【Side:忍】
自室に籠もり、私――月村忍は一冊の報告書に目を通していた。
平田桜花調査報告書――妹には悪いと思ったけど、人を使って色々と調べさせてもらった。
彼女に興味を持ったのは、この間すずかが連れて帰ってきた黒猫に理由があった。
桜花ちゃんから預かったと本人は言ってたけど、猫――いや、あれはただの猫ではない。
「それじゃあ、何もわからなかったのね?」
「はい。解析不明。全く未知の物質が使われていました」
ノエルの報告に、私は眉をひそめた。
黒猫から採取した毛を元に検査をした結果、分かったことは『解析不明』の四文字。
月村の技術と知識を結集しても、何一つ分からない代物。
「やっぱり、本人に会って直接確かめるしかないみたいね」
彼女の素性は疑ってくれとばかりに怪しすぎた。私の疑惑を膨らませるには十分なほど。
戸籍は確かに確認できた。両親は海外に赴任中。現在は姉と二人暮らし。表向きは疑うべき点は何一つない。しかし幾ら過去を調べても、それ以外のことは出て来ない。
データベースに載っている住所の近隣住民も、誰一人として平田桜花とその家族との面識がなく、前に通っていたという学校を調べても、彼女のことを覚えている生徒や教師はいなかった。
データベース上には存在するのに、この世界のどこにも存在を確認できない実在しない人物。
ある日、突然この街に姿を現したとしか思えない不可解さ。
――この街にやってきた理由は?
――私達の前に姿を現した目的は?
すずかの友達を疑いたくはないけど、万が一ということもある。
月村家の秘密を知っている可能性がある以上、彼女の存在を見過ごすことは出来なかった。
せめて、あの猫をすずかに預けた真意を確かめないことには安心は出来ない。
しかし私達と秘密を共有する恭也が、私達に危害を加えるかもしれない人間を匿っているとは考え難い。少なくとも彼はそういう隠し事が出来る性格をしていないと、私は彼のことを信用していた。
だけど、その恭也もここ数日、こちらに顔を見せていない。
いつものように翠屋に桃子さんの手伝いに行った時も会えず終い。携帯電話に連絡をしても返事がない。どこで何をしているのか?
でも、高町家の人達が彼女を家に引き留めている理由が、必ずどこかにあるはずだ。
「すずかは?」
「今日は稽古の日ですから、お戻りは昼過ぎになられるかと」
「なら、今がチャンスね」
すずかに余計な心配を掛けたくない。あの子の居ない間に、彼女から直接話を聞く。
その答え次第では、私は彼女のことを――
方針が決まれば行動は一つ。私が取るべき選択は決まっていた。
「ノエル。高町家に行くわよ」
「はい。忍お嬢様」
謎の少女――平田桜花。
出来れば妹のためにも、考えすぎであって欲しかった。
【Side out】
異世界の伝道師外伝/マッドライフ 第8話『疑惑の少女』
作者 193
連休二日目の日曜日。お茶会のあった日から一日が経過し――
アリサは今日予定していた稽古を休んで、朝早くから高町家を訪れていた。
「それじゃあ、この魔法少女大全がどういうものかを説明するわね」
「うん……いえ、はい」
高町家の敷地内にある剣術道場。板張りの床に神妙な面持ちで正座をするアリサ。
一方、私服の上から白衣を身に纏い、腕を組んでホワイトボードの前に立つ桜花。
これから始まろうとしている講義の内容を想像し、アリサはゴクリと喉を鳴らした。
「それじゃあ、まずは起動条件について」
キュッキュッとペンの音を立て、ホワイトボードにイラスト付きの図を書いていく桜花。
デフォルメされて分かり易いが、余り上手いとは言えない絵。緊張感の欠片も無い……なんとも言えない可愛らしい絵に、アリサは先程までの緊張はどこにいったのやら? 複雑な表情を浮かべた。
「私達の世界の住人はほぼ全ての人が、身体の中になんらかのナノマシンを飼っているの」
人間らしきものとテントウムシのようなイラストを指さして、説明をはじめる桜花。
そこはそれ、講義の内容に関しては思いの外、しっかりとした物だった。
伝説の後継者が作りあげた戦闘服。圧倒的な戦闘力を与えてくれる魔法少女大全。一見便利に思えるそのアイテムにも、使用の際に条件がある。
生体強化――桜花の高い戦闘力の根幹を支えている物。体内にナノマシンを注入することで細胞レベルでの肉体改造を行い、圧倒的な思考能力と身体能力を得ることを可能とする技術。桜花達の世界の住人は、この技術と延命調整を合わせることで、種を超越した能力と寿命を手にすることに成功した。
魔法少女大全の起動条件というのが……このナノマシンにあった。
「で、体内のナノマシンに働きかけることで、肉体年齢を少女にまで退行させる。それが魔法少女大全の効果の一つにして、大前提となるわけね」
「少女にまで?」
「まあ、アリサには必要ない話だけど」
アリサのぺったんこの胸を見て、必要ないと断じる桜花。
桜花の視線に気付き、カッと顔を真っ赤にして両手で胸を隠すアリサ。
元が少女だけに、二人とも肉体年齢を退行させる意味はなかった。
「ようは起動条件というのは、ナノマシン強化されているかどうかってことね」
「ナノマシン強化って……」
「文字通り肉体改造のことよ? 私達の世界じゃ受けてない人を探す方が難しい技術」
肉体改造と言われて、戸惑いと不快感を顕わにするアリサ。
桜花達の世界では広く浸透している一般的な技術でも、この世界の人達にとっては馴染みのない技術。現在の地球では、生物を対象とした遺伝子操作やクローン技術は忌避される傾向にあり、肉体改造などと言われれば、アリサが不安に思うのも無理のない話だった。
ちなみに、生体強化にも幾つかの種類がある。
桜花のは『戦闘用』。樹雷の闘士やGPの隊員などが受けている戦闘に特化した特別な生体強化。他にも宇宙での生活に身体を適応させるために施す、免疫力と適応力の強化を目的とした一般人用の生体強化や、情報処理能力に特化した生体強化などがあった。
「それをしないと、これを使えないってこと?」
「まあ、本来ならね」
「本来なら?」
「そう、一つだけ例外が存在するのよ」
魔法少女と名のつく通り、このアイテムは肉体年齢を少女にまで退行させる。
では何故、肉体年齢を少女にまで退行させる必要があるのか?
その理由は簡単だ。魔法少女は少女でなければならない。これが大前提としてあるからだ。
そう、起動条件にナノマシンの強化を条件付けている一番の理由。
肉体年齢が少女であること――そこに例外に繋がる秘密があった。
「えっと、それって……」
「あらかじめパーソナルデータを細工して本の方に記憶させておけば、ナノマシン強化をしなくても見た目が少女に見えさえすれば起動できるのよ。コンピューターの判定条件を騙す裏技みたいなものだけどね」
「……それって、どうしても少女でないといけない意味があるの?」
「お兄ちゃんの話だと、『少女に見えない魔法少女は魔法少女にあらず』ってことらしいわ……。哲学士って基本的に凄い発明品を作るんだけど変人が多くて」
理解の範疇を超えていたのか? ポカンとした表情を浮かべるアリサ。
桜花も説明に疲れた様子で、ハアッとため息を漏らした。
「まあ、ナノマシン強化されているのとされていないのとでは、引き出せる性能も段違いだから、全く意味がないって話でもないんだけど。そもそも私達の世界ではナノマシン強化されていない人の方が少ないから、基準がそっちにあるっていうだけの話よ」
「ようは適性を満たしていないから、性能をフルに発揮出来ないってこと?」
「まあ、そういうこと。九割以上はお兄ちゃんの趣味だと思うけど……」
また一つ、大きなため息を漏らす桜花。
アリサはそんな桜花を見て、件の『お兄ちゃん』のことを考え……少し不憫に思った。
「ただ、性能は折り紙付き。生体強化を受けていなくても、身を守るには十分すぎる力。アリサにはこれから、その力の使い方を覚えてもらうわね」
宙に現れた空間パネルを、手慣れた様子でピコピコと操作しはじめる桜花。
次の瞬間、道場内の空間が切り取られ、結界内に広大な訓練場が形成された。
「『虎の穴』の短期訓練プログラム。時間も余りないから加速空間で一気に覚えてもらうわ。最終目標はBランク。取り敢えず、自分の身を守れる程度にはなってもらうから、そのつもりで」
こうして桜花指導の下、アリサの魔法少女修行がはじまった。
◆
その頃、高町なのはとフェイト・テスタロッサ。
それにユーノとアルフの四人は、街の中心部でジュエルシードの探索を行っていた。
『なのは、そっちはどう?』
『ダメ。やっぱり探索範囲が広すぎて見つけられない。フェイトちゃんの方は?』
『こっちも見つからない。もう少し位置が特定できたらいいんだけど……』
『じゃあさ、魔力流を撃ち込んで強制発動させるってのは?』
『ダメだよ! こんな街中でジュエルシードを発動させたらどうなるか!』
『うん。私もユーノくんの意見に賛成。それに、この間のような敵が出て来たら、私達だけじゃ厳しいし……。やっぱり地道に捜すのが一番だと思うの』
四人の予想以上に、ジュエルシードの探索は行き詰まっていた。
広域探索の魔法を使っても、分かるのは大まかな位置だけ。ある程度範囲を絞り込めても、その範囲は半径数キロにも及ぶことがある。
更に言えば、暴走の危険があるジュエルシードを下手に刺激する訳にもいかず、異世界から流出したという発明品の一件もあって、より慎重な行動が求められていた。
今のなのはとフェイトには、桜花が倒したバケモノを同じように倒せるだけの力は無い。消極的ではあるが桜花なしで四人がやれることは、発動前のジュエルシードを探すこと以外なかった。
「……私がもっと強かったら。上手くバルディッシュを使えていたら」
「フェイト……」
自分の不甲斐なさを嘆き、悔しさを表情に滲ませるフェイト。
そんな主を慰めようと、右手に握られた三角形の宝飾品が鈍い光を放つ。
フェイトは確かに魔導師として一流の戦闘技術を持ってはいるが、それでも魔導端末の力を完全に引き出せている訳ではなかった。
「仕方が無いよ。今回は相手が悪すぎただけだ。フェイトは何も悪く無い」
「アルフ……」
通常の魔導端末といえば、あくまで魔導師の補助をするのが役割だ。
しかしバルディッシュは普通とは違う。フェイトの母プレシア・テスタロッサの使い魔にして、フェイトの魔導の師匠――リニス。管理世界でも数少ない高位の力を持つ大魔導師にして、研究者でもあったプレシアの知識と技術を受け継いだ使い魔。
そんな彼女と、フェイトが『お兄ちゃん』と慕う人物が共同開発した魔導端末――それがバルディッシュだった。
「あたしはフェイトに無理をして欲しくないんだよ」
「でも……私はお兄ちゃんのために……」
そんなバルディッシュには、出力リミッターが施されていた。
それもリミッターを掛けた本人しか解除の出来ない……強力な封印が。
現在、その封印を完全に解く事が出来るのは製作者の二人だけ。それはバルディッシュがただのデバイスではなく、強い力を内包したオーバーテクノロジーの塊でもあるからだった。
一時的な限定解除ならフェイトでも出来る。しかし、それには大きな負担も伴う。
一つだけはっきりしていることは、その力を解放すれば、あの程度の敵に後れを取るようなことはなかった、ということ。過去に一度だけその力を使った事のあるフェイトだったが、その時は力に振り回されるだけで、満足にバルディッシュを扱うことすら出来なかった。
――ドクンッ!
すると、その時だ。
大気が震えるような強大な魔力。これほどの力を発する物は一つしかない。
ジュエルシード――フェイト達四人の脳裏に、同じ単語が浮かんだ。
『フェイトちゃん!』
『うん。北に四百の距離。こっちも今向かってる』
市街地を包み込むユーノの封時結界。通常空間から空間が切り取られ、魔法を認識できない人や動物の姿が消えていく。直ぐ様、なのはとフェイトはデバイスを起動し、防護服を展開。ジュエルシードの反応がある方角へと足を向けた。
◆
海鳴市藤見町――商店街から離れた住宅街に、ひっそりと佇む少し古びた日本家屋。そこになのはの家、高町家があった。
家の前に佇む二つの人影。
デニムパンツに白いシャツ。スラリとした長い足にモデル顔負けのスタイル。宝塚の女優のようにクールで格好良い印象を持つ短髪の女性。
もう片方は青いミニスカートに白い長袖のシャツ。隣の女性とは対象的なイメージを持つ長髪の女性。
ノエルとその主人月村忍、二人の姿があった。
――ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン
規則正しく一定の間隔を置いて、リズムよく鳴り響く呼び出し音。
「出て来ないわね。誰もいないのかしら?」
繰り返しチャイムを押しても返事がないことから、怪訝な表情を浮かべる忍。
いつもならここで『はーい』と言う声を上げながら、誰かが出て来るところだ。
しかし幾ら待っても、家の誰かが出て来る気配はなかった。
「忍お嬢様。道場の方から人の気配がします」
「道場? 恭也かしら?」
ノエルに道場の方に誰か居ると言われ、忍は玄関へと続く門扉に手をかけた。
現在同じ大学に通う高町恭也とは高校からの付き合いで、今は秘密を共有する恋人同士。高町家の人々とも、家族ぐるみの親しい付き合いをしている。
そんな勝手知ったる他人の家。台所の位置からトイレの場所。恭也の部屋に至るまで、我が家のようにこの家のことを忍は熟知していた。
門扉を抜けると玄関を横切り庭へでて、ノエルと一緒に敷地内の道場へと忍は足を向ける。
庭にひっそりと佇む小さな道場。そこは普段、恭也と美由希が剣術の鍛錬を行っている場所。
いつものように二人で鍛錬を行っていると考えた忍は、道場の引き戸に手をかけた。
「恭也、居るの?」
「――忍お嬢様!」
「え?」
ガラッ、と道場の引き戸を開けた瞬間――
二人の周囲の景色がまるで何かに取り込まれ、浸食されるかのように書き換えられていく。
いや、景色が取り込まれたのではなく、忍とノエルの二人が取り込まれたのだ。
「何? これ……」
「……結界のようです。お気を付けください。何かが来ます」
道場とは思えない異質な空間。目の前の光景が信じらず、困惑の表情を浮かべる忍。
何者かの気配を察知し、ノエルは主人を庇うように前へ出て臨戦態勢を取った。
何もない、真っ暗な世界。暗闇の向こうから現れる人型の機械人形たち。
「自動人形!」
こに在るはずのないものを前に、忍の表情が驚愕に歪んだ。
……TO BE CONTINUED
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