「覚悟ぉっ!」
「あら、やだ」

 廊下を曲がった先で突如、剣道着一式に身を包んだ何者かの襲撃を受け、困ったような困ってないかのような他人をからかう仕草で、スルリと一太刀をかわす女生徒。
 ポンッと音が聞こえたかと思った次の瞬間、重い胴着を身に纏った人間が、まるで紙のように軽々と宙を舞った。

「踏み込みはいいけど技にキレが足りないわね。残念」

 それだけ言うと、女生徒は地面に落下して気を失った襲撃者を放置し、何事も無かったかのようにまた廊下を歩き始める。
 鼻歌まで聞こえてきそうな、軽やかな足取りだ。実際、彼女は機嫌がよかった。
 ここ最近、退屈だった学園生活に、密かな潤いと刺激を見つけたからに他ならない。
 目的の場所に到着すると、勢いよく引き戸を開け放ち、

「たっ、だいまー」

 と我が家に帰ってきたかのように、元気に挨拶をしてみせた。

「会長、今日も≠イ機嫌ですね」
「も、はないんじゃないかな? それじゃあ私が年中お気楽みたいに聞こえるんだけど?」

 心外だわ、といった様子で子リスのように頬を膨らませ、窓際の一番奥の席に腰掛ける女生徒。
 それも心の底から拗ねていると言った様子では無く、状況をどこか楽しんでいるかのようにさえ感じ取れる。
 そんな彼女の態度をみて、会長――そう言って彼女を出迎えた眼鏡に三つ編みの女生徒『布仏虚(のほとけうつほ)』は、いつものことと言った様子で嘆息してみせた。
 この部屋は生徒会室。そして『会長』と呼ばれる人物は、このIS学園に一人しかいない。

 ――IS学園最強。生徒達の長。その名も、更識楯無(さらしきたてなし)

 (うつほ)は生徒会員。楯無(たてなし)は生徒会長。虚は三年生。楯無は二年生。
 学年だけでいえば、逆の立場に思えるかもしれないが、IS学園は年功序列よりも実力主義。楯無が生徒会長であるのも、学園最強の生徒であるが故のことだった。
 先程、楯無を襲撃した生徒も、言ってみれば学園の恒例行事のようなもの。生徒会長は最強でなければならない。
 故に、生徒会長を倒した者が次の生徒会長になれる。故に生徒会長は狙われる。
 常に最強であることを証明しなくてはならない。学園最強とは、そういうことだ。
 ただ、虚に関していえば、それだけが理由で楯無に従っているわけではない。
 生徒会員は生徒会長が自由に任命できるが、虚の家『布仏(のほとけ)』は代々『更識(さらしき)』の家に仕えてきた家系。その家に生まれた虚も例外では無く、更識家の当主である楯無に忠誠を誓っていた。――姉妹¢オって。

「あ、会長。おかえりなさい〜」
「ただいま。本音(ほんね)、って何食べてるの?」
「ケーキですよ〜。しかも、桜花(おうか)ちゃんの差し入れでーす」
「ああ、それっていつもの店の?」

 ケーキを食べながら、間の延びた話し方をする一年生。その独特な話し方とだらんだらんと左右に揺れる服の袖が、今日もふわふわとした和やかな空気を周囲にもたらす。
 織斑一夏命名『のほほんさん』こと『布仏本音(ほんね)』。虚の妹だ。

「はいー。ここのケーキってー、ちょおちょおちょお〜、美味しいんですよねー」

 今、彼女が食べているケーキは、いつも桜花がお土産に持参する有名店のケーキ。しかも、そこのキャロットケーキだ。
 ここのキャロットケーキは一日三ホール限定という超プレミアム商品で、一切予約などを受け付けていないために、朝早くから並んで買う以外に手に入れる方法がない。オープンと同時に売り切れるという、入手難度の高い人気商品だった。
 ちょっとしたツテがあると言う話で、よく桜花はこのケーキをお土産に持ってくる。
 本音は、これがちょっとした生き甲斐もとい楽しみになっていた。

「うーん、美味しいわね」
「ですよね〜」
「本音、口についてますよ。ああ、もう。こぼさないで食べなさい」

 嫌がる本音の口元を、ゴシゴシとハンカチで拭く虚。その様子は姉と言うよりは、母親に近いものだった。
 そんな二人のやり取りを見て、楯無はクスクスと笑う。彼女がほっと落ち着ける瞬間。
 ここは、いつもこんな感じ。優しさと、ほんの少しの笑いに満ちていた。

「本音。少し教えてもらってもいいかな?」
「ほえ? なんですか〜?」

 そう言って、本音の反応を確かめながら、またクスと笑う楯無。
 退屈だけど、ほのぼのと平和に満ちた学園生活。平和が一番。そう思いつつも潤いは欲しい。
 そんな学園生活に訪れた、誘惑に満ちた刺激的な香辛料(スパイス)――それが彼、織斑一夏。

「あなたのクラスメイト。織斑一夏くんのこと、話してくれるかな?」

 新しい玩具を見つけた子供のように、好奇心に満ちた表情を浮かべていた。





異世界の伝道師外伝/一夏無用 第12話『乙女達の裏事情』
作者 193






 織斑一夏は目立つ青年だった。
 男で唯一のIS操縦者。正木の関係者。織斑千冬の弟。
 専用機持ちにして、代表候補生に勝つ実力の持ち主。
 彼の話題は尽きない。故にIS学園の女生徒達にとって、織斑一夏は特別な存在だった。

「織斑くん。よかったら一緒にお昼を食べない?」
「織斑くん。ISの操縦で教えて欲しいことがあるんだけど」
「織斑くん。今度の休み、部屋に遊びに行ってもいいかな?」

 などなど、女生徒からの人気は上々。彼は学園の人気者だった。
 シャルルが転校してくるまで学園で唯一の男子生徒だった、ということも理由の一つにあるのだろうが、彼が嫌な男ならここまで人気はでなかったはずだ。
 とてつもなく鈍いと言う一点を除けば、性格的にも好ましい青年だということが、人気の大きな理由となっていた。

 女性を持ち上げたり特別扱いすることもないが、かといって優しくないわけではない。
 理不尽な要求さえしなければ助けてくれる。寧ろ、率先して自分から困っている人を助ける方だ。
 体力の要る力仕事は何も言わず自分から率先して手伝ってくれるほか、専用機持ちだからと威張ることもなく、自身が特別な存在だと笠に着ることもない。織斑一夏とは、そういう今時は珍しい好青年だった。
 クラス全員とまではいかないまでも、半数以上は彼に少なからず好意を寄せているはずだ。
 それが学年、学園全体に広がったとしても、返ってくる答えは変わらないだろう。

 遂この間も、授業で行われたISの実習で、彼の人気振りを窺える出来事が起こった。
 専用機持ちを代表に幾つかのグループに分かれ、ISの歩行訓練をしようとした時のことだ。
 シャルル、そして当然の如く一夏のところに、一緒にグループを組んで欲しいと女生徒が殺到した。
 不幸中の幸いというべきか、実習の教官が織斑千冬だったこともあり、鬼の一声で騒動は鎮静化したが、その後も大変だったことは言うまでもない。
 主に大変な苦労をしたのは、当たり前のことだが一夏だ。実習中に起こった、ちょっとしたハプニング。後に『お姫様抱っこ事件』と称されたそれは、女生徒達の乙女心を刺激した。

 だが、このくらいは序の口。こんな騒動が毎日のように彼の周りでは、極自然に当たり前のように起こっていた。
 新聞部曰く、彼を追っていればネタには困らない。
 実際、誌面を飾るニュースの大半が、シャルルがくるまで織斑一夏の特集に集中していたくらいだ。
 そしてシャルルが現れた今も、誌面を飾る割合は一夏の方が多い。
 それほどに、彼はネタに困らない毎日を送っていた。

「――なんですよ〜。あとですね〜」
「ああ、もういいわよ。大体わかったから。ありがとね」
「そうですか〜?」

 楯無も学園新聞は目を通しているし、生徒達の間で流れている噂は知っていたが、彼と親しい人間から直接話を聞き、確認を取っておきたかった。
 本音はこう見えて、観察力が鋭い。それは楯無が認めるほどだ。
 飽きっぽい彼女が、自分からこれだけ話をしてくれるというのは実のところ珍しい。
 興味が無いことは、さっさと忘れるのが本音だからだ。
 それだけに織斑一夏のことを、本音がどれだけ気に入っているかが窺い知れる話の内容だった。

 そして楯無も、姉の虚も、本音の人を見る目を信じている。彼女が「おりむーはいい人だよ〜」と言うからには、本当にいい人なのだろうと二人はその話を聞いて納得した。
 実際、本音の話に出て来た織斑一夏は、いい人を通り超してお人好しと言ってもいい性格をしていた。
 そのお人好しな性格が災いして女生徒達に振り回され、色々と苦労が絶えないのだろうが、そこが彼の人気の理由であるとも言えた。

 織斑一夏がどんな人間かを、個人的な興味から知りたかった楯無にしてみれば、本音の話は予想していた以上に興味を引く話だった。
 なるほど、と心の中でそっと呟く。
 桜花がああして自らやってきた理由。そして太老が気に掛けている理由が、楯無にはようやく理解できた気がした。

「あは、いいこと思いついちゃった」

 心の底から楽しそうに微笑む楯無。心なしか遠足前日の子供のように、ウキウキしている様子さえ窺える。

 ――それは、楯無にとっていいことなのか?
 ――それとも、一夏にとっていいことなのか?

 いずれにせよ、織斑一夏が振り回されるところしか、虚には想像できなかった。
 学園最強の生徒会長。その彼女に興味を持たれることは、台風や地震と言った天災と同じだ。
 警戒しても、予防しても、絶対に振り回される。それが織斑一夏の未来。

 確定事項だった。


   ◆


「ああっ、もう! 一夏の唐変木! 鈍感! なんなのよ、あのバカ!」

 丸めた布団をギュッと抱きしめ、ベッドの上を左に右とゴロゴロ転がる凰鈴音(ファン・リンイン)
 またか、と言った様子で、隣のベッドで俯せに雑誌を見ながらティナは嘆息した。

「なんで、こんなことになってんのよ!?」

 鈴が怒っている原因は、学園中で噂になっている個人別トーナメントにあった。

『優勝したら織斑一夏の本妻に。上から総合三十位まで本人公認ハーレム入り』

 ――彼女を通り超して本妻ってどういうことよ!?
 ――しかも本人公認ハーレムってなに!?

 ツッコミどころ満載の噂に、鈴の厳しいツッコミが入った。
 真に受けている生徒がいる以上、もう『冗談でした』ではすまない話だ。下手をすると暴動が起こる。でも、どうしたらいい?
 ノリの良すぎるIS学園の校風が、変なところで災いした。その結果がこれだ。
 自分から言いだしたことではあるが、こうなったら優勝するしか手はないと鈴は考える。
 ハーレムどうのは後の問題でこの際置いておくとして、取り敢えず優勝しないことには本妻の座を誰かに持って行かれることになる。
 それだけは絶対に避けたい、と鈴は思った。

「ティナ! 絶対に優勝するわよ!」
「うん、頑張ってね」

 頑張るのは鈴。優勝を目指すのはティナではなく鈴だ。
 自分に『優勝するわよ!』と振られても困るというのが、ティナの率直な感想だった。
 一学期の成績に影響する以上、頑張るには頑張るつもりでいるティナだが、鈴のように一夏と付き合いたいと言った気持ちがあるわけではない。
 彼のことは嫌いではないが、好意を持っているといってもルームメイトの友達としてだ。
 隣のクラスで一夏と直接話をしたことがない彼女にしてみれば、そんな副賞を貰っても困るというのが本音だった。
 男の子と付き合う事に興味が無いというわけではないが、さすがに最初くらいはノーマルな関係がいい。
 ハーレムはちょっと……と思うのが十代普通の女子の反応だ。しかし普通ではない女子の方が多いのが、ここIS学園だった。

 そうでなければ、ここまでの悪ノリに発展しない。普通は勘違いだと気付きそうなものだ。
 しかしIS学園の女生徒は、その殆どがISの基礎カリキュラムを実施している女子校の出身者。当然男に免疫がなく、更に言えばIS操縦者になるために遅くとも、ジュニアスクールの頃から英才教育を受けてきた各国のエリート達だ。
 普通とは懸け離れた生活を送ってきた少女達ばかり。そんな彼女達に一般常識を説いたところで、それは理解しろという方が無理というものだった。
 鈴が『おかしいでしょ!?』とツッコミを入れることが出来たのも、彼女が一年前まで一夏と同じ普通の学校に通っていた一般人だったことが理由としては大きい。
 まあ、そこから『優勝すればなんとかなる』といった発想に行き着く当たりは、鈴もIS学園の生徒と言えるのかも知れないが、そこはそれ。
 乙女としては譲れない戦いがある。それが今回のこれと言う訳だ。
 
 ――強い者が上に立つ、実力主義のIS学園。

 ならば、その校風に則って勝負で決めようという流れは、この学園の在り方らしい。
 とにかく勝つ。優勝する。そうしなければ何も言えない。
 それが鈴の導き出した答えだった。


   ◆


 セシリア・オルコットは部屋で一人、頭を抱えていた。
 予想もしなかった好きな人からのハーレム宣言。これをどう受け止めていいか、真剣に悩んでいたからだ。
 しかもそれが学園中の噂となり、いつしかトーナメントで良い成績を収めれば、織斑一夏のハーレム入りが出来るという話にまで膨れ上がっていた。
 これはまさかの展開だ。セシリアもあの一言から、ここまで問題が大きくなるとは考えてもいなかった。

「わたくしは一体どうすれば……」

 とにかくトーナメントで優勝するのは最低条件だ。好きな人。愛する人。一夏以外に生涯の伴侶は考えられない。
 最初で最後。心の底から、その強さと優しさに惹かれた人物は一夏以外にいなかった。
 だから一夏を誰かに取られるくらいなら、ハーレムでもなんでも自分がそのなかの一番になってみせる。そうした覚悟はセシリアも持っていた。
 ただ、男性経験の全くない、男と言えば父親以外知らないセシリアにとって、こういった時どうすればいいかの知識と経験が全く足りていなかった。

 覚悟だけでは、どうしようもない現実。優勝は最低条件としても、その先をどうしたらいいかわからない。
 しかも今は、先日のこともあって一夏とも顔を合わせづらい有様だ。ここ数日は一夏と一緒に食事を取ることは疎か、顔を合わせてすらいなかった。
 これは正直言って、恋する乙女からすれば辛い状況だ。好きな人に会えないのだから。
 しかし良い案が思いつかない。ここで一夏のところに謝りに行くのは、ハーレムを認めると言っているのと一緒だ。
 それは一夏を独り占めしたいと考えている乙女の心情としては、非常に複雑なものだった。

「そうですわ。こうなったら……」

 そう言ってセシリアは枕元の受話器を取ると、緊張を隠すように震える手を押さえ、番号を確認しながらゆっくりとダイヤルを押した。

「もしもし……わたくしですが、チェルシーは」
『お嬢様ですか?』

 しばらく経って、耳にあてた受話器からコール音が聞こえ、ガチャッという音と共に聞き慣れた懐かしい声がセシリアの耳に届く。
 オルコット家、セシリアの専属メイド。チェルシー・ブランケット、十八歳だ。
 セシリアの幼馴染みであり、少し年上のお姉さん。そして彼女は、セシリアが目標とする憧れの女性でもあった。

「チェルシー。……あなたに相談がありますの」

 セシリアが心を許し、唯一こんなことを相談できる相手。それは彼女しかいない。
 これまでのこと、織斑一夏との出会い。クラス代表戦。そこで恋に落ちたことを――
 セシリアは家族に告白するかのように、チェルシーに話して聞かせた。





 ……TO BE CONTINUED



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