地球より遠く離れた銀河にある星の一つ。
 宇宙最強と恐れられる軍事力を誇り、世二我と並ぶ二大勢力の一つに数えられる国。
 それは『樹雷』――海賊を成り立ちとする軍事国家だ。

 宵闇に広がる淡い光の粒、その中心に巨大な大樹の姿が映る。
 まるで御伽話に登場する世界樹のように荘厳で神々しい佇まいで、その樹は一つの街を、国を支えていた。
 樹雷の首都『天樹』――そこに一人の男の声が響く。

「終わった――っ! 明日からバカンスだ!」

 黒髪の男は解放感に身を委ねるまま、両拳を天に掲げガッツポーズを取る。
 男が身に纏っているのは和服をアレンジしたようなこの国独特の民族衣装ではなく、地球にいけばどこにでも売っているワイシャツにジーンズとありきたりな服装だ。
 よく見れば、首筋のタグに日本人なら誰でも知っているナショナルブランドの名前が記されている。恐らく上下セットで二万円もしないだろう。

「太老くん、またそんな格好で……」
「これが一番楽なんだよ。樹雷の服ってさ、なんか堅苦しくって」
「ならせめて、もう少し上質な服を……」
「普段着なんて、皆こんなもんじゃないの?」

 男の名は正木太老。地球生まれ、地球育ちという少し変わった環境下で育った彼だが、これでも樹雷四大皇家の一つ『柾木』に連なる分家の生まれで、とある事情から皇位継承権を取得し、次期樹雷皇の最有力候補と目されている人物だ。
 既に幾つかの所領を持ち、海賊討伐の報奨や趣味のパテントから得た金銭は個人で保有する資産の域を超え、その豊富な資金力を用い財団を興し、孤児の援助や技術者の育成などに力を割いている慈善家としても知られている。
 これだけを聞けば、とても凄い人物に思えるかもしれないが、皇族の威厳も大富豪の貫禄も本人が『根が庶民だから』と自分で言うだけあって、ほとんど持ち合わせてはいなかった。

「そう言えば、さっきバカンスって言ってたけど」
「ああ、水穂(みなほ)さんもくる? 明日から異世界に行くんだけど」

 まるで『温泉に行かない?』と言った気軽さで異世界旅行に誘ってくる太老に、黒髪の和服美人――柾木水穂は溜め息を吐く。
 個人でも車感覚で恒星間航行が可能な船を所持しているくらいだ。宇宙旅行くらいなら、この世界でも普通によくある話だが、さすがに異世界旅行はない。
 平行世界を渡ることは技術的に難しくないが、それを可能とする船や設備は個人で揃えられるようなものではなく、ましてや一つの銀河ですら一生を掛けて探索することは不可能とされているのに、高いコストを掛けてまで異世界に行くメリットはないに等しかった。
 ようするに、そんなことをするのは余程の変わり者か、金持ちの道楽くらいのものだ。
 とはいえ、自分の身に付ける物ですら庶民感覚の男が、幾ら金を持っているからと言って、気まぐれで異世界旅行を思いつくはずもない。

「太老くん。もしかして、それって以前に瀬戸様と話してた探し物のこと?」
「うん。零式が有力な情報を持ち帰ってくれたんで、現地調査をすることになってね」
「なるほど……でも、それは」

 バカンスでなく仕事なんじゃ――と言おうとして水穂は黙った。
 太老の多忙さは尋常ではない。自分で招いた種と言ってしまえばそれまでだが、酷いときは睡眠は三日に一度。その上これでマメな性格をしていて、自分に好意を寄せる女性達の相手や家族との時間はきっちりと作る。
 その結果、唯一の息抜きと言っていい研究(しゅみ)の時間も思うように取れていないのだが、愚痴一つ言わず太老が頑張っている姿を水穂はずっと近くで見ていた。
 それだけに浮かれている太老を見て、水を差すのも悪いと思ったのだ。

「あの二人から解放されると思うと、なんだか嬉しくなってね」

 あの二人というのが誰のことか、水穂にはすぐわかった。
 確かにそれは嬉しいだろう。解放感から小躍りしてしまうほどに。

「それで水穂さんはどうする?」
「ううん……正直に言えば、一緒したいのだけど」

 仕事もあるし、ここで抜け駆けするような真似をすれば、太老に好意を寄せる他の女性達が黙っていないだろう。
 それこそ、国を挙げた騒ぎになる。最悪、全員が太老に付いていくようなことになれば、銀河経済は麻痺寸前の大恐慌に陥る。

(林檎ちゃんが発狂しそうよね。そんなことになったら……)

 ここに『立木』の名を冠する彼女がいれば、なんとしても止めるであろう蛮行だ。
 大袈裟に思うかもしれないが、実際にありえる話だった。

 太老の妃候補とされる女性達、太老に好意を寄せる女性の大半は国や企業の重要なポストに就く人物ばかりだ。
 そうした女性達が一斉に仕事を休めば、世界に与える影響は生半可なものではない。
 水穂とて、樹雷四大皇家の一つ『柾木』の姫君にして神木家第三艦隊司令官という肩書きを持ち、更には『樹雷の鬼姫』と恐れられる神木瀬戸樹雷を頂点とする神木家情報部の副官という大任を背負っている。
 最近では『瀬戸の盾』という異名だけでなく『第一夫人(ファースト・レディ)』という嬉しいような嬉しくないような二つ名までついているのだ。
 お陰で内外だけでなく太老に好意を寄せる女性達にも一目置かれているが、その所為で『太老の大奥(ハーレム)を取り仕切る御歳奇』とまで比喩されていた。
 間違いとは言えないが、『第一夫人』と称しながらも『御台所』ではなく『御歳奇』な辺りが水穂の立場を妙実に現している。
 こういう例えをする辺り、樹雷での地球――いや、日本人気が窺えた。
 現樹雷皇の第一皇妃が日本出身と言うのもあるが、太老が地球の日本育ちということも樹雷における日本人気の大きな要因となっていた。
 地球産の食べ物もそうだが、日本の時代劇も樹雷では人気が高い。海賊を成り立ちとする国の人間が、侍の格好を真似ている姿はシュールなものだ。

「ダメね。私が職務を放棄したら、世界が滅びるわ」
「そんな大袈裟な……」

 と言いかけたところで水穂の真剣さを肌で感じ取り、太老はそれ以上、何も言えなかった。





異世界の伝道師外伝/異界の魔王 第1話『旅立ち』
作者 193






 ――これは夢だ。
 少女は朧気な意識のなかで、古く懐かしい記憶を呼び起こす。

 それは今から四年前――ヨーロッパ東南部、バルカン半島。
 湖に浮かぶ古城に年端も行かない若い少女達が集められ、大規模な儀式が執り行われていた。
 ジークフリート招聘の儀。まつろわぬ神を招聘するため、彼女達――巫女の少女は集められた。
 東欧の魔王、サーシャ・デヤンスタール・ヴォバンによって。

「このロリコン野郎!」

 しかし、儀式も終わりに差し掛かろうと言う時、一人の青年が大きな怒鳴り声と共に儀式場へと現れた。
 古城の周りには周囲への影響を抑えるために、魔女の結界が幾重も張り巡らされていた。
 そのなかには人払いの結界もあり、一般人は近付けないようになっていたはずだ。
 だが、何よりも少女達は、魔王をも恐れぬ男の所業に戦慄した。

 魔王――カンピオーネと呼ばれる者達は、その名が示す通り魔導師達に王と崇められる存在だ。
 神を至高たらしめる力を簒奪し、神殺しとなった彼等に抗う術を地上に住む人々は持たない。
 カンピオーネに課せられた義務はただ一つ。まつろわぬ神が現れ、人類に災厄をもたらす時、神に抗う術をもたぬ力なき人々の代表として戦うことだけ。その義務を果たしさえすれば、何をしても許される。
 例え、それが我欲に満ちた理不尽な行いであっても、人は王に逆らえない。
 神より簒奪した絶対的な力で、人々に希望と恐怖をもたらす存在――それが魔王(カンピオーネ)だ。
 だと言うのに、その男は儀式を邪魔したばかりか、欧州で最凶と恐れられる魔王に向かって、事もあろうに『ロリコン野郎』と怒鳴りつけたのだ。
 まつろわぬ神の降臨より先に、魔王の怒りが落ちても不思議ではない。
 事実、儀式を高みより見物していたヴォバンは、男の登場に不快感を顕にしていた。

「貴様はなんだ? 王の前と知っての狼藉か?」

 静かに怒りと侮蔑の籠った声で、場違いな乱入者に問いかけるヴォバン。
 既に儀式は完成し、後はまつろわぬ神の顕現を待つだけ。
 王の前に、ただの人が障害となるはずもない。邪魔をするなら蹴散らせばいいだけだ。

「いい歳して王様ごっこか? 爺さん」

 それなのに、ヴォバンはどう言う訳か、目の前の男に警戒を募らせていた。
 三百年の時を生き、数多くの神と対峙してきた彼の経験と本能が告げているのだ。
 ――目の前の存在を甘く見るな、と。

「余程、死にたいらしいな。礼儀を知らぬ、小僧が」

 虎の瞳と呼ばれるヴォバンの瞳が緑柱石(エメラルド)の輝きを放つ。
 魔神バロールより簒奪した権能。同じカンピオーネや、まつろわぬ神のように高い呪術耐性を持つ存在には効果は薄いが、並の人間であれば、たちまち塩の柱へと姿を変えてしまう恐るべき邪眼だ。

「我が権能が効かぬ……だと?」

 だというのに、目の前の男にはヴォバンの邪眼が全く効いていなかった。
 普通ならありえぬこと。魔王の力に抗えるのは同じ魔王か、まつろわぬ神だけだ。
 しかし男からは、まつろわぬ神が身にまとう荒々しい神気や、同族(カンピオーネ)が放つ気配のどちらも感じない。
 どこからどう見ても、普通の人間だ。
 しかし、それはおかしい。王の権能が効かぬ只人(ただびと)など存在するはずがない。
 それだけで、この男が普通の人間でないことを証明していた。

「これをやったのは爺さんだな?」

 周囲を見渡し、男は怒気を孕んだ声でヴォバンに問う。巨大な魔法陣の周囲には、儀式によって意識を失った少女達が倒れていた。
 まつろわぬ神を人の身で招聘しようというのだ。当然、その代償は並大抵のものではない。
 辛うじて意識を残した少女達も虚ろな瞳で、今にも死にそうな表情を浮かべている。このまま放っておけば、衰弱して少女達は命を落とす。死に至らずとも、後に致命的な後遺症を残すであろうことは明らかだった。

「我が所有物をどう扱おうと我の自由だ。貴様にどうこう言われる筋合いはない」
「ああ、そうかい。今のが返答と受け取っていいんだな」
「ぬ――っ!」

 男の周りに得体の知れない大きな力が集まるのを感じ、ヴォバンは警戒を強める。
 光の粒が男の右手に集まり、白く光り輝く剣へと、その姿を変える。

「幼女の敵に裁きを!」

 そこで夢は途切れる。暗い闇の中へ、再び少女の意識は落ちていった。


   ◆


 日本の首都、東京。そのなかでもここ港区は経済活動が特に盛んな地区で、青山や赤坂を中心とする商業区画や、六本木などに代表される歓楽街、お台場を始めとする開発地区が名を連ね、日本を活動の拠点とする企業の多くが本社を構えるビジネスの中心地として栄えた街でもある。
 そんな現代を象徴する近代的な街並みのなか、時代に取り残されたかのようにポツンと佇む古ぼけた神社。
 地理に長けた地元民しか通らないような裏道を入り、長い石畳の階段を登りきった高台の上に、ここ七雄神社はあった。

「何故、今頃あんな夢を……」

 巫女装束に身を包んだ少女、万里谷祐理は鏡の前で身支度を整えながら、昨夜の夢について考えていた。
 祐理の一日は境内の掃除に、朝拝から始まる。優れた霊視能力を持つ彼女は、幼い頃から巫女となるべく育てられてきた。
 この朝のお勤めも、それほど昔から続けてきた習慣のようなものだ。

「何かが起こる前兆?」

 腰下まで届く淡い栗色の長髪を(くし)()かしながら、祐理は昨夜の夢のことを考える。
 霊視に長けた媛巫女(ひめみこ)≠ナある祐理の力を持ってさえ、昨夜の夢からは何も予見することが出来なかった。
 媛巫女――そう呼ばれる高位の巫女は、この国では特殊な意味を持つ。彼女、万里谷祐理もその媛巫女と呼ばれる一人だ。
 その媛巫女の一人である彼女が何も視えなかったのであれば、ただの夢と考えるのが普通だ。
 でも、腑に落ちない。祐理の心の中で、何かが引っ掛かっていた。

「ただの夢のはず……でも……」

 今から四年前、祐理がまだ十一の頃。彼女は東欧の魔王と謁見し、この世の不条理をその身をもって体験した。
 四年経った今でも忘れることは出来ない。
 あの年老いた魔王の暴虐な振る舞いを――
 未だ表舞台に姿を現さない七人目の魔王の姿を――

「そうでなければ……」

 懐かしい感覚を引き摺りながら、身支度を終えた祐理は社務所を後にする。
 朝の勤めを果たすため拝殿に向かう祐理を引き留めたのは一人の男の声だった。

「やあ、媛巫女。お初にお目にかかります。私、正史編纂(せいしへんさん)委員会の甘粕冬馬(あまかすとうま)と申します。少し、お時間はよろしいでしょうか?」

 偶然を装い、物陰から姿を現した男は甘粕冬馬と名乗った。
 恭しく頭を下げながら名刺を差し出す男の肩書きに、祐理は眉をしかめる。
 日本で呪術に携わるものであれば、誰でも知る組織の名。そして、その組織の名をだす人物が『媛巫女』を尋ねてくることの意味を祐理はよく理解していた。

「正史編纂委員会の方が、私にどのようなご用件でしょうか?」

 それが祐理と魔王を引き合わせる運命の扉だった。





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