。
小さな手で、俺の手を取るシンシア。指を掴むと言った感じだが、そこがまた可愛らしい。「こっち」と言いながら俺の手を引っ張り、とことこと廊下を歩く様はまさに天使と言ったところだ。
ロリコンじゃないか、気持ち悪いって? 俺は単純に可愛いものが好きなだけだ。
地上に舞い降りた天地のようなシンシアの可愛さがわからない奴は眼科で診て貰って来い。
「んしょ……」
重厚な扉を一生懸命、自分の力だけで開けようと頑張るシンシア。
前に俺が手伝おうとすると『一人でやる』と言って拒否されたことを思い出し、俺は黙って見守ることにした。
子供の努力を見守るのも大人の務めだ。まあ、何をしてもシンシアは可愛いんだけどさ。
「ん、そう言えば、この部屋って……」
開かれる扉。振り向く少女達。目に映る色とりどりの艶やかな寝間着の数々。
「あ……」
思わず声が漏れる。これはネグリジェという奴か?
マリアは、肩にストールのついた前開きの白のネグリジェ。
ラシャラは、情熱的な赤のベビードール。
マリエルは、大胆に胸元の開けた黒のロングネグリジェ。
そしてハヅキは、袖口にたっぷりのフリルとリボンをあしらったお姫様タイプの淡い桜色のネグリジェを身に纏っていた。
薄い生地の向こうに、少女達の赤みを帯びた白い肌が見える。
「うっ……」
ハヅキが涙目に――こ、これはまずい!
シンシア、どういうつもりで俺をこんな危険な場所に!?
俺もパジャマパーティーに一緒に参加しろって? 無理、それは絶対に無理だから!
げっ、シンシアまで涙目に……お、俺にどうしろと!
「お兄様、どうぞこちらへ」
「うむ。太老、我の隣が相手おるぞ」
「……なんで二人は、そんなに冷静なんだ?」
「お兄様に見られて困るようなものは何一つありませんもの」
「うむ。婚約をしておるのだし、寝間着ぐらいで恥ずかしがるような関係ではあるまい?」
ダメだ。この二人に訊いた俺がバカだった。
まあ、確かに見られて困るほどの胸はないが、それにしたってもう少し恥じらいを持って欲しい。
「……今、何か邪な気配を感じましたわ」
「うむ。太老、何かよからぬことを考えたであろう?」
なんと勘の鋭い。身の危険を感じた俺は、首を横に振って否定した。
こうなったらシンシアを連れて、さっさとこの場を退散――
「太老様」
「うっ、ごめん。マリエル、俺はそんなつもりじゃ……っ!」
「いえ、風が入るので扉を閉めて頂きたいのですが……」
「ああ、ごめん。すぐに閉めるから」
マリエルに注意されて、俺は扉を閉める――って、そうじゃない!?
部屋の内側から扉を閉めて俺はどうするんだ!
そうだ、マリエルも天然だった。普段は凄く有能なのに、こういう時だけ天然ボケを発揮するんだよな……。
この世界の女性は皆、貞操観念が希薄な気がする。もうちょっと自重して欲しい。特にマリアの将来が不安だ。フローラの血を引いているわけだしな。
「あうぅ……」
「あ……」
涙目のハヅキと目が合い、凄く気まずかった。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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