なんで、こうなった?

「あの……弱くありませんか?」
「いや、丁度良いよ」
「よかった」

 ここは海を一望出来る露天風呂、この旅館名物の温泉だ。
 で、今の状況なんだが、俺はバスタオル一枚の蘭に背中を流してもらっていた。
 なんで、こんなことになったのかって?
 いや、それは俺が聞きたいくらいなんだが、一応こうなった経緯を説明しておくと、あれは十分ほど前のことだ。

 俺は食事を終えた後、風呂に入るために海を見渡せるという露天風呂へと足を向けた。
 それと言うのも、本来風呂は男湯と女湯の二つに分かれているのだが、ここに泊まっているのは一部例外の除けばIS学園の教員と生徒だけ、そして男は俺一人だ。俺一人のために女子全員に不便を掛けるわけにはいかないと、大浴場をはじめ各種温泉の使用時間があらかじめ決められていたからだ。
 露天風呂の使用時間が丁度、食後の一時間だったこともあって、俺はその足で露天風呂に向かった。勿論、大好きな風呂を堪能するために――。
 しかし、ここで予期せぬアクシデントが起こった。本来、男子の入浴時間だったはずの露天風呂に、何故か先客がいたのだ。
 それが蘭だ。生徒全員に回っていたはずの連絡が、まだIS学園の生徒でない蘭には回っていなかった。
 当然、一緒に風呂になんか入れるはずもない。俺はすぐに出ようとしたんだが、

『一夏さんさえよければ、一緒に入りませんか?』

 と誘われ、気付けば流れの赴くままに、この状況になっていた。
 今になって後悔しても遅いが、あそこではっきりと断っておくべきだった。
 折角の露天風呂だ。しかも二泊三日の臨海学校。これを逃せば入れるのは明日しかない。
 そのため、心のどこかで温泉の誘惑に負けてしまったのは否定出来なかった。

「次は下を――」
「いや、下はいい! 下は自分で洗えるから!?」
「そうですか? じゃあ、背中を流しますね」

 少し残念そうに呟く蘭。さすがにそれはない。下だけは勘弁してくれ。
 でも、蘭の力加減が絶妙というのもあるのだろうが、他人に背中を流してもらうのは自分一人でやるよりも気持ちよかった。
 偶には、こういうのもいいかもしれない。状況が状況だけに素直に喜べないが……。

「一夏さんの背中って想像していた以上にたくましいです」
「そうか? 普通だと思うんだが……」
「そんなことないですよ。筋肉も引き締まってて、その……男らしいっていうか」
「まあ、鍛えてるしな」

 この三年間あれだけ鍛えたんだ。強くなってないとおかしい。
 それに今も以前ほどの訓練密度ではないが、学園の訓練以外にも自主鍛錬を欠かしていない。
 そのため同年代の男子に比べると、かなり身体を鍛えている方だと自覚しているが、こんな風に言われると少し照れ臭かった。

「一夏さんはどうして、そんなにも頑張れるんですか?」
「どうしたんだ、急に?」
「い、いえ……将来の参考に聞いておこうかなって……」

 ああ、そう言えば来年からIS学園に入るとか言ってたしな。なるほど、それでそんなことが知りたいのか。
 なんかラウラの時といい、最近はよく訊かれている気がするな。
 隠すようなことでもないんだが、改まって訊かれると少し恥ずかしかった。

「守りたいものがあるからかな」
「守りたいものですか?」
「ああ、強くなって守りたい人達がいる。だから、俺は頑張れるんだと思う」
「そのなかに……私は含まれていますか?」
「ん、当然だろ?」

 俺は、俺の大切な人達を守るために強くなりたいと考えた。
 守られてばかりの自分が嫌で、少しでも強くなって誰かを守れる自分になりたいと思ったんだ。
 その守りたいもののなかには――当然、蘭も含まれている。
 蘭だけじゃない。この手が届く限り、俺は大切な仲間を家族を守ってみせる。それが俺の覚悟であり目標だ。

「……なら、私は一夏さんを守ります」

 背中にピッタリと寄り添い、蘭は小さく何かを呟いた。
 潮風に流されて消えた声のなかに、かすかに自分の名前を耳にした気がするが、よくはわからない。
 ただ、蘭が俺の言葉で何かを感じ取ってくれたのなら、今はそれでよかった。
 覚悟や目標なんて人それぞれだ。そして蘭なら、間違った道に進むことだけはないと信用していた。

「そうだ、蘭。ちょっと相談に乗って欲しいんだけど」
「え、相談ですか?」

 ふと思い出したかのように、俺は蘭に話を振る。
 こんなことを蘭に話すのもどうかと思ったが、他に相談する相手も思いつかなかった。





異世界の伝道師外伝/一夏無用 第37話『旅館の惨劇』
作者 193






「あ、お帰り一夏。あれ? 蘭も一緒だったんだ」
「げっ!」
「げ……?」
「い、いや、なんで桜花さんがここに……?」

 部屋に戻ったら、何故かそこに合法幼女がいた。
 千冬姉も一緒のようで、ふたりで何やらつまみと思しき酒の肴を広げて一杯やっていた。
 何故、俺の部屋が帰ってきたら宴会場になってるんだ?

「千冬お姉ちゃんと一杯やろうと思って。一夏と蘭も飲む?」
「こら、教師の前で未成年に酒を勧めるな」

 俺も未成年に酒を勧めるのはどうかと思うぞ。特に千冬姉の前で。
 まあ、千冬姉の前でこんなことを平然と言えるのは、太老さんかこの幼女くらいのものだろうが、それにしても何を飲んでるんだ?
 なんとも言えない甘い匂いが部屋に漂っていた。
 果実酒のようだが、机の上に置かれた瓶にはラベルが貼られていない。

「それって、もしかして」
「ああ、一夏には前に見せたことあると思うけど『神樹の酒』よ」
「ああ、それで……」

 就業中にも関わらず、千冬姉がこんな風に羽目を外して、酒を飲むなんて珍しいと思ったんだ。だが、その理由にも合点が行った。
 神樹の酒――前に話した栄養ドリンクにも使われている貴重な樹の実で作られた果実酒だ。
 千冬姉はこうみえて結構な酒好きで、特にこの酒は俺にも触らせてくれないくらい大切にしているお気に入りの酒だった。
 千冬姉が学園の行事に酒を持ってくるとは思えないから、多分持ち込んだのは目の前の幼女なのだろう。
 外見からは幼女も未成年にしか見えないが、これでも千冬姉よりずっと年上という話だ。問題は……多分ないのだろう。千冬姉が何も言わないくらいだしな。

「しかし奥手かと思っていたら、部屋に女をこうも堂々と連れ込むとはな」
「千冬姉! これはそういうのじゃ!?」
「つ、連れこ……一夏さん?」
「違うからな、蘭! 変な誤解をするなよ!?」

 千冬姉の爆弾発言で顔を真っ赤にして、蘭は後ずさるように俺から距離を取る。
 蘭まで変な誤解をしたじゃないか、やめてくれ。ああ、俺のイメージが……。
 もう、酔ってるのか? そもそも、ここは『織斑先生』の部屋でもあるわけで、いかがわしいことが出来るはずも無い。
 そんなことをすれば、後で待っているのは教育的指導とは名ばかりの拷問に近いお仕置きとわかっているだけに、俺には残念ながら女を連れ込むような勇気や甲斐性はなかった。

「そういえば、蘭。お風呂に行ったんじゃなかったっけ?」
「え、はい。良いお湯でしたよ?」
「で、一夏と一緒に帰ってきたと……なるほどね」
「はうっ! そ、それは……」
「うんうん、青春してるみたいだね。ねっ、千冬お姉ちゃん」
「教師としては、本来は黙認しかねる話ではあるがな……」

 ダメだ。これ以上、何かを言っても多分、藪蛇になるだけだ。
 失敗したな。まさか、千冬姉と合法幼女が一緒に酒盛りをしているとは思っていなかったので、蘭を連れてきてしまったが……今更、後悔しても遅い。
 俺が苦手とする人物の頂点に君臨するふたりが一緒ということは、ここでの俺の立場はミジンコのごとく低いと考えていい。
 下手に反論すれば、手痛いしっぺ返しを食らうことは確実だ。大人しく嵐が過ぎ去るのを待つしかなかった。

「それで、どうして五反田を連れてきたんだ?」
「ああ、最近は色々と迷惑をかけてるから、マッサージでもサービスしようかな、って」
「なるほど……五反田は、それでいいのか?」
「え、はい。その……やっぱり、まずいでしょうか?」
「いや、まずくはないのだが、一夏のマッサージは……桜花、お前楽しんでないか?」
「フフッ、いいんじゃない? 何事も経験だと私は思うけどな」

 なんだかよくわからないが了承が出たようだ。
 まあ、折角誘ったんだしな。セシリアが来るまで少し時間がありそうだし、蘭には気持ちよくなってもらおう。
 腕がなるな。これでも結構マッサージには自信がある。最後にマッサージをしてやったのは、鈴だっけ?
 あの時も気持ちよさそうに声をだして、最後はそのまま寝てしまったくらいだ。
 筋肉の疲れを取り、間接の歪みを矯正し、ほぐすことで体のバランスを整えるのが整体だ。
 しかし痛いだけのマッサージなんて、ただの拷問でしかない。本当に良いマッサージってのは、そうやって自然と眠ってしまうくらい心身ともにリラックス出来るものだというのが、俺の掲げている持論だった。

「千冬お姉ちゃん、私達は温泉に行かない?」
「しかし、このままふたりを置いていくのは……」
「一夏に、そんな甲斐性があると思う?」
「……まあ、それもそうか」

 何気に酷いことを言われている気がする。まあ、確かにそんな勇気なんて、俺にあるはずもないんだが……。でも、これはこれで気を遣ってくれたのか?
 そこはありがたいと思うが、なんだか素直に喜べない自分がいた。

「あ、机の上のジュースは好きに飲んでいいよ」

 食べ散らかした菓子と酒瓶が転がっている机を指さして、千冬姉と合法幼女は揃って部屋を出て行った。
 ジュースか。まあ、折角だし頂くとするか。風呂上がりでのどが渇いてたところだったし丁度良い。

「蘭も飲むだろう?」
「あ、はい。頂きます」
「えっと、コップは……」
「あ、私がやります」
「お、さんきゅー。えっと、それじゃあ、ジュースはっと」

 似たような瓶が一杯転がっていて、よくわからないな。
 えっと、さっきまでふたりで飲んでたわけだから、量の減ってるのが酒だろう。
 ということは、まだ封のきってないこれがジュースか。目印くらい付けておいて欲しいな。


   ◆


 息絶え絶えと言った様子の焦燥した浴衣姿のセシリアが、ふらふらと壁伝いに廊下を歩いていた。
 向かっている先は当然、一夏の部屋だ。

「酷い目に遭いましたわ。でも、これで……」

 ここぞとばかりに身につけた勝負下着に、とって置きの高級コロンをつけていることが同室の女子達にバレてしまい、あれやこれやともみくちゃにされているうちに、部屋を出るのが随分と遅くなってしまった。
 しかし、それも一夏に会いに行くための試練と考えれば、セシリアは頑張れた。
 廊下脇の窓ガラスで自分の姿を確認すると、パパッと素早い動きで身なりを整える。
 いざいかん、とばかりに両拳を胸の前で握り合わせ、セシリアは気合いを入れ直した。
 好きな人からの招待。それは教師が同室という現実を忘れさせるほどに、恋する乙女心を刺激してやまない魅力的な誘惑だった。
 妄想を膨らませ、一夏の部屋に向かう足取りも心無し軽くなる。

『セシリア待ってたよ』
『一夏さん。今日はどうして、わたくしを誘ってくださったんですか?』
『好きだから。ふたりきりになりたかったからに、決まってるじゃないか』
『一夏さん……』
『セシリア……』

 互いの温もりを確かめ合うように抱きあう二人。そして近付く顔、触れ合う唇。

「うふ、うふふふ……」

 思わず口の端からよだれが零れ落ちるほどに、セシリアは妄想の世界に浸っていた。
 だが、そんな現実離れした妄想も、一夏の部屋に続く廊下の角を右に曲がったところで、ガラスのようにもろく音を立てて崩れ去る。

「……何をしてますの? あなた方は?」

 一夏の部屋の前でドアに張り付き。聞き耳を立てている鈴と箒がいた。

「シッ!」

 咄嗟に鈴は両手でセシリアの口を塞ぎ、その口を黙らせる。
 コクコクと思わずセシリアが頷いてしまうほど、その表情は鬼気迫っていた。

『そ、そこは……あんっ』

 女の甘い声が扉の向こうから聞こえて来る。

『くっ、はあっ! ああ……そこは、ん……だ、ダメ。声が……』

 艶めかしい喘ぎ声をあげる若い女。段々と荒くなる息。声にも余裕がなくなってくる。
 部屋の外から立ち聞きしている三人の肌も、徐々に赤みを増していく。
 思わず聞き入ってしまうほど甘露な声に、ゴクリとのどを鳴らした――その時だった。

『……ああぁっ!』

 廊下にまで届くほど大きな絶頂の声が、部屋の中に響いた。
 鈴や箒、セシリアの勘違いでなければ、その声は間違い無い。――五反田蘭のものだ。
 朝の出来事から、何かがおかしい、おかしいと思っていた結果が、目の前のこれ。
 これほどの決定的現場を前にすれば、さすがの三人もなかで何が起こっているのか容易に想像がついた。
 どよーんと背中に暗い影を落とす一同。踏み込むべきか、踏み込まざるべきか、箒と鈴は激しい葛藤を強いられていた。
 セシリアは声も出ないと言った様子で、力なくぺたりとその場に膝をつく。まさか、部屋に呼び出されてきてみれば、こんな場面に出会(でくわ)すとも思ってもいなかったから当然だ。
 これを見せるために自分を呼んだのか、と考えたくも無い嫌な想像まで彼女の頭を過ぎっていた。

「ああ、もう! こうなったら直接、一夏を問い質すまでのことよ!」
「そうだな。例え、どんな結果が待っていようと、一夏の口から真偽を聞くまでは納得が出来ない」
「そうですわね……。わたくしも一夏さんにどういうことか、話をお聞きしたいですわ」

 三人の心は一致した。
 だが、朝の一件もある以上、またドアをぶち壊すといった真似は出来ない。
 ここが『織斑先生』の部屋であるということも、三人の自制心を働かせる要因となっていた。

「返事がないわね。あれ? 開いてる」

 扉をノックするも返事がないことを不審に思い、鈴はドアノブに手を掛ける。すると、鍵は開いていた。
 どうしたものかと考える三人だったが、扉を開け、思い切って部屋のなかに足を踏み入れる。

「一夏、言い逃れは出来ないわよ!」
「一夏、一体どういうことだ!?」
「一夏さん、話を聞かせて――」

 と、部屋のなかを見渡す三人だったが、どこにも一夏の姿は見当たらない。
 つまみや酒瓶が転がっている部屋に、ぐったりと畳の上に倒れ、気持ちよさそうにすやすやと眠る蘭の姿だけが残されていた。
 これには、さすがの三人も呆気にとられる。しかし蘭以外にも誰かが部屋の中にいたことだけは確かだ。
 三人は、すぐに部屋の探索をはじめた。

「一体、ここで何が……」

 蘭の状態、部屋の惨状をみて、なんとも言えぬ寒気を覚える箒。――その時だ。

「やめ、そこはダメ! あ、あああっ!」

 隣の部屋を確かめに行った鈴の悲鳴が聞こえ、慌てて隣の部屋へと走る箒とセシリア。
 すると、そこには蘭のようにぐったりと横たわる……鈴の姿があった。
 まるで行為の後のように息が荒く、乱れた浴衣から見える赤く色づいた肌と、身体の曲線をなぞるようにポタリと流れ落ちる小さな汗の粒からは、なんともいえない艶めかしさが感じられた。
 思わず、ゴクリとのどが鳴るほどだ。箒とセシリアの顔も自然と赤くなる。

「ここで何があった! 鈴!?」
「と、とにかく、先生を呼んできますわ!」

 そう言って部屋の外に走り去るセシリア。
 次の瞬間、更に予想もしない恐ろしい出来事が、箒の身を襲った。

「――あああぁっ!」

 部屋の外から聞こえてきた女性の喘ぎ声。それは紛れもなくセシリアの声だった。
 鈴をその場に残し、急いで部屋の外に走る箒。

「セシリアまで……」

 部屋の前の廊下。
 そこには、これまたあられもない姿で横たわる――セシリアの姿があった。





 ……TO BE CONTINUED



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