――花月荘三〇六号室。
桜花と蘭が宿泊しているその部屋に、ウサミミに青いワンピース、白いエプロンと不思議な格好をした女が、ロープでぐるぐる巻きにされた状態で床に転がっていた。
「この人が、篠ノ之束さんですか?」
興味津々と言った様子で観察する蘭の視線の先には、ウサミミこと束の姿があった。
まさに手足を縛られたウサギ状態。胸は箒と姉妹だからか、なかなかの大物だった。
じーっと観察する蘭の目は、自然とそこに釘付けになっていた。
「何さ、キミは? おかしなヘアバンドを付けた知り合いなんて、私にはいないんだよ。親しげに名前を呼ぶなんて何様さ。大体だよ? いっくんや箒ちゃんとの数年振りの再会だっていうのに、それを邪魔す……いたっ、痛いよ。ぎゃあああ!」
蘭を遠ざけようと、束は捲し立てるような早口言葉で、明確な拒絶の意思を示す。
しかし最後まで言わせてもらうことも出来ず、桜花の『梅干し』を食らい、奇声をあげて悶絶した。
「うん、静かになった」
満足そうな顔を浮かべ、桜花はパンパンと二度手をたたく。同じ変人を複数知っているからか、束の扱いが妙に手慣れていた。
余談ではあるが『梅干し』とは、梅の果実を塩漬けにした後、日干しにした食べる方のウメではなく、両手の拳骨で対象のこめかみを挟み、グリグリと攻撃する方のウメだ。
どうでもいい話ではあるが、これは地味に痛い。ポイントに嵌ると、かなり痛かった。
「おかしなヘアバンド……」
「ああ、気にしない方がいいよ。引き籠もり期間が長すぎた所為で、束お姉ちゃんって人間関係に致命的な問題を抱えてるんだよね。変な人に噛まれたくらいに思っておくのが一番。深く考えると失敗するよ」
「えっと……一応、束さんって天才なんですよね?」
「天才と奇人変人は紙一重とか言うじゃない。実際のところは紙一重どころか、オタクや変人なんていうのは、天才の代名詞みたいなものだからね」
桜花のその一言は、実際にそうした前例を見ているだけに実感の籠もった言葉だった。
「まあ、お兄ちゃんとは致命的に違うところがあるけど」
「桜花さん、束さんのことが嫌いなんですか?」
桜花も人間だ。笑いもすれば怒りもする。好き嫌いだってある。
桜花は蘭の言うように、本音を言うと束が余り好きではなかった。
同じ変人であっても、彼女は本物の天才と呼ばれる人達が、どういうものかを知っているからだ。
「正直言うと、余り好きになれないかな。でも……」
天才は孤独だと誰かが言った。
だが、束と同じように特異な力を持ちながらも、強く生きている人達は大勢いる。
他人に興味の無いフリをしたり、さっきのように拒絶しようとするのは、本当の強さとは言えない。
束は自身のことを『天才』と言いながら、『天才』であることを理由に他者を寄せ付けないための逃げ道に使っている節がある。
そして束自身そのことがわかっていて、やっているようにも見えた。
「桜花さん……?」
蘭の顔に、不安と心配の色が滲む。
こんな感情の入り交じった複雑な顔をする桜花を、蘭は見たことがなかった。
そこにあるのは寂しさ。悲しみ、いや――
(もしかして、さっきのって束さんのために?)
先程までの束と桜花のやり取りを思い出して、蘭は思った。
桜花は束のことを好きになれないと言いながらも、どこか束を心配しているような、そんな素振りさえ窺わせる矛盾した行動を取っている。
そして束も、その言動や行動とは逆に、どこかすっきりとしないものがあった。
そしてそれは、蘭がよく知る人物にも同じことが言えた。――太老だ。
「うう……。容赦がないね」
「千冬お姉ちゃんが手加減はいらないって言ってたしね」
「ちーちゃんは、もう少し手加減を覚えて欲しいと束さんは思うんだよ」
あのアイアンクローは痛いからね、と束は言葉を付け加える。でも、その表情は嫌がっていると言うよりは、どこか嬉しそうだった。
「たっくんはいないの?」
「裏口≠カゃなく玄関≠ゥら遊びに来いって言ってたよ。そしたら歓迎するって」
「ううっ……それはそれで、負けを認めたみたいで嫌だね」
「じゃあ、一生無理かもね。お兄ちゃんに勝てるわけないもの」
「たっくんは強いからね」
「そうね。お兄ちゃんは強いわ」
蘭には目の前の二人の会話の意味が、ほとんど理解出来なかった。
ただ、蘭にも一つだけわかることがあった。
(そうか、この人も同じなんだ)
太老や桜花に感じた表と裏の顔。
ふたりとよく似た矛盾を、蘭は束のなかに感じ取っていた。
異世界の伝道師外伝/一夏無用 第35話『天才と天敵』
作者 193
「い、ちか……おぼえ……」
「もう……だめ……」
激戦の末、体力を使い果たし、バタンと砂の上に倒れる鈴とシャルロット。
この炎天下のなか二時間以上も休憩なしでビーチボールを打ち合ってたんだ。そりゃ、そうなって当然だ。ちなみに俺の方はと言うと、体力的にはまだ余裕があった。
伊達にあの死と隣り合わせの訓練を乗り越えていない。合法幼女と毎日のようにやっていた訓練の方が、これより遙かにきつかった。
砂漠に一週間放置されたこともある俺からすれば、このくらいなんてことはない。
これも日頃の鍛錬が為せる業だ。体力には特に自信があった。
「うっ……」
「ラウラ、大丈夫か?」
「ああ、少し体力を使いすぎただけだ。凄いのだな、一夏は……」
「まあ、鍛えてるからな」
さすがラウラだ。軍務経験が長いだけのことはある。
ジャングルで生き抜く訓練も受けていると言うだけあって、体力と精神力は同じ代表候補生のなかでも頭一つ抜けていた。
あれ? そのラウラより体力のある俺って……。ま、まあ、俺は男だしな。
「あれ? 皆は?」
「涼みに旅館に戻ったよー。ここって日陰もないし、暑いからね〜」
「ああ、なるほど……のほほんさんは待っててくれたのか?」
「うん。私は暑いの平気ー。おりむー格好良かったよー」
密かに一番凄いのは、のほほんさんじゃないかと思った。
俺達のように激しい運動をして無いとは言っても、他の皆がいなくなったことからも分かる通り、ここは太陽の光を遮るものが何もなく暑さが半端じゃない。
そんななかで、のほほんさんは水着ではなくキツネの着ぐるみのような物を着て、ずっとここから動かず応援してくれていたようだ。
しかも、この涼しげな顔……侮れないにも程がある。のほほんとしてるから、暑さにも鈍いんだろうか?
「それじゃあ、俺達も旅館に戻るか」
と口にしたところで、隣に立っていたラウラの身体がフラッと左右に揺れた。
「ラウラ!?」
「だ、大丈夫だ……」
「全然、大丈夫じゃないだろう!?」
倒れそうになるラウラの身体を俺は受け止める。
息が荒く、身体が熱い。強がってはいたが、やはり体力の限界だったのだろう。気力で持ち堪えていると言った様子だ。
軽い脱水症状を起こしているかもしれない。早く連れて帰らないと。
「三人とも、かついで帰るしかないか。悪い、のほほんさんも手伝ってくれるか?」
「いいよー。じゃあ、後でかき氷おごってねー」
ちゃっかりしてるな。まあ、そのくらい別にいいか。
一番小柄な鈴を、のほほんさんに頼むことにした。
シャルロットとラウラの二人くらいなら、俺一人でもなんとか運べるはずだ。
「よし、それじゃあ……って、のほほんさん!?」
「ううっ……お、重い……」
ラウラとシャルロットのふたりを肩に担いだところで、致命的な事実に気付いた。
鈴が幾ら小さいとは言っても人間一人を背負って歩くというのは、かなり体力のいる重労働だ。
それをのほほんさんに――運動神経や体力が余りある方と言えない下から数えた方が早い彼女に頼むこと自体、大きな間違いだった。
鈴を背負ったのほほんさんが、フラフラと左右に揺れ動く。今にも倒れそうだ。
「危ない!」
慌てて、のほほんさんに駆け寄る。しかしそこで重大なミスに気付いた。
ラウラとシャルロットを肩にかついでいるため、俺は両手が使えない。
しかしこのままでは、のほほんさんが倒れるだけでなく、気を失ってる鈴も怪我をするかもしれない。
「ええい!」
一か八かで、全身を使って倒れるのほほんさんを受け止める。
「うわっ!」
しかし、そんなに上手くいくはずもなく、体勢を崩し一緒に転倒してしまった。
◆
「ううっ〜、ごめん。おりむー」
「いや、こっちこそ、無理を頼んで悪かった。怪我はない? のほほんさん」
「うんー。よかったー、皆も大丈夫そうだねー」
下が砂だったこともあるだろうが、反射的に身体を使って庇ったことが幸いした。
頭を打った様子もなく、のほほんさんを含め、四人とも無事のようだ。
(うっ、胸が……)
ただ、これはまずい体勢だ。四人とも、俺に覆い被さるようなカタチで倒れていた。
水着腰に伝わって来る柔らかな感触。女性特有の甘い匂い。健全な十代男子としては、如何ともしがたい状態だ。
「のほほんさん、取り敢えず退いてくれ」
「あ、うんー。あれ? 身体が絡まって……」
もぞもぞと、のほほんさんが動くたびに、皆の肌が密着してこすれる。
誰かに見られる危険性があるというのもそうだが、この状況は男として色々とまずい。
早くして欲しいが、急かせば急かすほどに、のほほんさんの動きは怪しくなってきた。
「あ、やっと取れた。おりむー、もう大丈夫だよ」
ふう、やっと解放される。ん、何が取れたんだ?
のほほんさんが身体を起こしてくれたことで、ようやく手足の自由が出来た。
他の三人を起こさないように気を遣いながら、俺はそっと身体を起こす。
「ふう、やれやれだな」
一時はどうなることかと思った。
こんなところを誰かにみられたら、どうなっていたことか……。
朝のようなことは勘弁だからな。でもま、後はこれで三人を旅館に運べば、何事もなく――
「うっ、ここは……」
「ラウラ、よかった。目が覚めたんだな。悪いんだが、ひとりで……」
少し休んで楽になったのか、ラウラが目を覚ました。
ラウラが動けるなら、後は鈴とシャルロットをかついで戻ればいいだけだ。ラウラには悪いが、動けるなら歩いて旅館まで戻ってもらおう。
そう考え、声を掛けたところで――カチリと時が制止する音を俺は聞いた。
「どうした……?」
怪訝な表情を浮かべ、俺の視線を辿るように目を下に向けるラウラ。
水着を隠すように着込んでいた服のボタンが――はずれていた。
だが問題は服のボタンではなく、服で隠していた水着の方にあった。
ラウラが着ている水着。それは先日デパートに行った時に見せてもらった物ではなく、ほとんどヒモと言っていい、きわどい黒の水着だったからだ。
所謂、マイクロビキニとかいうアレだ。必要最低限のところはちゃんと隠れてはいるものの、ほとんど裸と言っていいその大胆な水着に、俺の目は釘付けになる。本来はすぐに目をそらすべきなのだろうが、余りに予想外すぎて固まって動けずにいた。
「ヒモ……」
「あうっ……!」
俺の『ヒモ』という言葉に反応し、顔を真っ赤にして言葉にならない声を漏らすラウラ。
上着を羽織って隠していた理由に、この水着を見てようやく合点が行った。
でも、なんでこんな水着を……。実用性と機能性を重視するラウラの趣味とは思えない。
「ラウラ、それって……」
「い、いや、これは……隊から送られてきた装備のなかに紛れていてだな」
「ああ、えっと……ドイツでは、そういうのが流行ってるのか?」
「そんなわけがあるか! 日本の男性は、これを着ると喜ぶというから――」
いや、一部の男は確かに喜ぶかもしれないが、その知識は偏っているぞ。
やはり、ラウラに色々なことを吹き込んでいる人物とは、一度きちんと話をするべきだと考えさせられた。このままでは、ラウラの将来が心配だ。
俺を喜ばせようとしてくれたのは素直に嬉しいと思うが、幾らなんでもこれはない。まだ学園指定のスクール水着の方が、遙かにマシだろうと思える水着だった。
「違うんだ! これはちがっ……」
「危ない!」
気の動転したラウラが、砂に足を取られて前屈みに倒れる。
俺は慌てて立ち上がりラウラを支えようとするが、体勢が悪く間に合わず――
もつれるように、一緒に転倒してしまった。
「「――ッ!?」」
ラウラが下、俺が上。押し倒すような格好で、砂の上で絡み合う男女。
重なる唇と唇。ラウラと俺の唇が、互いの感触を確かめ合うように触れ合っていた。
キスは何味とかよく聞くが、味なんて確かめている余裕はない。
「おりむー、大胆……」
「いや、これは!?」
慌てて身を起こし、弁解しようと振り返る。こんなことを広められたら身の破滅だ。
しかしそこにはのほほんさんだけでなく、いつの間にか目を覚ました鈴とシャルロットの姿があった。
「へ……?」
しかも、何故か上だけ水着をつけてない。胸の部分を手で押さえている状態だ。更に言えば怖い。
ふたりの全身から溢れだす冷たいオーラは、局地的に周囲の温度を十度は下げていた。
あはは、クーラーいらずでいいな。
――って、なんで水着をつけてないんだ!?
と、のほほんさんの方をみると、その手には小さな布らしき物が握られていた。
ああ、さっき『やっと取れた』とか言ってたのは水着のことか……。ようやくすべての謎が解けた。
「あたし達が寝ているのをいいことに……な、何をしようとしたのよ!?」
「見損なったよ、一夏。一言いってくれれば、僕だって……」
「ちょっと待て! お前達、凄い誤解を――って、ラウラ!?」
茹で上がったタコみたいに顔を真っ赤にして、ラウラは気を失っていた。
さっきのキスがトドメとなって、ラウラの耐久限界温度を超えたらしい。
あと頼れる味方は……そうだ! のほほんさん、この誤解をなんとか――
「おりむー。私、先に旅館に帰ってるねー」
「え、ちょっと!?」
雰囲気から危険を察知したのか、手を振って走り去って行く、のほほんさん。
しかも、こんな時に限って無茶苦茶足早いし! いつものスローペースは!?
ああ、鈴とシャルロットの水着を手に持ったまま……。せめて、水着くらいは置いていってくれ。
「一応、訊くけど……話を聞いてくれるつもりは?」
ニコッと笑う、鈴とシャルロット。うん、いい笑顔だ。今までに見たことがないくらい……。
展開されるIS。唸る衝撃砲。火を噴く高速切替。轟く爆音。立ち上る水柱。
あはは、もう笑いしか出てこない。ぬがあっ、死ぬ! このままでは死んでしまう!
俺は今日、のほほんさんの恐ろしさを思い知った。
……TO BE CONTINUED
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