「――太老ッ!」

 聖機神の腕の一撃で場外に飛ばされながら、太老の名前を叫ぶドール。
 そして壁に叩き付けられる前に機体を安定させ、どうにか体勢を立て直すと、

「――ッ!?」

 大きな揺れと共に壁や天井に亀裂が走り、遺跡へと通じる道が崩落し、ドールは咄嗟に元来た縦穴へと退避する。
 だが、それで終わりではなかった。直上から瓦礫の雨が降り注いだからだ。
 恐らく地上の遺跡が崩落したのだろう。
 この様子では、学院にも大きな被害が及んでいる可能性が高い。
 だがそんなことよりも、ドールには他に優先すべきことがあった。

「こんな岩くらい!」

 遺跡への通路を塞ぐ大岩を破壊しようと、全力で剣を振り下ろす黒い聖機人。
 キャイアの姉として育ったメザイアと違い、ババルンの駒として裏の顔を担ってきたドールには自由がなかった。
 だから本当は心のどこかで、何も知らず自由に振る舞うことが出来るメザイアを羨ましく思っていたのかもしれない。
 そんな風に自分の気持ちを自覚するようになったのは、太老と出会ってからだ。

 太老に言われて侍従の真似事をさせられたり、制服を着て学院に通ったりもしたが……本当のところは嫌ではなかった。
 むしろ、初めての経験に戸惑いながらも、メザイアではなくドールとして体験する何気ない日常を彼女は楽しんでいた。
 コアが完全に覚醒しながらも、未だにメザイアの意識との統合が進んでいないのは、それが理由だろう。
 一つになることを、メザイアが――ドールの意思が拒んでいるのだ。
 コアに宿る人格――蓄積された経験と記憶の残滓に過ぎない自分が、こんな感情を持つようになるとはドールも思ってはいなかった。
 でも、この気持ちを知ってしまった今では、ババルンの言いなりに、人形に戻ることは出来ない。
 きっと呆れられるだろう。命令に従わない人形(ドール)は価値がないと、廃棄されるかもしれない。それでも――

「太老! 私はまだ――」

 ババルンに逆らうことになっても、太老を失うことをドールは恐れていた。
 この感情がなんなのかはわからない。
 でも、太老を助けたい。太老が助けてくれたみたいに――私は!

「防護障壁!? 違う。これは――」

 黒い聖機人の一撃を、目に見えない障壁のようなものが防ぐ。ドールには、それが何かすぐにわかった。
 ガイアを封じていた結界だ。
 時間さえも凍り付かせる結界。物理的な破壊は絶対に不可能とされているものだった。
 聖機神の亜法結界炉を暴走させ、生き埋めにした後に空間凍結の結界で完全に動きを封じる。
 最初から太老をここに足止め――いや、聖機神ごと封印することがネイザイの狙いだったのだとドールは気付く。

「ネイザイ……アンタはまた……」

 自分の身を犠牲にして、聖機神を封じた人造人間。ネイザイが過去にやったことと同じだ。
 強大な力を持ち、傷一つ負わせることが出来なかったガイアに対し、当時の者たちが出来たのは結界に封じることだけだった。
 今度もまた自分の身を犠牲にして、ネイザイは聖機神の封印を試みたのだろう。
 それしか、太老を止める方法がなかったと言うことだろうが――

「バカよ……アンタは、どうしてそう勝手なのよ!」

 蘇るのは数千年前の記憶。
 炎に包まれる街を闊歩する巨人の群れ。荒廃する世界。そして――
 ガイアとの戦いで傷つき、目の前から姿を消した戦友の姿が、ドールの記憶には朧気に残っていた。





異世界の伝道師 第275話『零』
作者 193






【Side:太老】

 ビビった。正直、今回は本気でダメかな? と思ったけど、どうにかなったみたいだ。
 ビバ! ヤタノカガミ!
 まさか、黄金の聖機人の頑丈さに感謝する日が来ようとは……あっ、聖機神だっけ?
 そっと腕を動かし視線を落とすと、そこにはネイザイの姿があった。
 五体満足とはいかないが、どうにか生きているみたいだ。
 うん……生きてるよな? ピクリとも動かないみたいだけど……って、あれ?

「……もしかして時間が止まってる?」

 よく周囲を観察してみると、崩れ落ちた瓦礫が宙で停止している姿が見て取れた。
 この現象……どうやら時間が止まっていると見て、間違いなさそうだ。
 そういう亜法があるようなことは知っていたが、実際に目にするのは初めてだ。
 まあ、うちでも食材を腐らせないために同じような技術を使っているので、珍しいという程でもないんだがな。
 先史文明の遺跡という話だし、そういう仕掛けがあっても不思議ではない。不幸中の幸いと言う奴だな。
 あのままだと、完全に瓦礫に埋まっていた。ネイザイも瓦礫の下敷きになって死んでいた可能性が高い。

 え? 時間が止まっているのに、俺はなんで動けるのかって?
 ううん……慣れ? 鷲羽(マッド)の工房って、この手のトラップが普通にあるから……。
 いや、真面目な話、凍結された時間のなかでも動く方法はあるんだよ?
 特に『皇家の樹』と契約を結んでいる樹雷の皇族なんかには、この手の結界は通用しないからな。
 それより問題はネイザイの方だ。なんでこんな無茶をしたんだか……。

「そういえば、ユライトとネイザイって一つの身体を二つの人格で共有してるんだっけ……」

 多重人格などではなく文字通り複数の精神体が一つの身体を共有しているケースは他にも例がある。砂沙美やノイケなんかがそうだな。
 あの二人は最終的に意識を統合することを望んだが、ユライトとネイザイの場合はなあ……。
 専門家じゃないので確かなことは言えないが、本来は二つの精神体を一つに統合するのは余り勧められるものではない。
 元は同じアストラルから分化したノイケや、幼い頃に死にかけて津名魅と同化した砂沙美とでは状況が大きく異なる。
 ましてや男性と女性という性別の異なるアストラルを持つ以上は、完全な統合は難しいと思っていいだろう。
 無理に統合しようとすれば、精神に変調をきたす恐れもあるからな。

 雌雄同体と言う意味では、神我人なんかもそうなんだが……ああ、神我人って言うのは昔、鷲羽の助手をしてた科学者だ。
 実は鷲羽の親友だった凪耶のクローンだったり、その神我人から分化した女性体部分がノイケの誕生の秘密だったりするのだが、話が長くなるので詳しい説明は割愛させてもらう。
 ようするに異なる人格を統合するというのは、それなりのリスクがあると理解してもらえればいい。
 一番確実な方法は別の器を用意して、そちらにアストラルを移植することだが、現状の設備ではそれも難しい。
 だからラシャラの父親や、ユライトとネイザイのことは棚上げになっていたのだが――

「もう少し、真面目に考えてやるべきだったのかもな……」

 商会のこと以外にもやることが多く、忙しさを理由に後回しになっていたことは否定できない。
 なんでも出来る。すべてを救えるなんて傲慢な考えは持っていないつもりだ。
 一人の人間に出来ることなんて高が知れている。自分の身を犠牲にしてまで、赤の他人を救おうなんて高尚な考えも俺は持っていない。
 それでも、もう少し真面目に相談に乗ってやるべきだったかと、聖機神の腕のなかで横たわるネイザイを見て思わせられる。

「せめて、船があればな……」

 あちらの世界に残してきた船。鷲羽が俺のために造ってくれたという船が頭を過ぎる。
 俺が鬼姫の誘いで宇宙に上がってから、短い期間ではあるが乗っていた船だ。
 かなり不安ではあるのだが、あの船なら十分な設備が整っているしな。
 まあ、ないもの強請りか。そんなことを考えていると、

 ――呼びました?

 ふと、そんな声が聞こえた気がした。

【Side out】





「この反応は……」
「鷲羽様? どうかされたのですか?」

 無数に展開された空間モニターと睨み合いをしながら、難しい顔で唸る鷲羽に黒髪の女性は尋ねる。
 彼女の名は、正木かすみ。遥照の血を引く一族の末裔にして、太老の生みの親だ。
 親らしいことは何一つしてやれなかったと思ってはいても、腹を痛めて産んだ子供だ。心配でないと言えば、嘘になる。
 そのため、時々こうして様子を見に来てはアカデミーに通っていた経験を活かし、鷲羽の手伝いをしていた。

「いや、まあ……零式の反応を捕捉したんだけどね」

 鷲羽の話に、かすみは目を瞠る。
 工房のドッグから姿を消した『守蛇怪・零式』の行方を鷲羽が追っていたのは知っていたが、以前と行方は知れないままだったのだ。
 恐らく太老を追って行ったのだろうという結論はでたが、それ以上のことは何もわかっていないと言うのが正しかった。
 その反応を捕捉したというのは大きな進展だ。

「やはり、太老のもとへ?」
「最初はそう思ってたんだけどね。どうやら位置を捕捉されるのを警戒して、次元の狭間に身を隠していたみたいでね」

 皇家の船や魎皇鬼のように意思を持つ船とはいえ、行動力が普通ではない。
 鷲羽の工房から姿を消したこともそうだが、その追跡から逃れることが出来る船と言うのは常識を疑うものだ。
 謂わば、製作者の意図を無視し、予想を超えた行動を取っていると言うことになる。
 それも鷲羽の目を欺くほどに知恵が働き、学習しているとなると相当に厄介な存在だ。
 この場合、零式を作った鷲羽が凄いのか? それとも船はマスターに似ると言ったところか?
 かすみがどう反応していいかわからないと言った様子で、複雑な心境を顔に滲ませるのも無理はなかった。

「太老の呼び掛けに反応したみたいだね。えっと、現在位置は……」

 慣れた様子で手元の端末を操作し、零式の現在位置の特定を急ぐ鷲羽。
 だが状況に進展があったことを喜んでいたのも束の間、その表情が「むむ……」と段々険しい方向に変わっていく。

「この場合、卵が先なのか、鶏が先なのか……。いや、でもそれなら、こちらから干渉できない理由も……」
「……鷲羽様?」

 ブツブツと呟き、何か一人で納得した様子で思考に耽る鷲羽を、かすみは訝しむ。
 しかし、こうなったら考えがまとまるまで、何をしたところで反応がないことはわかっていた。
 すっかり冷めた湯飲みを盆に載せると、かすみは工房をでて台所へと向かうのだった。


  ◆


「学院が……」

 船で港を離れるマリアたちの目には、地響きと共に崩壊する聖地の姿が映っていた。
 どうにか避難は間に合ったが、あのまま学院に残っていれば命を落としていた可能性が高い。
 まさに危機一髪と言ったところだ。だが、ここまでの被害を受けてしまうと、学院の再建は難しいだろう。

「多額の賠償金を請求されそうですわね……」
「何故、我を見ながら言うのじゃ!?」
「シトレイユはラシャラさんの国でしょ? ババルン卿のしでかしたこととはいえ、責任は免れないと思いますわよ?」
「ぐっ……」

 マリアの言っていることは正しく、ラシャラも納得せざるを得なかった。
 事実、ババルンはシトレイユの宰相だ。幾らなんでも無関係を装うには無理がある。
 ラシャラの国での立場や、避難に協力した点などは考慮されるだろうが、それでも責任を回避できるほどではない。
 最低でも教会への賠償や、各国の要人を危険に晒したことに対する慰謝料程度は工面する必要があった。
 それも個人で支払えるような金額ではなく国家規模の――途方もない額を請求されることは想像に難くない。
 難しいとはいえ、学院の再建にも力を貸す必要があるだろう。

「そうね。恐らくは……このくらいじゃないかしら?」

 懐から取り出した算盤で予想される金額の見積もりをはじき出し、それをラシャラに見せるゴールド。
 すると、ラシャラの顔から血の気が引いていく。

「ほ、法外じゃ!? なんじゃ、この額は!」
「妥当な額だと思うわよ? むしろ、この程度で済んだのは対応が早かったお陰ね。最悪、戦費負担のためにシトレイユが共同管理されていた可能性もあるのだし、マリアちゃんに感謝した方がいいわよ?」
「ぐぬぬ……!」

 可能性としては十分に考えられる事態だけに、ラシャラもゴールドの言葉に何も言えなくなる。
 避難が速やかに行われたことが、被害を最小限に食い止められた理由として大きかった。
 もし建物だけでなく生徒に被害者がでるような事態に陥っていれば、いま以上に面倒なことになっていたのは間違いない。
 その点で言えば、最初に避難計画を提案したマリアの貢献度は高いと言えるだろう。

(まあ、その時はその時で、やりようはあるけどね)

 もっとも、そのような事態に陥るようならゴールドは裏から手を回し、密かにシトレイユの実権を握り直すつもりでいた。
 今回の件はババルンがしでかしたことではあるが、教会もガイアのことを各国に隠していた事実がある。
 それに各国の要人を預かる立場にありながら聖地の防衛力を過信し、警戒を怠っていたことも事実だ。こうなる前に打てる手は他にもあっただろう。
 自分たちの力を過信し、情報の共有と各国との関係の構築を怠ったことが、こうした事態を招いた原因の一つとも言える。
 教会側の責任がないとは言えない以上、そこを追及すれば賠償の減額と、各国への慰謝料についても教会の負担を求めることは難しくないだろうとゴールドは見ていた。
 相手の弱みにつけ込み、搾り取れるだけ搾り取る。それがゴールドのやり方だ。その点で言えば、まだまだラシャラは経験が浅い。

「ラシャラさんのことは置いておくとして……叔母様。剣士さんとカレン先生のことですが――」

 白い聖機人と白銀の聖機人の逸話については理解できた。しかし、まだ剣士とカレンのことで納得の行く説明を受けたわけではない。
 どういう思惑でゴールドがカレンだけでなく剣士を保護していたのか、具体的な説明をマリアは求めていた。
 そんなマリアの意図を察して、ゴールドはどう答えたものかと困った顔を浮かべる。そして――

「何も知らない剣士くんが、ババルン卿に利用されるのは可哀想だと思って……」
「嘘ですね」
「嘘じゃな」

 マリアだけでなく、いつの間にか立ち直った娘にまで一刀両断されて、ゴールドは頬を引き攣る。
 下手な誤魔化しや嘘は許さないと言った迫力で二人に迫られ、さすがのゴールドも少したじろぐ。
 普段、仲の悪い二人がこんな風に結託してゴールドに説明を求めているのは、太老のことを想うが故だった。
 剣士を使って、太老を利用しようとしているのではないかと疑っているのだ。
 当然そのことはゴールドもわかっていた。
 だが、

(否定したところで信じてもらえないでしょうしね……)

 二人の自分に対する信用がゼロと言うことはゴールドも理解しているので、どう誤解を解いたものかと悩む。
 そうした思惑がなかったわけではないが、実際のところ太老自身をどうこうするつもりはゴールドにはなかった。
 むしろ、恩を売りたいとすら思っている。ラシャラとマリアの邪魔をするどころか、協力してもいいとさえ考えていた。
 そのために自分の興した商会を差し出すような真似もしたのだ。

「二人とも誤解しないで欲しいのだけど――」

 ゴールドが二人の誤解を解こうとした、その時――
 聖地の上空に巨大な光輪が現れ、大地に眩い光が射した。
 突如、現れた未知の現象にゴールドへの追及も忘れ、マリアとラシャラは船の外へと視線を向ける。

「なんじゃ、あれは……」
「光の輪? いえ、あれは……」

 輪を形成していた光の輪が、天使の羽のように広がっていく。
 嘗て、聖地の闘技場を消滅させた力。
 三対、六枚の光の翼。

 それは――





 ……TO BE CONTINUED



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