キャイアは放課後になると商会の裏手の森で、太老の用意した訓練メニューを消化していた。
 まずは準備運動に罠を張り巡らせた森を走破した後は、真剣での素振りを千回。他にも実戦を想定したメイドとの模擬戦や森の獣を相手に狩りの練習など、修行は多岐に渡る。
 太老が幼い頃にやっていた訓練を元にしたメニューとあって、かなり厳しい内容になっていた。
 しかし太老に鍛えて欲しいと願いでたのは彼女自身だ。故に弱音を吐くことは出来ない。

「はああああッ!」

 以前よりも格段に鋭くなった剣閃が宙を切る。その一撃に手応えを感じるキャイア。
 訓練は辛い。正直、これだけの密度の訓練を幼い頃から続けてきたという太老に、キャイアは尊敬の念すら覚えていた。
 才能だけではない。常人を遥かに凌ぐ努力があってこその実力だと、太老の強さの秘密を思い知らされたからだ。
 現在キャイアの身体には、太老の作った訓練用の腕輪の効果で大きな負荷が掛かっていた。
 最初の頃は剣を振うどころか、立って歩くことすら困難を極めたのだ。限界が訪れると太老特製のドリンクで超回復を促し、また訓練の繰り返し。その過酷さから気を失いかけたことも一度や二度ではない。
 しかし毎日のように続けた努力の甲斐もあって、少しずつではあるが成果を実感できるようになってきていた。
 だが――

「まだ足りない。この程度じゃ……」

 黒い聖機人に為す術もなくやられてからというもの、キャイアはこれまで以上に強さを求めるようになった。
 ダグマイアの件でラシャラにも迷惑を掛けてしまっているばかりか、いざと言う時に仕えるべき主を守れないようでは護衛機師としても中途半端なままだ。
 頭に過ぎるのは、先日の競武大会の一戦。太老とモルガの戦いも凄まじかったが、キャイアの目を一番引いたのはダグマイアとセレスの一戦だった。
 剣の腕や聖機師としての才能は、明らかにダグマイアの方が上だった。にも拘らず、勝利したのはセレスだった。
 勿論セレスも努力をしたのだろうが、ダグマイアが才能に自惚れ、努力を怠るような人間でないことはキャイアが一番良く知っている。
 ダグマイアの実力は才能だけではなく、努力に裏打ちされた力だ。本来であれば、素人同然のセレスが勝てる道理はない。
 だが、ダグマイアは負けた。勝敗を分けた理由は、いまならはっきりとわかる。覚悟の差だ。
 セレスのハヅキへの想いが、ダグマイアの執念に打ち勝ったのだとキャイアは思った。

 同時に、自分はセレスに勝てるのだろうか?

 と、キャイアは疑問を持つ。
 勿論、聖機人の操縦や剣の技術でセレスに後れを取るつもりはない。ダグマイア以上の実力を持つキャイアであれば、セレスに負けるはずがないのだ。
 そのことはキャイア自身も理解している。しかし戦って勝てるという確信が、いまのキャイアには得られなかった。
 それほどに、あの試合のセレスはキャイアの目から見ても強く、輝いて見えたのだ。

「こんなのじゃ、また私は……」

 ラシャラ様を守れないかもしれない。そんな考えがキャイアの頭を過ぎる。
 強くなりたかった。太老のように誰にも負けない強さが欲しい。
 そうすれば、この迷いも晴れるのではないかという一縷の望みを抱きながら、何度も何度もキャイアは剣を振う。
 その時だった。

「――誰!?」

 何者かの気配を感じ、キャイアは警戒しながら剣を構え直す。
 すると森の奥から現れた人物を確認して、キャイアは驚いた様子で目を瞠り、声を上げた。

「ユキネ……さん?」

 森の中から姿を現したのは、マリアの従者〈アイスドール〉の異名を持つユキネ・メアだった。
 どうしてこんなところに彼女が、とキャイアは戸惑いの表情を見せる。

「ユキネでいい」
「え、でも……」
「構わない。いまは同じ聖機師だから」

 ユキネは学院を卒業した聖機師だ。それも二つ名持ちの――
 この間まで準聖機師に過ぎなかったキャイアとでは、培った経験や実績が大きく異なる。
 それに同じく太老に教えを乞う者として、ユキネとコノヱのことをキャイアは尊敬していたのだ。
 そんな相手から呼び捨てで構わないと言われれば、キャイアが戸惑いを覚えるのも無理はなかった。

「強くなったね。前より、剣が鋭くなってる」

 ユキネに褒められるとは思っていなかったキャイアは驚きを見せる。
 正直に言うと、目標とする人物の一人に認められたみたいで嬉しかった。だが、いまはそれよりも気になることがあった。

「ユキネさ……ユキネはどうしてここに?」

 こんな場所へユキネが偶然にやってきたとは思えない。
 だとするなら、何か自分に用があってここ≠ヨ来たのでは? とキャイアは考えたのだ。
 しかしユキネの回答は、キャイアが思っていたものと違っていた。

「構えて」
「え……」
「強くなりたいんでしょう?」

 腰の剣を抜き、そう言って構えるユキネを見て、キャイアは息を呑む。
 そしてユキネの放つプレッシャーに気圧されながらも、覚悟を決めた様子で腕輪を外し、キャイアは剣を構え直す。
 どういうつもりで、ユキネがそんな行動にでたのかまではわからないが、強くなりたいという気持ちに嘘はない。
 それに――

「お願いします」

 ユキネといま≠フ自分の間にどのくらいの差があるのか、それをキャイアは知っておきたかった。





異世界の伝道師 第260話『経験の差』
作者 193






「ゴールド商会が太老に接触してきたじゃと!?」

 ゴールド商会の使者としてやってきたカレンと剣士が、太老と秘密裏に会談を持ったという話を訪ねてきたマリアに聞かされ、ラシャラは驚愕した様子で席を立つ。
 ラシャラが驚くのも無理はない。ゴールド商会の代表は、彼女の生みの親だ。
 そして、この世でラシャラが最も恐れる人物でもあった。
 当然だろう。彼女が金に執着するようになったのも、その原因ともなるトラウマを植え付けたのも母親なのだから――

「こうしてはおれん。アンジェラ、ヴァネッサ! すぐに本国に軍の出撃要請を!」
「無理です」
「ダメです」

 ラシャラの命令を、あっさりと拒否するアンジェラとヴァネッサ。

「な、何故じゃ!?」
「グウィンデルと戦争をなされるつもりですか?」
「マーヤ様に、また叱られますよ?」

 従者二人の正論に、先程までの勢いを失うラシャラ。
 彼女が一番信頼を置き、最も苦手とするのが侍従長のマーヤだ。
 更に言えば競武大会での一件で大きな損失をだし、マーヤに散々叱られた後だけに、さすがのラシャラも強くでることは出来なかった。
 しかし、まだ納得の行かない様子のラシャラの姿を見て、マリアは溜め息を漏らしながら二人の従者に助け船をだす。

「お二人の言うとおりですわ。お気持ちは理解できますが落ち着きなさい」
「こんな話を聞かされて、落ち着いていられるはずが……」
「その件で既にお姉様やマリエルが動いています。お兄様が叔母様の企てに気付いていないはずがないでしょ?」

 太老が気付いていないはずがない。
 水穂とマリエルの二人も既に動いていると聞かされれば、ラシャラもそれ以上のことは言えなかった。
 そんなラシャラを見て、もしかしたら気付いていてカレンと剣士のことを秘密にしていた可能性を疑っていたマリアは考えを改める。

「その様子ですと、本当にお気づきではなかったみたいですね。そちらの従者のお二人と違って」
「なんじゃと……?」

 思いもしなかったことをマリアの口から告げられ、ラシャラは戸惑いと驚きに満ちた目を従者の二人へ向ける。
 ラシャラの視線に気付き、そっと目を逸らすアンジェラとヴァネッサ。その行動がすべてを物語っていた。

「御主等、まさか……」
「すみません。マーヤ様に確証を得られるまではラシャラ様に内緒にしておくようにと……」
「ラシャラ様がこのことを知れば、必ず暴走されるからと……」
「うぐぐっ……」

 実際に暴走しかけた身としては、それ以上なにも言うことが出来ず、ラシャラは唸る。
 マリアがそうと気付いたのは、二人がまったくと言っていいほど驚いてはいなかったためだ。
 それにアンジェラとヴァネッサはともかく、あのマーヤがまったく気付いていなかったとは思えない。
 もしかすると、裏で太老や水穂とも繋がっているのかもしれないとマリアは疑っていた。

「わかったでしょう? 叔母様の件はお兄様にお任せしておけば問題はありませんわ。下手に介入すると、お兄様の邪魔をすることになりかねません。ここは大人しくしておくのが懸命です」
「……納得は行かぬが理解はした。じゃが、それなら何をしに御主はここへきたのじゃ?」

 そんなことを言うために、態々マリアがユキネも伴わずに訪ねてきたとはラシャラも思ってはいなかった。
 一人でやって来たということは、余り人に聞かれたくない内密な話があると言うことだ。
 それにマリアが太老の名前をだしたからには、ゴールド商会の件は本当に問題はないのだろう。
 だとすれば、他に一体どんな目的が? と、ラシャラが警戒するのも当然のことだった。

「ババルン卿の件、どうされるおつもりですか?」
「む、それは……」

 ババルンがシトレイユを訪問するという話は、マリアから聞かされるまでもなくラシャラも知っていた。
 数日前に本国から、その件で連絡があったためだ。実のところ、どうしたものかと頭を悩ませていた案件でもあった。
 マリアがこうして訪ねて来なければ、恥を忍んで太老に相談するべきかと迷っていたのだ。

「協力しませんか?」
「協力じゃと?」
「はい。私たちは未熟です。お兄様やお姉様は勿論のこと、マリエルやマーヤさんにも及ばないほどに……」

 いつになく殊勝な態度のマリアに、ラシャラは訝しげな表情を浮かべながら戸惑いを見せる。
 ライバルと思っているマリアに未熟と言われるのは癇に障るが、太老たちを引き合いにだされるとラシャラも否定は出来なかった。
 太老や水穂は勿論のこと、あらゆる面でマーヤに遠く及ばないことはラシャラ自身もよく理解しているからだ。
 そもそも経験の差が大きすぎる。先々代の頃からシトレイユに仕えているマーヤとでは、比較になるはずもないことはわかっていた。

「ですから協力を持ち掛けています。一人では半人前でも二人で力を合わせれば、お兄様の助けになるかもしれませんから……」

 マリアに何があったのかまではラシャラにもわからない。
 しかし太老の助けになると言われれば、彼女とて聞く耳をもたないわけではなかった。
 太老にずっと助けられてばかりなのはラシャラも同じだ。
 出来ることなら太老の助けになりたいと思う気持ちはマリアと変わらない。問題はその手段だ。

「……具体的な案はあるのか?」
「ババルン卿に対する策は、既にお兄様も講じておられると思います。ですから、私たちは学院の生徒≠ニして裏に徹します。お兄様が心置きなく戦えるように――」

 なるほど、とマリアの話を聞き、ラシャラは納得の行った様子で頷く。

「万が一の事態に備え、女生徒の協力を仰ぐのじゃな?」
「はい。既に協力して頂ける女生徒のリストはまとめてあります。彼女たちには主に非常時の避難誘導をお願いする予定です」

 ババルンが何を企んでいるかまではわからない。
 しかし聖地が危険に晒されれば、生徒にも危険が及ぶだろう。太老がそうした事態を見過ごせるはずがない。
 その場合、自分たちが太老の足枷となる可能性をマリアは憂慮していた。
 だからこそ、事前に生徒の意志を固めておけば、対応も取りやすいと考えたのだ。

「男性聖機師の方はどうするのじゃ?」
「恐らくは、こちらの話など素直には聞こうとしないでしょう。それにダグマイアさんの件があります」

 再び、男子生徒がダグマイアに取り入っているという情報はマリアも得ていた。
 その状況のなかで男子生徒に情報を漏らせば、彼等の口からダグマイアに伝わるのは確実だ。
 そうなったらババルンに要らぬ警戒を与えることになり、マリアたちの目論見も上手く行かなくなる可能性が高い。

「確かにの……キャイアがいないタイミングを見計らって訪ねてきたのは、そういうことか」
「はい。キャイアさんの相手はユキネに頼んであります。彼女を疑いたくはありませんが、万が一の失敗も許されませんから」

 キャイアがダグマイアのことで迷っていることはマリアも理解していた。
 同じ女としては、キャイアが悩む気持ちもわからなくはない。しかし、そのことと今回の件は別だ。
 情報が漏れる可能性が僅かにでもあるのなら、キャイアを仲間に加えるわけにはいかない。
 そんなマリアの話を聞き、ラシャラもこればかりは仕方がないと言った顔で神妙に頷く。

「了解した。我の方でも協力してもらえそうな生徒を当たってみよう。あとは避難場所としてスワンを提供することを約束する」
「感謝しますわ」
「我とて、太老の力になりたいという気持ちは同じじゃ。それにババルンの件は他人事ではないしの……」

 マリアだけに点数を稼がれるのは困ると言うのもあるが、ここで協力を拒めば後で困るのは自分だとラシャラもわかっていた。
 ババルンが聖地で何をしようとしているのかまではわからないが、碌でもないことなのは間違いない。
 聖地への干渉が禁止されている以上、何が起きたとしてもシトレイユが責めを負うことになるのは確実だ。
 ようやくこれからと言う時に、ラシャラはババルンと共倒れをするつもりはなかった。

(キャイアのことも、そろそろどうにかせんといかんな)

 キャイアの自由にさせるつもりでいたが、それもそろそろ限界に近いとラシャラは感じていた。
 どういう答えをキャイアがだそうが、それをラシャラは咎めるつもりはない。
 しかし、その答えによっては、キャイアを護衛機師から解任する必要があるだろう。
 マリアの言うように、いつ裏切るかもしれない者を信用するのは無理があることくらいラシャラもわかっていた。
 そのようなことにはなって欲しくないと思うが、こればかりはキャイアの意思次第なのでラシャラにもどうすることも出来ない。
 そうして溜め息を漏らしていると、マリアが何やら聞きたそうな顔でラシャラの頭の上に視線を向けていた。

「先程から気になっていたのですが、ラシャラさん。その頭の上のはなんですか?」
「ん? これか? 太老が寮を去る時、キャイアの代わりにと置いていった護衛じゃ」
「護衛ですか? その丸い生き物……いえ、生き物なのかわかりませんが……」

 ラシャラの頭の上でぷよぷよと身体を震わせる生き物(?)が護衛と聞いて、マリアは驚きと戸惑いに満ちた複雑な表情を見せる。
 しかし太老がそう言って置いていったのであれば、何か凄い力を秘めているのかもしれないとマリアは思うのだった。





 ……TO BE CONTINUED



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