「姐さん! 言われた資料お持ちしやした!」
「ありがとうございます。そこへ置いておいてください」
「へい!」

 両手に抱えきれないほどの資料を運んできた男が部屋から出て行くのを確認して、林檎は深い溜め息を漏らす。
 彼女の周りには、山積みとなったファイルの山が所狭しと置かれていた。山賊たちに集めさせた、この世界に関する資料だ。
 それは政治や経済の事柄に留まらず、文化や習慣。この世界の歴史に至るまで、ありとあらゆる情報を彼女は求めていた。
 そのなかでも――

「さすがは太老様ですね」

 林檎が今、目にしている資料。そこには彼女が一番知りたかったことが書かれていた。
 最悪の事態を想定してダ・ルマーが太老について知るために、密かに正木商会のことを調べさせていた資料だ。
 この世界で、これまでに太老が為してきた功績。そして正木商会の成長の記録が、そこには事細かに記されていた。
 当然、水穂の活躍についてもそこでは触れられており、林檎は嫉妬にも似た感情を表情に滲ませる。普段の彼女を知る者がこんな彼女の姿を見れば、驚かずにはいられないだろう。分家とは言っても彼女は、あの樹雷四皇家に連なる者だ。女性も羨む均整の取れた身体。鼻筋の通った端整な顔立ちに、見る者を魅了する柔らかな笑顔。才に溢れ、気立てもよく『鬼姫の金庫番』をやっていなければ言い寄る男は星の数ほどいても不思議ではない。
 樹雷において外交の場でも活躍を見せる竜木の縁者だが、それだけに男のあしらいに慣れているものが多く『竜木(立木)』の女は身持ちが堅いことで知られている。一方で尽くすと心に決めた相手には一途だと言われており、密かに銀河連盟で投票が行われている『銀河でお嫁さんにしたいランキング』の上位に『竜木(立木)』の者の名が挙がることは珍しい話ではなかった。

 特に林檎はその昔、太老から受けた恩のこともあって、彼に対して並々ならぬ想いを募らせている。
 しかし太老と共にあることを望んではいても、彼女の立場がそれを簡単には許してはくれなかった。
 樹雷の鬼姫の二つ名で恐れられる神木瀬戸樹雷の個人資産だけでなく、樹雷四皇家の一つ『神木』が保有する艦隊の運用を含めた経理のすべてを管理・統括しているのが彼女だ。神木の経理部には、樹雷でも選りすぐりの有能な人材が揃っているとは言っても、そんな彼女たちを問題なくまとめられるのは林檎しかいない。故に重要な責務を負っているからこそ、自分に厳しく仕事に誠実であろうと、彼女はこれまでの人生を歩んできたのだ。
 ずっとそうして生きてきた。今更そうした生き方を変えられるはずもない。だからだろう。
 瀬戸の盾と呼ばれ、自分と似た立場にありながら、こうして太老に尽くすことが出来る水穂を羨ましく思うのは――

「これで、ようやく恩を返せる」

 でも、これからは違う。同じ世界にいるのだ。太老に恩を返す機会は十分にある。
 一緒にお兄ちゃんに会いに行こうと誘ってくれた桜花。
 事情を聞き、応援してくれた経理部の仲間たち。
 太老のもとへ向かうことを許可してくれた理解≠フある上司、神木瀬戸樹雷。
 そして、この世界へと送ってくれた情に溢れる%V才科学者、白眉鷲羽。
 一部、事実と異なる点はあるかもしれないが、林檎は機会を与えてくれたすべての人たちに感謝をしていた。

「そのためにもまずは……」

 一刻も早く太老のもとへ駆けつけたいが、林檎には先に為すべきことがあった。
 はぐれた桜花の捜索や現状を確認することもそうだが、この世界へ来る前に林檎は鷲羽から一つの頼まれごとをしていたからだ。
 鷲羽の工房より姿を消し、異世界へ転移したと思われる一隻の船。守蛇怪・零式を探して欲しい、と――

「零式……太老様の船」

 一口に船と言っても、普通の船ではない。
 宇宙一の天才科学者白眉鷲羽≠ェ、愛弟子の正木太老≠フために設計した宇宙船だ。
 その性能や能力は正確なところは定かではないが〈皇家の船〉に匹敵。いや、それ以上かもしれないと林檎は考えていた。
 宇宙で活躍していた太老が、予定よりも早く帰省することになった事件。こうして異世界へと太老が身を寄せているのも、その船が無関係とは言えないからだ。
 そして林檎も、その事件のことをよく知る当事者の一人だった。だからこそ、零式の危険性を良く理解していた。

「零式の目的。考えられるとすれば、それは一つしかない。なのに……」

 守蛇怪・零式はただの船ではない。皇家の樹と同じく意思を持つ存在だ。
 あの事件以降、眠りについていた零式が目覚めて最初に求めるもの。それはマスターを置いて他ならない。
 しかし――

「やはり鷲羽様が危惧されていたように、この世界で零式が観測されたという情報はない」

 太老のもとに既にいるのであれば問題はない。しかしそうでない場合、予期せぬ事態が起きた可能性が高い。
 この世界を覗き見……いや、監視……じゃない太老と剣士のことが心配で様子を観察していた鷲羽さえも零式の行方を見失っていた。
 そのことをあらかじめ鷲羽から聞かされていた林檎は、太老のもとへ向かう前に自分なりに情報を集めようと試みたのだ。
 山賊ギルドの旗艦を発見できたのは偶然によるところが大きいが、林檎にとっては好都合だったと言える。

「ここで集められる情報は、この辺りが限界がでしょうね。後は……」

 気を失って今も医務室で横になっているダ・ルマーのことを考え、林檎は溜め息を漏らす。
 ただ情報を得ようとしただけなのに、ダ・ルマーを倒したことで山賊ギルドのトップ≠ノ林檎は祭り上げられていた。
 成り行きとはいえ、このまま彼等を放置するのも後味が悪い。それに見逃して、また悪事を働かれても困る。

「こういう時、太老様なら……」

 太老なら、こうした時どうするのか? そう考えた林檎の行動は早かった。
 良い機会だ。更生の機会を兼ねて、彼等にも役立ってもらおうと林檎は計画を練る。
 鬼姫の金庫番と恐れられた立木林檎の手腕が、ここ異世界で発揮されようとしていた。





異世界の伝道師 第258話『鬼姫を知る者たち』
作者 193






【Side:北斎】

「追ってきてはおらぬようじゃな」

 シトレイユとの国境に差し掛かったところで近くに手頃な岩を見つけ、儂はそこに腰を下ろす。
 そして腰に下げた水筒の蓋を開け、中身を流し込むように呷ると大きく息を吐いた。

「ぷはー! たまらんのう」

 そう言って、空を仰ぐ。
 太陽は沈みかけ、高地に近いこともあって少し肌寒く感じるが、儂の心は晴れ晴れとしていた。
 借金を返すために工房で忙しなく働かされていた我慢の日々から、ようやく解放されたからだ。
 ずっと機会を待った甲斐はあった。
 聖地で何かがあったらしく、侍従たちが慌ただしくしている隙を見計らって工房を脱走してきたのだ。
 あの鬼姫の腹心をしていた女を出し抜くのはさすがの儂でも至難の業だったが、天はまだ儂を見放してはいなかったらしい。
 それに――

「近くに祭≠フ反応はないな。ククッ、よもやこのために指輪の製作を許可したとは思ってもおらぬだろう」

 例え、マスターキーがあろうとなかろうと〈皇家の樹〉と契約者は常に繋がっている。
 そのため、祭の契約者である儂からすれば、契約している樹の気配を察することなど造作もない。
 当然、コノヱに預けてあるマスターキーの位置や、太老が祭の枝から作った指輪の位置も把握していた。
 太老に指輪の製作許可を求められた時、見返りを求めずに許可をだしたのは、すべてそのためだ。
 まさか、自分たちが首に鈴を付けられている状態とは、想像もしておらぬだろう。

「しかし追手が掛かるのも時間の問題じゃな。となると……」

 脇目も振らず、全力でここまで走ってきたが、儂がいなくなっていることに既に気付かれている可能性が高い。
 となると、連れ戻すために追手が差し向けられるのも時間の問題と考えた。
 そこで儂は長年使ってきた偽装を解除する。すると年老いた姿ではなく、生気に溢れた若かりし頃の姿へと戻る。生体強化を受け、皇家の樹と契約をしているこの身は、本来であれば年老いることがない。そのため、不自然に思われぬように外見を偽ってきたが、もうその必要もなかった。
 借金のある身だ。ならば剣北斎の名を捨て、別の人間として生きていくのも悪くない。それに、こちらの姿であれば追手に気付かれる危険も少ないと考えてのことだった。
 事実、水穂が知っている儂の外見も四十歳前後の姿だ。そして現在の姿は最も活力に満ちていた二十歳の頃の姿。この姿であれば気付かれる心配も薄いだろう。

「この姿に戻るのも久し振りじゃな……いや、だな。いかんな。長くジジ臭い言葉を使ってきたから癖が抜けぬわ」

 長くあの姿で居すぎた所為か、どうにも癖が抜けなかった。
 まあ、この姿で生活をしていれば、そのうち慣れるだろうと諦める。
 国境を越えれば、その先はシトレイユだ。あの国には、こういう時のために密かに用意してあった隠れ家がある。
 どれだけ詰問されようとも絶対に明かさなかった隠し財産だ。当面の生活はそれでどうにかなるだろうと考えていた。
 しかし、

「よもや鬼姫の関係者とはな……」

 最大の失敗はそこだ。正木太老がまさか鬼姫の関係者で、あの〈瀬戸の盾〉まで一緒とは想定外も良いところだった。
 折角、自由を手に入れたと言うのに樹雷へ戻るつもりはない。そんなことをしても、新たな玩具を与えて鬼姫を喜ばせるだけだ。
 あのババアから解放されたがっている人間は、それこそ儂の他にも大勢いるはずだ。樹雷皇や夫の内海とて、その一人だろう。
 だと言うのに――
 その鬼姫の寵愛を受けているという男が、儂はどうにも不思議でならなかった。

「正木太老か……」

 鬼姫の標的にされ、過去の儂のように弄ばれているだけとも考えられるが、柾木水穂の存在がそれを否定する。
 瀬戸の盾とまで呼ばれる彼女が一人の男に入れ込む姿は、儂からすれば想像も付かなかった。
 彼女は平田兼光と並び称される鬼姫の懐刀だ。そう言う意味では、鬼姫の次に恐れられる存在とも言えなくない。
 そんな彼女が鬼姫の傍を離れ、あのような若造に尽くすなど、とてもでないが信じられない。
 だが、これまで彼女たちを観察してきたが、正木太老に向ける好意はただの演技には思えなかった。
 しかし理由を考えると、またわからなくなるのだ。あの青年に一体なにがあるのかと?

「鬼の寵児か……」

 正木太老のハヴォニワでの功績は儂も耳にしている。
 貴族制度の改革を始め、僅か二年で大陸有数の大商会を築き上げ、ハヴォニワをシトレイユに迫る大国へと発展させた功績は歴史上並ぶ者がいないほどだ。
 確かに傑物と言えるかもしれないが、正体を知った今では驚くに値するほどではない。
 それどころか、まだそれでも足りない。鬼姫や、あの柾木水穂が気に掛けるほどとは思えなかった。
 恐らくは儂の知らない何か。鬼姫が気に掛ける程の何かが、正木太老にはあるのだろうと推察する。
 それも〈瀬戸の盾〉を派遣するほどの秘密が――
 だとすれば、正木太老がこの世界にきたのも偶然とは思えなかった。
 儂の知らない秘密が、あの男にはある。そこまで考え、儂は頭を振った。関わるべきではないと判断したからだ。
 好奇心は猫を殺す。この場合、飛び込んだ先にいるのは獅子や虎の類ではなく、文字通り鬼≠セ。

「いま鬼の寵児≠チて言った?」

 いま考えたことは忘れよう。そう心に決めた矢先のこと、儂の耳に何者かの声が響く。
 背筋に寒気を感じ、思わず無手で構えを取りながら気配のした方を振り返ると、そこには少女がいた。
 どこが見覚えのある懐かしい着物を羽織った幼い少女。尻尾のような髪が二本、少女の後ろで揺れていた。
 そして少女の肩と頭には見知らぬ生き物の姿があった。いや、生き物と言っていいのかもわからない。
 ぷよぷよとした丸い饅頭のような謎の生物を見て、儂はなんとも言えない気持ちになる。
 だが――

「皇家の樹の反応を追ってきたら、林檎お姉ちゃんじゃないし……もしかして樹雷の関係者?」

 少女の話に動揺を隠しきず、儂は先程までの甘い考えを捨てる。
 そうだ。少女が着ている服、それは樹雷のもので間違いない。言葉の節々からも、目の前の少女が樹雷≠フ関係者であることは疑いようがなかった。
 気になることも言っていた。林檎と言うのは、まさか『鬼姫の金庫番』のことではあるまいな?
 いや、そんなことがあるはずもないと儂は首を左右に振る。出来ることなら正解であって欲しくないという思いの方が強かった。
 だからこそ、嘘であって欲しいという願いを込めて少女に尋ねる。
 これでも『上木』の人間だ。少女が鬼姫の関係者であるのなら、名前を聞けばわかることだと考えたからだった。

「な、何者じゃ。御主……」
「ん? 私のこと?」

 そう言って小首を傾げる少女を見て、儂は決して年相応の可愛らしい少女とは思えなかった。
 この肌が震えるような感覚。おぞましいほどの力の気配。嘗て、同じような相手と儂は対峙したことがある。
 一人は神木瀬戸樹雷。鬼姫の名で、儂が恐れる天敵の一人だ。そして、もう一人――
 まだ若く、一人前の闘士になろうと修行に励んでいた頃、指導を受けた教官の姿が忘れられない。
 第七聖衛艦隊の司令官にして、武神とまで呼ばれた達人。

「平田桜花」
「ひ、平田……まさか、母親の名前は夕咲≠ニ言うのでは?」
「うん。ママのことを知ってるってことは、やっぱり樹雷の関係者だったんだ」

 でも、おかしいなあ……と呟く少女を見て、儂は目の前が真っ暗になる。
 あの武神の娘? 目の前の少女が? 悪い夢だ。これが夢なら醒めて欲しいと願うばかりだった。


【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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