【Side:太老】
聖地の夏休みは基本的には王侯貴族を除き、旅行や帰省が許されていない。
そのため、ほとんどの学生は聖地で休暇を過ごすのだが、俺はこの休暇を利用して領地に戻ることを以前から計画していた。
周りが優秀で決裁以外の仕事がほとんど回ってこないとは言っても、仮にも領地を預かる貴族だ。余り長い間、領地を留守にするわけにもいかない。
農地の開拓や都市計画について進捗状況が逐一報告書として上がってはいても、気に掛かってはいたのだ。
出来ることなら週一くらいの頻度で様子を見に帰りたいが、移動に一週間も掛かるのではそれも難しい。
それに元の世界にあったような便利な道具を、この世界の技術で再現できないかと模索しているが、余り上手くいっていないのが現状だ。
転送ゲートが使えれば一番いいのだが、まだそこまでの開発は進んでいないからな。
結界工房や教会の秘蔵しているアーティファクトとか見せてもらえれば、いろいろと再現できると思うんだが、そこは追々どうにかしていくしかないだろう。
話が少し脱線したが、そう言う訳で荷造りをしようと思ったら、既にマリアとメイドたちがやってくれていたらしい。
船への積み込み作業も終わっているとの話で、その仕事の速さに驚かされた。
相変わらずハイスペックなメイドたちだ。マリアも「本当に十二歳か?」と首を傾げそうになる気配りの細やかさだ。
とはいえ、荷造りに時間が取られずに済んだのは素直に助かる。最近、競武大会の準備で遅れていた決裁書類を片付けるために仕事に追われていたからな。彼女たちの気遣いに感謝しつつ、俺は空いた時間でドールを誘いに行くことにした。ババルンからは『好きにしろ』と許可を貰ってあるしな。ドールも一緒に領地へ連れて行こうと考えていたからだ。
そのことをマリエルに話すと――
「では、何人かお供を……」
「いいよ。マリエルたちも、まだやることがあるだろう?」
「ですが……」
メスト家の寮にドールを誘いに行くだけの話だ。マリエルたちに付き添ってもらうような話ではない。
ぞろぞろと大勢で押し掛けても迷惑なだけだろう。
それに俺の代わりに旅の支度をしてくれているマリエルたちの手を煩わせたくはない。
「いつでも出発できるように準備だけ進めておいてくれ。こっちは俺がなんとかするから」
「太老様……はい、わかりました。どうか、お気を付けて」
どうにか食い下がるマリエルを説得して、俺はマリアの寮を後にする。
さてと、ドールを迎えに行くとしますか。それに俺も少しは楽しみにしていたのだ。
幾つになっても『夏休み』という言葉の響きは心地よいものだ。気持ちを昂ぶらせてくれる。
久し振りに剣士も誘って、釣りや狩りに出掛けてもいい。ドールも食べ物に目がないから、きっと喜ぶだろう。
何をしようかと長期休暇に思いを馳せながら、俺はメスト家の寮へと向かうのだった。
【Side out】
異世界の伝道師 第268話『フラン姉妹』
作者 193
【Side:マリア】
「お兄様がババルン卿のもとへ?」
「はい。供は必要ないと仰って、お一人で……」
「はあ……お兄様らしいですわね」
マリエルの報告を聞き、私は頬に手を当てながら溜め息を漏らす。
とはいえ、そんなお兄様の行動は、私やマリエルにとって予想の出来たことだった。
心配でないと言えば嘘になる。でも無理についていったところで、足手纏いにしかならないことは理解していた。
だからこそ、私は裏方に徹することを決めたのだ。
「……落ち着いていますわね」
「太老様は決して約束≠違えない方ですから」
マリエルの言葉には迷いがなかった。それほど、お兄様のことを信頼しているのだろう。
マリエルの言うように、お兄様が「供は必要ない」と言ったからには、本当に必要ないのだろう。
コノヱやユキネでも、お兄様からすれば足手纏いにしかならない。
それは周囲に気を遣って戦えるような相手でないことを、お兄様自身が予感していると言うことだ。
「厳しい戦いになりそうですわね」
「はい。ですが……」
「私たちは私たちに出来ることをやるしかない」
私の答えに満足した様子で頷くマリエル。本当にお兄様のことを心から信頼しているのだろう。
少しだけ嫉妬に似た感情が湧き上がる。でも、そんな彼女に負けたくないから強くなると決めたのだ。
私らしく、私にしか出来ないやり方でお兄様を支える。それが私の決めた戦いだ。
お兄様には与えてもらうばかりだった。だから今度は私がお兄様に返す番。
そのためならラシャラさんと仲良くすることも、お母様に頭を下げることも厭わない。
「出航の準備は?」
「整っています。フローラ様からも例の物≠既に配置済みと連絡を受けています」
「そう、なら後は時が来るのを待つだけですわね……」
出来ることなら、こんな備えを使わずに終わることを祈りたい。
でも、そうはならないだろうという予感があった。
世界の趨勢を決める運命の時は、刻一刻と迫ろうとしていた。
【Side out】
【Side:太老】
正木太老です。俺はメスト家の独立寮を目指していたはずだ。なのにどう言う訳か、森の中にいた。
近道をしようと脇道に入ったのだが、それが失敗だったみたいで気付けば森の中にいたんだよな……。
い、いや、迷子じゃないよ? 聖地が広すぎるのがいけないんだ。
それに聖地学院は遺跡のあった場所を再利用して作られたとあって、裏道の方は結構入り組んでいるしな。
こんなことなら、素直にマリエルに案内を付けてもらうんだった。今更ながら後悔しても遅い。
「太老兄! どうしてここに!?」
森の中を流離っていると剣士と遭遇した。どうやらカレンも一緒のようだ。
また、趣味の食材集めでもやってたのか? 何やら様子がおかしい。付き合わされてるカレンも大変だな。
よし、ここは剣士に森の外まで案内してもらえば……いや、ダメだ。迷子になったなんて言えば、義兄の沽券に関わる。
「さすがね……」
なんのことかわからないが、カレンが鋭い視線を向けてくる。
そして「静かに」と俺たちに警戒を促し、木陰に隠れる剣士。俺とカレンも咄嗟に気配を隠す。
すると――
(ババルン? それにユライトとメザイア先生も?)
珍しい組み合わせの三人が、森の中に姿を見せた。
ババルンとユライトはまあわからなくもないが、メザイアまで一緒と言うのはよくわからない組み合わせだ。
教会からの案内役と言うならユライトだけで十分のはずだし、どう言う関係だ?
(あれ? これって、もしかしなくても結構まずいところを見てしまったんじゃ?)
真剣な表情で様子を窺う剣士とカレンを見て、嫌な予感が頭を過ぎる。
メザイアはキャイアの姉だ。ようするにシトレイユの人間。そしてキャイアはラシャラの護衛機師をしている。
ついでに言うと、そのラシャラはババルンと派閥の違いから対立していて、余り関係が良好とは言えない状況だ。
そんななかでメザイアがババルンと密会をすると言うのは、周囲に要らぬ誤解を与えかけない。
いや、もしかしたら誤解ではない可能性もある。メザイアが貴族派の人間という可能性も考えられないわけではないからだ。
このことが知れれば、メザイアだけの問題ではなくキャイアの立場も悪くなるだろう。
ドールのこともまだ片付いていないと言うのに次から次へと……とはいえ、
「お前たちは、どこまで知ってるんだ?」
ここに剣士たちがいると言うことは、恐らくババルンたちの密会を嗅ぎつけてきたのだろう。
となれば、何か事情を知っている可能性が高い。ラシャラのためにも確認を取っておく必要があると考えた。
「すべて、お見通しってわけね」
そんな俺の問いに「降参」と口にしながら、カレンは知っていることを話し始める。
やはりメザイアはユライトと繋がっていて、ババルンの協力者の一人らしい。
以前からゴールドの指示で、ずっとメスト家の周囲を探っていたそうだ。
(やっぱり母親ってことか……)
ラシャラは母親を苦手としているみたいだが、ゴールドは娘のことを気に掛けていたのだろう。
だから剣士とカレンを聖地へ送り込み、ラシャラと対立するメスト家の情報を探らせていたに違いないと俺は考えた。
親の心子知らずって奴だな。ババルンとダグマイアの件もそうだが、本当にままならないものだ。
しかし、やはりメザイアは貴族派の人間なのか……。
勿論、誰に味方するか、どの派閥に所属するかなど個人の自由だ。しかし姉妹で対立する派閥に所属すると言うのは問題だ。
当然、スパイの可能性を疑われるだろうし、裏切りの危険性を指摘されかねない。
そのことを考えれば、メザイアがババルンとの関係を隠していたのもわからなくはない。
だが知ってしまった以上は、このまま放って置くと言う訳にもいかなかった。
「悪いが、この先のことは俺に任せてくれないか?」
「……太老兄?」
ゴールドに任せると言う手もあるが、彼女はいざとなればキャイアのことを切り捨ててでも娘のことを優先するだろう。
でも、それではダメだ。キャイアを切り捨てるような真似をすれば、きっとラシャラは負い目を感じてしまう。
よかれと思ってしたことでも、親子の間に再び大きな溝が出来ることは想像に難しくない。そんな未来を俺は望んでいなかった。
「本気なのね?」
「ああ」
確認を取ってくるカレンに、俺は真剣な表情で答える。
そんな俺の覚悟を察してくれたのか? カレンは「男の子なのね」と呟きながら苦笑する。
そして――
「剣士くん、行きましょう」
「でも……太老兄を一人にするのは……」
「お兄さんが心配なのはわかるけど、男の覚悟に水を差すものじゃないわよ」
「いや、そう言う訳じゃなくて……」
渋る剣士をカレンは無理矢理引き摺っていった。
剣士があんなにも俺のことを心配してくれていただなんて少し意外だったが、俺が思っている以上に慕ってくれてたんだな。
家族の気持ちに気付いていなかったのは、俺も同じと言うことか。ラシャラやダグマイアのことは言えないな。
「さてと……」
覚悟を決めると、俺はババルンたちの後を追って森の奧へと向かうのだった。
【Side out】
「そう、いいわ。ババルン卿のことは彼に任せましょう。あなたたちはラシャラちゃんに協力してあげて」
剣士とカレンが暮らす独立寮の執務室で、カレンから通信での報告を受け、ゴールドは小さな溜め息を漏らす。
太老に上手く貸しを作ることが出来ればと考えていたのだが、そう上手くは行かなかった。
やはり油断のならない人物だと、ゴールドは太老の評価を再確認する。
もしかしたら、自分たちの思惑にも気付いた上で、買収の話を受けたのかもしれないとゴールドは考える。
だが、もしそうだとしても、ここで降りるわけにはいかなかった。
「剣士くんの話が真実だとすれば……彼なら、私の夢を叶えることが出来るかもしれない」
ゴールドは以前から、教会に管理されたこの世界の在り方を窮屈に感じていた。
大国と言えど聖機人を防衛の要とし、教会からの技術供与に頼っているという現実は変わらない。多くの知識を教会に握られている状況では、実用可能な技術を開発するのに途方もない時間と金が掛かる。そうして開発に成功した技術も、教会の管理する先史文明の技術には遠く及ばないのが実情だ。だからこそ積極的に技術開発に取り組む国は少なく、聖機師の育成と確保に予算が割かれるのは必然だった。
ならばと商会を興してはみたが自由になる金があったとしても、教会に対抗できる一流の技術者というのは簡単に集まるものではない。聖機工と呼ばれる優秀な技術者は、教会の管理下にあることが大半だからだ。
当然、教会のやり方に馴染まない人間もいるが、そうした人間は貴重なこともあって〈結界工房〉などの組織や国が引き抜いてしまうため、一介の商会が囲い込むことは難しい。そのため正木商会のように、次々にアイデアを実現できる知識と技術力を有した商会というのは、珍しいを通り越して本来であればありえない存在だった。
だが、それを可能とした男がいる。それが正木太老だ。
自分に出来なかったことを容易くやってのけた太老に、ゴールドが興味を持つのは自然な流れだったと言えるだろう。
ゴールドが求めているのは、太老の聖機師としての資質ではない。
黄金の聖機人は確かに凄いが、聖機人は聖機師であれば誰でも動かせる代用のきくものだ。
太老の真価は目に見える強さなどではなく、理想を夢で終わらせない知識量と発想力にあるとゴールドは考えていた。
この世界の在り方を変える。それも表面的なものではなく、根本から大きく変えるには外からの大きな力が必要だ。
これまでの異世界人にはなかった力。可能性。それをゴールドは太老に見出していた。
「あなたの持つ可能性を見せて頂戴。もし、あなたが私の夢を叶えてくれるなら」
――すべてを差し出してもいい。
期待に満ちた表情で、ゴールドは結果を待つのだった。
……TO BE CONTINUED
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