「何やら、騒がしいな」
「そうだね。何かあったのかな?」
ラウラとシャルロットはふたりで、温泉旅館と言ったら定番のゲームコーナーにいた。
大浴場に行った帰り道、ラウラがクレーンゲームの前で立ち止まったのが事のはじまりだった。
「ほら、取れたよ。ラウラ」
「上手いのだな。シャルロットは」
ラウラが余りに熱心に眺めているので、『やってみたら?』と勧めたシャルロットだったが最初から上手く行くはずもなく、はじめてと言うこともあるのだろうがラウラはこの手のゲームが余り得意ではなかった。
何度挑戦しても思うようにいかず、苛立ちを募らせるラウラ。その様子に見かねたシャルロットが、『じゃあ、今度は僕がやってみるね』とラウラに助け船をだした。
何かと器用なシャルロットだ。こうしたことをやらせても上手いらしく、二回であっさりと目的の獲物を手にすることに成功した。それを見たラウラが珍しく、『おお』と目を輝かせて素直に感心するほどの腕前だった。
「はい。ラウラにあげるよ」
「いいのか?」
「欲しかったんでしょ?」
「う、うむ……ありがとう」
ウサギにも猫にも見える不思議な生き物のぬいぐるみ。それを愛しそうに抱きしめるラウラ。そんなラウラの意外な一面をまた一つ見つけて、シャルロットは嬉しくなって優しい微笑みを浮かべた。
ラウラは普段、クールで厳しいところばかり目立つが、純粋な一面を持った可愛らしい少女だ。そんな一夏も知らないラウラの意外な一面を、シャルロットは色々と知っていた。
IS学園の食堂で密かに人気を集めているチョコレートプリンが好物だったり、最近は洋服やアクセサリーにも興味を持ち始めている様子で雑誌で情報を集めたり、シャルロットに女の子らしい振る舞いや日本の流行などを尋ねたりもしていた。
一夏のことを考えて色々と頑張るラウラの姿は、女性のシャルロットからみても、とても可愛らしく微笑ましいものだった。
「でも、それってなんのキャラクターなんだろうね?」
「ん? これは生き物だぞ?」
「え、こんな生き物いたかな……」
何かのキャラクターだと思っていたシャルロットは、ラウラの話に怪訝な表情を浮かべる。
額に宝石のような物がついたこんな生き物は、シャルロットも見たことがなかった。
「以前、これと同じ生き物を見たことがある」
千冬がドイツで教官をしていた頃のこと、何かの用事でラウラの所属する隊を太老が訪問した際のことだ。その太老の頭の上に、このぬいぐるみと同じ姿をした生き物が乗っていたことをラウラは記憶していた。
ふさふさとした茶色の毛。キラキラとした瞳。『みゃあみゃあ』と人懐っこくすり寄ってくる姿は隊員達の心を魅了し、その余りの愛らしさから隊のなかで、ちょっとしたブームになったこともあるほどの人気だった。
今でも隊員の大半が、この生き物の写真を密かに所持しているくらいだ。ラウラが隊長に就任した後、IS配備特殊部隊『シュヴァルツェア・ハーゼ』の部隊章のモチーフがウサギに決まったのも、元を辿ればこの生き物が原因だった。
「――と言うことがあってだな」
「え、ウサギなの?」
「どうみてもウサギだろう?」
「僕は猫だとばかり……」
ウサギと聞いて、ううんと唸るシャルロット。ウサギか猫か、その答えが出ることはなかった。
異世界の伝道師外伝/一夏無用 第38話『ひと夏の暴走』
作者 193
「えっと……これって」
「はあ……嫌な予感が当たってしまったな」
風呂から戻った桜花と千冬が目にしたものは、廊下に横たわるセシリアと部屋のなかで同じく気を失っている蘭と鈴の姿だった。
とろけるような顔で気持ちよさそうに眠る三人を見て、犯人の正体に千冬はすぐに気付く。
犯人は一夏だ。状況証拠がすべてを物語っていた。
「あっ、酒瓶が空になってる」
「大体、予想が付くな。ジュースと間違えて酒を飲んでしまったと言ったところか」
「なんとお約束な。まさか、あんな単純な手に引っ掛かるなんて……」
「……わかっていてやったのか?」
「いや、ここまでの展開はさすがに予想外……かな?」
神樹の酒――それは桜花の故郷で僅かに採れる樹の実を材料に作られる酒のことだ。
滅多に市場に出回ることはなく、嘗てオークションに出品された時は一瓶で惑星ひとつに相当する価格がついたこともあるとされる幻の酒で、この世界には存在しない異世界≠フ果実酒だった。
その酒の材料ともなっている『皇家の樹の実』から搾り取った混じりけなし果汁百パーセントのジュースは、桜花の故郷『樹雷』の皇族に名を連ねる者であっても、滅多に口にすることが出来ない稀少品とされている物だ。原料として使われている樹の実の数が少ないというのも稀少な理由の一つにあるが、問題は材料のほとんどが酒の仕込みに使われるために、ジュース用の果実が確保出来ないことにあった。
そもそも皇家の樹の実自体、本来は皇族が契約を交わした皇家の樹からしか採れないため、その管理と所有権は樹の契約者にあり、まとまった数を確保するのが難しいとされていることも、稀少とされている理由にあげられていた。
「うわっ、見事にお酒だけ無くなってるね。ジュースはそのままなのに」
酒はともかく果汁百パーセントのジュースなど、入手可能な人物は樹雷の皇族のなかでも限られている。
桜花や太老はそのなかでも例外中の例外。皇家の樹の頂点に君臨する創造主とも言うべき始祖『津名魅』同様に、未だ契約者を持たない皇家の樹が眠る『天樹』のなかに自由に出入り出来る資格を持ち、複数の皇家の樹から樹の実を集めることが出来るふたりだからこそ、こんな風に気軽に手に入れることが可能なだけで、稀少品であることに変わりは無い。
「私の酒が……」
「気になるのはそこなんだ……。一応、ジュースの方が稀少品なんだけどね」
その味わいは奥深く、香りは芳醇。まさに奇跡の果実と呼んでも過言では無い。
普通の酒にほんの数滴落とすだけで、酒の旨みと香りを最大限に引き出し、極上の味わいを持つ酒へと変貌させる奇跡の果汁。コップ一杯で体力を回復させるばかりか、口にした者の体調を整え、寿命を延ばすとさえ言われている幻のジュースがこれだった。
とはいえ、酒好きの千冬からすれば、やはりジュースよりも酒の方が好み。そのこともあって神樹の酒は風呂上がりにゆっくりと頂くつもりで、先にジュースの方を普通の酒に割って楽しんでいたのだ。
で、自分達だけ楽しむのはどうかと考え、その残りを一夏と蘭に勧めたつもりだったのだが、それがまさか残っているジュースの方ではなく、封を切っていない新品の酒の方を飲まれるとは千冬も思ってはいなかった。
桜花はなんとなく予想していたようだが……。
「大体どうするつもりだ? この様子だと確実に暴走してるぞ」
「蘭に協力してあげるつもりで、ちょっとしたサービス精神だったんだけど、ね」
「ね、じゃない。他に被害が出ているではないか……」
「でも、阿重霞お姉ちゃん手製の結界を部屋に張って行ったんだよ? 内側からは開けられないはずだったんだけどな……」
術者でなくても特定の道具を用いることで発動が可能なため携帯性と利便性が高く、桜花の故郷では捕縛した犯罪者を閉じ込めておくために使われる便利な結界だった。
ただ防御用の結界と違い、外からの干渉には弱いという欠点もあり、今回のように外から開けられることは余り想定していないものだった。
風呂に行っている間の僅かな時間のことだ。大がかりな結界だと帰ってきた時に解除するのが面倒だと思い、この簡易の結界を用いた桜花だったが、それが今回は仇となった。
まさか『織斑先生』の部屋に押しかけてくる女子がいるとは思わず、彼女達の行動力を甘く見ていた結果がこれだ。
「恋する乙女の行動力って凄いよね」
「感心している場合か……」
さすがに、これには千冬も呆れる。感心している場合ではなかった。
鈴とセシリアは自業自得で済ますとしても、問題はどこかに消えた一夏の方だ。
部屋に一夏の気配はない。そして廊下にセシリアが倒れていたことからも、神樹の酒を一本空けて暴走状態になった一夏が、旅館のなかを徘徊していることだけは確かだった。
そして一番の問題は、普通の人間に暴走状態の一夏を止めることは絶対に出来ないということだ。皇家の樹の実を原料とした栄養ドリンクを飲み続け、体力の限界に達するたびにドリンクの力で超回復を繰り返し力を付けてきた一夏の身体は、既に人間の限界を軽く超えていた。
本人がどの程度自覚しているかはわからないが、この世界において一夏の力は間違い無く最強クラスに位置する。経験や技術を除けば、基本的な身体スペックだけなら千冬をも上回るほどの力を一夏は隠し持っていた。
「あの状態の一夏って、うちの秘書でも対処できないんだよね……」
「……それほどなのか?」
「多分、千冬お姉ちゃんでギリギリ互角くらいだと思うよ」
「それは……」
正木に席を置く秘書達の力を知っている千冬は、桜花の話す一夏の力に驚かされた。
まさか自分の弟が僅か三年で、それほどの力を身につけるに至っていたとは思ってもいなかったからだ。
正木の秘書――彼女達は文字通り一騎当千の猛者と呼んでいい強者達だ。知力、体力、技術、そして経験。すべてにおいて、世界最高クラスの能力を備えた闘士達。装備次第ではISを展開した操縦者すら打倒する力を持つ、世界最強の部隊だ。
その彼女達を一対一でくだすことが可能ということは、それだけで世界最高クラスの力を有している証明になる。例え、IS学園の教師が束になって止めようとしても、今の一夏を止めることは出来ない。専用機持ちであったとしても学生の身では……それも一年生では抗う事も出来ないはずだ。
「仕方無いか……。あー、一夏の位置は捉えてる?」
桜花は空間投影ディスプレイを呼び出し、すぐに旅館に潜ませている秘書達に確認を取る。
これだけの騒ぎだ。彼女達が状況を把握していないはずがない。
『はい。エントランスホールを抜け、現在は二階の西廊下付近を徘徊中です』
「被害者の数は?」
『現在、四十八名……あ、五十名に増えました』
「もう、そんなに……。なんで、私に連絡しなかったの?」
『温泉を満喫したいから緊急時以外は連絡しないで、と桜花様からのご命令だったと記憶していますが?』
「……これって緊急事態だよね?」
『そうなのですか? 太老様の場合、このくらいは日常レベルだったかと』
「お兄ちゃん基準!?」
今は桜花の下で働いているとはいえ、彼女達は元々太老に仕えているメイド達だ。
全宇宙、全世界で最も多くの問題を抱える事象の起点≠ノ仕える彼女達にしてみれば、この程度の騒ぎはよくあること、緊急事態と呼ぶほどのことではなかった。
その一番重要なことを、桜花は失念していた。
「と、とにかく、これ以上の被害は防いで! 私もすぐにそっちに行くから、一夏の足止めをお願い」
『了解しました。装備の使用許可は?』
「旅館に損害を出すわけにはいかないから、白兵戦装備Bまでなら許可するわ」
時間が経過するほどに事態は悪化の一途を辿る。後に残されるのは、横たわる女子の群れ。
全滅は時間の問題。一夏の酔いが覚めるのを待っていられるほど、時間の余裕はなかった。
「まずは、この事態を収拾するのが先ね」
「全く、次から次へと面倒なことばかり起こるな」
「うっ、ごめん。今回は私の見通しが甘かったわ……」
「それは、お互い様だがな……」
今日一番の大きなため息を漏らす千冬と桜花。
一夏を捕まえることは、それほど難しいことではない。
幾ら一夏が人間離れしていても、それは桜花も千冬も正木の秘書達も同じだからだ。
「一夏も段々と、お兄ちゃんに似てきたね……」
「言わないでくれ……。また、頭が痛くなる」
ただ問題は――この後始末の方だった。
◆
蝉の鳴き声が耳に響く。それはさながら蝉の合唱団と言ったところだ。
カーテンから漏れた光が朝の訪れを知らせ、その光に導かれるように俺は目を覚ました。
「ううん……朝か? あれ、俺どうして……」
すっきりとしない頭で周囲を見渡すが、見覚えのない部屋に首をかしげる。
畳の部屋に敷かれた一枚の布団。清潔感溢れる真っ白なシーツと枕からは、ふかふかと柔らかい感触が伝わって来る。
ここが寮の部屋でないことだけは確実だった。
「ああ、そうか。臨海学校にきてたんだったな」
旅館に一泊したことをようやく思い出す。ここは織斑先生の部屋、そして俺の部屋だ。
でも、いつの間に布団に入って休んだのか、その辺りの記憶が全くなかった。
温泉に入って蘭と一緒に部屋に戻ったところまでは覚えてるんだが、その後の記憶がプツリと途切れている。
「うっ……頭が痛い」
頭がズキズキと痛む。体感したことはないが、まるで二日酔いのようだ。
でも、酒なんて飲んだ記憶は無いし、今の状況が全く呑み込めなかった。
「……ダメだ。何があったのか、さっぱり思い出せない」
記憶が曖昧だ。後で蘭に昨日のことを訊いてみるか。あ、セシリアとの約束もあったんだった。覚えてないってことは、多分セシリアが来る前に寝てしまったんだろう。セシリアにも謝っておかないと……。
昨日のことを思い出しながら考えをまとめていた、その時だった。
シャッと隣の部屋に続く仕切りのふすまが開かれる。その向こうから顔を見せたのは、この部屋に泊まっている、もう一人の客――浴衣姿の千冬姉だった。
「……目が覚めたか」
「あ、おはよう。千冬姉、なんか辛そうだけど寝てないのか?」
なんか、目の下にクマが出来ているし、顔色も少し優れないみたいだ。
昨晩は遅くまで、幼女と酒を飲んでいたんだろうか?
翌日に影響を残すほど羽目を外して飲むなんて、千冬姉にしては珍しいと思った。
「ああ、色々とあってな。それよりも織斑先生だ。何度言えばわかる」
「うっ……織斑先生。それじゃあ、着替えて顔を洗ってくるよ」
「そうしろ、九時に浜辺集合だ。遅れるなよ」
九時か。部屋の時計を確認すると、時刻は七時を少し回ったところ。
まだ余裕はあるが大食堂で朝食を取る時間を考えると、早く身支度を済ませた方が良さそうだ。
俺は朝、よく食べる方だしな。長年の生活習慣のようなものだが、実際その方が効率がいいのでそうしている。夜は寝るだけなので控え目でも構わないが、朝はしっかりと食べておかないと身体が保たないからだ。
食後の休憩も考慮すると、早めに出て食事を取っておきたいところだ。食べてすぐに運動するのは、さすがにきついからな。
「あっ、そうだ」
「なんだ?」
昨日は言いそびれたから、これだけは言っておかないとな。
「余り羽目を外して、酒を飲み過ぎるなよ」
――ガンッ!
千冬姉の身体を心配して言ったのに……何故か、思いっきり頭を叩かれた。
……TO BE CONTINUED
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