異世界の伝道師を読んでいた方が楽しめますし、読んでないと理解できない箇所があります。
一応知らなくても読めるように心掛けてはいますが、あらかじめ御了承の上ご覧ください。
「まつろわぬ神の生け贄にされた少女達を、悪しき魔王より救いだした謎の男……。これだけを聞けば、まるで御伽話に登場する英雄譚のようだ」
東京某所――広い会議室の一角で正史編纂委員会に籍を置くエージェント甘粕冬馬は、報告のあった一冊のファイルに目を通していた。
正史編纂委員会とは、日本国内で活動する霊能者や呪術師を束ねる政府直属の組織の総称だ。
警察や自衛隊など、『表』の組織では解決の困難な超常的な現象、所謂『裏』の仕事を請け負う秘密組織。
時には非合法な汚れ仕事や、彼等……呪術師の起こした事件や騒動の後始末を担ったりもする。
「しかし、巫女達の証言もある。それにかの侯爵様も大怪我を負って療養中とくれば、与太話と切り捨てることも出来ないだろうね」
「何やら……楽しそうですね」
「久し振りの大事件だからね。これが事実なら、世界は大きく揺れ動くことになる」
事の大きさに、緊張を募らせる甘粕。冷たい汗が頬を伝い、こぼれ落ちる。
目の前の美少年≠フように、この状況を楽しめるほどの余裕は彼にはなかった。
政府直属の秘密組織に所属するエージェントとはいえ、国家公務員であることに変わりは無い。『給料以上に危険な仕事はしたくない』というのが彼の口癖でもあった。
なのに、そんな大事件が起これば、あちらこちらに奔走するハメになることは目に見えている。
それに危険な匂いがプンプンする事件だ。魔王や神絡みの事件には、常識と言ったものが何一つ通用しない。
そんな事件には出来るだけ関わりたくないというのが、甘粕の本心だった。
「馨さんは、どう見ますか?」
「と言っても、この報告書を読む限り、答えは一つしかないんじゃないかな?」
「ですよねー」
沙耶宮馨――甘粕の上司にして、沙耶宮家の次期党首。一見すると美少年に見えるが、これでもれっきとした女性だった。
歳は十四歳。男装は趣味。『可愛い女の子が好き』と言って憚らない好色家だが、これでも『媛』の称号を持つ高位の巫女で、性格と趣向に難はあるものの甘粕も認める能力の持ち主だ。
そんな彼女が自分と同じ考えだと知り、甘粕のなかの予感が確信へと変わっていく。
もし、この報告書に書かれていることが事実なら、その悪い魔王を倒した人物は魔王と同等か、それ以上の力を持った怪物と言うことになる。
カンピオーネ――イタリア語で『チャンピオン』を意味するその言葉は、文字通り勝者のことを指す。『エピメテウスの落とし子』『神殺し』など、畏怖と敬意を持って様々な呼び名で呼ばれる彼等は、神を殺し、その力を簒奪した超越者だ。
神と同様、彼等もまた人の力で抗える相手ではない。故に彼等は『王』と呼ばれる。
そんな王の一人に勝利した謎の男。それが只人であるなどと、誰が信じよう?
何度も言うが、カンピオーネを倒せるのは神か、同じカンピオーネだけだ。
これは魔術や呪術に関わる裏に生きる者達にとって、絶対とも言える自然の摂理だ。
津波や台風を止められる人間などいるはずもないように、彼等は天災そのものと言っていい。
そんな魔王を倒した男の正体。そこから推測される答えは、自ずと一つしかない。
「カンピオーネですか」
「カンピオーネだろうね。そう考えるのが自然だ」
生存する七人目の魔王。未だ確認されていない第七の魔王が顕れたのだと考える。
先日イタリアで、六人目の神殺しが誕生したばかりだ。そのことから考えても早い。早すぎる登場だ。
神とは至高の力を用いる絶対者だ。故に人は神に抗う術を持たない。
人類が奇跡に奇跡を重ねても為し得ない神を殺すという大業を、そうポンポンと気軽に起こされては神の立つ瀬がない。
「案外、宇宙人の仕業だったりして」
「あはは、まさか」
神や魔王に、この上、宇宙からの侵略者まで登場とあっては人類は白旗を揚げるしかない。
甘粕は、そんなことになったらお手上げと言った様子で両手を挙げた。
異世界の伝道師外伝/異界の魔王 プロローグ
作者 193
――サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン。
魔術師の間ではヴォバン侯爵の名で知られ、十九世紀の初頭から三百年の時を生きる最も古き魔王の一人だ。
神々より簒奪した無数の権能を持ち、まつろわぬ神からも恐れられる欧州最恐の魔王。
その魔王が何者かに倒されたという噂は、魔術世界に大きな波紋を呼んだ。
特にここイタリアの魔術結社には嘗て無い戦慄が走り、その噂の真偽を巡って人々の心は揺れ動いていた。
ヴォバンによって世界中より集められた巫女と魔女。そして、その場に居合わせた六人目の魔王、サルバトーレ・ドニが証言したことにより、噂は憶測の域から七人目の魔王の存在を裏付けるものとなった。
――その王は東洋人である。
――神の権能すらも斬り裂く、光り輝く武器を持っていた。
その証言により、結社はあらゆる伝手を使い、名も分からぬ王の所在を追った。
しかし、事件から一ヶ月。未だ王の所在は疎か、名前も分かっていない。
「リリィ。そう言えば、例の七人目の王様の話なんだけど――」
リリィと呼ばれた銀髪の美少女は、ビクリと肩を震わせる。余り仲が良いとは言えない目の前の幼馴染みの少女が、こうして『たまには一緒にお茶をしましょう』と誘ってきたのには何か裏があると読んでいた。それだけに身構えてしまう。
リリアナ・クラニチャール――愛称『リリィ』の名で呼ばれるその少女は、イタリアに居を構える魔術結社のなかでも名門と称される『青銅黒十字』の騎士で、イタリア有数の名家クラニチャール家の長女だ。
「魔術師の間で噂になっている話か」
確かに目の前の少女とは、家同士の古い付き合い……世間から見れば幼馴染みの関係にあたるが、それ以前に組織を別とするライバルだ。
組織に籍を置く騎士の一人として応対しなければ、とリリアナは毅然とした態度を取る。
「その話なら、私も噂以上のことは何も知らない」
七人目の魔王の情報に関しては、魔術師の間で噂になっている通りだが、青銅黒十字はヴォバン侯爵との親交が深く、多くの魔女を抱えていることもあり、今回の件に事件の前から深く関わっていた。それだけに他の結社に抜き出るカタチで、幾つかの情報を密かに掴んでいた。
そのことを知った金髪の美少女、『赤銅黒十字』に籍を置く騎士エリカ・ブランデッリは、同じくイタリアの神童と呼ばれる幼馴染みの少女に連絡を取ったのだ。
「でも、王に直接お会いしたのでしょう?」
「だから、何もしらないと言っている!」
よく言えば自由奔放、慣れ慣れしい騎士らしからぬエリカの態度に苛立ちを募らせながらも、話に乗せられてたまるかと、リリアナは必死にエリカの問いを否定する。
「リリィも気になるでしょう? 颯爽と少女達を救い、名も告げずに立ち去った謎の人物」
「それが、どうし……」
「まるで、どこかの誰かが書いた小説のようなエピソードよね。魔王に囚われた少女。そして、少女を救い出す王子様!」
「ど、どこでそれを!?」
誰にも話したことのない秘密をさらっと暴露され、リリアナは顔を真っ赤にして狼狽える。
自室の机の引き出しに鍵を掛け、厳重に保管しているはずだ。小説のことをエリカが知るはずもない。そう、自分に言い聞かせるリリアナだったが、状況は残念ながらそれを否定していた。
――あなたのことは、なんでも知っているわよ?
十二の誕生日を迎えたばかりの少女とは思えない妖艶な笑みを浮かべ、エリカは幼馴染みの少女に迫る。
観念したと言った様子で、グッと呻き声を上げるリリアナ。そんなリリアナの様子を見て、エリカは質問を再開する。
「私の聞いた話だと、その王は侯爵に向かって『このロリコン野郎!』と怒鳴ったらしいけど、実際のところはどうなの?」
何故、最初にその質問なんだ?
と、もっと核心に迫った質問をされるのではと身構えていただけに、リリアナは呆気に取られた。
しかし考えてみれば、欧州で最も恐れられる魔王に対してその物言い、不遜を通り超して命知らずにも程がある。
だが、噂の男はヴォバンに勝利している。その事実は変えようがない。
ただの命知らずではなく、王と対等に話せるだけの実力が伴っているということだ。
「確かに、そんなことを口にしていたような気がしなくもないが……」
エリカに言われ、リリアナは記憶を辿り、男と侯爵のやり取りを思い出す。
とはいえ、まつろわぬ神の顕現に加え、神殺しの呪力と殺気にあてられ、記憶は曖昧だった。
覚えていることと言えば、東洋人と思しき男に助けられたこと。
その男が何やら光り輝く武器を使い侯爵の権能を斬り裂き、勝利したことくらいだ。
「光り輝く武器ね……『権能』かしら?」
「その可能性は高いと思う」
カンピオーネが、神より簒奪せし至高の力。『権能』と称されるその力は、魔術や呪術では再現不能な神秘を具現化する。
王の権能に対抗できるのは、同じ神より授かりし力だけだ。ならば必然と、男の使った力は権能によるものと推測が立つ。
「結局、儀式で呼び出されたまつろわぬ神は、サルバトーレ卿が倒されたのよね?」
「ああ……しかしその後、卿を宥めるのに苦労したがな」
サルバトーレ・ドニは自他共に認める戦闘狂だ。当然、ヴォバンを倒した男に興味を示さないはずもなく、儀式によって顕現した神と戦っていた隙に、忽然と姿を消した男に不満を漏らしていた。
魔術結社に男の情報を漏らしたのも、その男を見つけだし、戦ってみたいという欲求からだ。
「結局、大した手掛かりはなしか……。あなたも災難だったわね」
カンピオーネに目を付けられた幼馴染みに同情するエリカ。リリアナがヴォバンに目を付けられたのは、魔女の素質を持つが故だ。
魔女は嘗て天と地の女神に仕えた巫女の末裔で、日本の巫女同様、まつろわぬ神を呼び出す儀式に必要な生け贄としてヴォバンに集められた。
そのなかに彼女、リリアナの姿もあった。
まつろわぬ神とは、神話という箱庭から抜き出て自由に流離う神々の総称だ。
彼等に善悪は無く、思うが儘に行動し、行く先々で人々に災厄をもたらす。
戦の神がいるところでは戦争が、海の神のいるところでは津波が、嵐の神がいるところでは台風が、人々にはどうすることも出来ない災厄と天災をもたらす神々――それが、まつろわぬ神だ。
その一方で、カンピオーネは戦いを好む。まつろわぬ神々との闘争を――
ヴォバンなどはその最たる例で、退屈を嫌い、戦いを至上の喜びとしている。今回の騒動の発端も、ヴォバンが自らの闘争本能を満たすため、まつろわぬ神を招来しようと目論んだことにあった。
結果だけを言えば、その計画は成功した。
しかし、顕現したまつろわぬ神はヴォバンの手ではなくドニによって倒され、自身は謎の男によって大きな傷を負わされることとなった。
苦労して呼び出した獲物はドニに横取りされ、自身は名も知らぬ男に敗れ、挙げ句ロリコン扱い。これほどの屈辱はない。
ヴォバンからすれば、散々な結果だ。
「七人目の王……どのような方なのか、少し興味があるわね」
「また悪い癖を……少なくとも、私にとっては恩人とも言える御方だ」
「そうね。どうやったのか、全員無事だったと聞くし」
まつろわぬ神とはいえ、神を招来しようというのだから、人の手には余る行為だ。その代償は考えているほど甘くはない。
実際、神の招来には成功したが、儀式に参加した少女達は代償を支払う……はずだった。しかし助け出された少女達は、何れも健康体そのものだった。
記憶に混乱は見られるものの肉体的な損傷はなく、精神を病んでいる様子もない。
男が瀕死の少女達に、何かをしたことだけは確かだ。しかし、何をしたのかがわからない。
エリカはそこから一つの可能性を導き出していた。
「万能の霊薬……」
「だが、それは……」
「カンピオーネと言えど、おいそれと手に入るものじゃない」
賢者の石と並び称される錬金術の秘宝。今や御伽話のなかでしか聞かない至高の霊薬だ。
万能と称される霊薬を使えば、まつろわぬ神の招来によって傷を負った少女達を救うことが出来るかもしれない。
しかし、儀式に参加した少女達全員に行き渡る量の霊薬を所持していたなど、普通なら考えられない。
そこから導き出される答えは一つ。
その霊薬も、七人目の王が所有するなんらかの権能≠ナはないか、と推測が立つ。
「だから、その力も王の権能である可能性が高い」
「なるほど……やはり状況は、あの方が魔王の一人であることを示唆しているか」
「それ以外に説明が付かないってところね。実際にその方に会って話が出来れば別なのだろうけど……」
カンピオーネが、人の思惑通りに動いてくれれば苦労はない。
結局、謎は謎のまま。王の再来を待つ以外に、人々の取れる選択はなかった。
◆
月の裏側に姿を隠す船の名は、守蛇怪・零式。
自称宇宙一の天才科学者が、愛弟子のためにと拵えた曰く付きの船だ。
「なんというか、問題ありすぎだろう。この世界……」
そんな船の船長席に腰掛ける人物。決して男前ではないが不細工でもない。
どこにでもいそうな東洋人と言った感じの平凡な顔付きの男。
唯一の特徴と言えば、後で綺麗に束ねられた尻尾のように伸びた黒髪くらいか?
「思った以上に物騒みたいだな……」
自分のことは棚に上げ、『物騒な世界にきたものだ』とため息を漏らす男。
彼の名は正木太老。趣味は工作、歳は……本人曰く永遠の二十歳。
確率の天才にして哲学士、次期樹雷皇候補と様々な肩書きを持つ自称一般人。
現在、彼は月の裏側に退避して、この世界≠フ調査を行っていた。
「お父様、情報解析終了しました!」
「ご苦労様。しかし、カンピオーネにまつろわぬ神か……」
太老のことを『お父様』と呼ぶ青い髪の少女は、この船の生体コンピューター。
見た目、十に満たない少女の姿で太老に懐く姿は、本当の親子のようにも見える。
「お父様なら大丈夫だと思いますけど?」
「その根拠は?」
「地上に降りて早々、問題を起こしてましたし」
現在、地上で噂になっているカンピオーネを倒した謎の男。
ここまで言えばお分かりと思うが、その男こそ、ここにいる正木太老だった。
「ぐっ……あれが、そんなに有名な爺さんだとは知らなかったんだよ!」
「なるほど、有象無象の名など知るよしもないと、そういうことですね!」
「なんで、そうなる!?」
――幼女の敵には必罰を!
幼女の守護者を名乗る太老が、ヴォバンの非道な行いを見て見ぬ振り出来るはずもなく、こうなることは必然とも言えた。
頭に血が上り、思わず奥の手とも言える力を使い、そのまま勢いでヴォバンを昏倒させてしまった。
後ほど、変質者もといヴォバンの正体を知って悔やんでも後の祭りだった。
とはいえ、幼女の敵に制裁を下したことに関しては、当然とばかりに太老は考えていたので、どちらにせよ結果は同じだったはずだ。
しかし、その所為で地上は大騒ぎだ。
顔を見られている以上、騒ぎが沈静化するまで地上での活動は難しいだろうと太老は考える。
「ほとぼりが冷めるまで、この世界には近付かない方がいいかな?」
「もう、手後れだと思いますけどね。それに目的はどうされるのですか?」
「あー、それもあったか……」
この世界にきた目的を遂げないまま帰るというのは、確かに如何なものかと太老も考える。
すぐにどうこうなるという問題ではないが、放って置くと問題なのは確かだ。
何も問題がないのなら、こうして平行世界まで足を運ぶ必要などなかった。
――哲学士としての責任と義務。
師であり育ての親でもある哲学士の言葉が、太老の頭を過ぎる。
「やっぱり放置は出来ないか……半分は俺の責任だしな」
「いっそ、魔王らしく振る舞ってみては如何ですか?」
「ええ……この資料を見る限り、碌でもない奴の集まりぽいんだけど」
カンピオーネは王者であり絶対者だ。何をしても許される権威と資格を持っている。
それは、まつろわぬ神を倒せるのが彼等しかなく、人類にとってカンピオーネは神に唯一対抗できる切り札でもあるからだ。
その反面、ヴォバンのように非人道的な行いも、カンピオーネであれば許されると言った問題もある。どれほど理不尽な要求でも、人は王に逆らうことが出来ないからだ。
とはいえ、平然と幼い子供を私欲のために生け贄にするような連中と一緒にされるのは、太老としても勘弁して欲しかった。
「この程度の連中、お父様の偉大な功績に比べればたいしたことありませんよ!」
何を根拠に言っているのか?
零式の話がよく理解できない太老だったが、恐らく昔のことを言われているのだろうということは察しが付いた。
確かに、宇宙規模で大事件を引き起こしてきた太老と比べれば、カンピオーネの傍若無人な行い程度、可愛いモノと言えるかもしれない。もっとも、本人にその自覚があるかどうかは別問題ではあるが――
「じゃあ、調査はこのまま継続ってことで」
どの道、情報が不足していて目的のモノを発見するには至っていない。
他にも解決すべき問題はあるし、あちらにも残してきた仕事がある。
不安を抱えながらも後のことは零式に任せ、太老は一旦、元の世界へ帰ることを決めた。
「余り派手なことはするなよ。あくまで情報収集が目的だからな!」
これから四年後――
再びこの世界を訪れた太老は、零式に任せたことを激しく後悔することになる。
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