少し肌寒くなってきたこともあり、海で遊んでいた生徒達も徐々に散っていく。
黄昏に染まる空。夕闇に包まれていく海を、崖の上から眺めている一人の生徒がいた。
「綺麗だよね。ここから眺める夕焼け」
「……え?」
声のした方に振り返るビキニ姿の生徒。その視線の先には、スクール水着に身を包んだ小さな女の子がいた。
生徒の名は篠ノ之箒。少女の名は平田桜花。ふたりの瞳には同じ夕焼けが映っていた。
「一夏に見せるために、その水着を買ったんじゃないの?」
「それは……」
「あ、土壇場になって着ているところを見せるのが、恥ずかしくなったとか?」
「うぐっ……」
皆に混じらず、こんなところにひとりで居る箒を見て、桜花はやっぱりと言った様子で核心を突く。
先日の買い物の時にも、箒はひとりだけ一夏に水着を着てみせることが出来なかった。
結局、悩んだ末に買ったのは、今着ている白のビキニ。しかも、かなりのセクシー系。自分でも大胆すぎると自覚して購入した水着だったが、このくらいしないと恋敵に勝てないと思ったのだ。
でも、いざ当日になると、大きな胸のこともあって鏡で再度自分の姿を確認すると、とても一夏の前に出るのは躊躇われた。
それに、他の女子が居る前でこんな格好をしていれば、絶対にまた注目を集めることになる。大きな胸にコンプレックスを持っている箒からすると、この格好で人前に出るというのは、かなり勇気のいることだった。
なら、そんな水着を買わなければいいのにと思うかもしれないが、女心は複雑なのだ。
「箒お姉ちゃんも、難儀な性格をしてるよね」
「うっ……」
こんな小さな女の子にまで言われるようでは、と箒は暗い影を背中に落とす。
言われなくてもわかっていることではあったが、こうして面と向かって言われると、本当に自分はこんなところで何をしているのだろう、と箒は深く考えさせられた。
結局は逃げているだけ、問題を先送りにしているだけだ。それは箒にもわかっていた。
一夏が他の女と一緒に居るところを見て嫉妬するくらいなら、もっと積極的に自分からアプローチしないとダメだということは彼女にもわかっていた。
でも、頭では理解は出来ていても、感情はついていかない。いざとなるとどうしても決心がつかなかった。
その結果が、この繰り返しだ。
「でも、逃げてばかりじゃ何も解決しないし、進展しないよ」
「それはわかっている。しかし……」
「わかってるなら、なんでさっき束お姉ちゃんから逃げたの?」
一夏の話から、突然『束』の名前がでたことで酷く動揺する箒。でも、桜花はそんな箒に容赦なく言葉を続ける。最初に一夏の話をだしたのは、箒に話を聞かせるため、ペースに巻き込み逃げ道を塞ぐためだ。
普通に束の名前をだしただけなら、箒は口を開かず、その場から逃げようとするだろう。
それは昼間の一件からも明白。彼女と束の間にある溝の深さを理解した上での話だった。
「――ッ! 何故、それを知って」
「自分の意思で決めて束お姉ちゃんに頼ったのに、今度はまた束お姉ちゃんを避けるの?」
「違う! 私はそんなつもりでは――」
「同じことだよ。言葉と行動で示さない限り、それは相手には伝わらないもの。まあ、都合良く利用するだけというなら、別にそれでもいいと思うけど」
そんなつもりじゃない。そう言いたいのに、桜花の言葉を否定することが箒には出来なかった。
利用する――確かにそう考えたのは否定出来ない。一夏の言葉で決心がつき、束に頼ったのは確かだ。そこには束なら妹の頼みを聞いてくれる、なんとかしてくれるといった甘く打算的な考えがあった。
でも、束のことをなんとも思っていないのかと言えば、そうとは言い切れない複雑な想いが箒のなかにはある。
しかし、それを言葉にすることが出来なかった。
「複雑に考えることなんてないと思うけどね。一夏のことも、束お姉ちゃんのことも」
「それは、どういう意味……」
「一夏はいつもあの調子だし、束お姉ちゃんは純粋に妹のお願いだからってだけだろうし」
桜花の言っていることは、箒にも理解出来る内容だった。
複雑に考えるな。それは箒を励ましているようにも、諭しているようにも取れる言葉。
でも、そう話す桜花の表情は少し寂しげで、子供を見守る母親のように優しい目をしていた。
「明日は七月七日。この意味がわからないわけじゃないよね?」
「…………」
「この先は、箒お姉ちゃん次第。でも、少しは考えてくれると嬉しいかな?」
――何も言ってもらえないのは、きっと悲しいことだと思うしね。
それは、箒の心に深く残る言葉だった。
異世界の伝道師外伝/一夏無用 第36話『教師の資質』
作者 193
時刻は夜の七時半。旅館の一番奥にある大座敷『風花の間』。大広間を三つも繋ぎ合わせて作られた宴会場は、一年生全員が並んで座っても十分余裕のある広さを持っていた。
地元の幸を使った豪華な料理。新鮮なカワハギの刺身に小鍋、山菜の和え物に赤だしの味噌汁、お新香に炊き込みご飯と、まさに和のフルコース。
時にこのカワハギの刺身が絶品すぎる。昔は普通に食卓に並んだ庶民の魚だったと言う話だが、今では高級食材として扱われている魚だ。普通は高校の宿泊行事なんかで、お目にかかれるような物では無い。それが今、俺の目の前にあった。
「味わって食べないとな」
美味い。美味すぎる。しかもわさびは、これまた本わさびだ。
練りわさびは普通に見かけるが、本わさびは今となっては珍しく、一部の高級料亭などでしかだされていないと言う話だ。
他の食材もそう、どれもこれも地元で取れた新鮮な食材ばかり。一見するとなんでもないよくあるメニューに思えるが、これほど贅沢な食事は滅多にお目にかかれない。
「美味いな、これ」
「そうね」
「そうだね」
「…………」
鈴、シャルロット、ラウラの順だ。なんというか、場の空気が張り詰めていた。
あの後、事情を知るのほほんさんに説明してもらって、なんとか誤解は解けたはずなんだが、やはりまだ昼間のことを引き摺っているらしく、その態度からも不機嫌そうなオーラが鈴とシャルロットからは滲み出ていた。
ラウラはラウラで、まだ昼のことを気にしているようだ。
謝ったんだがな……。まあ、あんなことがあった後じゃ仕方がないか。事故とはいえ、やはりラウラも女の子だ。キスはやり過ぎだった。
「そういえば、箒は昼間どこにいたんだ?」
「…………」
こっちも無言。昼間ずっと海にいたが、箒の姿だけ見かけなかったので少し気になっていて訊いたのだが、何やら訊いてはいけないことだったのか、少し不機嫌そうだ。
この様子では、前にデパートでこっそりと買った〝アレ〟もどうやって渡そうか悩む。
タイミングが問題だな。明日までに機嫌が直ってくれてるといいんだが……。
そう、今日は七月六日。明日は七夕だ。そして明日は箒の――
「……なんだ?」
「い、いや、この刺身美味いなーって」
「そうだな」
ようやく口を聞いてくれたが、やはり機嫌が悪いようだ。何があったのやら……。
料理は美味しいのに、この空気はなんとも耐え難い。胃の辺りがキリキリとする。
場を和ませる明るい話題が何かないかと探していると、俺の左隣で足をむずむずとさせながら唸っているセシリアが目に留まった。
「大丈夫か? セシリア」
「だ、大丈夫……ですわ。ちょ、ちょっと……足が痺れただけで……」
ちょっとと言う割に、全然大丈夫そうに見えない。正座に慣れていない所為か、顔色も随分と悪いみたいだった。
食事の方も余り進んでないみたいだし、美味しいのに勿体ない……。
IS学園は世界中から入学希望者がやってくるために、うちのクラスを含め、全体的に外国人の割合が多い。所謂、多国籍な学園だ。
そこでテーブル席も用意されているのだが、何故かセシリアはこの席に拘りをみせていた。
一応、そっちの方が楽じゃないかと最初に注意したのだが、それでもここがいいと言い張って聞かなかったのだ。そんなに皆と一緒がいいんだろうか?
でも、隣でこんな風に唸られていると気になって仕方がない。おっ、そうだ。
「よし、なら食べさせてやろうか?」
「「「え?」」」
いや、なんでお前達全員が振り向く。
セシリアだけでなく、箒達を含む、周りの女子全員が反応していた。
「いや、昼は悪いことしたからさ。そのままじゃ食べにくいだろ? だから――」
「是非、お願いしますわ!」
そんなに身を乗り出して頼まれなくても、自分から言い出したことだ。食べさせるくらい問題ない。それにこのままじゃ折角の刺身も鮮度が落ちてしまうしな。
セシリアには昼間のこともあって、何かお詫びがしたいと思っていたところだ。
こんなことでチャラになるとは思っていないが、困っている友人を放って置くのは忍びない。
「じゃあ、取り敢えず刺身から、わさびはどうする?」
「しょ、少量でお願いします」
「ん、了解」
どうやら、わさびは苦手らしい。まあ、好みがあるしな。
ちなみに俺は、刺身にわさびを直接乗せて、しその葉で包んで食べるのが好きだ。
わさびの風味と辛さ、あのしその葉の食感がたまらない。刺身は色々な食べ方が出来るので、そうしたところも楽しみの一つだったりする。
でもまあ、セシリアが苦手なら仕方がない。刺身を一切れ掴み、わさびを少量混ぜた醤油をつけてセシリアの口に持って――行こうとしたところで問題が発生した。
「……何してるんだ? お前達」
円陣をなして、大勢の女子が俺の周りを取り囲んでいた。
しかも、ひな鳥のように全員が口を開き、じーっと餌を待っている状態だ。
何気に箒達まで混ざっていた。お前達、さっきまで機嫌が悪かったんじゃ……。
「織斑……また、お前か。少しは自重しろ」
ガンッ、千冬姉の拳骨が俺の後頭部に炸裂した。
痛い……俺の所為なのか? なのかな? なんか腑に落ちないんだが。
何やら理不尽なものを感じつつも、千冬姉の登場で各々の席に散り散りに戻っていく女子を見て、俺はセシリアに謝った。
この様子ではセシリアに食べさせたら、また同じことの繰り返しになりそうだと思ったからだ。もう、あの拳骨はもらいたくない。
「ううっ~」
しかし俺が謝ると怒らせてしまったようで、リスのように頬を膨らませるセシリア。
うっ、そんなに自分で食べるのが大変だったのだろうか?
食べさせてやると自分で言い出したことだけに、さすがに罪悪感がわいてくる。――おお、そうだ。
「セシリア、後で俺の部屋に来てくれるか?」
「え……?」
今度は周りに聞こえないように気をつけながら、セシリアの耳元で小さく呟いた。
まばたきをして驚くセシリア。どうも俺に確認を取っているようだ。
そんなセシリアに首を縦に振って答えると――
「ああ、何を食べても美味ですわ!」
足の痺れに慣れたのか、生き生きとした表情で食事を再開した。
◆
「ああ、美味しかった。やっぱり和食は刺身と鍋よね」
「ですね。あ、桜花さん。私、お風呂に行きますけど、どうしますか?」
「んー、ちょっと食べ過ぎちゃったし、後にするわ」
「わかりました。それじゃあ、ひとりで行ってきますね」
「うん、いってらっしゃーい」
と手を振って、大広間から続く廊下で蘭と別れる桜花。
ご機嫌な様子で鼻歌を口ずさみながら、桜花はそのまま土産物コーナーに足を運ぶ。
「温泉饅頭か……。定番だけど、タペストリーよりはマシかな」
こういうのが好きな買って帰らないと五月蠅い人達がいるため、何も土産を買って帰られないと言う選択肢は桜花にはなかった。
カタチだけでも何か揃えておかないと面倒なことになるのがわかっているだけに、土産物選びには慎重になる。
お茶請けになりそうな饅頭や、地元の漬け物など食べ物を中心に買い込んで行く。何かとお茶をすることが多いというのもあるが、半分以上は桜花の趣味も入っていた。
「随分と食べ物ばかりを買うのだな……」
「酒の肴や、お茶請けになる物の方が喜ばれるからね。千冬お姉ちゃんも、お土産を買いに?」
「……学園の先生方にな」
「ふーん、お兄ちゃんにじゃないんだ」
桜花の意味深な質問に、珍しく動揺をみせる千冬。しかし桜花のペースに引き込まれまいと話には乗らず、自分の土産物選びに集中した。
そんな千冬の態度を見て興味を無くしたのか、桜花も自分の土産物選びに戻る。
ふたりの間には、なんとなく第三者が近寄りがたい空気が張り詰めていた。
「そうだ。束お姉ちゃんに会ったよ」
「束に……? 捕まえたのか?」
「捕まえておいて欲しかったの?」
「いや、そう言うわけでは……」
「一度捕まえたんだけど特に害はなさそうだったし、野生に返しておいた」
「そうか……」
「まあ、箒お姉ちゃんに用事があるみたいだったし、また顔を出すんじゃないかな?」
桜花の話に複雑な思いを抱きつつも、相手が束なら仕方がないかと千冬は納得した。
桜花に本気で束を拘束する意思がないことが、わかっていたからだ。
束と正木の間に何があったかまでは千冬もしらない。しかし、太老や桜花に束をどうこうする意思がないことだけは理解していた。
束には束の、太老には太老の目的と思惑がある。少なくともそれが対立しない限りは敵対することもない。そして太老達が、ある目的を除いて中立な立場であることも、千冬が敢えて何も訊かない理由にあった。
「束お姉ちゃんもそうだけど、千冬お姉ちゃんも不器用だよね」
「…………」
「まあ、いいけど。口にしないと伝わらないことだってあるんだよ?」
それは桜花なりに千冬のことを心配してのアドバイスだった。
どちらにせよ、これ以上は当事者達の問題であって、桜花も口を挟むつもりはなかった。
「お前は時々、お節介になるな。箒の件といい……」
「あ、知ってたんだ?」
「見ていれば気付く。これでも、あいつらの教師だからな」
そっか、と嬉しそうに笑う桜花。
千冬の言うように桜花は自分でもお節介だと思ってはいたが、箒の件は束のことを考えると、どうしても一言確認しておきたかったのだ。
それは後で報告を聞いた太老が、心を痛める姿を見たくなかったからでもあった。
「意外と、お前は教師が向いているのかもしれないな」
「その言い方だと、歳のことを言われてるみたいで嫌なんだけど……。まあ実際、私の方が千冬お姉ちゃんより年上だけどさ……」
「そうだったな……。見た目からは想像もつかないが」
「なんだってそうだよ。〝表面〟ばかり見てたって、〝本当〟のことは見えてこない」
桜花が何を言いたいのかは千冬にもわかっていた。
しかし、それを口にすることはない。そして桜花も答えを求めているわけではなかった。
そう、これはただの〝世間話〟だ。そこに、それ以上の意味は必要ない。
「うん、これ以上はちょっとお節介が過ぎるかな? あ、そうだ」
「なんだ?」
「折角温泉にきたんだし、偶には一緒に飲まない?」
まだ就業中なのだがな、と苦笑する千冬。
そもそも見た目が子供の桜花と一緒に飲むのは色々と問題がある。
だが、桜花がどこからともなく取り出した瓶を見て、千冬は断るという選択肢を失った。
「やれやれ、貴重な酒ではなかったのか?」
「貴重だから、こういう時に飲むんじゃないの?」
クスクスと笑いながら、お兄ちゃんなら樽ごと用意しそうだけどね、と言って千冬を驚かせる。
桜花の世界では、それ一本で星が買えるとさえ言われている幻の酒。
それは甘い香りの漂う、とても魅力的な誘惑だった。
……TO BE CONTINUED
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