【Side:ファリン】

 裾にフリルをあしらった淡い桜色のワンピース。以前、すずかちゃんに選んでもらった私のお気に入りの衣装の一つ。いつも仕事で着ているメイド服と違う外出用の私服に身を包み、私ファリン・K・エーアリヒカイトはノエルお姉様の代わりに、すずかちゃんを迎えに駅前のビルにあるお稽古教室に向かっていた。
 いつもはアリサちゃんの車で送り迎えをしてもらうことの多いすずかちゃんだけど、今日はそのアリサちゃんに急用があるとかで、朝はお姉様が車ですずかちゃんを送っていった。
 帰りもお姉様が迎えに行く予定だったところに、忍様の用事が入ったとかで私がその代わりを命じられたと言う訳だ。

「すずかちゃん、そろそろお稽古が終わる時間かな? 少し急がないと」

 腕時計を確認して、早足で目的地に急ぐ。
 私は免許がないので、ノエルお姉様のように車の運転が出来ない。だから移動はバスと徒歩が主な交通手段。月村家は大きなお屋敷だけど、常駐している使用人は私とお姉様の二人だけなので、こうした時に少し不便だった。
 とはいえ、それも月村の事情を考えれば、ある意味で仕方のないこと。他人を家に招き入れるということは、それだけ家の中のことが外に漏れる危険度も上がる。お二人の世話を私とお姉様の二人だけで行っているのは、月村家の秘密を外部に漏らさないためでもあった。

「ファリン、こっちだよ」
「すずかちゃん、ごめんなさい。お待たせしちゃって……」

 忍様と同じ紫色の長い髪。物腰柔らかな、ほんわかとした雰囲気の美少女。
 月村すずか――彼女が私のご主人様。そして大切なお友達。
 予定より少し遅れてしまったみたいで、もうビルの入り口で待っていたすずかちゃんに頭を下げて謝った。

「それほど待ってないから大丈夫だよ」

 いつものように優しい笑顔で、『大丈夫だよ』と言ってくれるすずかちゃんの言葉に励まされ、ほっと安心させられる。こうしてみると、改めて立場が逆だと気付かされる。
 私はメイド。すずかちゃんは私のご主人様。だけど何故か立場が逆転していることが多い。
 私の失敗をすかさずフォローしてくれるのは、いつもすずかちゃんだった。
 一応は私の方が年上なのに、すずかちゃんの方がずっと大人びて見えるのは、その所為もあるのだろう。
 メイドとしては情けなく、友達としては嬉しくもあり……正直複雑な気持ちだった。

「それよりも今日はファリン一人? ノエルは?」
「お姉様は忍様の用で一緒に出掛けてます。だから私が代わりに」
「お姉ちゃんの用事?」

 私の話を聞いて、すずかちゃんは不思議そうに首を傾げた。私同様、忍様やお姉様から何も聞かされていないのだろう。
 忍様とお姉様が二人で出掛けるのは珍しい話ではない。単なる主と使用人という枠を超え、まるで本当の姉妹のように心が通じ合った二人だ。映画や旅行なんかにも、二人で出掛けられることがある。最近は恭也様がその二人の中に加わり、以前にも増して仲の良い様子が窺えた。
 だけど話が急すぎる。朝の時点では、すずかちゃんを迎えに行くのはお姉様になっていたことからも、突然思い立って行動に移したかのような計画性の無さだ。
 忍様やお姉様の行動にしては杜撰すぎる。余程急を要する用事だったか、もしくは私達に聞かれたくない話の内容だったか、何れにしても今回に限って言えば、私も二人の行動は怪しいと考えていた。
 私が気付くくらいなのだから、すずかちゃんが気付かないはずがない。

「ファリンは、何か聞いてないの?」
「私は何も……すずかちゃんは?」
「何も聞いてない……。でも……」

 何か心当たりがあるのか、不安と心配の入り交じった複雑な表情を浮かべるすずかちゃん。
 メイドとしての義務感ではなく、友達として心配事があるなら相談に乗ってあげたい。
 でも、どうしたらいいか迷っていたところで、足下で『にゃあ』と猫の鳴き声が聞こえた。

「ロデム? どうしてここに?」
「へ? まさか、私の後をついて――」

 喉を鳴らしながら、幸せそうにすずかちゃんの足に身体を擦りつける黒猫。
 屋敷で留守番をしているはずのロデムが……何故か、そこに居た。

【Side out】





異世界の伝道師外伝/マッドライフ 第9話『月村の秘密』
作者 193








「ううん……」
「大丈夫ですか? 忍お嬢様」
「多分、きっと、恐らくは……ギリギリ大丈夫だと思いたい」

 濡れたタオルをギュッと絞り、ぐったりとソファーで横たわる忍を看病するノエル。
 時刻は昼の三時過ぎ――ここは高町家のリビング。
 忍とノエルが高町家を尋ねてから三時間以上が経過していた。

「ふんわりサクサクのシューに滑らかな舌触りのクリーム。やっぱり翠屋のシュークリームは最高よね」

 三種類のクリームをブレンドしたオリジナルのシュークリームは、翠屋を代表するお菓子。
 買い物帰りや学校帰りの女性客の増える夕方には、完売必至の人気商品だ。
 アリサのお土産のシュークリームを口一杯に頬張り、ご機嫌の笑みを浮かべる桜花。
 甘くとろけた表情が、そのシュークリームの美味しさを物語っているかのようだった。

「林檎お姉ちゃん達にも食べさせてあげたい味ね」
「林檎? 前に言ってたお姉さんのこと?」
「うん。そのうち顔を合わせる機会もあると思うから、その時に紹介するわ」

 二つ目のシュークリームを口にしながら、アリサの質問に答える桜花。
 そんな桜花とアリサのやり取りを、忍はソファーに横になりながら眺めていた。
 目の前の少女が平田桜花。忍が会いたかった、確かめたいことがあった少女だ。
 何故、アリサが一緒にいるかとか、あの結界はなんなのか、とか色々と聞きたいことはあったが、忍が今一番知りたいことは桜花の正体だった。

「少し良いかしら? そろそろ、あなたのことを教えて欲しいのだけど?」
「どこにでもいる可愛らしい普通の女の子よ?」

 それは無理がある、と言った顔で胡散臭そうな顔をするアリサ。
 全く意に介さない様子で、真面目に答えようとしない桜花の態度に、忍も我慢の限界を感じたのか、こめかみをピクピクとひくつかせる。それでも相手は子供と思い、グッと怒りを抑えている様子が窺えた。
 しかし、忍も遊びで来たわけではない。白を切られたからといって、すんなりと手を引くわけにはいかなかった。

「色々と気にしているみたいだけど、私から見たらそっちの方が不審者よ。不法侵入をした相手を、こうして助けてあげただけでも感謝して欲しいくらい。その所為で、アリサの訓練プログラムも途中で切り上げることになったし……」
「あたしは、あそこで終わってくれて助かったけど……」

 忍とノエルの乱入のお陰で桜花の特訓から解放されたアリサは、忍達に感謝しているくらいだった。
 怪我を負ったらアイテムで治療。体力が限界に達したら怪しげなドリンクで回復。
 休憩も気絶も許してもらえない地獄のような訓練内容。
 現実時間では数時間のことだが、加速空間の中ではその数十倍という時間が経過していた。

「後日、今日の続きをちゃんとするからね」
「まだやるの!?」
「当然。アリサ筋がいいから、ちゃんと訓練をすれば強くなれると思うよ。ただ、余りやり過ぎると歳を取るから、気をつけないといけないけど」
「……歳を取る?」
「加速空間の中は時間の流れを速めているだけだからね」
「ちょっ! そういうことは前もって言いなさいよ!」
「そうよね。少女じゃなくなったら、魔法少女になれないし」
「そういうことじゃなああああっい!」

 心底疲れたと言った様子で、アリサはぐったりと肩を落とした。
 筋が良いと言われて悪い気はしないアリサだったが、またあの地獄の特訓が待っているかと思うと気が重い。ましてや、年頃の女の子が歳を取るなんて言われれば尚更だ。
 心なし背も少し伸び、胸も成長した気が…………いや気の所為、ツルペタだった。
 途中で訓練を切り上げたため、実質二百時間くらいしかまだ使用していない。幾ら成長期とは言っても、そんな短時間で見た目が大きく変わるはずもない。ただまあ、繰り返し使用すれば歳を取るのは確実だ。早く大人になりたいとは思っていても、女としては複雑なアリサだった。

「で、不審者さん達。名前くらいは教えて欲しいのだけど?」
「……月村忍よ」
「ノエル・K・エーアリヒカイトです」
「月村?」
「すずかのお姉さんよ」
「ああっ、それで。雰囲気は似てないけど、髪の色とか確かに面影はあるかも」

 すずかの姉だとアリサに聞かされて、桜花は合点が行った様子でポンッと手を叩いた。
 何か事情があるとは思っていたが、高町家の関係者ということなら話は早い。

「私は平田桜花。でも、なんで道場の方に?」
「あれはチャイムを押しても誰も出て来ないから……。それに私はてっきり恭也が――」
「恭也が?」

 いつも肝心なところで、こうした初歩的なミスをするのが忍の欠点だ。意気込んで乗り込んできたものの桜花にペースを乱され、忍はいつもの調子を掴めないでいた。
 これでは、どちらが大人か分からない。見た目には大人と子供ほどの差があるのに、明らかにペースの掴み方や言葉のやり取りの上手さは、忍の上を桜花は行っていた。
 見た感じはアリサやすずかと変わらない子供。だけど、交渉に長けた熟年者を相手にしているかのような、そんな錯覚さえ感じさせられる。身に纏っている雰囲気が明らかに子供のそれとは違っていた。
 大人びていると言うよりは、大人が子供の殻を被っているかのような不自然さ。どんな風に育てば、こんな子供に育つのか? 忍には全く理解できなかった。

「忍さんは、なのはのお兄さんと付き合ってるのよ」
「ああ、そういうことね」

 アリサから話を聞かされて、『なるほど』と納得する桜花。
 忍が勝手に道場にまで入ってきた理由は、その説明で自ずと理解できた。
 大方、恭也が道場に居るとでも勘違いしたのだろうが、『虎の穴』を展開しているところに入ってくるなんて運が無い。タイミングは最悪と言っても良いほどだった。
 桜花がアリサの特訓に使用した『虎の穴』は、『魔法少女大全』同様に『伝説の哲学士の後継者』が作り上げた特別製の訓練シミュレーター。
 あらかじめ設定された難易度(ランク)に応じてフィールド内に罠や幻影を作り出し、対象者を翻弄する非常に厄介な代物。
 技術や体力は勿論、突発的な状況に対応できる柔軟な判断力が要求される……非常に高度な訓練プログラムだった。

「そんなに恐い顔しなくても、ちゃんと教えてあげるわよ。まあ、条件はあるけど」
「……条件?」
「ここを尋ねてきた理由、あなた達の秘密。それを先に聞いてからね」
「――ッ!」

 カッと忍の目が見開く。ノエルも主の動きに呼応するように身構えた。

「やはり、私達の正体を知っていて近付いたのね! 狙いは何? すずかに近付いた目的は――」

 もしかしたら、と考えてここまでやってきた勘が当たっていたことに酷く動揺する忍。
 月村の秘密がバレている。そう考えた忍は、目の前の少女に強い危機感を抱いた。
 道場に張り巡らされた結界。子供とは思えない物言いと態度。この少女は異常だ。
 ――なんのためにすずかに近付いたのか?
 その答え次第ではここで――と、忍は瞳を紅く染めた。

「当たってたみたいね。でも、いいの? ここにはアリサもいるけど?」
「……え?」

 紅い眼をしたいつもと雰囲気の違う忍を見て、アリサは「え?」と繰り返し混乱する。
 アリサが一緒だということを忘れるほど、忍は桜花にペースを乱され、取り乱していた。
 すずかが親友にさえ話していない月村の秘密。その一端を垣間見てしまったアリサ。
 しまったと言った表情を浮かべ右手で顔を覆い、忍は自分のうっかりさを呪った。


   ◆

「夜の一族に、遺失工学の遺産ね。ジュエルシードといい、非常識な世界ね」
「桜花……アンタが言うと説得力に欠けるわ」

 アリサのツッコミが素早く飛ぶ。非常識の塊に言われると説得力に欠けた。
 忍から聞かされた月村の秘密に、納得が行った様子で頷く二人。だが、余り驚いた様子はない。あっさりと自然に受け入れている二人を見て、寧ろ驚かされたのは忍の方だった。

「驚かないの? その、すずかのこととか……」
「あはは……。驚いてないっていうと嘘になりますけど、もっと非常識なのを知ってるんで」

 チラリと桜花の方を見て、そう話すアリサ。
 魔法とか、異世界とか、桜花とか、更には親友が魔法少女になっていたり……非常識なものをここ数日立て続けに見せられてきたアリサからすると、忍やすずか、それにノエルとファリンが人間じゃないと告白されても驚くほどの話ではなかった。
 非常識なものに関わり続けると、こうしたことにも免疫力がつくらしい。

「……アリサ。訓練メニュー追加ね」
「ええっ!?」

 夜の一族――それは人間離れした高い身体能力や並外れた回復能力を持つ代わり、人間の血を必要とする吸血種。遺伝子障害によって生まれた定着種であるために体内の栄養バランスが悪く、鉄分――主に完全栄養食としての血を必要とすると言うのが、夜の一族に詳しい専門家の見解だった。
 それが月村姉妹が、生まれた時からずっと隠し通してきた月村家の秘密。
 ノエルとファリンは、その夜の一族の祖先が作り出した遺失工学の自動人形。
 忍が同じく一族の血を引く叔母からプレゼントされた際、趣味と特技を活かして動くようにレストアしたものだった。

「このことを知ってしまった二人には、一族の掟で選択してもらわないといけないの。このことを忘れるか、それとも秘密を守り、私達と一緒(とも)に生きていくかどうかを」

 友達として、恋人として、家族として、カタチはどうとでも構わない。
 一族と秘密を共有して生きていくことを誓約する――
 それが秘密を知ってしまった人間が、記憶を失わずに済む唯一の方法だった。
 夜の一族はずっとそうして秘密を守り、人間社会に溶け込んで生活を送ってきた。
 殆どの人間は自分達とは違うものを恐れ、疎ましく思う。正体がバレた後に待っているのは、人間達による差別と迫害だ。身を守るため、自分達の力が利用されないために、忍達は普通の人と違うことを人間達に知られるわけにはいかなかった。
 夜の一族の特異性を理解し、秘密を共有してくれる家族や友人を除いて――

「すずかはあたしの親友ですから忘れることなんて出来ませんし、すずかが困るようなことを誰にも言いせん」
「私にとっても、すずかは友達だしね。秘密にしておきたいことを言ったりしないわ」

 アリサと桜花は迷わず、秘密を誰にも話さないと忍に約束をした。
 そのことに、ほっと忍は胸を撫で下ろす。一番恐れていたのは、すずかを悲しませることだったからだ。
 すずかと仲が良く顔を見知っているアリサはともかく、桜花は面識が薄く忍にとって全く未知の存在。秘密を自分の口から明かすことになったのは成り行きのようなものだが、どう転ぶかは半ば賭けのようなものだった。
 それに直感のようなものだったが、強引に記憶を消せるような相手とも思えない。人外の高い戦闘力を持つノエルと自分が二人掛かりで挑んでも、目の前の少女に絶対に勝てるという自信を忍は持てなかった。

「一つ訊いてもいいかしら?」
「何?」
「あの結界の中で見た自動人形……あれは一体なんなの?」
「ああ……あれは、あなた達の記憶が作り出した幻影(プログラム)ね」
「プログラム? あれが? そんな高度な技術、遺失工学にも存在……」
「それはそうよ。私、この世界の住人じゃないもの」

 目を丸くして、今日一番の驚きの表情を浮かべる忍。
 吸血種以上に非常識な少女の告白。それは忍の常識を根底から覆す破壊力を秘めていた。





 ……TO BE CONTINUED



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