IS学園からモノレールを使うこと二十分。たくさんのビルが建ち並ぶ都市部の中心に、街のシンボルともなっている一際大きな建物があった。
 世界屈指の技術力を武器にISの機体・装備開発を手掛けている正木グループのなかでも、特に大きな開発・研究設備を持つIS関連の建物。
 正木グループ日本IS部門が丸ごと収まったその巨大な建造物は、通称『正木ビル』と呼ばれていた。
 その地下に、特に機密度の高い区画があった。
 ISの開発や研究をするための工房。IS操縦の訓練も可能なアリーナのある広大な地下施設。
 一夏が桜花と訓練を行っていた訓練シミュレーターも、この施設内にあった。

「太老さんにお客さんですか?」
「うん。ドイツからきた黒ウサギちゃんね」
「黒いウサギ……ですか?」
「多分、蘭が想像してるのとは違うと思うよ。眼帯してるし」
「えっと、眼帯?」

 全く想像の付かない蘭は、ううんと腕を組んで唸る。
 最初は黒いウサギということでバニーガールを想像し、次に想像したのは重火器を装備した強面、眼帯の黒ウサギ。
 しかも、かなりファンシーでデフォルメされた黒ウサギだ。だが、その蘭の想像は、当たらずとも遠からずと言ったところ。
 今日の昼、太老と面会の約束をしているゲストが所属するドイツ軍IS特殊部隊の部隊章は、眼帯をした黒ウサギだった。

「大分、そのISの扱いにも慣れてきたみたいね」
「はい。皆さんのご指導のお陰です」
「うんうん。一夏もそのくらい殊勝な態度で、私を敬って欲しいもんね」

 それは皆さんが一夏さんをイジメすぎたからでは? とは、さすがに蘭も言えなかった。
 密かに『一夏くん観察日記』を一緒に見せてもらっている身としては、桜花の非難も出来ない。
 蘭は語る。あれはいいものだと。
 コピーをもらえないか真剣に悩んだこともあるくらい、蘭にとってあの映像集は素晴らしいものだった。
 ちなみに千冬も鑑賞している一人だったりするのだが、それはここだけの話だ。
 IS学園に通う女生徒や一夏の関係者が知れば、誰もが欲しがること受け合いの代物だった。

「ああ、そういえば頼まれていたIS学園の件だけど」
「あ、はい!」

 待ってましたと言わんばかりに目を輝かせ、身を乗り出す蘭。

「学園の許可は下りたから、『正木』の関係者としてIS学園に入れるわよ」
「やった! ありがとうございます!」

 ここは日本。そして仮にもIS学園は高等学校。
 蘭は確かに優秀だが、まだ中学三年生だ。義務教育を終了しないことには学園に入学は出来ない。
 ただISの関係者であることにかわりはない。しかも企業に所属する専用機持ちだ。
 入学は出来ないが『正木』所属のIS操縦者ということで、下見を兼ねて見学が許可された。
 先日、学園に行った時に、蘭に頼まれた桜花がその許可を貰ってきたのだ。

「IS学園って気軽に遊びに行くことも出来ないんですよね」
「あそこは表向き、国家の干渉や影響を受けない治外法権区だからね。重要な施設もあるし」
「でも、これで堂々となかに入れます! 一夏さんの活躍を生で見られるんですね!」

 そう、IS学園は関係者以外は入れない。一般人は勿論、生徒の家族も例外ではない。
 外部の人間が中に入るには特別な招待券を持っているか、学園側の厳しい審査を通過する必要があった。
 勿論その審査というのも条件が厳しく、滅多なことでは許可が下りない。大体は国家や企業の後ろ盾があるIS関係者に限られるのが通例だ。
 蘭の見学許可が下りたのも、『正木』の関係者という点が一番大きな理由だった。
 で、蘭がIS学園にそれほど行きたかった理由は、月末に開かれる予定の学年別個人トーナメントにあった。
 五月にあったクラス対抗戦の試合映像を後で見せてもらった蘭は、それを生で見られなかったことを後悔したくらい、蘭の目から見た一夏は輝いて見えた。
 桜花は三十点と厳しい評価を下していたが、そこは恋する乙女。イメージには補正が掛かる。
 ずっと一夏の戦っているところを生で見たいと思っていたところ、月末に開かれる学年別個人トーナメントの話を耳にしたと言う訳だった。
 これは絶対に生で見ないと! そう決めた蘭の行動は素早かった。

(鈴さんには絶対に負けないんだから!)

 そちらが、どちらかと言うと本音。
 鈴が床を転がり身悶える事になった一部始終を、映像を見た蘭も当然目にしていた。
 先日、一夏と一緒に五反田家にやって来た鈴と、一夏を巡って険悪な雰囲気になったのも、全て元を辿ればそれが原因と言えなくもない。
 目下一番のライバルは、鈴だと蘭は考えていた。

「まあ、程々にね」

 やめろとは言わない。
 恋する乙女が止まらないことは、桜花が一番よくわかっていた。





異世界の伝道師外伝/一夏無用 第13話『ドイツの黒ウサギ』
作者 193






 IS配備特殊部隊『シュヴァルツェ・ハーゼ』。
 通称『黒ウサギ隊』の異名を持つドイツ軍のIS部隊。
 国内に十機しかないISのうち三機を保有する、名実共にドイツ軍最強の部隊。

「ここか……」

 都市の中央にそびえ立つ巨大な建造物――正木ビル。ガラス張りのビルを見上げるひとりの少女。
 彼女、ドイツが誇る第三世代機『シュヴァルツェア・レーゲン』の専属操縦者にして、少佐の階級にある部隊最強の戦士ラウラ・ボーデヴィッヒは、先に述べた『黒ウサギ隊』の隊長を任せられていた。
 部隊員の証にもなっている黒い眼帯。腰まで届く銀の髪。右眼の赤い瞳。
 その小さな身体から発せられている冷たく鋭い空気は、少女の姿には不釣り合いな、教科書にある軍人の姿そのものと言ってもいい。
 ある重要な任務を帯びた彼女は、単身IS学園に編入するため、ここ日本を訪れていた。

「ねえ、あれってコスプレ?」
「でも、綺麗な子よね。何かの撮影かな?」

 ただ――日本の街中を、ドイツ軍の公服を纏った少女が歩いているのだから目立つ。
 気付かぬは本人ばかり、かなりの注目を集めていた。

「ラウラ・ボーデヴィッヒ様ですね。お待ちしておりました」

 建物に入ってすぐ、受付の女性の案内で奥のエレベーターへと通されるラウラ。
 ラウラはここに、ある人物に会うためにやってきていた。
 学園に行くよりも先に訪れ、どうしても会っておかなくてはいけなかった人物。

「こちらです。奥の扉をお進みください」

 ビルの最上階。重厚な扉を抜けると、街を一望出来るその場所に――目的の人物はいた。

「さすが、時間に正確だな。そこに座ってくれ」

 黒のスーツに身を包んだ、まだ二十才前後と思われる年若い青年が気さくにラウラに話し掛け、部屋の中央にあるソファーへと彼女を誘導する。

「故郷のいい茶葉が入ってね。あ、お茶菓子は羊羹でいいかな?」
「はい、いただきます」

 ふかふかとした座り心地のよいソファー。ラウラはそこに腰掛けながら、部屋の隅で御茶の準備を始めた青年をじっと観察する。
 一度や二度ではないのだろう。御茶の用意をするその姿からも、普段から自分でやっているのか、随分と手慣れた様子が窺える。
 事実、彼は慣れていた。お茶汲みなど普通は秘書にやらせそうな仕事だが、その秘書の長からして留守にしがちだ。
 そういう事情を抜きにしても、身の回りのことは極力自分でする。これが彼なりの息抜きになっていた。
 清掃員に紛れて会社の掃除をしている姿を見かけるほどの変わり者。それが彼だ。

 ――正木グループ総帥、正木太老。

 このビルの持ち主であり、グループを統括する長。
 そして篠ノ之束に匹敵する天才と言われている稀代の天才科学者。

「どうぞ。御茶、熱いから気を付けてね」

 少し緊張した面持ちで、羊羹、御茶の順に口にするラウラ。
 口に入れた瞬間、羊羹の優しい甘みが口の中に広がる。御茶も香りが高く、今までラウラが口にしたことがないくらい味わい深いものだった。
 その味に驚き、先程まで人形のように固まっていた表情が、ほんの少し柔らかくなる。

「IS学園に、来週から編入するそうだね」
「はい。そのことで、お話があってきました」
「織斑一夏のことかな? それとも……金色のISのことかな?」
「……両方です」

 最初からラウラが訪ねてきた理由がわかっていた、と言わんばかりに話を切り出す太老。
 前者はラウラの個人的な事情が多分に含まれているが、どちらも上から命令された任務に関わることだった。
 三年前、織斑一夏が男でありながらISを動かせることが発覚した事件。
 そこに関わったとされる金色のIS。その正体は誰も知らず、どこに所属するISかもわかっていない。そして未だに、その消息は掴めていない謎のIS。
 だがドイツ軍はある情報筋から、そのISに『正木』が関与している可能性を掴んでいた。
 ラウラが上から命じられた任務は、『正木』に接触し金色のISの情報を入手すること。
 そしてIS学園に入学し、第三世代機の稼働データを集めること。
 最後に、織斑一夏の専用機『白式』のデータを収集することにあった。

「残念だけど、後者に心当たりはない。それは委員会に報告した通りだしね」
「本当ですか?」
「嘘だと疑う理由は?」

 それを言われて、ラウラは質問で情報を引き出す事は不可能だと判断した。
 だからと言って強引な手段で情報を引き出すには、リスクが大きすぎる相手でもあった。
 そのことはラウラに情報を引き出してくるように命令した上層部も理解していた。それ故に、これ以上の質問は無意味だった。
 何かを隠していることだけがわかればそれでいい。上も、そこまでの期待は寄せていなかったからだ。

「ラウラちゃんも大変だな。自分達に出来ないことを押しつけられて」
「それが、私に与えられた任務ですから」

 予想通りのラウラの回答に、苦笑を漏らす太老。
 ラウラが交渉役に選ばれたのは、彼女の部隊が織斑千冬の教導を受けていたことがあり、太老との付き合いが一番深かったからに過ぎない。それ以上の理由は必要なかった。
 ラウラにとって寧ろ重要なのは、そちらよりも織斑一夏≠フ方だった。
 そんなラウラの考えを見透かすかのように、太老は自分から話を切り出す。

「ラウラちゃんが一番気になってるのは、白式……いや、一夏かな?」

 先程までの陽気な雰囲気とは違い、一転して少し厳しい口調になる太老。
 場に張り詰めた空気。部屋の空気の密度が、一瞬にして重く濃いものへと変わった。

(くっ、これは……)

 嘗ての恩師から感じた以上のプレッシャーに、ラウラは指一つ動かせないでいた。
 ラウラの目の前にいるのは確かに人間だ。なのに、IS以上のバケモノに思えてならない。
 ラウラの戦士としての本能が、絶対に目の前の男と戦うな、逃げろと訴えていた。

「千冬さんの教導を受けただけのことはあるね。これで気を失わないなんてたいしたもんだ」

 スッと、穏やかになる空気。重圧から解放されたラウラの背中から汗が噴き出す。
 先程までと同一人物とは思えないほど、太老から発せられている空気は穏やかなものに変わっていた。

「悪かったね。試すような真似をして」
「い……いえ。私の方こそ、すみませんでした」

 ラウラにとって目の前の男は、織斑一夏%ッ様に受け入れることが出来ない存在だった。
 理想とする人。憧れたあの人の心を奪った憎い相手。しかしその強さは、ラウラも認めるほどだった。
 ――勝てない。専用機を持ち、部隊最強と呼ばれている身ですら、目の前の男に勝てるイメージがラウラには全く湧かない。
 比類なき最強。織斑千冬と同じか、それ以上のバケモノ。
 ラウラが憧れた唯一無二の力を、彼女の前にいる男も持っていた。

「でも、一夏は強いよ」

 そんな男、正木太老から発せられた一言。ラウラはその言葉に、自身の耳を疑う。
 それは尊敬する恩師が、嘗て自分に言った言葉と同じだったからだ。
 自身が認める最強の存在。そのふたりが強いと認める織斑一夏。
 ラウラの興味は自然と、そこに向かった。

「ああ、そうだ。クラリッサに頼まれてた物があったんだ。ラウラちゃんの方から渡しておいてくれる?」
「ちゃん付けは……」
「ん?」

 目の前の男の反応をみて、ラウラは無駄と諦めた。
 それなりに付き合いは長いが、ラウラは太老のことをよくは知らない。
 織斑千冬を通して、彼女がドイツ軍に居た頃に何度か顔を合わせたことがあるくらいだ。一言でいえば、ラウラは太老が苦手だった。
 正木太老、織斑千冬。この二人の前ではラウラは部隊最強の戦士などではなく、ただの小娘に過ぎない。そしてそれはラウラ自身が認めていることでもあった。
 それだけの差が自分と彼等の間にあることを、ラウラは誰よりもよく理解していたからだ。
 余談ではあるがクラリッサとは、ラウラの所属する部隊の副隊長のことだ。
 部隊長であるラウラが不在なため、現在は彼女がドイツに残してきた部隊の指揮を任せられていた。

「彼女と連絡を取っておられたのですか?」
「頻繁にメールくるけど? あ、ラウラちゃんにも教えておこうか? 俺のメアド」

 正木太老のプライベートアドレスを知っている人物が、この世界に何人いることか?
 クラリッサはそんななかの数少ない一人だった。もっとも、それはラウラすら知らなかった事実だ。
 このことを軍の上層部が知っていれば、ラウラではなくクラリッサを交渉役に選んだかもしれない。そのくらい親しい間柄だった。
 言ってみれば、趣味仲間。
 日本の話で太老と意気投合したクラリッサは、個人的に太老と親交が深かったためだ。

「これなんだけど」

 ドンと机の上に置かれた大きなダンボールを見て、ラウラの表情が険しくなる。
 そこには、『極秘資料在中』のシールが貼られていたからだ。

「これは……?」
「貴重な日本(オタク)資料だ。取り扱いには十分注意してくれ」

 確かに重要な極秘資料だった。





 ……TO BE CONTINUED



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